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十戦目:vs.人間

 その男は山の頂上にいた。雲よりも高いその頂上に、ひとり。

 岩に腰かけ、地に突き立てた剣を杖にし、来訪者を見据えるようにじっとしていた。


「……」


 ようやく頂上にたどり着いたアキラは、言葉もなくその男をみつめ返した。

 年の頃は五十を優に過ぎているだろう。彫りの深い顔を覆う髭には白が混じっている。

 それでいて、肉体はいささかも衰えていないのが服の上からでもわかる。秋水の剣の如き鋭さを、アキラは感じた。


「……魔王は、選んだのか」


 男の声には深い諦観が籠っていた。


「ああ」

「そうか……。私にもようやく順番がきたか」


 それきり、男は頭を垂れたまま沈黙した。

 まるで首を切られるのを待つ罪人のような有様に、アキラは憤りすら感じた。

 数えきれない魔物を倒した強者がなぜ、とそう問いたくなるほどに惨めな姿だった。


「俺はこことは違う世界から来た。アンタもそうなんだろ?」

「ああ。戦乱の絶えない世界だった。だからせめてこの世界では、と」

「俺の世界にはもう剣の生きる場所はなかった」

「……?」

「時代が変わって、戦争も変わった。たぶん、これから剣はどんどん廃れていったと思う。そこに俺が生きる余地はない。だから――」


 いつの間にか男の視線は上がり、まっすぐにアキラを見つめていた。


「――だから、俺は自分の強さの意味を知りたくて、この世界に来た」

「――――」


 驚きからか、男の目が見開かれる。

 それはエゴだ。己の為に剣を振るう利己の剣だ。

 しかし、それゆえに純粋である。

 ただ誰かの為に、それだけを願って強くなり過ぎた男にとって、アキラの存在は異物であり――あるいは、救いであったかもしれない。

 アキラも、男も、まだ死んではいないのだ。


「アンタの強さを見せてくれ。俺はそのためにこの世界に来た」

「――わ、たしは」

「戦おう。アンタはまだ死んでいない。死んでないんだ!!」


 その言葉は炎だった。

 男の凍えた心を溶かし、焼き尽くさんばかりに燃え上がる、炎。

 だからこそ、魔王はアキラを選んだのだ。


「立てよ、()()。アンタほどの男が座して死ぬなど、俺が許さない!!」

「ああ……ああ!! だが、死んでも文句は言うなよ、若造!!」

「そっくりそのまま返すぞ、爺さん!!」


 老いた勇者が立ち上がり、杖にしていた剣を引き抜く。

 装飾も美しい幅広の長剣、刀身は仄かに輝く銀色。一見して尋常な剣ではないことがわかる。


 ――“勇者”、聖剣を持つ者。


 先代魔王を打ち倒した人魔最強。

 個としての名前を捨て、ただ魔物を倒すためだけの機構となった人類の剣。

 その切っ先を向けられ、応じるように、アキラもコートを脱ぎ捨て、太刀を抜く。

 黄金造りの二尺七寸。嘘か真か、【膝切り】(ニースラッシャー)の銘を持つ名刀。その鋭さは聖剣にも劣るものではない。


「――――」

「――――」


 言葉は尽きねど、二人がその先を口にすることはない。

 風すらも沈黙した束の間。世界で一番高い場所で二人は向かい合う。

 間合いは僅かに十(フィッツ)。瞬きの間に詰められる距離。


「ッ!!」


 先に動いたのは“勇者”であった。

 異世界に斬り合いはない。

 先手を取って強固な外皮を一撃のもとに斬り伏せることこそが肝要なのだ。


「――オオオオオオッ!!」


 咆哮一閃。踏み込みと同時に大上段から聖剣が打ち下ろされる。


 ――人間よりも遥かに高い身体能力を有する魔物に如何にして勝つか。

 この世界において、それは魔物と戦い続けた人間の至上命題だ。

 アキラは技に活路を見出した。

 対して、“勇者”は――


 斬、と振り抜かれる一閃をアキラは横っ跳びに避けた。

 直後、聖剣より放たれた斬撃が光の如く空間を疾って突きぬけた。


「……デタラメだな」


 戦闘の最中にありながら、アキラは呆れたような表情になった。

 “勇者”の放った斬風は、遠く視界の果ての雲までを断ち切っていた。

 間合いなどという概念を一笑に付す極大の斬撃。

 聖剣の『所有者の身体能力を倍加する』という単純な効果を極限まで引き出した結果だ。


