恋人?
結局、星羅は夕食も共にし、風呂まで入ってここに泊まった。
何者なのか師匠から聞かされぬまま、ユウはずっとむすっとしていた。
夕食の時は星羅の任務の話ばかりだった。
星羅は昔のユウと同じようにどこかの組織に所属しているようで、長期任務に出ていてそれが終わったばかりのようだった。
話を聞く限りで、どうやら星羅はかなりの腕を持った魔導師のようだった。
師匠とやりあえるほどなのかはわからないが、師匠と同じく魔力を完全に制御できている事からユウなどでは到底敵わないのだろう。
それを知ると、ますますユウの機嫌は悪くなる一方だった。
今日もこれからあいつの飯まで俺がつくらなきゃいけねーのか、とユウは顔をしかめて乱暴に卵を割る。
すると、いつのまにいたのかチャールズがジャムを勝手に開けて味見している。
「それはいちじくじゃないぞ」
ユウはチャールズの尻を指ではじく。
チャールズは飛び上がり、振り返ってユウを睨んだ。
急いでジャムのフタをしめ、そこにあぐらをかいて座る。
「星羅が帰ってきてるって本当か?」
「ああ・・・・いるよ」
「昨日、ロタが見たって言っててさあ。森中に広がってんぜ」
ロタとはウサギの名前だ。
動物たちが知っているという事は、どうやらあの男は以前からここによく出入りするようだ。
ユウは苛々したのか、スクランブルエッグが少し焦げてしまった。
「いやーしっかし久しぶりだなあ」
喋り続けるチャールズをよそに、ユウはさっさと朝食を3人分作り終えた。
ユウがキッチンから消えたことに気付かず、チャールズが未だキッチンで喋り続ける声がリビングで聞こえる。
ユウはまず師匠を起こそうと、部屋の扉をノックする。
案の定、返事は返ってこず、ユウは部屋の扉をあけた。
「師匠、起き・・・」
はた、とユウの動きが止まる。
師匠のベッドに目をやると、同じシーツから顔が2つでているのが見える。
一人は師匠、そしてもう一人は星羅だ。
何が起こっているのか、ユウはすぐには理解できずにそこに棒立ちになっていた。
そして、師匠の肩にいつも見えるはずの下着のワイヤーが見えない事に気付いた。
いつも下着姿で寝る師匠は、半裸状態に近い。
今日はその下着さえも身につけていないようで、とすると全裸なのか?
ふと、星羅の方に目をやる。
この男に常識があるのかどうかは知らないが、シーツから出たむきだしの右肩は、少なくとも男が上半身裸であることを示していた。
・・・・・そういう関係か。
なるほど、とユウはそこで納得する。
昨夜見た師匠のあの笑顔の理由もわかる。
星羅は師匠の恋人なのか。
師匠が絶世の美女だという事は知っていた。
しかもあんなに若いので、普通なら恋人がいない方がおかしいのだが、あの性格では恋人などいるはずもないだろうとユウは思っていた。
あんなに破天荒な性格をしていながら、ちゃっかり恋人いるんじゃねーか、とユウはぼやく。
「おはよ」
ふと気付くと、星羅がいつから気付いていたのか上半身を起こしてこちらを見ていた。
予想通り、その上半身は一糸まとわぬ姿だった。
かなり鍛え上げられているその体は、白く滑らかな肌とは似合わずかなり筋肉がついていて肩幅もこうして見るとかなり広い。
昨日、ユウの武術が全く通用しなかったのにも不本意だが納得せざるを得なかった。
「朝ごはんの匂いがする・・・・・すぐにアリアを起こして行くよ」
「・・・・・よろしく」
そう言ってユウは部屋の扉をしめた。
ユウはむすっとして乱暴に椅子に座った。
その音に気付き、チャールズがぴょんとテーブルに飛び乗る。
「ひどいなあ、気付いたらいねーんだから!俺一人でぺちゃくちゃ喋っててめっちゃ痛いじゃんかよ!」
