報告書番号:10004 : 「墨田区事件」(4)
俺は自分の部屋に戻り、閉じこもっていた。
確かに、軍隊に入れば、戦場に出て死ぬかもしれない。
両親は、俺が傷付き、死ぬような事でもあれば悲しむかもしれない。
だけれど、俺達の居場所が壊されていくのを、何もせずに傍観していくのは、
自分には耐えられなかった。
そんな中、玄関の呼び鈴が鳴る。
「はーい、今行きま~す。」
お袋が返事をして、パタパタとスリッパを鳴らし、玄関に向かった様だ。
「悟!お爺ちゃん来たわよ~」
お袋が俺を呼ぶ。その声は努めて明るい声をしていた。
「爺ちゃん、明けましておめでとう。」
俺も明るい雰囲気を作り、爺ちゃんに新年の挨拶をする。
「明けましておめでとう。悟。
・・・まぁ、親に反抗するのも、程ほどにせなな。」
爺ちゃんは、既に家の中で「何か」があった事を察していた様だった。
爺ちゃんをリビングに通すと、テーブルの上に入隊願書の控えが置いてあり、
俺は、それを慌てて片付けた。
「父ちゃん、明けましておめでとう。」
親父が、爺ちゃんに新年の挨拶をする。
「ああ、明けましておめでとう。」
爺ちゃんも、親父に挨拶を返す。
お袋が、お茶を入れた湯呑を皆の前に置き、自分の席に座ると、
爺ちゃんが口を開いた。
「まぁ、世間がこんな状態やから、おめでたい気分なんて吹き飛んでしもうとるが、
ここでも一悶着あった様やがな。」
三重に住む爺ちゃんの関西弁が、それまで自分の居た東京では無いのだと、改めて気づかされた。
「聞いてくださいよ、お義父さん!」
それまで我慢していたお袋が、口火を切った様に事の顛末を話だし、
親父は腕を組み、時折、相槌を打つ様に頷く。
俺は何も言い返せず、爺ちゃんは静かに話に耳を傾けていた。
「なるほどなぁ・・・
悟。改めて聞くが、お前さんはどうしたいんや?」
爺ちゃんは、話を一通り聞き終わると、俺に問いかけた。
「俺は・・・東京を、俺達の故郷を守りたい。それだけだよ。」
俺は自分の胸の内を打ち明ける。
「それは、お前は自分の命を捧げてまでする必要がある事なんか?
それに、武勇なんかで一旗上げたいとか思ってないんか?」
爺ちゃんは、それまで見せた事の無い真剣な目で俺を見つめ、聞き返してくる。
「そんな、爺ちゃんまで・・・俺は、ただ帰る居場所を守りたいだけなのに」
爺ちゃんまで、俺の気持ちを理解してくれないのかと、落ち込みながら答える。
「すまん、すまん、悟。ちぃと意地悪が過ぎた様やな。
ただ、お前さんの気持ちが本気なのは判ったわ。」
少し困った様な笑い方をする爺ちゃんに、俺は困惑していた。
「二人とも、悟にとって東京は世界の全てなんや。
それ以外の場所に、自分の居場所は存在しとらんとゆうことやな。」
爺ちゃんは、両親に向かって話しかけた。
その言葉に、二人は一瞬ハッとした後、下を向いて俯く。
「それとな、悟。お前のオトンとオカンが
何故、あれ程、怒ったのか伝えなあかんな。」
爺ちゃんが、俺に諭す様に語りかける。
「まず、オトンが怒った理由は、お前達家族を守る為に必死に頑張ってきた事を、
お前に否定された事や。
お前達家族にに苦労させまいと、人並み以上の家庭を作り、それを維持してきた事は、
並大抵の事や無い。
それこそ、身を粉にして働いて来ているはずや。」
爺ちゃんがそう言うと、親父は静かに頷いた。
そして、俺は正月三が日でも仕事に出ていた事を思い出す。
「悟。お前は学校で習ったと思うが、内戦が終わった後、この西日本が、
前の戦争で敵だったアメリカのお情けで生かされている状況は知っているよな?