 ――人間よりも遥かに高い身体能力を有する魔物に如何にして勝つか。

 その問いに対して、“勇者”はより強大な力でねじ伏せることを選んだのだ。


「怖気づいたか、“魔王”?」

「まさか」


 鼻で笑い、アキラは一挙に進み出る。

 間合いを無視して放たれた二撃目を寸でで躱す。

 振り下ろされた一撃が髪を僅かに掠め、地面に深々と亀裂を刻む。

 凄まじい一撃だ。威力は“崩山”の蹴撃すら軽く凌駕している。

 強い。ひたすらに強い。魔王すらも力押しで打倒した人魔最強がここにいる。


(だが――)


 だが、それは人間(アキラ)に対しては過剰な強さだ。

 想定が違うのだ。アキラの剣が対人のそれであるように、勇者の剣は魔物を斬るためのものだ。

 時に山に迫るほど大きく、時に鋼よりも硬い魔物を斬るための、業。

 そのために、この男は人間の限界を超えてしまったのだ。

 とはいえ、それがアキラに対して常に有利に働くかというと、その限りではない。

 そも、剣の素打ちですら当たり所が悪ければアキラは死ぬ。

 畢竟、“勇者”の有利は間合いの長でしかない。そして、威力を重視する攻撃は必然的に大振りになる。


「――シッ!!」


 “勇者”が聖剣を振り抜いた隙を縫って三歩を踏み込む。

 即座に振り抜かれる一太刀。左腰から右肩へ、居合の要領で流れるように放たれる。

 狙いは首。この一撃で決めることを厭わない必殺の一刀。


 しかしそれを、あろうことか“勇者”は立てた右腕で防いだ。


「!?」


 ギン、と鋼を打ったような音が響く。

 アキラの手には肉を断った感触と、その奥の骨に弾かれた感触が残る。

 聖剣の『所有者の身体能力を倍加する』とはなにも膂力だけを増すものではない。その土台となる骨格にまで強化は著しく及んでいる。


 ――人呼んで、金剛聖勇。“勇者”は聖剣を手にする限り決して倒れない。


 だが、同時に、聖剣は一度抜けば、死ぬまで手元を離れることはない。

 その命のある限り“勇者”が尋常な生活を送ることは不可能なのだ。


「――ズェッ!!」


 片手を防御に回したまま、“勇者”がもう一方の手で喉を突きに来る。

 アキラは咄嗟に首を傾け体を捻り、ギリギリのところで直撃を避けた。

 だが、先よりも狙いが正確だ。斬風の端が僅かに掠り、それだけで肩がしたたかに抉られた。


 即座に跳ね起きて構えをとり直す。

 次読み違えればナディーンの元へは帰れないな、と場違いな思考がよぎり、小さく苦笑する。


「なにがおかしい?」

「連れ合いに、そろそろ年貢の納め時だと言われたのを思い出した」

「今さらだな。だが、誇っていい。私相手に三手もったのはお前で二人目だ」

「……生真面目な男だな、アンタは」


 苦笑が深くなる。

 とはいえ、もう一度無策で突っ込む気にはなれなかった。


 思考する。勝ち筋を読み取らんと、ひたすらに思考を重ねる。

 先手必勝は攻撃を誘う見せ札。勇者本来の戦術はアキラもこの世界に来てから何度か試したものだ。

 すなわち、後の先をとっての必殺。

 “白蹄”や“隻眼”に対してアキラが試み、失敗した戦術だ。

 アキラには「受け流す」あるいは「避ける」選択肢しかなかったからだ。魔物の反応速度は二手を許さない。

 対して、“勇者”には「受けとめる」という選択肢がある。

 正確には、受け止めながら攻撃するというべきか。この差は大きい。

 人間であろうと魔物であろうと、攻撃した瞬間には防御も回避もできないのが道理。

 絶大な隙を敵の目の前で晒してしまうことの不利。その不利を確実に衝くことのできる基礎能力の高さ。

 成程、先代魔王が敗れたことも不思議ではない。

 それほどに“勇者”という存在は完成している。


 だが、勝機もまたそこにある。


「――剣の極意とは、斬ることを知り、斬らぬことを知るにある。そうだったな、師匠」


 アキラは呟き、一度だけ大きく息を吐いた。

 やはりというべきか、これまで戦って来た魔物と同じく“勇者”には斬り合いは通じない。

 至近で振るえるのは一度のみ。

 狙うべきは先手をとっての一撃か、相手の攻撃を避けてからの後の先か。


(勇者の防御は単純にして強固。ならば――)


