第三話
復讐は次の次の話あたりからです。
昨日、クソ共を見かけた宿まで来た。
連込み宿、日本で言うところのラブホテル見たいなものだな。
マントに付いた雨粒を払い、中に入る。
カウンターには帳簿を纏めているオッサンが一人、宿主だろうか。
「ん? なんだい、お兄さん一人かい?」
オッサンは、あからさまに不審げな表情で問うてきた。少し身構えている。
まあ、フードで顔を隠しているからな。今の俺は間違いなく不審者だ。
「昨日の14時頃にこの店をチェックアウトした客がいるな? 金髪の男と茶髪の女奴隷だ。そいつらについて聞きたい?」
「なっ! あ、いや……、う、うちの店では見てないな。それに、もし仮に知っていても客のプライバシーを明かすわけにはいかない」
この反応、心当たりがあるようだ。
この動揺っぷりから察するに、誰の奴隷かも知っている様だな。
つまり、あのクソ女が不貞を働いていたことを知っていて、隠している。
このオッサンも俺を騙そうとしている……。
落ち着いていた心が、煮えくり返りそうになるのを必死に抑え、フードを外し、顔を出す。
「俺が誰だか分かるな?」
「ん? そんなこと知る……わ、けが、……え? ゆ、勇者様っ!?」
「黙れ、デカい声を出すな。もう一度聞くぞ。昨日、俺の奴隷がここに来ていたな?」
「き、昨日はその……」
目を泳がせて、汗を拭うオッサン。
この期に及んで俺を騙せると思っているのか?
ここで考える時間を与えてはダメだ!
「正直に話せば危害は加えない。だが、もし俺を裏切ったあのクソ女を庇って、ウソを吐くなら――」
言いながら右手に魔力を集中させ、オッサンの肩に手を乗る。
指先に少しだけ力を入れ……、
メキ――。
ただそれだけだったが、オッサンは飛び退いて、土下座の体制になった。
「ひぃっ! き、来ていましたぁ!!」
「バカ野郎、デカい声を出すなと言っただろ」
騒ぎになるのは不味い。
宿屋のカウンターで大声を出されたら、誰に聞かれるかわかったもんじゃない。
早く黙らせなければ。
そんな俺の考えに反して、オッサンは謝罪やら言い訳やらを大声で捲し立てる。
「ご、ゴメンなさい! 私も口止めされていたんです! 勇者様を裏切った奴隷を庇おうなどとは、これっぽっちも思っておりません! どうぞお許し下さい! 私には娘がいるんです! どうか命だけはお助けを!!」
「だから、デカい声を出すな! 本当に殺すぞ」
魔力を纏ったままの右手で、土下座中のオッサンの頭を掴む。
声を抑えてもらいたかっただけなのだが、オッサンは「ひぃぃ」と、完全に萎縮してしまった。
脅しすぎたな。少し可哀想になってきた。
なにせこのオッサンは自分の仕事をしていただけで、何も悪いことをしてない。
……そう考えたら罪悪感が湧いてきた。
せっかく道具屋で冷静になったのに、また怒りに飲まれかけていたようだ。危なかった。
とりあえず、土下座状態のオッサンの襟首を掴んで引きずり、勝手にカウンター奥の部屋に上がらせてもらった。
ここなら、安心して話せそうだ。
「落ち着いてきたか?」
「はい。取り乱して申し訳ありませんでした」
そう言って、オッサンに頭を下げられた。
「いや、こっちこそすまん、やりすぎた。少し頭に血が上ってしまったみたいだ」
「いえ、勇者様の立場なら当然のことです」
俺は苦笑いで答える。
当然なハズがない。
いきなり脅迫まがいのことをされたオッサンにしてみれば、どう考えても理不尽な仕打ちだったと思う。
改めて暴力を用いた実力行使に出たことを後悔する。
日本生まれの俺は、『被害者が加害者に怪我をさせたせいで逆に逮捕され、更に治療費や慰謝料を請求される』という理不尽な事件をいくつも知っている。
勇者である俺が逮捕されるかは知らないが。こういった私事を暴力で解決させるのは控えるべきだ。俺の評判に関わる。
以後、この件で暴力を振るうのは禁止しよう。
すでに暴力を振るってしまったようなものなので、オッサンに対する罪悪感が半端ないが、俺は善人じゃない。とは言え、進んで悪人になる気もない。
誤魔化すためにも早く本題を切り出そう。
「俺がここに来たのは、あのクソ女の浮気の証拠を掴むためだ。無茶な頼みとは思うが、部屋に映写魔石に仕掛けさせてもらえないだろうか?」
「……そのことなのですが、実は既に証拠の映像を用意しているのです」
俺が要件を伝えると、オッサンは少し思案した後、そんな事を伝えてきた。
既に証拠の映像を用意しているだと?
