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Sparrow Boy  作者: moku※
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小さな執事

三作目を投稿させていただきます!!

プロローグ


スズメは小さな鳥である。


跳ねるように移動して、すばしっこく空を飛ぶ、可愛らしい生き物である。


スズメの寿命はわずか一年。


我らからしてみれば、とても短い命である。


小さくて、か弱い生き物を、守ってやりたいと思うのは、とても自然な事。


だがしかし、その何かを守っていると思っていても、本当は自分が守られているということも、


とても自然に多くあることである。








1.小さな執事


「お嬢、ドアを開けて頂いてもよろしいでしょうか!」


朝から耳にうるさい声がドアの外から聞こえてきた。面倒なのが来た…。


私は大げさにため息をついた。もちろん、相手に圧力をかけるためだ。


「何か用か?」


ドアを開ける気など全くなく、ただそう答えると、毎度のことなので相手は諦めたように言う。


「今日こそは、どうか、部屋から出ていただけないかと。ボスも心配していますので!」


無駄に大きな声にイライラとして軽く肩をすくめる。


「時間が来れば外に出ているし、仕事だってここで全てこなしている。何の不満も無いはずだが…?」


「た、確かに、ボスの与えた仕事は全てその日に終わらせていらっしゃいますが。」


「なら文句ないだろ。」


「しかし、せめて食事くらいは…。」


「食事くらいここでとれる。だいたい、こんな薄っぺらいドアなど、その気になれば簡単に壊せるはずだ。そうまでして私を引きずり出したいなら話は別だが、そうしないという事は、そこまで重要なことでもないということだ。」


「し、しかし。」


「黙れ。反論は認めん。」


相手の言葉を遮って、そうピシャリと吐き捨てる。


ひるませ、怯えさせ、そうすれば勝手に向こうから私を面倒がって、もう近づいてこなくなる。


相手が息を飲むのがドア越しに聞こえた。もう一押しと言ったところか。


私は大きく息を吸い込んだ。


「もう行け。うるさい。」


最後に追い打ちをかけると、ため息とともにドアの前から人が去る足音が聞こえ、私はベッドに倒れこんだ。


「はぁ…。」


立花一家。


それは大きなヤクザの一族で、私はそのグループのボス、立花(たちばな) (よし)(たか)の長女。


だからグループの奴らは私に優しく接するが、金貸し、闇市、暴力、そんなことをやっている連中だ。


学校も、義務教育が終わると同時に辞めさせられ、家に閉じ込めるように家庭教師がずかずかとこの家を出入りするようになった。


私はそんな家族が大嫌いで、早くここを出て行きたかった。


こんな乱暴な喋り方をするのも、自分を強く見せるためだと虚勢を張っているつもりでいるけれど、本当はこの家を継がなければいけないという最悪な運命にふて腐れて、ただ意地になっているだけなのかもしれない。


