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ラビンドール  作者: usa
本編
1/12

前編




 今日もまた、いつもと同じ日がはじまる。


 高校に入学しても、中学のころとさしてかわらない私の日々。埋まらないクラスメイトとの距離。気をつかうそぶりを見せつつ、絶対に関わってこない先生たち。私を見つめる女の子の冷たい目。男の子の意地悪な視線。なにもかも全部、かわってない。


 ただひとつ、例外をのぞいて。


 たった今私は、壁ドンならぬ、机ドンをされた状態で、一人の男子生徒に見おろされていた。しかも、満面の笑顔で。


「高島えみちゃん、で合ってる?」

「………」


 確かにそれは、私の名だ。だが私は返事はしない。

 それよりも、その男子生徒がなぜ私に話しかけてくるのかがわからない。


 彼――脇田笑わきたしょうはクラスでも学年でも、トップの人気者だった。明るくて人懐こくて、男子にはノリがよく、女子には優しく振る舞っている。天然だという茶色のくせっ毛に、大きな黒目がちの瞳と小さな顔、そして小柄な体とが、子犬のよう。入学式からわずか三日で、学年の三分の二と友だちになったという、私から見れば異端児だ。


 いつでもだれかに取り囲まれている彼とは違い、私はいつも一人きりだった。教室の一番うしろの窓際の席。そこで毎日、本を読んだり勉強をしたり、音楽を聴いたり、一人で過ごしている。別にそれを苦に感じたことはないし、寂しいとも思わない。傍目からどう見えようとも関係ない。


 そんな「ぼっち」の私の前に、彼がやってきた。彼特有の、子犬のようなかわいらしい笑顔を浮かべて。そして、爆弾発言。


「ねえ、高島さん。俺と友だちになって」


 私は答えなかった。一目彼を確認し、私に話しかけているのだと認識しても、黙っていた。ただ手元にある本から目をそらし、睨むように彼を見あげる。私にとって彼は、いきなり人の楽しみを邪魔してくる、空気の読めない無礼な人間だった。


 私がだんまりを決め込んでいると、彼は勝手に前の席に座り、私が読んでいる本を見つめてきた。


「うわー、ムズそうな本。そんなの読んでたら、俺一分で寝ちゃうよ。高島さんよく平気だね」

「………」

「あ、高島さんて呼ぶのって、なんかよそよそしいよね? 友だちだし。下の名前って確かえみだったよね? えみって呼んでい?」

「………」


 いつまでたっても返事をしない私に、さすがの彼も渋い顔になった。


「うーん、噂通りのお人形っぷりだな。ねえ、話せるよね? 俺、マネキンに話しかけてたりしない?」


 お人形。それは高校に入ってから私についたあだ名。いつも無口で無表情。授業中ですらめったに声を発せず、常にポーカーフェイスな私。我ながらぴったりのあだ名だと思う。


 彼は私を、興味深そうに見ていた。


「もったいないなあ。高島さん、笑ったら超かわいいと思うのに。ね、試しに一回だけ笑ってみて。お願い!」


 なにいってんだ、こいつ。

 私はあきれた気分で彼を見返した。たぶん表面上は、まったく変化がなかったんだろうけど。


 するとどこかで、クラスの女子が大声でいった。


「笑ー。無駄だって、お人形ちゃんに話しかけても。どうせなにいっても通じてないよー」


 残念ながら言葉は通じてますけどね。一応生きてるんで。嘲笑が沸き起こる教室内で、私は静かに心の中で突っ込む。

 傷ついたりなんてしていない。ずっと前から、そうだったから。感情の起伏が極端に少なくて、それを表に出すことができない。だから私は、昔からどんな場所でも、こんなふうに冷遇されていた。むしろ今は、十分にいい対応をしてもらっていると思う。こうやって、存在自体を否定されないのだから。


 女子のいったことはまるで気にしてない。私なんて空気のようなものだし、彼女のいうとおり、彼がやっていることこそ無駄な行為なのだから。


 ところが彼は彼女の言葉を聞くなり、らしくもない冷たい声を発した。


「えみに話しかけることが無駄なら、おまえのくだらねえ言葉聞いてるほうがよっぽど無駄だろうな」


 小さな彼から紡がれる冷静な声に、だれもが驚いていた。実は私も、ほんの少し。


 しばらくの沈黙の後、彼はいった。


「決めた」


 なにを?


