報告書番号:10005 : 「墨田区事件」(5)
俺は、今日の出来事を振り返る。
国防軍への入隊願書の提出。
それに対する両親の反対と対立による親子喧嘩。
爺ちゃんの登場と、両親との仲裁。
そして、両親と爺ちゃん、それぞれの胸の内・・・
勢いとはいえ、自分の考えや行動が間違っていたとは思えない。
でも、両親や爺ちゃんの思いを考えると、
自分の取った行動が正しかったとも言い切れない。
ただ、一つ言えるのは西東京が両親の二人にとっては、
自分の帰る「故郷」ではなかった事だ。
「俺達」の居場所というのは、俺の思い上がりだったのだろう。
当たり前といえば、当たり前なのかもしれない。
それでも、俺にとっては自分の知りうる「世界」の全てだった。
それが失われるかもしれない今、自分が何もせずに、
故郷が壊されていくのを、ただ傍観している事だけは嫌だ。
いくら考えても、同じ事の堂々巡りで「正解」は見つからなかった。
そうして、一時間余り過ぎた頃、爺ちゃんが部屋に入ってきた。
数日程度、自分が占拠していた為、忘れていたが、ここは「客間」だった事を思い出す。
「どうした、悟。決心が揺らいだか?」
布団の上で寝転がった俺を見て、爺ちゃんが訊ねる。
「自分が、正しいか間違っているかは解らない。
だからといって、このまま何もしないのは違うと思う。」
俺は考えが変わらない事を伝えた。
「お前の決心が固い事は解かった。
あの二人には落ち着かせるために、
東京の出来事は、次第に落ち着くやろうと言うたが、
正直、儂には解らん。
再び、日本に戦火が訪れるやもしれん。」
爺ちゃんは真剣な眼差しで俺の事を見つめ、言った。
「爺ちゃんは前の戦争は南の方で戦ったんだろ?
その時は、どんな感じだったの?」
俺は布団から起き上がり、爺ちゃんに訊ねた。
「ああ。儂はインドネシアにある島で防衛作戦に従事したが、
始めは良かったんやが、戦局が悪化してからが酷かった。
敵の攻撃もさることながら、軍からの物資の供給も無くなり、
仲間が飢えや病気で次々と倒れ、死んでいく。
それでも生き延びたいと思い、必死に儂等は戦った。
国の為に命を捧げる事を良しとされた時代でも、
本音としては、本土にも戻れず、人知れず死んでしまうのは勘弁やった。
そして、儂も空腹と病気で倒れ、人生ここまでかと思った所で、
島に上陸した米兵に助けられ、捕虜として生き延びる事が出来た。
その事は幸いな事でもあるんやが、
それと同時に、生き恥の様な罪悪感も持つ様になってな。
それは今でも残うとる。」
爺ちゃんは遠くを見つめ、どこか悲しげに語る。
「そうだったんだ・・・」
俺は、ただ爺ちゃんの話を聞く事しか出来ない。
そして、爺ちゃんは目を鋭くして話を続ける。
「捕虜として生き延びている最中に、日本が内戦になり、
国が分断したと聞いた時には、流石に天を憎んだもんや。
何故、儂等が命を懸け、必死に守ろうとした日本が、
大国の思惑とはいえ、自分達で国を分かつ真似をしたんやと。」
爺ちゃんは拳を強く握り、心の奥底で憤りを募らせていた様だった。
そして、爺ちゃんはふっと力を抜き、俺に向かって話かける。
「お前の故郷を守りたいという気持ちは、儂に十分に伝わったが、
そんな、荒れ狂う大河の様な流れの中に飛び込もうとする、
お前には、是非とも、この事を伝えねばならぬと思ってな。」
爺ちゃんは、俺に諭す様に話してきた。
「ありがとう、爺ちゃん。」
爺ちゃんの深い思いに対して、俺は礼を言う。
「いや、ええんや。」
爺ちゃんは、そう答えた。
そして、俺達二人は布団の中に入り、部屋の明かりを消す。
しかし俺は、これまでの事で頭が一杯になった上、
爺ちゃんのイビキで良く眠る事が出来なかった。
翌朝、朝食を済ますと、爺ちゃんは家に戻ると言う。
どうやら、地域の挨拶等があるとの事だった。
爺ちゃんが家を出る時、折角なので家族写真を撮りたいと言う。
両親もそれまで、自分の事をしていた手を止め、玄関前に集まる。
そして、近所の人にカメラを渡し、数回ほどシャッターを切って撮影してもらった。
両親は俺に、そのまま爺ちゃんを最寄り駅まで送っていけと言う。
俺は、それに頷く。
駅までの道のりは二人、言葉少なく歩いていくが、
駅に着くと、爺ちゃんは右手を出し、俺に握手を求めてきた。
「なんだよ。握手なんて・・・」
俺は少し驚き、爺ちゃんに訊ねる。
「これが悟と触れられる最後の機会になるやもしれんと思ってな・・・」
悟、生きて帰って来い。
戦場で生き地獄を見たとしても、それを儂に聞かせてくれ。
ええな。」
爺ちゃんは寂しそうに、そう言う。
その時、俺は爺ちゃんの意図を理解し、愕然とする。
「わかった・・・」
俺はそう返事をし、爺ちゃんと握手をする。
爺ちゃんは少しの間、俺の手を握り続け、
名残惜しそうに俺の事を見つめ、ホームへと向かっていった。
そうして家に戻ると、お袋が学校から電話があり、
情勢不安の為に無期限の休校になったという。
俺の戻るべき場所が次々と失われていく。
その出来事は、俺にとって決定的にそう思える出来事だった。