「やだなぁ…私。」


一人になると、やっぱり口調は戻ってしまう。


「そもそもお父様は私の事なんてどうでもいいに決まってる。」


三階にある私の部屋の窓からは色とりどりの花で埋め尽くされた庭が見える。


それを見るとふっと気持ちが緩んだ。


イライラしたり、寂しくなったりするときは、いつもあの庭を眺めるのだ。


そこでふと、良いことを思いついた。


そうだ。いつもの様に、こっそり、あの庭に降りよう。


ゆっくり立ち上がり、ドアに耳をぴたりとくっつけて、近くに物音が無いか確認し、窓の下に椅子を運んだ。


椅子に上って窓の外を見渡し、また誰もいないのを確認して、そっと窓枠の外に足をかける。


そこから20センチくらい下には小さな屋根があり、そこに飛び降りた。


屋根をしゃがんで渡り、ぎりぎりの所まで行くと端を掴み、下の階の窓枠に足をかけて慎重に下りる。


そうして誰にも見つからず、庭に入ることができた。


ガーデニングの好きな母が時々ここを掃除したり、落ち葉を拾ったりしていたのは知っていた。


スンっと音をたてて匂いを嗅ぐと甘い匂いが入ってくる。途端に顔をしかめた。


花は好きだが、大きな花は嫌いだった。


花だけじゃない。派手なものが嫌いだった。


ドレスも食べ物も。何だか自分を主張し過ぎな気がして、見ていて面倒になる。


もしかしたら、妹がそれにそっくりなせいかもしれない。


妹は素直で、礼儀正しく、華やかで、誰からも好かれる性格をしているが、自分を着飾りすぎるところがある。


彼女を見ていると、なんだか目がちかちかする。


私は小さくて可愛らしい、シロツメクサが花の中で一番好き。


何処にでも生えていて、葉っぱの形もとても愛らしい。


草花は小さい方が、おしとやかでいいと思う。


「アカシア、アネモネ、スイレン、バラ。」


しかしここにはその花は無い。


綺麗に管理された庭には、雑草の一つもない。


それはとても寂しくて、残念だった。


周りを見回して、花の種類を言い当てていると、チュン、チュンと声が聞こえた。


小さくかぼそい鳴き声で、スズメが一羽鳴いていた。


スズメは必ず群れで行動しているのだと思っていたから、不思議に思い、そのスズメの鳴き声につられて傍による。


そのスズメはまた、おかしいくらいに人懐っこくて、自分でも、こんな優しい顔はしたことが無いと思う。


まだ子供らしく、普通のスズメより小さかった。


チュンチュンと小さく鳴いて何故かそのスズメは動かない。


不思議に思ってよく見ると、小さな黒い右足に糸くずが絡まっていて、それは近くの棒にもまた絡まっていた。どうりで動けないわけだ。


「大変。」


慌ててその糸くずを取ってやると、スズメは間を開けて三回くらい飛び跳ねた後、右足をかばうように、羽を広げて飛んだり下りたりしながらも、小さな体で飛んで行った。


「行っちゃった…」


ゆっくりと立ち上がって、スズメの飛んで行った方をちらりと見てから、また部屋に戻ることにした。







そいつがやって来たのは、その三日後の事だった。


いつものように、朝、昼、晩。


食事の時間ごとに父は自分の子分たちを寄こしてくる。


その日もやっぱり、その一人が来た。


だが、それはいつもの奴らとどこか違った。


まず初めに、そいつは行儀よくドアをノックしたのだ。


そんなこと、家の連中がやるとは思えなかったから少し驚いたが、やはり私に出る気はない。


もう一度ノックの音が聞こえ、その後、透き通るような高い子供の声が聞こえた。


「お嬢様、おはようございます。起きていらっしゃいますか?」


「……は?」


私は目を見開いた。こんな高い声の奴、うちの組にいただろうか。


それにこんな丁寧な話し方、妹の美香くらいしかしないと思っていた。


声を聞いて安心したように、そいつは息を漏らした。


「あの…扉を開けて頂けないでしょうか。」


「あ、…そ、そこで用件を言ってくれればいい。」


慌てて、興味がわいてドアノブに伸ばしそうになっていた手を引っ込める。


「いえ…できればお嬢様の顔を見て、お話ししたいのですが。」


遠慮がちな態度といい、ますますうちの者らしくない。


「誰?」


そう尋ねると、相手は嬉しそうにさらに高い声ではりきった。


「はいっ。今日からお嬢様のお世話係になりました、豆と申しますっ。お嬢様に一刻も早くご挨拶したく、朝からお訪ねしてしまい、申し訳ございません。」


「お世話係…?」


どうもおかしなことになってきた気がする。そんなものはこれまで無かったことで、私は首を捻った。


慌ててドアを開けると、そこには十歳くらいの少年がかしこまって立っていた。


こげ茶の髪はサラサラと柔らかそうで、急にドアを開けたことで驚き、見開いた目はくりっとしていて大きい。


着なれていない感じの真新しい小さな燕尾服は特注のように見えるから、父が頼んだものだろう。


うちは別に大金持ちの会社ではないのだが……。


何故に燕尾服なのだろう。


他の奴等なんてだいたい変なTシャツとかタンクトップとか、ラフな格好だと言うのに。


まるでその恰好は良い所の執事だ。執事と言っても…かなり幼いようだが。


小さく控えめな少年は、とても可愛らしい容姿をしていて、思わず顔がほころんだ。


「わっ…お嬢様。おはようございます。」


慌てて、前から迫って来たドアを避けるためにのけぞってから、今度は私を見て逆に前に体を倒してお辞儀をする。


まるで起き上がりこぼしのようだ…………。


「お嬢様…?」


相手が首を傾げてこちらを見ているのに気づいてはっとし、慌てて顔を引き締める。


「世話係など、頼んだ覚えはないが…?」


低い声でそう言うと、少年はまたもや目を見開き、それからなんだか寂しそうに眉をひそめた。


う…。なんだか、幼い子供をいじめているみたいだ。


いや、実際に子供なのだが…。


私が、なんとか泣かせないようにしなければと頭の中であれやこれやと考えている間に、少年は一旦顔を下に向け、すぐに上げた時にはもうにっこりと笑っていた。


「はい、私も今朝がた、このお話をいただいたものですから。大変急なことで、お嬢様もお困りでしょうが………旦那様が今日よりお嬢様のお世話をしろと。」


あれ……?この子、さっきまで泣きそうな顔してなかった?


