きみの素顔 俺の本心
天使がいるのなら、こういう人のことかもしれない。
はじめて見ることの叶ったきみの素顔に、柄にもなく俺は、そう感じたんだ。
笑美から小学校時代に受けたいじめの話を聞いたあと、俺ははじめて、彼女の笑った顔を見た……この際、笑った理由に関しては忘れておく。だって、そんなことどうでもよくなるぐらい、彼女の笑顔はきれいだったから。
なんていうか、花が綻ぶっていうか、天使の微笑みというか、その場の空気が一気に華やぐような……。ああ、国語力の足りない俺の頭じゃ、表現しきれない!
数年ぶりに解放したその笑顔は、破壊力抜群だった。今まで無反応が当然だった笑美にすら振り回されていた俺がいうんだ、間違いない。一瞬で心臓をぶち壊されてしまいそうな、それぐらいの衝撃が走った。
この時愚かにも、俺ははじめて気がついたんだ。
笑美が好きだ。もうどうしようもないぐらい好き。笑顔ひとつ見たぐらいで天にも昇ってしまいそうなぐらい。
今までも彼女のことを、かわいいとか美人だとか思ったことはある。ドキドキしたり、過剰に意識することもあった。でも、それを恋だと考えたことは、なぜか一度もなかった。笑美は妹みたいなもんだから、これが兄妹愛かなー、なんて思ってた。
その後は笑美の顔を見るだけで心臓が高鳴りっぱなしで、いつもはバカみたいにしゃべりまくっている俺が、ほとんど無言で笑美と別れた。その時の笑美のちょっと寂しそうな目といったら……。ここが駅でなかったら抱きしめたい! いや、無理だけど! 恥ずかしすぎて死ねるけど!
一晩たち、翌朝になっても心臓がドキドキ鳴っている。まぶた閉じるたびに、笑美のあの笑顔がちらついて、結局全然眠れなかった。
ボーっとした頭のまま制服に着替えて、ロールパンをひとつ飲みこんでから家を出た。
いつも朝、特に約束しなくても、笑美とは駅で落ち合う。そこから一緒に歩いて学校までいく。笑美を独り占めできる時間が俺にとってはなにより大事。俺だけの特権。
だけど、今朝は笑美を待つ間も、いつもよりそわそわしてしまう。昨日の俺はあからさまに挙動不審だった。おまけに恋心を自覚した瞬間から、情けない姿をかなりさらしている。笑美の俺への好感度が下がってたらどうしよう。いや、そもそも今まで友だちがいなかった彼女に、クラスメイト以上と認識されているのかすら不安だけど。
いつも以上に駅に早くついてしまった。時計を眺めて、また落ち着かない気分になる。早く笑美に会いたい。でも会ったらきっと、俺はまたとんちんかんなことを口走りそうな気がする。昨日あれだけ醜態をさらしたあげく、今日もまたなんてさすがに耐えられない。
十分ほど駅の改札口の前をうろうろ歩いていると、笑美が毎日乗ってきている電車が到着した。階段から下車してきた人たちが続々と押しよせてくる。その中に、俺の大好きな彼女もいて。いつもの凛とした表情が、俺を見つけて少しだけ柔らかくなった……気がした。それだけで、俺の心は中学生みたいに飛び跳ねる。
笑美は無表情ながら、以前よりも少しだけ自然に声をかけてきた。
「笑、おはよう」
「お、おはよう」
「……顔赤い。熱?」
「いいいいいや! ち、違うっ」
ぶんぶんと音が出るほどに激しく首を振る俺に、笑美はきょとんとして首をかしげる。うぅ、かわいすぎる……。俺が今どんだけ緊張してるか知らないで。
いつも歩いている道。隣を歩く彼女は、やっぱりいつも通り。無表情で口数が少なく、時折短い言葉をかけてくる。俺は彼女に、いつもみたいに接しているんだろうか。バカみたいに意識しまくって、前と同じように話すことができない。せっかく彼女が笑ってくれるようになったのに、俺が後退してどうするんだ。
登校中はそんな感じで、ほとんど会話らしい会話もないままに学校についた。笑美は教室に着くと、すぐに本を開いて自分の世界へ入ってしまう。それが今までは寂しくて、なにかとちょっかいをかけては迷惑がられていた。でも、今日は心臓がバクバクいいっぱなしの俺にとって、この時間はある意味ありがたいものだろう。
自席で静かに読書をはじめる笑美と、すでについていた友だちを廊下に引っぱりだす俺。珍しいとでも思ったのか、友だちの颯太は、俺に引きずられるままついてきた。
「どうした、笑」
「いいから、ちょっと付き合って」
「え、なに、告白?」
「違うからっ」
どうして俺のまわりは、真顔でそんな笑えもしない冗談ばっかりいうんだ!