ユウはむすっとしたまま無言だった。
再びチャールズはぺらぺらと話し始める。
よく動く口だなあ、とチャールズの口を無意識にじっと見ていた。
そんなぼーっとしているユウに気付かず、チャールズはその後も休む事なく話し続けた。
「あれ、師匠」
洗濯中、ふと屋根の上で日向ぼっこをしながら寝ている師匠に気付く。
ユウはベッドシーツを物干しざおに広げて、アライグマがその後ろでごしごしと衣服を洗っている。
師匠は面倒くさそうに上半身を起こし、弟子を見下ろした。
「なーに」
「いや・・・・・別に・・・・・昼寝しなくても、って思っただけで」
星羅がいるのに、何故いつも通りだらだらと過ごすのかユウは不思議だった。
師匠にも言いたい事は伝わったようで、眠たそうにユウに言った。
「私が男とべたべた過ごすと思う?星羅なら中にいるけど、邪魔しちゃだめよ」
それだけ言って、師匠は再び屋根の上で眠りについた。
どうやら師匠が「女の子」だったのは久しぶりの再会が嬉しかった昨晩だけの話らしい。
いつもはあの男の前でも師匠はあんなに破天荒なのだろうか、と思いながら後の洗濯を動物達に任せ、そっと小屋の中へと入った。
扉をあけると、リビングに星羅はいた。
片手に毒々しい赤色の液体が入ったフラスコを、そして片手に炎を持っていた。
木も何もなしにどうやって直接炎を持っているのかは不思議でたまらない。
どうやら今、星羅は随分とお取り込み中のようで、目の前の薬品らしきものにのみ集中している。
小屋に入ってきたユウに気付いているのかどうかはわからないが、ユウは師匠に言われたとおり邪魔せぬよう、入ってすぐのところで直立不動で見ていた。
いつもユウがつくる料理が並ぶはずの机の上には、よくわからない物とフラスコや試験管などがたくさん置いてある。
サファイアを砕いたような青い結晶の粉や、何故かフラスコの中で左右に揺れつづける不思議な黒い液体。
見た事もないような真っ白い饅頭のような果実に、どこにでもあるようなワカメのようなものもある。
星羅は人差し指をフラスコの上で振り、するとフラスコの中に青い稲妻が落ちる。
そうして振ると、フラスコの中の液体は、水のようにさらさらだったのにとろっとシチューのように滑らかに変わった。
ユウにはその光景がとても面白くて、興味津々にずっと眺めていた。
そして最後、出来上がったのは紫色の液体。
「あ・・・・・それは」
それは、以前ユウが師匠に治療してもらったときに使われたあの効果のすばらしい薬だった。
星羅はそこにユウが立っていた事に最初から気付いていたのか、薄く微笑んだ。
「あと2つしかなかったから、新しくたくさん作っといた。これで思う存分に怪我すればいい」
星羅は大人っぽく笑う。
何故か、ユウは以前のように星羅に腹立たなくなっていた。
目の前で行われていた事に、惹かれていたからだろうか。
そういえば、その薬を使ったときに、師匠は薬を作った人の事を医療に関しては世界で1、2を争うほどの腕を持っていると話していた。
とすると、星羅がその彼なのだろう。
その薬の効果は素晴らしく、師匠でも作れないと話していた。
「調合に興味でもある?」
星羅は片付けながら、面白くも何ともないその行動を未だじっと見つめているユウに言った。
ユウは素直に頷くのが悔しいのか、何も言わなかった。
「魔法を教えてもらえないんだから、そりゃ興味あるよな」
星羅は全部片付け終え、どこかに行ったかと思うとすぐにひょっこり戻ってきた。
その手には、一冊の本があった。
本を机の上に置き、星羅は椅子に座る。
まだ扉の側で棒立ちしているユウに、手招きして見せた。
「魔法について、教えてやるよ」
星羅は微笑む。