私は多少面喰いながら、少年を無遠慮に見下ろした。


身長は大体頭一つと半分くらい違うだろうか。


茶色く跳ねた髪やつむじまでよく見える。こういう時、しゃがんだ方が良いんだろうか。


少し腰を屈めて相手の目の高さに合わせる。


「お父様は今どこにいるんだ?」


「まだお部屋にいらっしゃると思います。」


少年は嬉しそうに目を細めてそう答えた。


父親の部屋がある一つ下の階に降り、早歩きで廊下を渡る際、組の人たちが私と私の後ろを嬉しそうに歩く子供を、目を見開いて見つめていた。


部屋の前に着くと一旦息を整え、ノックをしてから相手の返事を確認してドアを開けた。


私の顔を見た父もまた、驚いていた。


「万理音…でてきてくれたのか…?」


嬉しそうで優しげな瞳がこちらに向けられているが、今はそんなのに構ってなどいられなかった。


「お父様?お世話係とはどういう事だ。遊びなら私じゃなく美香とやればいいんだろう。」


美香というのは私の妹で、ふわりとした砂糖菓子のような雰囲気で、我々ヤクザの家の者の中では浮いているが、優しく気さくな性格から、彼女は組の者にも好かれている。


まあ私は、彼女のきらきらとしたオーラが少し苦手だが…。


後ろにいた少年は父と顔を見合わせて、眉根を寄せた。


「遊びではない。この子は立派な世話係だ。」


「は?どう見たってまだ小さな子供じゃないか。」


私は失礼とも分かっていたがその子供を指さして問い詰めずにはいられなかった。


指をさされた少年は驚いて目を瞬いている。


「いいではないか。この子はすごく賢い。見事ウチの組の試験に合格したのだ。しかも全員を倒して。きっとお前の役に立つ。」


「え…?嘘でしょ…。」


思わず口調が元に戻った。


遊び好きの父だが、肝心なところはしっかりしているから、恐らく試験は〈通常〉のものだろう。


どんな時でも本気。そこが父の怖いところである。


〈通常〉と言うのは、うちの組の中で父の指名した力の強い三十人を相手にして戦うというものだ。


確か、その中の五人でも倒せば合格なはずだが、一体この小さな子供がどうやって、体格のはるかに違うやくざの大人を30人叩きのめしたというのだろう。


私は父と少年を怪訝な顔で見つめた。


「冗談でしょ?」


「本当だ。」


フンッと得意げに鼻で笑う。


「お嬢様、私では、力不足でしょうか。」


少年は大きな瞳でこちらを見つめ返す。


キラキラとした目で懇願するようにじっと見つめられ、ほだされてしまいそうなところをぐっと堪えて彼から視線を逸らした。


「そ、そんなものは必要無い。自分の事くらい自分で出来る。」


なんとかこの、ピュアな瞳に勝ったと言うのに、父親はふっとまた鼻で笑い、首を横に振った。


「残念、これは決定事項なのだ。それに、今はまだ何もないから良いものの、お前はヤクザの頭の娘。他の組の輩に狙われる立場の者だ。それなら、ボディガードくらい必要だろう。」