それは俺達にとって屈辱的な事だ。
情けない事だろうが、それでも生きていかなきゃならない。
俺達は子供の頃の貧しさが嫌で、そこから這い上がろうと必死になって頑張って、
ようやく今の西洋的な社会生活が出来る様になったんだ。
お前も今まで見てきただろう、厳しい社会に打ち勝てず路上生活する人達や、
東からの亡命者の悲惨な姿を。
俺は、そんな状況から抜け出す為に、これまで必死にやってきたんだ。」
いつも寡黙な親父の胸の内を初めて聞いた。
爺ちゃんも静かに頷いた。
「そして、お前のオカンは、お前を産み育てるのに一生懸命やった。
それは、オカンにとって、お前が東京を思う気持ちと同じ、
いや、それ以上の事やと思う。
子供を産むというのは命懸けの事やし、育てるのだって大変やったろう。
それでもお前という存在が、お前のオカンにとって幸せの象徴なんやよ。
普通、子供を失うという事は、それほど母親にとって恐怖やし、
希望を失う事に等しい事なんや。」
そう爺ちゃんが言うと、お袋が涙ながらに頷いた。
「もし、お前の婆ちゃんが生きとったら、自分の首元に包丁突きつけて、
『兵隊になるなら、うちを殺してから行け!』なんて言ってたやろうな。」
爺ちゃんは苦笑交じりに、子供の頃に亡くなった婆ちゃんが思っていたであろう事を、
俺に伝える。
「悟。今の話を聞いて、お前の考えは変わらんか?」
爺ちゃんは、改めて真剣な眼差しで俺を見つめ、真意を問いかける。
俺は静かに頷く。
「そうか・・・。」
爺ちゃんは残念そうに、溜息交じりで答える。
「これも全て儂等の不始末が原因やからな。
本来、前の戦争が負けるにしても、きちんと『決着』を付けなあかんかった。
それを自分達の些細な意地で決着を先延ばしにしたせいで、
日本という国を分け隔て、互いに憎む状況を作ってしもうた。
ただでさえ、命を掛けた戦争に負けた事でも、目を背けたかった事やのに、
今度は、自分の孫まで戦火の生贄に捧げる事になるやもしれん。
流石に儂でもこんな事は、悔やむに悔やみきれん。」
爺ちゃんは、湯吞みに視線を落とし、自分の思いを伝える。
「しかし、入隊を希望してしもうた事は、今更、取り返しが効く訳じゃないが、
それでも、今なら訓練途中で除隊する方法はある。
今なら若気の至りだったと、多少笑われたとしても、まだ世間も納得するやろう。
ただ、もし、そうすれば、もう二度とは戦争に立ち向かう機会は無いやろうし、
何より、自分の弱さに負けたという事が一生付きまとう。」
爺ちゃんは俺を見つめ、万が一の時の為に、現状から逃げ出す方法を伝える。
ただ、それは俺にとって大きな代償を伴うものだった。
「あらやだ。もうこんな時間!」
お袋が、何かに驚いた様に叫ぶ。
気が付くと夕方を過ぎ、夜7時近くなっていた。
お袋が急いで夕食の支度を始めた。
台所から雑煮の香りが届く。
皆、緊張で張り詰めた表情をが少し緩む。
お袋が、手際よく食事の用意をし、あっという間に御馳走が並ぶ。
「遅くなっちゃいましたけれど、皆で、お正月にしましょう。」
お袋が、明るく食事を勧める。
ただ、食事中は皆の箸は進むが、ぎこちない雰囲気は残り、言葉数も少なかった。
俺は、さっと食事を済ませ、「ごちそうさま。」とお袋に返事をすると、
そそくさと部屋に戻った。
そして、俺は布団の上で寝転がり、天井を眺め、
今日の出来事を、改めて考えるのであった。