昨夜から見ていて、星羅は決して優しくもないし冷たくもない。
師匠のようにはっきりとした性格ではなく、どこか神秘的で中立的な感じがあり、彼の素性はまだよくわからない。
しかし、神秘的というなら師匠もある意味では神秘的なのかもしれない。
あれは人間じゃないからな。
「でも、師匠が」
「大丈夫」
星羅はそう言って、表紙を開いた。
ユウはまだ戸惑いながら、おずおずと向かい側の椅子に座る。
あきらかにユウは星羅の事を好いていなかったのに、しかもそれをわかっていたのに何故星羅はユウに親しげに接するのだろう。
師匠以外の人間と、深く関わった事のないユウは星羅が不思議だった。
第一、ユウはあんな美人のくせに乱暴で言葉づかいも人使いも荒くて気まぐれで自分勝手で最強な人物としかまともに接したことはない。
普通の人と普通に接するのは初めてで、どうしたらいいのか、何を話せばいいのかよくわからない。
もっとも、星羅だって師匠の恋人なのだから、普通の人間とは限らないのだが。
「今日、ユウに勉強を教えた」
「は?」
午前0時を過ぎた真夜中。
コーヒーを飲みながら満足げに微笑む星羅に、アリアは顔を歪めて聞き返す。
アリアが世界一とも言えるほど美しいと、そしてそれをお世辞ではなく事実であると星羅は思っている。
そしてそんな美しい顔を平気で歪めるアリアは、つまりはそういう性格の持ち主だ。
自分が美しいという事実を知りながらも染まらない、そこが彼女の強いところだ。
「俺の調合を、すごい興味津々に見てたから、魔法について基礎を軽く」
「はあ?何やってんのよ」
「そろそろ魔法を教えてもいいって思ってたところじゃないのか?」
図星だったようで、アリアはそれが不服そうに眉をひそめて星羅のコーヒーに手を伸ばした。
星羅は今朝、ユウにみせた本を机の上に置いた。
アリアは星羅のコーヒーを飲みながら、それを自分の元に引き寄せ、中を開いた。
「ふーん・・・・基本中の基本ね・・・・」
「魔法を使う前に知っておいた方がいい事が書いてある。まあ、正直言って素人では理解しにくい内容ばかりだけど」
「あの子はセンスあるし頭もいいし、なにより殺戮兵器だったから素人ではないわ」
「殺戮兵器か」
ユウを弟子にした経緯については、昨夜全て聞いた。
確かに、アリアが魔法を全く教えず、基礎体力だけをつけさせているのは正しいと言える。
才能もセンスもあり、それなりに経験があったとしてもまだ子供。
そこに完璧な基礎の土台ができれば、ユウはおそらくかなり強くなる。
だが、理由も聞かされずただ同じ鍛錬ばかりでは彼にとってはかなり不満だろう。
「出会った時は、戦闘用の魔法ばかりで、基礎が全くできていなかったわ。それでもかなり強かったけど」
「だから、料理で火加減を学んだり、掃除で物を常に意識しなくとも動かしたりと、基本の魔法を使えるように意図して家事をやらせてるのか?」
「・・・・・・まあ」
本当にそうなのかあの彼女の事だから疑問だが、それでも彼女はそれなりに考えているらしかった。
自分の知らないうちに実力が相当なものになっていることを、当の本人は全く知らないだろう。
「てかあなた、ユウに嫌われてたんじゃないの」
「多分、凶暴で自己中心的な師匠よりも、俺の方が頼りがいがあると理解したんだろうね」
そう言うと机の下で右足を強く蹴られ、すねに激痛が走る。
それでも星羅は不機嫌なアリアに笑ってみせた。
「明日から魔法を教えて、信頼を取り戻さないと」
「誰も失ってませんから」
そう言ってアリアはふん、と顔をそむけてバスローブの腰紐を解きながら先に寝室へとすたすたと行ってしまった。
星羅はコーヒーを飲み干し、それに続いた。