「…ボディ…ガード…こいつが?」


私はその少年をまじまじと見る。


足も手もほっそりとしていて、色白なか弱そうな子供。


「ああ、そうだ。こいつに任せておけば、問題ないだろう。」


父は面白そうにそう言った。


「お任せください。」


少年は笑い、左頬にえくぼを作った。


私は目を瞬いて、楽しそうに笑う父と少年を交互に見た。


「そ、それなら、美香につければいい。」


呆けていたところを慌てて引き締め言い返すと、二人はまた顔を見合わせる。


「美香は外に出るからいい。だがお前は言ってもあまり出てこんでろう。気づかぬうちにやられていたとなっては…。」


「待て、そんな物騒な。」


よくもまあ、好き勝手に言って…。


「何言ってる。ヤクザの娘というのは、それくらい危ないんだ。」


…だったらなんで二人も産んだ。


「とにかく、これはさっきも言ったように決定事項だ。仲良くするようにな。」


父親の強引な言葉に小さな少年は「はい。」と元気よく返事をした。


…………どうかしている。







「お嬢様。おはようございます。今日の調子はいいかがですか。」


少年、豆は次の日の朝からすぐに私の部屋を訪ねてきた。


「普通。」


私がそっけなく答えても彼は特に気にしていないようで、紅茶とスコーンの乗ったワゴンをゆっくりこちらに持ってきた。


「それは良かったです。」


豆はいつも嬉しそうに笑った。


こちらがどれだけ愛想のない態度を取っても、決して不快な態度を取らなかった。


「あっそ。」


私はそれだけ答える。


「お父様も何を考えてるんだか。お前、本当にあの難しい試験に合格したのか?ここは大人でもなかなか入れるところではない。」


豆は嫌みのない笑顔をこちらに向けた。


「はい。お嬢様にご挨拶した日の午前の部の試験、えっと…午前3時の部ですね…それを受けさせていただきました。」


試験は午前に二回。午後に三回ある。午前は、三時の部と七時の部。


午後は十三時の部、十九時の部、二十二時の部だ。


「て…ことは…お前、ここ来て当日に試験受けて合格したっていうのか?」


「はい。」


この少年の体は、どうなっているんだ。


「そう…。」


もう何も聞かないでおこうとカップを取り、スコーンにかぶりついた。


「本日の仕事内容をご確認されますか?」


「いい、昨日聞いたから。」


「はい、わかりました。」


豆は昨日と同じ様に感じのいい笑顔を向けた。


ぷいっとそれを無視して服を着替えるために豆を外に出すと、ドアが閉まる前に豆は声を張り上げて話しかけてきた。


「お嬢様!今日も頑張っていきましょう。」


……調子が狂う。







服を着替えて、オフィス机に移動する。


パソコンを起動させ、闇市での銃の取引の儲け額を、ソフトを立ち上げて打ち込む。


計算はかなり得意で、中学校に行っていたときも、テストでは90点以上が当たり前だった。


これは、そのうちこの家を任せる為に、父が私に与えた仕事だ。


次女の美香と違い、そう言った面倒事をいくつもやらなくてはいけないのだ。


薄々は気づいている…。ここからは、出られないのだと。







与えられた仕事が終わった後、ベッドにダイブして、5分くらいたっていた。


「はぁ…。」


このように何もやる事のない時間は、どうにもイライラする。


寝返りを打ち、一人になれない事の窮屈さをこうして、ため息にして零しているのだ。


「何かお読みになりますか?」


豆は部屋のドアの前にずっと立っていたようで、私の様子を見て話しかけてきた。


「いらない。」


いつからそこに立っていたの妥当と、多少面喰いながらもそう答える。


「そうですか……」


豆は少し眉を下げた。


…何か罪悪感が芽生えた。なんだか私が悪い事をしているような、そんな感じ。


「おい、その辺に座ってろ。子供をそんな所に立たせてたら、私がお前を苛めているように見える。」


たまらなくなってそう言うと、豆は目を丸くして瞬きをし、くすりと笑った。


「御心遣い、ありがとうございます。しかし、ここが定位置と旦那様に教わったので。私のことは、お気になさらず、ゆっくりお休みください。」


「あっそ。」


だから、あなたは執事ですか……。


こんな家で、そんなかしこまっている奴なんて、彼か美香くらいだ。


可愛げのない、大人びた奴。私を見て嬉しそうにするなんて、変な奴。


少しの間沈黙が流れ、ベッドの上で何度か寝返りを打った。


「……ねぇ、なんでここに入ったんだ?」


ふと疑問に思い、そんなことを聞いた。


ヤクザの中に、たった一人で、こんな小さな子供が入っていくなど、どう考えてもおかしい。


豆は目を大きく見開いて首を傾け、私が豆の方を向かないと分かると、下を向いた。


「…申し訳ありません。それは、お嬢様には申しあげられません。」


「何故?」


「…申し訳ありません。」


「主人の命令くらい聞いたらどうだ?」


「こればかりはどうしようもありませんよ。」


「意外と頑固ね…」


一瞬いつもの口調が出て、口を押えると、豆は笑った。


「ふふ。」


慌てて顔を引き締め、いつもの様に強気な口調を作る。


「何がおかしい?」


「何でもありません。」


豆はまた嬉しそうに目を細めた。

その顔を確認してまた、何度も寝返りを打った。








「…お前、いつまでいるんだ。」


「ずっと、ですよ。」


豆が来てから三日後の事、昨日も同じように繰り返し聞いたのだが、相手もめげずに同じことを満面の笑みで言ってきた。


「だいたい、ボディガードなんて、お前にできるのか?」


ひょろひょろとした色白い手足に、百四十センチあるか分からない身長。


あどけない笑顔を浮かべた少年を下から上まで遠慮なしにまじまじと見てみると、本当に疑わしくなってきた。


だってこの子、子供だよね……小学生くらいだよね……。


「私はまだまだ至らないところもありますが、少なくとも、お嬢様を守る事くらいならできると思います。」


謙虚なのか自信家なのか…どっちだ?


「そんな小さななりで?」


豆のつむじの所をじっと見て、首を傾げると、相手は意外にもポッと頬を赤くした。


「い、言わないでください。身長が低いの、気にしてるんですから。」


本当に恥ずかしそうに言い、彼は自分の頭に両手を置いた。


あれ…?私は目を丸くした。


私の言葉くらい、また軽くかわすと思ったのに。


「で、でも…お嬢様をお守りすることはできます!」


真っ赤な顔のまま、むきになって食い下がるさまを見て、初めてこいつが子供の様だと思った。


いや、もともと風貌は子供なのだが、落ち着いた雰囲気と言い、身のこなしと言い、とても幼い子供には見えなかったのだ。


「かなり力が弱そうに見えるが…。」


ついポロリと出てしまった言葉を後悔して口をつぐむ。ちょっと言い過ぎたかも……。


相手は顔をさらに赤くして、それから何か言おうとしたが、慌てて口を閉じ、「ふぅ」と一回深呼吸をしてから落ち着いた様子でもう一度口を開いた。


「お嬢様をお守りするならば、まずは信頼していただかなければいけません。これでも僕は、この立花家の方々三十人を一人でお相手し、その他の試練もこなしました。けれど、それを見ていないお嬢様にそんなことを言っても仕方ありませんよね。」


