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ラビンドール  作者: usa
本編
2/12

中編




 彼がクラスメイトに宣言した一ヶ月まで、残り半分を切った頃。なぜか私は、彼と二人でいることが、当たり前のようになってきていた。

 朝は当然のように、彼が駅で待っている。私が現れると、飼い主を見つけた犬のごとく、尻尾を振って走ってくる。そこから学校まで、彼が私の手を引いて歩いていく。


 最初は抵抗、というよりもシカトしていた私だが、最近ではもう流されるがまま。いつでもそばにいてくれるあたたかい存在に、少し癒されているのも事実だったが。


 だけど、満たされていると感じていたのは、私だけだったのかもしれない。


「高島さん」


 ある日の昼休み、数人の女子が私の周りを取り囲んでいた。彼は数分前に、仲のいい男子たちと、購買に出かけていってしまったところだった。


 私の目の前に立つ気の強そうな子が、腕組みをしたままいった。


「話があるんだけど、ちょっといい?」

「………」

「笑にはちゃんと話すくせに、私らのことは無視なんだ」


 冷たくいわれて、私は仕方なく口を開いた。


「なんの話?」

「いいから来なさいよ。女同士でしましょ」


 その言葉に、取り巻きの女子たちがくすくす笑いだす。こういう笑い声は嫌いだ。頭の奥に追いやっている、嫌な記憶を呼び覚まそうとする。

 それに気づきたくなくて、私はいった。


「どこにいくの?」

「黙ってついてくればいいの。お人形なんだから」


 最近ではすっかりいわれることも少なくなった、私のあだ名。改めて呼ばれると、胸がちくりと痛くなる。


 彼女たちに連れていかれたのは、部室棟の前だった。昼休みの今は、人気がまったくない。

 だれもいないことを確認したのちに、リーダー格であろう女子が口を開いた。


「ねえ、あんたちょっと勘違いしてんじゃない?」


 勘違い?


 なんのことだろうといぶかっていると、ほかの女子がいった。


「笑くんにかまってもらって、自分は特別とかって思ってるんだろうけど、全然違うんだからね」

「そうよ。笑はだれにでも優しいんだから。あんたのことは同情か、おもしろがって近づいてるだけ。そのうちあきるわ」


 この人たちはいったい、なにがいいたいんだろう? 彼が私に同情しているなんて、わかりきったことじゃないか。そして一ヶ月したら、私からさっさと離れていくのだろうということも。