 決まりだ。論理と本能の両輪が導いた答えに命を預ける。

 決め手が定まったならば、後は決着に向けて盤面を整えるのみ。

 “勇者”は動かない。三度の攻撃を避けられた中で、アキラを理解したからだ。

 敵の狙いは変わらず単純明快。一撃を受けとめて、斬る。

 聖剣を持つ“勇者”ならばこそできる力押し。

 三度の攻防でアキラの身体能力の限界は既に見切られている。一撃ごとに命に近づく剣戟。今度は外れないだろう。


 ここが勝敗の分水嶺。

 そうであるがゆえに、アキラはいつものように踏み込んだ。

 重さを感じさせぬ、疾風のような歩法。

 剣に生きているのだ。命がかかっているのはこれまでの九戦と同じ。なんら変わるところはない。


 研ぎ澄まされた集中の中で、ゆっくりと時間が流れる。

 互いの間合いが近付いていく。

 “勇者”は聖剣を正面下段に、両手で構えている。

 迎撃の構えだろう。過程は違えど、行きつく答えは異世界でも同じなのだとアキラは知った。


 そして、最後の一歩を踏み込む。


 振り抜く一太刀。先とは逆の右から左への逆薙ぎ。

 対する“勇者”は左腕を盾にする構え。右手は既に刺突の体勢に移行している。

 彼の戦法からして当然であるが、左右どちらの手でも聖剣を振るえるようだ。

 無論、アキラもそれは想定していた。ゆえに構わず斬りかかる。


 そうして、切っ先が弧円を描き、“勇者”の左腕に防がれる――直前、波打つようにすり抜けた。


「――!?」


 有り得ないものを見た“勇者”の顔に驚愕が浮かぶ。

 既に放った斬撃の軌道を変更する。通常、そんなことは不可能だ。

 剣とは意に先んじて放たれるものである。

 考えてからでは遅い。ゆえに、剣士は技を体に刻み、反射の動きで対応できるよう己を鍛えるのだ。

 ――だが、この剣はその逆をいく。


「く、おおおおおお!!」


 それでも“勇者”は諦めない。

 透かされた左腕と首の間に聖剣をねじこみ、第二の盾とする。

 ぎちぎちと筋肉がしなり、骨が軋みをあげる。

 “勇者”の身体能力だからこそ可能な瞬時の反応と、即座の防御。

 だが、アキラの剣はそれすらも自在の動きでするりとすり抜ける。


 アキラの目は己の剣と、相手の動きを捉え、追いついているのだ。



 ――ムラカミ流刀争術、一子秘伝“二元帰全剣”