「…は、はぁ。」


急に真面目になりだしたちびっ子を、またまじまじと見る。


何を考えているのだろう。


そう言うや否や、少年はゆっくりと近づいてきた。


「とりあえず、どのくらい力があるのかだけでも、お嬢様に知っていただかないと…。」


真剣な顔で私の前に立ち、ベッドに座った私を見下ろした。


「はあ、で、何をする気で――」


言葉の途中で口をつぐんだ。突然視界が揺れ、体が浮き上がったからだ。


驚いて目を瞑る。


体はすぐに安定して、真っ暗な視界では、何が起こったのか全く理解できない。


「お嬢様?目を開けてくださいませんか?」


豆の声が耳元で聞こえてびくっと体を震わせた。


近い。なんでこんなに近くに声が聞こえるんだろう。


恐る恐る目を開ければ、豆の顔はすぐ近くにあって、体は浮いている。


腰と、膝の裏には豆の手が回っている。


「え!?」


小さな子供に、横抱きにされていた。


「…どうですか?これでちょっとくらいは…認めて頂けるでしょうか?」


その声はさっきと同じように不安げな小さな子供の声なのに、その力はどう考えても子供のものではない。


「ちょ、ちょっと…お、下ろして。」


いつもの気迫はどこへやら、おろおろと動揺を隠せないでいると、豆はパッと顔色を変えて、面白そうに口角を上げた。


「お嬢様が認めて下さらないと、下ろすことはできません。」


何だそれ!?