「今から一ヶ月以内に、えみを俺の友だちにする。そしたらおまえら全員、えみのことバカにすんの禁止! わかったな!?」


 あまりの剣幕に、ほんの冗談で軽口をたたいていた女子生徒は、真顔でこくこくうなずいていた。

 ちょっとすいません。当事者の私が納得してないんですが……。勝手に話進めないでもらえますか?









 そうして一週間、私は耐えた。もともと忍耐力はある方だし、我慢強いタイプだ。だがそんな私でも、こいつにたいしてはそろそろ仏の顔が切れかかっている。むしろもうマイナスになってる。


「えみちゃーん。一緒かえろー!」


 彼は時折、私のことをちゃん付けで呼ぶ。普段は呼び捨てのくせに。

 私は無言で立ち上がり、カバンを手にさっさと教室を出る。すると忠犬よろしく、彼もあとをついてきた。ああ、こやつの背後に尻尾が見える……。


 ついてこないでほしい。本当に。ウザい、イラつく、腹立つ。

 けっして表面には出さないものの、頭の中では様々な悪態がぐるぐるとまわっている。ああ、それを全部こいつにぶつけてみたら、彼はどんな顔をするのだろう。


 一人でいつも歩いていた帰路を、ここ最近はやつがうしろをついてくるようになった。そこから、決して反応を示さない私に、一所懸命なにかを話しかけている。それに対し私は、たいていはだんまりを決め込む。それでも彼はなぜか、あきもせず私に話題を振り続けるのだ。ヘンなやつ。


「ねえ、えみって古文得意だったよね? 俺、中学からどうも古文って苦手でさー。あれってコツとかあんの?」

「………」

「今度のテスト、古文は範囲広いからなー。俺自身ないんだよね。えみ、教えてくんない?」

「……やだ」

「あ、しゃべった」


 否定の言葉を口にしただけの私に、彼は心底嬉しそうに笑ってくれる。


「いいじゃん、えみ。お礼ならするからさ。そうだなー」


 いいながら、彼は今歩いている駅前を、あちこち見渡した。そして、一点で目をとめる。


「そうだ、あそこ! あのケーキ屋のプリンがおいしいって、前に女子たちがいってたんだ。今から行こうよ、おごるから」

「いい」

「そんなこといわずにさ。プリン買ったげるから、俺のカテキョしてよ~」


 子どもか。おまえも私も。プリンにつられるような人間だと思われてんのか、私は。


 だが私が反論をする前に、彼は意外にも強い力で、私の手を引いていく。いつも思うのだが……。なんで一緒に帰るだけで、彼は私の手を握るのだろう?









「うんめー!」


 はじめて入った駅前のケーキ屋。そこのカフェスペースで、私は不本意ながら、彼とプリンを食すことになってしまった。

 うん、確かにおいしい。甘すぎずなめらかで、ほのかに香るバニラが鼻腔をいい具合にくすぐってくれる。


 彼は目をキラキラさせながら、プリンを私よりも倍以上ものペースで平らげていく。一応彼の目の前には古文のノートが開かれているけれど、勉強する気ないでしょ……。


「……で、どこ?」

「ん? なに?」

「わからないの、どこなの」


 私がたずねると、彼はようやくスプーンを止めた。


「うーん、全部?」

「帰る」

「待った冗談! えーとね、ここだよ、『源氏物語』の範囲なんだけどさ」


 彼があわてて開いたページには、教科書からうつした『源氏物語』の内容がある。まだ現代語訳が書かれていないが、すぐにどこの章かわかった。私のお気に入り『葵』だ。


「なにがわからないの?」

「ほら、国語ってさ、登場人物の心情を書けって問題でるじゃん? でも俺、古文だと現代語訳見ても、よく意味が理解できなくてさ。まったく心情とかが読み取れないんだよね」


 学年一の人気者が、お人形と呼ばれる私にそんなことを聞くなんて。ふしぎなものだ。


 彼は眉をよせながら、難しそうな顔でつぶやいた。


「この葵って女の人は、どうして光源氏に冷たかったんだろう」

「……葵の上はね」


 私は解説した。


「主人公の光よりも、四歳も年上で、おまけに左大臣の娘なの。小さい頃から、お妃さまになることを前提に育てられて、そのせいかプライドが高かった。だから、年下でしかも臣下の夫に冷たい態度をとっていたの。光源氏はますます葵の上と打ち解けにくくなって、ほかの女性との浮気に走った」