 すなわち、斬ることを知り、斬らぬことを知る。

 知るとは、見て、認めて、選ぶことに他ならない。

 そのために、剣に意識を追いつかせ、自在に制御する。

 反射ではなく認識によって振るう剣。

 尋常の剣術の真逆をいく発想。

 到底、人間に可能な所業ではない。


 だが、アキラはそれを成した。

 異世界での九度の戦いが、アキラの肉体にその必要性を認めさせ、辿りつかせたのだ。

 斬ることと、斬らぬこと。

 ここに、全ての剣は二元に帰する。


「――――」


 アキラの意識は極致にあった。

 剣と己を一体化させ、思うがままに振るう。

 掌は新たな関節となって柄と結びつき、切っ先は肌となって割り裂く大気の流れを感じとる。


 そうして、僅か一刀を振るう間に“勇者”は五度の防御を成しえ――

 ――アキラの剣はその全てを超え、骨を透かし、切っ先を“勇者”の命へと届かせた。



 ◇



 冷たい風が最果ての山々を駆け廻り、決着に至ったふたりの間を吹き抜ける。

 ふたりは背中あわせのまま、しばし風が吹くのに任せていた。


「……私の、負けか」


 風がやんだそのとき、するりと“勇者”の手から聖剣が滑り落ちた。

 命ある限り離れることのなかった剣は、岩肌に当たって慟哭のような金属音を奏でた。


「……名を、聞いていなかったな、“魔王”」

「アキラ、村上アキラだ」

「そうか」


 振り向いた“勇者”――勇者であった老人の顔には仄かな笑みが浮かんでいた。


「最期に良い勝負ができた。人間は強いな。私はそれを信じることができなかった」

「…………」


 ふらり、と老人の体が傾く。

 アキラは咄嗟にその体を支え、あまりの軽さに驚愕した。

 聖剣の加護を喪ったこの男は、どこにでもいるようなただの人間だった。


「気にするな、アキラ。人間として死ねる。私には過ぎた死に様だ」

「何か、言い残すことはあるか?」

「……この景色を覚えておいてくれ」


 老人の言葉に、アキラは初めて振り返り、己の辿って来た道筋を見た。

 世界で一番高い場所。そこから見下ろす景色。

 雲の下には魔王領があり、その先には人間の営みが見える。

 唐突に、アキラは気付いた。

 老人がこの場所に根を張ったのは、この景色を見るためだったのだ、と。

 もはや人界で生きられぬ体に成り果てても、人類を見守らんとして、この場所を終生の地としたのだ、と。

 この老人は最期まで“勇者”であり続けたのだ。


「アキラ、お前は強い。だが、私のようにはなるな」

「……肝に銘じます」


 少年の言葉に、しかし、応えはなかった。

 見れば、眼下の景色を見下ろしたまま、老人は穏やかな表情で事切れていた。

 アキラは目を伏せて黙とうし、その傍らの地面に聖剣を突き立てた。

 墓標代わりだ。そうするべきだと感じたのだ。

 晴れ渡った青空の下、風は生者と死者に等しく吹きつけていた。




「……終わったか」


 しばらくして、アキラは深々と息を吐き、太刀を鞘に納めた。

 りぃん、と微かな金打音が疲弊した体に沁み渡る。

 だが、やり遂げたのだ。

 先代魔王に預けられた十度の戦い。彼が遺した後悔の全てに決着がついた。


 ここから先に道標はない。アキラは己の足で行く先を決めねばならない。

 思い出したように抉られた肩が痛む。


「とりあえず、帰るか」


 無意識に己が口にした言葉に、思わず苦笑する。

 やきもきしているだろうから、早く帰って顔を見せてやるべきだろう。


 アキラはゆっくりと最果ての山を降りていく。

 これからのことはわからない。

 だが、ここが自分の終わりではないことだけは、確かに感じていた。






(異世界十本勝負、完)

・オマケ





朽ちた城に亀裂の向こうから朝陽が昇る。


――次に夜が来たらここを出よう。


そう決意してから何度夜を越しただろうか。ナディーンは数えていなかった。

……嘘だ。数えている。今日で十日。エルフにとっては心の臓が十度脈打った程度の時間。

だが、ただの人間でしかない魔王にとっては生死を分かつに十分な時間だ。


朝もやの中、火が絶える間際の焚火で暖を取り、揃えた膝に顔を埋める。

脳裏にこれまで彼が戦ってきた好敵手たちの顔が浮かんでは消える。


彼らと自分の違い。彼と自分の違い。それはここで立ち上がるか否かの違いなのだろう。

過去へか未来へかの違いはあれど、彼らは駆け抜けたのだ。うずくまる自分と違って。


「でも――」



ひとりは寂しいよ、アキラさん――





「知ってる」


背中に投げかけられた応えにはっと顔を上げる。

だが、振り向くのが恐い。悪霊にでもなっていたらどうしよう、と柄にもなく思う。

あるいは、ナディらしいね、と言われるのかもしれないけれど。


だから、ナディーンは立ち上がった。

まだ駆けることはできないけれど、それでも、エルフの少女は立ち上がり、彼女の太陽を見た。

後に聖剣返還者となる少女ははじめてのように、少年を真っすぐに見つめた。

少年は照れたように頬を掻いた。



「……お、おかえり」

「ん、ただいま」



(完)

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