言い返したくても明らかに不利なのはこっちで、負けたくなくても小さな子供に抱えられているのはどうも恥ずかしくて…。


「わ、わかった。認める。認めるから速く下ろせ。」


「はい!」


ぱっと華やいだ表情にほっとした。


体はすぐにベッドの上に下ろされ、嬉しそうににこにこ笑う少年は一歩距離を置いた位置で部屋を片付け始める。


「……なんて奴だ。」


そう小さく漏らした声が、聞こえていないことを願った。







仕事を終え、ベッドでくつろぎ難いながらも頑張ってくつろぐ。


頑張ってくつろぐと言うのも変な話だが。


相変わらず豆はドアの傍に立っていて、ずっと私を見ている。


「やる事、無くなってしまいましたね…。」


困ったような声が聞こえ、「はぁ…。」と何度目かのため息が出た時、


「あ、そうだ。」


豆がポンと手を叩いた。


さっきまで微笑んでいた豆の目はキラキラと光り、こちらにとてとてと近づく。


「な、何…?」


あまりの腑抜けた顔に、私は目を丸くする。


「お嬢様、一緒にお庭に出てみませんか?」


「は?」


私がため息をついていたのを、暇を持て余していると捉えたのだろうが、生憎今はそういう気分ではない。


「いい。部屋からはなるべく出たくない。」


「そうですか?でも、たまには気分転換もいいと思いますよ?」


小首を傾げて言う子供から目を逸らす。騙されない。


こいつは、可愛い見た目をしているが、つかみどころのない性格をしている。


うっかり返事をしてしまったら、そのまま誘導されかねない。


一向に返事をしようとしない私に、肩をすくめ、困ったように豆は笑う。


「ここのお庭、とても大きいですよね。一度言ってみたいと思っていたんです。さ、」


小さな手が私の手を取り、ベッドから降ろした。


少年のペースに流されそうで、慌てて足に力を入れるが、不思議なことにそのまま引きずられる。


こんな小さな体のどこに七つ以上違うだろう人間を引っ張る力があるのだろう。


「ちょっと、まだ行くって…。」


両手で少年の手を掴んで必死で止めると、少年は眉をひそめて寂しそうな顔でこちらを振り返った。


「駄目でしょうか…。」


「うっ…。」


ウルウルとした大きな目で見上げられ、結局従うしかなくなった。


もしかして全て計算なのだろうかと思うほど、少年はあっさり私を折れさせた。



From ???{語り手が変化します。}



「は!?あの万理音お嬢様が外に出た?」


一人が声を上げて驚く声が聞こえ、私はその場に近づく。


「ああ、そうらしい。」


「一体どうやって?」


「昨日ボスが連れてきた世話係とかいう奴が連れだしたんだとよ。」


「昨日!?そんな奴がどうやってお嬢様を。」


子分たちは口々にあの人の事について話し、立ち上がる。


「俺が知るわけねえだろ。とにかく、そいつの顔を拝みに行こうぜ。」


「そうだそうだ。俺たちが毎日眠い中足を何度も運んでも出て来られなかったのをどうやって引きずり出したんだが。とにかくそいつの顔を見よう。」


思わず私はクスクスと笑ってしまった。


その笑い声に気づいて、子分たちが私の方に振り返る。


それを確認してから、私は丁寧にお辞儀をして挨拶をした。


「おはよう。皆。」


「あ、美香様!相変わらずお綺麗で!」


子分の一人がそのように言ってくれて、少し恥ずかしくなり頬を染めた。


「まあ、ありがとう。それより皆、庭園に今から行くのはやめた方が良いわ。」


「はあ、それは、どうしてでしょう。」


分かっていないようだ。


確かに、あのお姉さまがそこに出るなんて言瞑りか分からないから、興味を持つのも仕方ない。


「お姉さまが折角出てきてくださったのに、そんな大人数でそこに押しかけては、びっくりさせてしまいます。大丈夫、ここは家の中。そのうちその子の顔を見ることもできます。」