 内心では疑問を抱えていても、それが表面に出てこない私。見た目は無表情のままなのが気に障ったのか、リーダーが声を荒げてきた。


「なによ、澄ました顔しちゃって! ちょっと笑にかわいがってもらってるからって、いい気になんないでよ。あんたなんかしょせん、笑いもしないお人形のくせに」


 ちくり。いわれ続けていた一言が、なぜか今は胸に突き刺さる。


「笑はね、あんたのことなんて特別なんて思っちゃいないのよ。ただあんたみたいなお人形が珍しいだけよ。浮かれちゃって、バッカみたい」


 ちくりちくり。さっきよりも深く、言葉の刃が食い込んでくる。


 表情には出ずとも、私がひるんだのがわかったんだろう。ここぞとばかりに、集まっていた女子が一斉にしゃべりだした。


「ほんとはあんただって、笑くんの気を引きたかっただけなんでしょ? しゃべんないふりなんかしちゃって!」

「そうやってしおらしくしてたら男が寄ってくると思ってたら、大間違いなんだから!」

「あんたのその澄ました顔、見てるだけで腹が立ってくんのよ」

「ほんと。気味が悪いっ」

「吐き気がしてきそうよ」

「笑くんに付きまとうのやめなさいよ、ストーカー!」

「恥知らず!」

「マジでウザい。気持ちが悪い!」




 ドクンッ




 悪口の延長で吐きだされた言葉に、心臓が大きく飛び跳ねた。


「あ……」


 思わず口から、喘ぐような声が出てきた。歯がガチガチと鳴りだし、呼吸が整わない。全身から血の気がさがってきて、頭がふらりとした。

 今、耳にしてはいけない一言を聞いてしまった気がする。その言葉は頭の遥か彼方にある、不吉な記憶を呼び覚ましてしまった。



 気持ちが悪い


 きもちがわるい


 キモチガワルイ





































「えみってさ、本当に気持ち悪いよね」




































「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!!」









 自分の口から出てきたとは思えないほどの咆哮。その場にいた全員が凍りついた。


 目の前の景色がゆがむ。私はおぼつかない足取りで、どうにかバランスと保とうとした。ところが私がよろけて地面に膝をつくと、女子たちは悲鳴をあげて、次々と逃げ出した。


 呼吸が荒くなる。四つん這いになっているはずなのに、目の前はぐるぐるとまわっている。立ち上がるどころか、そのままでいることすら困難だった。

 やがて景色が反転した。気づいたころには空が目の前にあって、それも霧がかったかのように霞んで見えていた。


 身体が動かない。ただ、憎いぐらいに青い空が、白い雲を時おりなびかせているのが、うっすら見える。

 だがそれすらも、徐々に見えづらくなってきた。視界が狭まってきている、そう感じたころに、私の意識はブラックアウトしていた。
































































「えみなんて友だちじゃないよ。ただ寄ってくるから相手してるだけだって」


 そう吐き捨てるようにいわれ、私は立ち止まった。


 だれもいないと思っていた放課後の教室。けど実際には、今日は委員会があるといっていた友人が、中でクラスの女子たちと話している。しかも話題は、自分のことのようだった。


「でもさー、高島さんはきっとそう思ってないでしょ? 知ったら傷つくよ」


 そういうクラスメイトの声は心配しているというよりも、おもしろがっているといった方が正しい。顔は見えなくても、声ににじみでていた。


 友人はさらに冷たい声を発する。


「あいつが? えみがなにかで傷ついてるとこなんて、見たことないじゃん。大丈夫だよ。あの子はなにも感じないんだから」

「えー、そうかな」

「そうだって。いっつも無表情で、なに考えてるかわかりゃしないし。ぶっちゃけ気味悪い」

「そこまでいうの?」


 さすがにクラスメイトも、困惑したような空気を漂わせている。けれど友人は止めることなく、さらに悪魔のような一言を口にしたのだ。


「だってあのえみがさ、ときどき私に向かって笑うんだよ? もう寒気がしてくる。えみってさ、本当に気持ち悪いよね」























































 忌まわしい記憶をまざまざと思いだし、私は悲鳴をあげて飛び起きた。同時に、今のが夢であったことを理解する。

 久々に見た。あの日の夢。もう何年もたっているというのに。


 寒気を感じ、二の腕をさする。しっとり濡れていた。冷や汗をかいていたらしい。なのに頭は、熱があるかのように重くて熱い。

 はあ、と息を吐きだした。吐息も少し熱くて、それがことさら気分が悪い。かといって、もう一度寝る気になんてなれるはずもない。


 そういえば、ここはどこだろう。自分が寝ていたベッドのまわりには、ぐるりとカーテンが引かれている。どうやって私は、ここまで来たんだろうか。


 ふいに足音が聞こえてきて、私はとっさにベッドに潜った。自分の冷や汗で冷たかったが、我慢した。

 シャッという音とともに、カーテンが勢いよく引かれる。間から顔をのぞかせたのは、保健室の先生だった。


 先生は私と目が合うと、にこりと笑った。


「目が覚めた? 気分はどうかしら」


 私は口を開いて、様子を伝えようとした。だけど、うまく声が出てこない。のどがカラカラだった。すると先生は、水の入ったコップを差し出してくれた。


 水を三回に分けて飲み干す。そうしたらだいぶ良くなった。

 ふっと息をもらすと、先生はベッドの脇に腰かけて、私の背をさすった。


「まだ顔色がよくないわね。今日はもう帰った方がいいわ」

「……あの」


 私はおそるおそるたずねた。


「私、どうしたんですか?」

「部室棟の近くで倒れてたのよ。貧血かしらね。どこにもケガはないみたいだし」

「どうやって、ここまで……?」

「ああ、あなたのクラスの男の子が、おぶって連れてきてくれたのよ。さっきまでいたんだけど、一度教室に戻っちゃったわ。あなたがすぐ帰れるように、荷物を取ってきてくれるみたい」


