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一戦目:vs.トロール

 仰ぎみれば、雲ひとつない快晴の青空が視界一杯に広がる。

 視線を地に転じれば、数日前に雪解けも過ぎ去った筈の丘には、血と死肉が降り積もっている。

 涼やかな春風にも死臭が混じる。地獄とはあるいはこんな姿をしているのかもしれない。

 そんな血染め丘に、一体のトロールが座禅を組んでいた。

 無数の死体と砕かれた武具を座所にして、静かに目を閉じる。

 巨人族の中でも際立った戦闘力から“崩山”の二つ名を与えられたトロールである。

 今も適当な魔物の群れに戦いを挑み、さしたる抵抗もなく殺し尽したあとであった。


「――」


 無言の瞑想の中で“崩山”は倦んでいた。誰も彼もが脆すぎる、と。

 そこに悟りはなく、ただ只管に血沸き肉踊る死闘を所望する餓えだけがあった。

 魔王が勇者に討たれてから幾余年。

 炎のような時代は過ぎ去り、もはや闘争の中にすら飢えを満たす歓びはなかった。


 そのとき、巨人はふと何者かが近付く気配を感じた。

 目を開ければ、屍山血河の築かれたその場所に、人間の少年がひとり、ふらりとやって来ていた。

 歳は十五、六か。短く刈り上げた黒髪に、彫りの浅いさっぱりとした印象を受ける顔立ちだ。

 身なりは甚平にズボンと編み上げのブーツ、腰に一刀佩いただけの軽装。

 歴戦の“崩山”をして、何をしに来たのか判然としなかった。


「よっ!」

「……うむ」


 少年の気負いのない挨拶にトロールもつい素で返事を返してしまった。

 数瞬して、驚きとともに小さな来客を二度見下ろした。

 声をかけられたことは、この巨人にとって昨今そうない珍事だ。

 “崩山”の武名は周辺一帯に轟きに轟いている。

 人魔を問わず、言葉を解す者達の中で己を恐れぬ者などひとりとしていなかったのだ――この瞬間までは。


「“崩山”だよな?」

「如何にも」


 トロールが頷くと、少年はそのあどけなさの色濃く残る顔ににっこりと満面の笑みを浮かべた。


「アンタが強いと聞いて闘りにきた」


 要件は簡潔で、少年の態度はそれに輪を掛けてあっけらかんとしていた。

 血風吹き荒ぶ屍の丘で、涼やかなその様子は異様の一言に尽きる。

 己の生死をどこかに忘れてきた、武人の先をいく者、狂人と紙一重のそれだ。


「オレが強いのではない。お前達が弱いのだ」

「どっちでもいいさ。結果は同じだ。……で、どうする?」

「……」


 牽制の言葉は意味を成さなかった。“崩山”は数瞬、沈思黙考した。

 この提案に生半可な態度で首肯した瞬間、首が落ちる。本能がそう告げていた。

 ゆえにこそ、答えは決まっていた。


「……暫し待て」


 “崩山”は座禅を解いて立ち上がり、手ごろな魔物の死体を引き裂くと、流れ出る血を懐から取り出した杯に滴り落とした。

 そのままドス黒い血で満ちた杯をぐびりと半分ほど呷り、残りを少年の前へずいと差し出した。


「氏族に伝わる礼法だ。どちらが生き残ろうと、同じ血が流れ、同じ血が残る」

「アンタ、闘る相手みんなとこれしてるのか?」

「お前は弱くないのだろう?」


 “崩山”の断固とした声に少年は一瞬間の抜けた顔をして、直後、破顔した。

 笑みのまま無言で杯を受け取る。トロール用のそれは人間の手に余る。両手でなんとか抱えて一息に煽る。

 鉄錆の匂いが鼻をつき、不快な粘性を帯びた液体が喉を滑り落ちる。

 どうにか呑み終えた少年は空になった杯をくるりと回し、巨人に返した。


「まずいな」

「うむ、オレもそう思う」


 ほんの僅かに口元を歪め、トロールは杯を投げ捨てた。

 虚空に美しい放物線が描かれ、遠くでからんと小気味良い音が鳴った。


「口上とかあるのか?」

「いいや」

「じゃあ、やるか」

「うむ」


 “崩山”がのっしと一歩で十(フィッツ)を退いて構え、少年も腰の一刀を抜く。

 柄鞘が黄金で彩られた豪奢な太刀だ。三尺にはやや足らない、反りの浅い太刀。五尺ほどの少年の背に対しては長いくらいの剣だろう。

 磨き上げられた刀身には、微かにうねりのような色合いが浮かび上がっている。

 千年物の業物だ。由来を知らずとも、トロールの勘はその剣に秘められた神秘の深さを嗅ぎ取り、次いで忘れた。

 己を断つには十分。それだけ理解わかっていればよい。宝剣としての価値など知ったことではない。


 少年が構える。力みのない自然体。構えは刀身を下段、切っ先を背後に向けた脇構え。

 脇構えはカウンターを狙うのに適した構えだ。

 その性質上、前面の防御は手薄になる。初見の相手と対するにはやや定石から外れた構えだろう。

 しかし、否、この場に限ってはこれこそが最上。

 互いの身長差は十七尺にも及ぶ。トロールが首を傾けねば少年が視界に入らないほどだ。

 いわんや、間合いにおいては刀身を足してもなお巨人に有利がつく。

 三尺に迫る太刀とはいえ、少年が刃を届かせられるのは精々が股上まで。

 斬り下ろしが致命打にはなりえない。斬り上げ以外に致命傷は与えられない。