「はい!わかりました!」


一斉に笑顔で返事をした人たちに軽くお辞儀をして、私はもともと向かっていた自分の部屋の道に引き返した。


「やっぱ、優しいよな~美香お嬢は。」


「だなだな。」


そんな声が聞こえたが、あまり嬉しくは無かった。



From 万理音



「見てください!お嬢様!こんなに大きな花が咲いています!」


「知ってる。住んでるんだからあたりまえだろう。」


「はあ、それもそうですね。」


豆は少し恥ずかしそうに笑い、ちょんちょんっと交換音が付きそうな、飛び跳ねるような歩き方で楽しそうに花を見下ろす。


「お嬢様、これは何という花なのですか?」


そこには四つの花弁がついた小さな花が生えていた。


「は?お前、この花知らないのか?」


「はい、お恥ずかしながら。お花のことまではまだ勉強ができていなくて。」


肩を竦めて頬を赤らめた。…不思議な子。


「これは、パンジー。」


「パンジー…ですか…。」


少し考えるようにして私の言葉を繰り返し、その後ふわりと微笑む。


「そうなんですね。この花はパンジーというんですか。」


「…そんな珍しい花でもないだろう。」


だけど、この花壇にそんな小さな花があるなんて、全然気づかなかった。


もしかしたら、ここにももっと、私の好きな小さな花があるのかもしれない。


豆はパンジーが植わる花壇の前にしゃがみ、何かを思い出すように目を細めた。


「よく、家族と歩いている時に見かけたのですが、名前なんて、気にもしませんでした。」


家族…その言葉に少し驚いた。


いや、驚くのはおかしいだろう。この子供にも家族がいるのは当然だ。


でも、ならばなぜ今、この子は一人なのだろう。


「…お前、家族はどうしたんだ…?」


聞いてはいけないことだと分かっているのに、そう聞いてしまう。


何か事情があるから今一人だと思うのに。豆は目を見開いて、突っ立っている私を見上げた。


突っ掛けたサンダルの隙間を涼しい風が通り抜けていく。


淡い桃色の緩いワンピースがひらひらとたなびいた。


豆の焦げ茶色のサラサラな髪が柔らかく揺れる。


豆の顔はどこか寂しげで、私も悲しくなってくる。


立ち上がった豆は私の方を向いて笑った。


「置いて行かれたんです。僕は他の兄弟と比べておかしいから。」


少年は自分の事を{僕}と言った。


今までかしこまりすぎていたのが、少し取れたようにも思えたが、家族と暮らしていた時の事を思い出し、それでつい、前の口調に戻ってしまっただけなのかもしれない。


そう思うと、なんだか泣きたくなった。


この少年は、そんな歳で、どれだけの辛い思いをしてきたのだろう。


確かに、この年になって普通の子供と話したことはないものの、彼は普通ではないということは分かる。


子供と言うのは無邪気に笑い、もっと幼いものだ。


だけど豆は、どこか気品があって、控えめで、本物の執事を小さくしたような礼儀正しさがある。


それにここに入れたのだから並大抵の大人よりはるかに強く、頭もいい。


「…何で、ここに来たんだ?」


気が付くともう一度聞いていた。


「言えない」と言われたことなのに。


けれど、豆はさっきのように拒絶することは無く、悲しげな瞳で微笑んだ。


その顔を見て、こんな小さな少年に気を使われているのかと、悲しくなった。


「悪い。答えなくていい。」


そう言って顔を背けたが、それからすぐ、豆は口を開いた。


「僕は一度、万理音様に会ったことがあるんです。」


「え…?」


振り返って聞き返すと、豆の髪がまた風にサラサラと揺れていた。


私の長い髪も揺れて顔にかかってくる。


「申し訳ございません…言う事ができないのではなく…言いたくないんです。僕が、お嬢様に。」


寂しげな顔が小さく微笑む。


何を言っているのかよく分からない。


結局豆は、それ以上話さなかった。








豆が来てから一週間後。特に変わった様子は無い。


私にずっとくっ付いている奴なんて珍しくて、少し疑ってしまいたくもなるが、相手は頭一つ分以上も小さな子供である。


妙なことなど考えつかないだろう。と考えてから、すぐに思い直す。


いや、あいつは何だか喰えないところがある。


子供のくせに力が私より強く、精神年齢もずっと上な気が時々する。


とにかく油断ならない子供なのである。


「お嬢様、おはようございます。今日の調子はいかがですか?」


豆はこのようにいつも同じ言葉で始める。


「普通。」


これはもう、合言葉のように同じ言葉を返している。


「それは良かったです。」


そして豆も同じように言葉を返す。


なんだか、同じ日をぐるぐる回っているだけのようだ。


仕事の内容は違っても、毎日朝起きて、パソコンに向き合って、朝食をとって、昼食をとって、夕食を取って寝る。


だいたいはこれの繰り返しで、外に出ることなんてほとんどない。


おまけに朝同じ言葉から始めて、夜も同じように閉めれば、もう同じDVDを何回も見返しているようだ。


何だか頭がくらくらしてくる。


「お嬢様、朝食です。」


豆が自身の体には大きいお盆を両手で抱えて丁寧な仕草でそれをデスクの上に置いた。


「ん。」


取りあえず返事をすると、豆は嬉しそうに顔をほころばせる。


彼と一緒にいると、よく調子が狂う。


間を持たせるために紅茶を口に運ぶと、ふんわりと言い香りが体に広がっていく。


「昨夜お部屋の電気が消えるのが遅かったので、今日は疲れていらっしゃるのではないかと思って…カモミールティにしてみたのですが…いかがですか?」


眉根を寄せて不安げな顔でこちらを見てくる。


「…おいしい。」


そう言ってやると豆はとても嬉しそうに笑った。


カモミールティの効果は安眠、リラックス、疲労回復、風邪の初期症状や月経痛の緩和、歯肉炎や口臭予防に役立つなどなど。


この少年、十歳にしては本当に気が利く。


私がやろうとすることを先回りしてすぐに手助けをしたりするさまは時々恐ろしかったりする。


「どうかされました?」


私がまじまじと顔を見つめていたのに気づき、豆はワゴンに食器を並べていた手を止めて、不思議そうに首を傾げた。


慌ててばっと顔を背け、誤魔化すように紅茶を飲むと、くすりと笑い声がする。


余裕って感じが余計腹が立つ。








豆が出て行ってから、私は今日の仕事内容を確認した。


確か、外に出ないといけない仕事が一つ入っていた気がする。


少し、面倒だな。そう思ってから行動するのは早かった。


久しぶりに椅子を窓の所に移動して、そこに上って窓枠をまたぐ。


こっそりと、音をたてないように…。


よし。取りあえず屋根の上には出た。


一人ガッツポーズをとっていると、コンコン、とドアがノックされる音が聞こえた。


「お嬢様?よろしいですか?」