颯太の飄々とした態度に、つい苛立った声をあげる。
「ただちょっと話してほしいだけだよ」
「高島さんはいいの? いつももっとベッタリじゃん」
「……それができたら、こんなことしてないし」
はぁーっと深くため息をつくと、颯太は目を丸くさせた。
「どうしたの、倦怠期?」
「だから違う!」
「わかった。ヤろうとして拒否られたんだ」
「ヤ……っ、違う!!」
焦って怒鳴る俺を、颯太はにやにやしながら見てくる。こいつとは友だちになって何ヶ月か経つが、いまだにつかみどころがない。淡々としていて、いかにも他人に興味ないですって面してて、こうして普通に下世話なことを口にする。
「そもそも俺と笑美、付きあってないから!」
「……え?」
今度は颯太がきょとんとした。
「付きあってないの?」
「そうだよ」
「あんだけ毎日イチャラブしてて?」
「いてないしっ!」
「あんなにあからさまに好きだーって顔してて?」
「はあ!? んなわけ……」
え? ……えっ? こいつ俺が笑美のこと好きって知ってんの? なんで!? 俺ですら昨日気づいたのに!
「なんでおまえがそんなことわかんの?」
「顔見たら一目瞭然。クラスメイト全員知ってる」
「え゛」
「知らないのは高島さん本人だけだろ。彼女、そういうのには疎そうだし」
颯太がチラ見するのにつられ、俺も笑美の方を盗み見る。笑美は変わらない表情の中に、瞳だけを輝かせて本に見入っていた。少しだけむっとする。俺といる時は、あんなに一生懸命な顔してくれないのに……。
颯太がぽんと肩を叩いていた。
「本に妬くな」
「や、妬いてないから!」
「目つきで本を燃やそうとしてたぞ」
「ない! それはない、絶対!」
たぶん、そんなことができたらとっくの昔にやっている。それぐらい笑美は、本となると夢中だから。俺の存在なんて数秒で忘れちゃうぐらい。本の世界に浸ってキラキラしている笑美もかわいいけど、その顔をあと少しでもいいから、俺にも向けてほしいなー、なんて……。
颯太が笑美をじろじろ見るのが気にくわなくて、俺は話を戻した。
「でも笑美のやつ、ほんとにドライなんだよ。俺がこんだけ一喜一憂してんのに、一人だけいたって普通でさ」
「そりゃあの高島さんだしな。彼女がほかの女子みたいに、男にキャーキャーいってる姿、おまえ想像できる?」
「……できない」
ていうか、したくない。笑美が俺以外の男見て歓声をあげるだなんて……あ、ヤバい。考えただけで泣ける。
「でもあれで彼女、おまえには相当心開いてるでしょ?」
「えっ、そう見える?」
「だっておまえぐらいのもんじゃん。彼女に近づいても拒絶されない人間」
いや、俺も最初はそうだったけど……。ついこの間までの冷たい笑美の態度を思いだし、胸中で涙する。
確かに俺は、笑美にちょっとずつ近づいていけているのかもしれない。でも笑美はやっぱり、俺といる時もどこか一線を引いていて。その線を前に俺は、いつも足踏みをしてしまう。これ以上近づいたら、拒絶されてしまいそうで怖い。
「颯太」
「ん?」
「俺、笑美のこと好きなんだ」
「うん、知ってる。本人にいいなよ」
「いったら華麗にスルーされそうな気がする」
「ダメでもともとでしょ」
あいかわらずこの友人は、投げやり且つ適当にしかアドバイスをくれない。笑美と同じで、こいつも頭ではなにを考えているのかよくわからない。
「怖いよ、颯太。俺、わかんないもん。笑美が俺のことどう思ってるか」
「は?」
「だってあいつ、友だちも今までいなかったわけじゃん? 今はちらほら声かけてくるやつ増えてきたけど、俺とそいつらの境界線ってなんだろって」
「さあ」
「それにたぶん笑美、俺のことただの「クラスではじめて声かけた人」ぐらいにしか思ってない気がする」
「あ、それいえてる」
「……おまえ、俺のこと慰める気ないの?」
「ない。一生悩め、ヘタレ野郎」
大真面目な顔でそういわれ、俺はもうため息も出ない。友だちっていったいなんなんだろう……。
颯太は「でも」といった。
「高島さんはおまえのこと、信用してると思うよ」
「……そうなの?」
「少なくとも、嫌っちゃいないな」
いや、それハードル低すぎね!? 底辺からの慰めに、なんともいえない気分になる。
「どっちかっていうと俺は、笑美に好かれたい」
「だから本人にいえって。俺にいってもしょうがない」
「言葉にして笑美に引かれるのやだ」
だって今の俺は、笑美が大好きなんだ。ついこの前までの、「お友だちになりましょう」なんて気持ちじゃいられない。一度態度を示してしまったら、どうにも止められなくなりそうだ。
もっと笑美のそばにいたい。笑美の声が聞きたい。笑美の手を握りたい。笑美の笑った顔が見たい……。
激しく落ち込む俺を横目に、颯太がさらりと告げてきた。
「じゃあ俺がいっちょ、高島さんに話しかけてみようか」
「は!? ざけんな、やんねえぞ!」
「とらねえよバカ。いいから見てろって」
颯太はいいながら教室に戻ると、迷いのない足取りで笑美の前に向かう。人の気配に気づいたのだろう、笑美が顔をあげた。すると颯太は他人に向ける、愛想のいい笑顔を向けた。
たいていの女子は颯太のこの顔を見ると、一瞬ぽうっとするんだ。性格に難あれど、あいつは顔だけはいいから。
女子を落とすためだけに開発された笑顔を張り付け、颯太が笑美に話しかけている。ここからではなにをいっているのかまったくわからない。どうしよう、笑美が口説かれてたら……。
だって、笑美だって年頃の女の子なわけだし。美形の男子がいたら、ちょっとはドキッとしちゃうんじゃないの!?