 然して、中段以上に構える利点はないといってよい。


 一方、相対する巨人に一切の油断はなかった。

 一瞬でも気を抜けば死ぬと、数多の死線を掻い潜った本能が告げていた。

 そも、構えをみた時点で相手が本気でこちらを殺す気できているのがわかるのだ。

 油断などできる筈もない。たとえそれが、自分の膝下ほどの小兵であってもだ。


 “崩山”は膝を軽く曲げ、半歩前に出した古傷の目立つ右脚を盾のように構えた。

 一切の揺れなく片足を射出体勢に構えたその姿は巨人族特有の戦闘技法。

 他種族とあまりに身長差のある巨人にとり、腕は地を這う相手を殴るには向かない。

 必然、無手攻撃の多くは脚を用いたものになる。

 蹴り、足払い、そして踏みつけ。そのどれもが巌のような体格と大重量を以て放たれれば、必殺となる。


 故に、そうした。


 猛然と踏み込む。トロールの大足が地面を割り、その巨体からは予想できないほどの速度で彼我の距離を消し飛ばす。

 巨体だから動きが鈍いなどという理屈はトロールには通じない。全身が超高密度の筋肉で覆われたその身は、一挙動で馬にすら追いつく速度を叩きだす。

 そこを見誤り、初撃に対応できなかった戦士を“崩山”は幾人も蹴り砕いてきた。


 距離の守りは一瞬で消え去った。

 最早、相対する少年には巨人の膝下しか視界に入らない。限られた視界の中では高速で壁が迫ってきているようにしかみえないだろう。

 だが、少年は動かない。ゆらゆらと脇に構えた剣先を揺らしたまま、迫りくる壁をぼんやりと眺めている。

 見込み外れか、雷光のような一瞬の中で巨人は僅かに落胆し、しかし肉体に沁み込んだ経験のままに全力で前脚を打ち出す。

 ぶわん、と空気を押し出す音を曳いて、破城槌に喩えられる前蹴りが少年のいた場所を打ち抜いた。

 衝撃。

 遅れて撒き散らされた余波で着弾地点付近の地面が放射状に砕け飛ぶ。


 ――人呼んで“トロール流蹴壊術”、その基本にして奥義が炸裂した。


 当たれば鉄の壁すら容易く打ち抜く一撃だ。触れれば、人間など熱したバターのように一瞬で形をなくす。

 いわんや“崩山”の分厚い足裏に感触など残る筈もなし。

 それでも、トロールは直撃を確信した――筈であった。


 刹那、視界の端を甚平の裾がよぎった、気がした。


「――ウォオオオオオオオオッ!!」


 戻した足をそのままに、トロールはぐるりと周囲一帯を蹴り払う。

 咆哮に続いて薙ぎ払う蹴撃は足場崩しを兼ねた一閃。

 限界を超えた駆動に軸足がみしりと痛み、咆哮で痛みを掻き消し、蹴り足を振り抜く。

 本能が告げていた。恐怖を、死を、告げていた。

 巨人は抗った。運命を覆さんと、限界を超えて抗った。


 それでも尚、死はそのすぐ足元に迫っていた。


「――――」


 有り得ない。巨人の思考が驚愕に凍りつく。

 地を這う小人には自分の蹴撃は嵐そのものであった筈だ。生身で避けきれる筈がない。

 ましてや、その渦中に飛び込むなど正気の沙汰ではない――たとえそれが唯一の突破口だったとしても。

 だが今、目の前にソレはいる。

 必殺の蹴撃を地面との僅かな隙間に潜り抜け、狂気の刃を閃めかせている。


 刹那、月光の如きまばゆい銀刀が、股下から頭上へ、逆風に切り上げられた。


 閃光。

 衝撃。

 次いで、体の中を涼やかな疾風が駆け抜けた。

 容赦のない斬撃が肉を食み、骨を断つ。痛みはなかった。

 ただ、己の中の重要な一線を断ち切られた感触だけがした。


「……見事だ」


 その一言だけを残し、“崩山”のトロールは絶命した。

 数多の敵を葬った大樹の如き両足は死してなお大地にどっしりと根付き、倒れることはなかった。


「……」


 少年は巨人に向き直り、切り上げた刃を返して残心をとる。

 天に向いた切っ先は墓標のよう。

 数瞬して、巨人が事切れたのを看取り、剣の血を払う。

 ぴしゃりと散った血が丘に赤い花をひとつ咲かせる。


 ようやく追いついてきた風が血臭を洗い流す。

 微かな金打音を鎮魂に代えて剣を納めて一礼し、少年は踵を返す。


 それきり振り向かず、後には墓標の如く佇む巨躯の屍だけが遺っていた。



 ◇



 かつて、この世界はふたつにわかれていた。

 あらゆる魔物を率いる王器をもって大陸制覇に指をかけた魔王。

 必死に抵抗する人類の中から彗星の如く現れ、彼を討った勇者。

 そして、ふたりを彩る綺羅星の如き数多の英雄英傑たち。

 人魔を問わぬ武の担い手たちが鎬を削り、生きて、戦って、死んでいった炎の時代。


 戦争は終わった。


 人類の乾坤一擲の刃たる勇者が魔王の喉元に突き立ってから幾余年。

 勇者もまたいずこかへ消え、残されたのは戦士という名の燃え尽きた亡霊たち。


 今は“灰の時代”(アッシュ・エイジ)

 束の間の、仮初の平和な時代。

 そこに、ひとりの剣士が降り立った。


 戦争は終わった。戦う理由はきっとない。


 ――だが、戦士は死んでいなかった。

 


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