 その男子って、もしかして。


 ガラッと音がして、だれかが入ってくる気配がした。先生は「来たみたいね」といって、私に笑いかけた。

 カーテンの隙間から顔をのぞかせたのは、私が予想していた人物だった。彼は私が目を覚ましたのを見るなり、心底ほっとしたように頬を緩ませた。


「えみ、気がついたんだ。よかった」

「………」

「ほら、カバン持ってきたよ。もうホームルームも終わったから、一緒に帰ろう。送ってく」


 そういって、かいがいしく私に、制服のブレザーを着せてくれる。身支度を整えると、彼は私と自分のカバンともち、反対の手で私の手を握った。


「いこう」

「………」

「じゃあね、先生。お世話様ー」


 先生は微笑ましいものでも見るかのような温かい目をして、私たちに手を振ってくれていた。


 ホームルームが終わってしばらくたつのか、校舎はガランとしていて、人気が少なかった。遠くから部活動に興じる声がするも、下校している生徒はほとんどいない。

 彼は私の手を引いたまま、いつもと同じようにしゃべりだした。


「えみ、気分大丈夫?」

「………」

「昼休みん時、購買から戻ったらいなくなってたから、びっくりした」

「………」

「あんまり遅いから探しにいったけど、正解だったよ。まさか、あんなとこにいるとは思わなかったけど」

「………」

「えみ?」


 いつもよりも反応が鈍いことを気にしてか、彼が身をかがめて私の顔をのぞきこんだ。


「どうした? やっぱまだ気分悪い?」

「………」

「えーみ?」

「……いの?」


 私はたずねた。


「どうして、倒れてたか……、聞かないの?」


 彼は迷うように目をそらしてから、聞き返した。


「聞いたら、教えてくれるの?」

「………」

「でしょう? だから、えみが話す気になるまで、俺は聞かないよ」


 いいつつも、握っている手に力を込めてくる。


「でも、俺はここにいるから。えみのそばにいることだけは、譲らない」


 その力強い言葉に、私は唇をかみしめた。私はまだ迷っていた。彼を信じていいものか、本当に私を裏切ったりはしないのか、またすぐに私から離れていくのではないか。不安と猜疑心とで、頭の中がパニックになってしまいそうなほどに。

 でも彼は、まだあどけなさの方が引き立つ表情を精一杯に引き締めて、私の手をぎゅっと握りしめてくる。まるで、私のことを絶対に離さない、というかのように。


 信じたいな、この人のこと。ふとそう思い、私も彼の手を握り返した。これははじめてのことだった。

 今まで私は彼に手をつながれることはあっても、自分からつなぐことはしなかった。いつでもすぐに離せるように、私は心のどこかで準備をしていた。


 でも今日は、無性に自分でも彼の手を取りたくなった。だれかとつながっていたい。その相手が彼でありたい。そんな妙な思考にとらわれてしまった。

 きゅっと握り返した私に、彼は少々驚いたようだが、いつもよりもさらに嬉しそうに、笑ってくれた。その見慣れたはずの笑顔に、どうしてか私の胸はざわめきだす。心臓の鼓動が若干速まった気がする。……気のせいだろうか。


 それからはほぼ無言のまま、駅にたどり着いた。あと三分ほどで、私が乗る予定の電車が到着する。これを逃すとあと四十分は待つはめになるので、少し急がなくてはならない。

 なのに、私の足は改札口の一歩手前で止まってしまった。彼と手をつないだまま、黙ってその場に立ちつくす。


 先に口を開いたのは、彼の方だった。


「えみ? どうしたの」


 いつもと同じ、優しくて思いやりにあふれた声。私は、この声が好きだ。

 声だけじゃない。私を導いてくれるこの手も、私の名を呼んでくれる唇も、私を見つめてくる瞳も、全部。


 ああ、私……この人のこと、好きだな。


 自覚した途端、離れがたくなる。もっとずっと一緒にいたい。でもそれは、私の身勝手なワガママでしかなくて。


 駅の構内に、電車の到着を知らせるアナウンスが響いた。私がいつも乗っている電車だ。


「……いかなきゃ」


 私はつぶやき、彼の手をゆっくり離した。ほんの一瞬、彼の手が私を追おうとしたかのように見えた。でもすぐに、その手はぐっと拳をつくる。


「うん、それじゃ……気をつけて」


 彼は変わらず笑顔を浮かべたまま、私に手を振ってくれる。


 こういう時、私はつくづく自分が便利だと思う。どんなにさみしくても、悲しくても、それが表面に出てくることはない。普段はそれが虚しく感じるけれど、今はそれでよかったと思った。もし私が普通の女の子であれば、きっと彼に、迷惑をかけてしまうような気がしたから。


 私は努めて彼を意識しないようにしながら、昨日と同じようにつぶやいた。


「また明日」


 笑顔で手を振ってくれた彼が、動きをピタリと止めた。その顔から徐々に、笑顔が消えていく。

 ふしぎに思わなくもなかったが、今は電車の時間が迫っている。私は彼に背を向けて、改札口を抜けようとした。


 次の瞬間、うしろからぐっと腕を引かれた。

 驚く間もなく、私の身体は反対方向へ倒れるようにして引き込まれる。だけど転ぶ前に、さっと抱きとめてくれる人がいた。


 彼は今まで見たことがないほどに、真剣な目をしていた。表情も違う。とても大人びていて、彼とは別人のように感じた。


「なんか今、えみを帰しちゃいけない気がする」

「………」

「このまま別れたら、明日からはえみがいなくなっちゃうんじゃないかって思う。ねえ、それって気のせい?」

「………」

「えみ」

「………」


 ホームから出発を知らせるチャイムが聞こえてくる。電車はもう行ってしまった。


 それに気づいてか、彼はささやいた。


「いっちゃったね」

「………」

「えみ」

「………」

「おいで」


 彼は強い力で、私の腕を引っ張っていく。私はされるがままに、彼のあとを追った。





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