幕間
パチパチと薪の爆ぜる音が魔王城の一室に響く。
立てた膝の間に顔をうずめたまま、ナディーンは聞くともなしにその音を聞いていた。
適当な椅子を壊して確保した薪は乾ききっていて、よく燃えている。
この様子なら夜は越せるだろう。魔王領の夜はひどく冷え込む。屋根のある場所でも油断はできなかった。
ふと、ナディーンは焚き火から傍らのアキラに視線を移した。
“戦巧”との戦いが終わった後、アキラはそのまま意識を失ったきり、起きる気配はない。
彼の体は限界が近いのではないか、少女はそう思わずにはいられなかった。
ここまで八戦……ナディーンと会う前を含めれば九戦。
アキラはそれを立て続けにこなしてきた。
人間よりもはるかに頑丈で、武術にも長けた魔物たちを相手取って来たのだ。
傷はその都度ポーションで治してきたが、傷を治すのにも体力は削られる。あるいは目に見えぬ部分も削られてきた筈だ。
むしろ、ここまで保ったことが驚きだと言える。
「……アキラ」
呟くナディーンの足元には分厚い毛皮のコートが転がっている。
魔物の毛皮を張り合わせたと思しき一品。薪を探していたときにみつけたものだ。
背中のふたつの切れ込みからして、“戦巧”が使っていたものだろう。
西端の魔王城。その先にあるのは最果ての山々のみ。
そして、最後の一人はその山の頂上にいるという。
「……」
今ここで、このコートを焚き火に投げ込めば、もうしばらく一緒にいられるのではないか。
そんな思考がナディーンの脳裡をよぎる。
どちらにせよ、ここから先にナディーンはついて行けない。
ポーションも底を尽いた今、荷物持ちはお役御免だ。ついて行く意味もない。
だから――だから。
「……はあ、なに考えてるんだか」
湧きあがってくる不安を吐き出すように、少女は溜め息をついた。
コートを脇にどけ、焚き火から遠ざける。燃やす気にはもうなれなかった。
無駄だからだ。こんなものがなくても、どうせアキラは止まらない。着の身着のまま登山を始めてももはや驚かない。
驚かない自分にこそ、ナディーンは驚いた。
随分と毒されてしまったらしいと気付き、口元をほころばせる。
目を閉じれば、これまでの戦いが鮮やかに再生される。
血を滾らせ、命を奪いあう殺し合いの儀式。アキラとナディーンだけが知っている戦いの記憶。
決して美しいものではない。殺し合いはどこまでいっても殺し合いでしかない。
それでも、ナディーンの心に残るものがあった。
死んでいった魔物たちが、アキラに託した何か。
その一端を自分も感じとれたような気がしてならないのだ。
「ふふ、私もおかしくなっちゃいましたね。あなたのせいですよ、アキラさん」
「なにがだ?」
「わああああ!?」
突然声を掛けられたナディーンは慌てふためき、転がるように部屋の端まで退避した。
見れば、むくりと起き上がったアキラが、ぼうっとした眼差しでこちらを見つめている。
「き、聞いてたのか!?」
「だから、なにがだ?」
「……い、いや、聞いてなかったならいいんだ」
「なにがおかしくなったんだ?」
「聞いてるじゃないか、もう!!」
ナディーンは頬を膨らませる。元々は舐められないようにと使っていた男言葉に慣れてしまって、逆に元来の言葉を使うところを見られるのは気恥しい気持ちになっているのだ。
ともあれ、ナディーンは怒った風を装いつつも、膝を詰めてアキラの容体を診る。
固まった血で額に張りついた前髪を払い、手慣れた様子で傷跡を確認する。
「痛みはないか?」
「大丈夫」
「ん、よかった。でも、今夜は休めよ。さすがにこれから山登るのは無茶だ」
「わかってる」
アキラは頷き、再び横になった。
それでも眠れないのか、寝転んだまま天井を見上げている。
「なあ……」
「ん?」
「アキラはなんでこんなことしてるんだ? わざわざ戦いに別の世界から来たんだろ?」
「そうだ」
「なんで?」
それは含むところのない純粋な疑問だった。
命の取り合いなんてしないに越したことはない。
少なくとも、アキラと出会う前のナディーンはそう考えていた。
「――知りたいからだ」
アキラは迷わず答えた。
「自分が強くなった意味、強くある意味。それを知りたいから、俺はこの世界に来た」
「……それは、みつかったのか?」
「いいや。けど、もう少しで掴めそうな気がする」
天上を見つめているアキラの瞳は、まるでその先の夜空を見透かすかのように輝いていた。
子供みたいだ、とナディーンは小さく笑い、次いで、あくびをひとつ。
心のつかえがひとつ取れたせいか、急に眠くなってきた。
「寝る。火の番任せる。その様子だとまだ眠れないんだろ?」
「わかった」
「…………隣、行ってもいいか?」
「ああ」
肩の触れ合う距離で、ふたり並んで横になる。
ナディーンはアキラの横顔を眺めながら、ゆっくりと目を閉じていった。
パチパチと薪の爆ぜる音が耳に残る。
「みつかるといいな」
アキラがなんと答えたのか、ナディーンは知らない。
◇
明くる日、アキラはひとり、最果ての山々を登り始めた。
毛皮のコートを着込み、まだ雪の残る斜面を黙々と登り続ける。
吹き下ろす風は冷たく、体の芯が凍えるよう。
なんだかんだと文句を言いながら、ずっと傍にいたナディーンも今はいない。
ここから先はひとりだ。
今はそれでいいのだと、己に言い聞かせる。
腰に履いた黄金造りの二尺七寸。それだけあれば、いい。
一歩踏み進めるごとに脳裡には戦いの記憶がよぎる。
“崩山”のトロール。
“雑刀”のゴブリン。
“鮮血公”ヴァンパイア。
“白蹄”のセントール。
“隻眼”のリザードマン。
“大樹”のエント。
“魔弓”のハーピー。
“大力”のミノタウロス。
“戦巧”のワークロウ。
先代魔王の後悔。彼が現世に遺してしまった強者たち。
そして、あとひとり。
あとひとりと死合えばアキラの旅は終わる。
その先の景色を、少年は知らない。
何も為せず、ただ時代遅れの剣に縋って生きていくだけだった人生に与えられた一瞬の光。
己が剣を振るった果てを、強さの意味を知ることができるかは、最後の一戦にかかっている。
これまでの旅路を思えば、この険しい山をゆくことも苦にはならない。
頂上まで目算で三日。
その先に十人目が待っている――――。