その声は当たり前だが豆のもので、私は慌てた。


私の返事も待たず、ドアをゆっくりと開きだす。


「ま、待て。まだいいと言っていない!」


「え!?はいっ。」


いつもはノックをしてきても返事なんてしないから、豆は勝手に入ってくる。


そのため彼も驚いたのか、思いっきり音をたててドアを閉めた。


慌てて窓枠を渡って部屋に戻ろうとしたその時、するっと、足が滑った。


「きゃっ!?」


バランスを崩した体は倒れ、斜めった屋根をスルスルと落ちていく。


必死で手に力を込めると、屋根の先の凹みに指が引っ掛かった。


「お嬢様!?どうかされましたか!?」


突然小さな悲鳴を上げた私に困惑した豆の声が聞こえが、私は落ちないようにしっかりと凹みに掴まっているのが、必死で声を出す余裕がない。


「失礼します!」


妙だと思ったのか、豆がドアを開けた音が聞こえた。


「お嬢様…?あっ。」


困惑した声の後にドタドタと慌てる足音がして、次の瞬間には窓枠を跨いで屋根の上にしゃがむ豆の気配がした。


「お嬢様!」


幼い声が荒げられ、ドタドタと屋根が足の重みで軋む。


「う…っくっ。」


指はもう限界で、すぐにでも離してしまいそうだ。


ぐっと力を入れて持ち堪える。


「助…け…て。」


やっと出せた言葉がこれで、それのすぐ後には片方の手が凹みから外れていた。


「っ。」


急にバランスが悪くなりもう片方も限界だ。片方の手が屋根から離れた。


もう駄目だと思い目を閉じた時、体がふわりと浮きあがった。


「…?」


目を開けるとやはり体は浮いていて、腰のあたりには小さな手。


下を見れば豆が焦った顔でこちらを見ていた。


「え!?」


驚くのも無理はない。


十歳くらいの小柄な少年に、また体を持ち上げられている。


いくら力が強いとは思っていたが、これは成人男性以上の力だ。


腰に両腕を回した形で抱き上げていた私を、一旦屋根の上に下ろし、今度は私の膝の裏と腰に腕を回して、いとも簡単に持ち上げた。


「わっ……。」


驚いて声を上げる私に、豆は困ったように眉根を寄せた。


それから涼しい顔のまま窓枠を跨り、飛び降りると、そっと私をベッドの上に座らせた。


「…………。」


もう何が何だか分からない。


小学生くらいの少年にまたお姫様抱っこをされた。


「大丈夫ですか?どこか怪我はされていませんか?」


心配そうに顔を覗き込んでくる少年に、私は頷いた。


すると目の前の少年はホッと胸を撫で下ろし、それから少し眉を吊り上げた。


「どうしてあのような所に?」


う…。今度は私、小学生に説教をされるのだろうか。


しかしまさか、仕事が嫌で抜け出そうとしましたなんて、言えない。


「ひ…日向ぼっこ…?」


すぐに浮かんだ嘘は何とも残念なもので、自分に嫌気がさす。


いつも虚勢を張っている私がそんなことを言うだろうか。いや、言わないだろう。


だがしかし、豆はそうは思わなかったらしく、困った顔でため息をついた。


「お願いですから、次日向ぼっこをするときは私に一言言ってください。そうすればお傍にいることができます。お嬢様が満足されるまで付き合いますから…。」


あっさりと信じられて目を瞬いた。


ね?と少し目を潤ませて言われると弱い。だって見た目は可愛い小学生だ。


私が素直に頷くと、豆はホッとしたのか口元を緩めた。


「それにしても、お嬢様でも日向ぼっこをするんですね。」


「まあ…。」


したことないけど…。


「私も小さかった頃はよくやっていました。気持ちいですよねぇ。」


「そ、そうだな。」


お前は今も小さいだろうが…。罪悪感から、楽しそうに話す豆の顔を見れない。


自分の部屋だっていうのに目のやり場に困り、ちらりと先ほど酷い目に遭った窓の外を見ると、庭の向こうにある電信柱の上にスズメが二匹乗っかっていた。


「あ…。」


ふと、ほんの数日前、庭でスズメを見た時の事を思い出し、思わず声を漏らすと、豆もそれに気が付いて窓の外を見た。


「ああ…スズメですね…。」


そう言った声は、いつもと比べ物にならないくらい低くて、気づかれないように目だけで豆の顔を見ると、とても悲しそうに顔をしていた。


…どうしてそんな顔をするの?


心の中で聞いてみても、当然答えが返ってくる訳がなくて。


ただじっとその庭の小さな鳥を見つめている。


スズメが…嫌い?鳥が嫌いなのかな…。


鳥を嫌いだっていう人は結構いるらしい。


鳥は空が飛べるし、それぞれ違った綺麗な羽をもっているから、私は素敵だと思うんだけど…。


この子供も…鳥が苦手なのだろうか。


いつの間にか私は窓から顔を背け、じっと豆の顔を見つめていた。


それに気づかぬ豆ではなく、すぐにこちらに顔を向け、にっこりとなんだかあざとい笑顔を作る。


「お嬢様、スズメがお好きなんですか?」


開いた窓から風が来て、豆の柔らかな髪を揺らした。


「…べつに。」


そう答えるとまた少しだけ悲しそうな顔になる。…どっちなの。


君は好きって言っても、同じようにそんな顔をするんじゃないだろうかと私は思う。


「知ってましたか?」


豆は窓枠に手をつき、ぐいっと外に身を乗り出した。


「スズメは、一年しか生きられないんです。」


「え…?」


「たくさんいる鳥ですけど…本当はすぐに死んでしまっているんです。長く生きる者もいるかもしれませんが…普通は、それくらいです。」


その言葉が、なんだかすごく悲しくて、泣きもしないでただ静かに口を動かす小さな彼の幼い顔が、凄く大人びて見えた。


ああ…駄目だ。きっと私はこの少年に心を許すだろう。


そのうち、本音を口にしてしまうだろう。強くあろうと思ったのに。


この少年の前では、そうやって取り繕うのが、逆に恥ずかしいような気がして…。


豆はこちらを振り返ると、目を瞬いた。


「どう…されましたか?」


私は泣いていた。まだ小さな少年の前で、私は静かに目から涙を流していた。


どうしてかは分からない。人前で泣くのなんて久しぶりだ。


それもこんな、十しかいかないくらいの子供の前で。


「すみません…こんな話、しなければよかったですね。」


へラッと困った顔で彼は笑う。ああ…本当に駄目だ。


自分より小さくて幼い彼に気を遣わせて、自分だけ泣いているなんて駄目だ。


「…大丈夫。」


やっといえた言葉はたった一言。


いつの間にか口調も直ってしまっていた。


「大丈夫だから…。」


もう一度言えば豆は眉をひそめて困ったように笑う。


ポケットから真っ白なハンカチを取り出すと、そっと私の目元を拭いた。


「お嬢様は、とてもお心が綺麗なのですね。」


最後に言った豆の言葉が今でも耳に残っている。



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