意味がわからない。
「どういうことだ?」
「勇者様の奴隷が不貞行為を行っていると気付いた時から、いつか必要になるだろうと用意していたのです」
ふむ。いつか今日のような日が来ると考えて、事前に用意してくれていたのか。有難い話ではあるな。
だが――。
「俄かには信じ難い話だ。俺にとって都合が良すぎる。何が狙いだ?」
「はい。勇者様にとって信じられない話なのは当然です。実は――」
話を聞くと、社会的地位が高い間男に口止めをされてしまい、オッサンは逆らうことが出来なかったらしい。
しかし、クソ女の不貞を許すことは出来ない。
だからせめて、いつか浮気に気づいた俺がクソ共をぶち殺した時に、俺の正当性を世間に証明する為に証拠映像を用意していたようだ。
で、肝心の証拠映像の中身だが、行為中の映像がしっかりと音声付きで記録されていた。
吐き気がする、非常に不愉快な映像だ。
しかし、証拠として有力なことに変わりはない。
有難く貰っておこう。
ちなみに、この宿では客の情事を盗撮しているのか、と聞いたら。この件以外での撮影は行ったことがない。さらに、今回の撮影と映像の確認には、自分を含む男性使用人を一切使わず、すべて女性使用人が行った。やましい事は何もないので、今すぐ家探しをしても構わないと言われた。徹底している。
そこまで言い切れるなら本当なんだろう。
なんというか、目がマジだ。
というか、さっきからオッサンの目がキラキラしている。
なんというか、大好きなヒーローにでも出会った少年のような目。
幸福と興奮と憧れをない交ぜにしたような、そんな瞳。
演技ではないと思う。
「じ、実は私は勇者様の大ファンなのです。勇者様に不貞を働くあの奴隷が来るたび、何度、奴らをこの宿ごと吹き飛ばしてしまおうと考えたかッ!!」
オッサンの熱い視線と気迫に冷や汗が出てきた。
これ以上変なことを言い出さないうちに、早く次の情報を引き出そう。
「な、なるほど。お前の考えは良く分かった。ところで、口止めをしてきた間男の情報についても教えてもらえるか?」
「もちろんです。男の名前はマオ=トーコ、トーコ公爵家の嫡男サマです」
「ほう、公爵家の嫡男か。随分と偉そうな肩書きの奴が出てきたな」
なるほど、公爵家の人間に口止めされていたのか。
そんな大貴族に圧力を掛けられていたんじゃ、今まで俺に密告が出来なかったのも仕方ない。
最初に口淀んだのも、いきなり俺が現れて動揺したのが原因だろうし、悪意があって俺を騙そうとしていたわけじゃないと思う。
そもそも、俺も一応有名人だし、不貞の報告をするだけでも容易じゃないのかもしれないな。
それに、例えばもし俺が日本にいたときに有名女優の浮気を目撃したとしても、その旦那に報告なんて出来なかっただろう。そもそも報告する義務なんて微塵もないし、する気もない。
やはり、このオッサンに怒気を向けたのは筋違いだった。
俺の中の罪悪感ゲージが振り切れそうだ。
「はい。伯爵家くらいまでなら、どうにでも出来るのですが。トーコ公爵家が相手では……」
と言って悔しそうに俯くオッサン。
伯爵家までならどうにでも出来るって、このオッサン何者だよ。
実はすごい人物なのだろうか?