いてもたってもいられず、俺も教室に飛び込んだ。
颯太のうわべだけの愛想のいい声が聞こえてくる。
「高島さん、もしかして俺のこと覚えてない? よく笑と一緒にいるんだけど。前島颯太。よろしくね」
「………」
「せっかく笑と高島さんが仲良くなったからさ、俺も便乗して友だちになろうかと思って。よかったら俺とも仲よくしてくれない?」
そういって、颯太はニコニコしながら片手をさしだして、握手なんか求めてやがる。
それに対する笑美の目は……警戒心むきだし。野良猫みたいな目で颯太をにらみあげている。今にもフーッて牙をむきだしそうな……。
俺はあわてて颯太の肩をつかんだ。
「おい、颯太! 笑美が怖がってるだろ、やめろよ」
「いいじゃん、別に。独占欲強い男は嫌われるよ」
「バっ、違うわ!」
颯太はにやりとすると、笑美に向かって爽やかに告げた。
「ごめんね、高島さん。こいつ、やきもち妬いてるみたいだから、慰めといてね。あとあと泣きついてきてめんどくさいからさ」
「やきもち?」
笑美がきょとんとしてつぶやいた。途端、俺の顔に熱が集まった。
「そ、颯太、もういいからやめて」
「はいはい、わかってるよ。これ以上いたら甘ったるさに負けそうだし。自販機でブラックコーヒーでも買ってこよ」
颯太はひらっと手を振ると、教室から再び出ていった。
笑美がよくわからない、という表情で、俺を見あげていた。
「笑、やきもち妬いたの?」
「あ、そ、それは……」
面と向かってきかれると返答に困る。だってイエスっていったら、好きだって認めたようなもんじゃん!? いや、認めていいと思うけどさ。
どう答えようか迷っていると、笑美は急に眉尻をさげて、切なげな顔つきになった。うっ、かわいい。捨てられた猫みたいな目……。
「私が、友だちとっちゃったから……?」
「はい?」
「あの人、いってた。自分とも友だちなろうって」
「いや、俺はそうじゃなくて……」
思わぬ勘違いに、俺がしどろもどろになってしまう。
「その、俺としては、笑美に友だちが増えるのはうれしいし、俺の友だちと笑美が仲良くなるのも、すげえいいことだと思うよ」
「本当?」
「た、たださ、颯太は男なわけだし。笑美は女の子じゃん。やっぱそこは、笑美も女子との交流を深めた方がって……」
要するに俺が、ほかの男子と仲よくされるのが面白くないわけで……。
そんなことはいえず、どんどん言葉が尻すぼみになっていく。笑美は小首をかしげて、かわいい顔でこちらを見つめていた。
「笑、なんかヘン」
何気なくいわれた一言が、グサッと胸に突き刺さる。うん……確かに俺、ヘンだ。
ところが、落ち込む俺の耳に、くすくすと笑い声が聞こえてくる。見上げると、笑美が最高にかわいい笑顔を、俺に向けていた。昨日見た笑顔と同じぐらい、ううん、あれよりいくらか控えめだけど、大人びた女の微笑。心臓がどきっと跳ねて、またバクバクいいだした。
思わずまわりを見て、こちらを見ているやつがいないか確認。こんな可愛い貴重な笑顔、ほかのやつにはまだ見られたくない。笑美の席が窓際の一番うしろであったことが幸いした。だれもこちらを注視してない。
ほっと息を吐く俺を見て、笑美はまたくすっと笑う。
「そんな心配しなくても、大丈夫だよ」
「笑美……」
「だって笑は、私の一番だもん」
笑顔のままそういわれ、たちまち気分が高揚する。
「い、一番? 俺が、笑美の?」
「うん」
「これからもずっと?」
「そうだよ」
笑美は微笑を浮かべたまま告げた。
「ずっと一番の、お友だち」
「……へ……」
「笑が一番に声かけてくれて、一番仲よくしてくれてるから。だから笑はいつまでも、一番の友だち」
一番の、友だち……とも、だち……。
一生ただの、オトモダチ?
この日、笑美の中での俺の立ち位置が明らかとなった。そしてそれはこれから何年にも及ぶ、俺の受難のはじまりだった。
番外編を更新するといいつつも、軽く一ヶ月なにもなし。
筆の遅い作者ですみません。
また今度、別の子話を更新したいなぁ……。
ここでだれも得しない裏設定をひとつ……。
颯太くんと保健室のおねえさんは、実は母方のいとこです。
性格の悪さは血筋ゆえ?