「ふうん。高飛車なお嬢さまタイプってこと?」

「……でも、二人の間に子どもができて、夫婦仲はだいぶ良くなってきた。光は自分の子どものために体を張ってくれる葵に、強い愛情を感じた。葵もまた寄り添ってくれるようになった夫に、優しくなりはじめていた」


 だんだんと彼は、興味深い顔つきになってきた。


「それで?」

「息子の夕霧を出産した直後、葵上は光の愛人の、六条の御息所という女性の生霊に憑りつかれる。御息所はずっと葵の上を憎んでいて、たびたびこうして葵の上を苦しませていた。そして、ようやく本当の夫婦になった葵を、嫉妬のあまり殺しちゃった」

「女って怖いなー」

「きっと葵の上は、本当はだれよりも、光の君を愛してた。でも、自分は年上で、彼はまったく別の女性を愛している。プライドの高かった葵は、素直に甘えることができなかった。ほんとはずっとそばにいてほしくて、ほかの女性のところにも行ってほしくなかったけど、それを言葉にできなかった。だけど夕霧が生まれて、ようやくその気持ちを、光に伝えられた……と、私は思う」


 一気に語った私は息苦しさを感じ、ふうっと息を吐いた。渇いたのどを、プリンと一緒に買ったジュースで潤す。

 ふと、目の前からじっと見つめられていることに気づいて、私はグラスを置いた。彼に付きまとわれるようになって一週間たつが、どうも彼は私を観察していることが多い。こちらとしては、決して気分がいいものではない。


「……なに?」

「いや。えみがこんなにしゃべったのって、はじめてだなって」


 彼はどこかうれしそうにいった。


「『源氏物語』好きなんだ?」

「……葵が好きなの」

「なんで?」

「似てるから」

「だれと?」

「……私」


 答えてから、また急いでグラスを傾けた。これ以上、問いかけに変なことを返さないように。


 彼は饒舌になっていた私を、やけにニヤニヤしながら見てくる。それがなんともいえず、不愉快だった。


「でも確かに、話聞いてると葵の上とえみって似てる」

「………」

「えみって実は、ただのツンデレタイプなんでしょ?」

「違う」

「あ、今返事超早かった。図星だ」


 からかわれているのが気にくわなくて、私は言い返した。


「光に似てる」

「えっ?」

「……きみは、光の君」


 彼は一瞬きょとんとした後、「俺のこと?」と聞き返した。


「俺が光源氏に似てるの?」

「……うん」

「えー。俺あんなに女ったらしじゃないけどな」


 女ったらしではないけど、人たらしではあると思う。それに彼は自分が知らないだけで、十分女子からも好かれている。それはこの一週間、彼のそばにいた私が身を持って体験した。


「じゃあさ、俺とえみはギクシャクしてても、最後に仲直りできるってことだ」

「……あれは、お話の中」

「そっか。俺とえみ、ケンカなんかしないもんね」


 そういって屈託なく笑う彼に、なんとなく言い返す気力もなくしてしまう。私としては、彼と友だちになる気も、仲よくする気も、ケンカする気も毛頭ないんだけど。


 その後、しばらくの間彼は私に勉強の質問をしてきてから、その日は別れた。いつも彼は私を、最寄りの駅まで送ってくれる。手をつなぎながら。そして電車に乗るためホームに向かう私に、手を振って笑いかけてくる。


「えみ、また明日ね」


 昨日までこの言葉は、無視していた。また明日。その言葉にいつも、不確かな未来を予想していたから。

 でも今日は違った。


「……また、明日」


 小さく答える私に驚いた彼の顔は、かなり見ものだった。思わずじっと見つめてしまいそうになるのをこらえ、私はホームに駆け降りた。

 だから私は知らなかった。彼がこの後、数分もの間、立ちつくしていたということを。







おヒマつぶしになればと、短い話を考案した結果。

なぜか三話になりました(-_-;)


残り二話も近いうちに更新予定です。

もしご興味いただけたら、お読みくださいませ<(_ _)>



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