裏通りの連れ込み宿の主人にしては、喋り方に品があるし、容姿も小奇麗なナイスミドル。
今更ながら只者じゃない気がしてきた。
だが、あえてそのことは尋ねない。
聞いたら藪蛇になりそうだ。
話を戻す。
「そのマオ=トーコとやらについて、もう少し聞いていいか?」
「はい、お任せ下さい。とは言っても、私はもともとこの国の人間では無いのであまり詳しくはありませんが、ご容赦ください」
「ああ。後はこっちで調べるから、わかる範囲で頼む」
「では――」と話し始めるオッサン。
曰く、間男は今年で21才。半年ほど前まで、帝国の男子貴族学校に行っていた。王都に戻ってからはトーコ公爵邸で親の脛をかじりつつ、冒険者の真似事をして遊んでいる。弟妹は4人、親が決めた婚約者がいる。と、こんな所だ。
今まで夜会やパーティー等で見たことがなかったのも、冒険者ごっこをして遊んでいたからかもしれないな。まあ、推測だが、あながち間違ってもいないだろう。
オッサンから貰った情報をまとめ終わったので、礼を告げてそろそろ行くと伝える。
「証拠集めに下手すりゃ数ヶ月掛かると思っていたから、助かったよ」
「勇者様のお役に立てたなら幸いです」
「あと、恐喝まがいのことをして悪かったな。近いうちに迷惑料を持ってくるよ」
「いえ、気にしないで下さい」
「そうは言われてもなぁ……」
既に俺の罪悪感ゲージは振り切れている。
何の贖罪もしないのは嫌だ。
俺の勝手な自己満足だが、何か受け取ってもらいたい。
そう伝えたら、オッサンがおずおずと話し始めた。
「で、でしたら、娘に勇者様とお会いしたことを話しても良いでしょうか? 実は私の娘も勇者様の大ファンなのです。親の私が言うのもなんですが、娘はとても聡明ですので、勇者様の不利益になる様なことは決して致しません」
「それくらいなら別にいいんだが、何か別の――。あ、そうだ」
いい事を閃いた。
異空間保存魔法『アイテムボックス』から一本の剣を取り出す。
そして、鞘の部分にサインを書いて、オッサンに手渡した。
「それは俺が、駆け出し冒険者の頃に使っていた剣だ。良かったら受け取って欲しい。薄汚くて申し訳ないが、勇者の元装備ってことで結構な価値が付くはずだ」
剣を受け取ったオッサンは目を見開いて、「こここ、こんな貴重な物を下さるのですか!?」と奮えていた。
大事に残していたものだが、オッサンが少しでも喜んでくれているなら嬉しい。
そんな感じで、証拠集めは思いのほか早く終わらせることが出来た。
余談だが、「口止めされていたのに、喋って良かったのか?」と聞いたら。
「私が自分の意思で喋ったわけではなく、勇者様に脅されて仕方なく喋ったので問題ありません」と言って笑っていた。
異世界のオッサンはたくましい。
暴力ダメ絶対。浮気相手にケガでもさせたら、それだけで色々と台無しです。自分では手を出さず、弁護士さんの指示に従うのが得策です。ちなみに、あまりにも弁護士さんの指示に従わないと、契約を打ち切られてしまいかねません(その場合でもしっかりお金を請求されるかも)。彼らは絶対の味方ではなく、あくまで契約者なのです。しかし、指示に従っていれば強力な味方になってくれるのも確かです。お互いの利益のためにも、理性的な行動を心がけましょう。
勇者様も気にしていますが、暴力を振るう者に対しての世間の目は、往々にして冷たいものですからね。