禁忌を捲る
香ばしい匂いと湯気立つティーカップ。
慣れた手つきでユウはフライパンの上に切った具材と生卵を放り込む。
そして指を鳴らしてフライパンの方に一振りすると、ボウッと火がつく。
この半年ほどで家事が完璧に板についたようで、今ではあれだけ苦労した火加減も最近では弱火から強火まで自由自在だ。
ものの数分で朝食を作り終えると、ユウはある部屋の扉を開ける。
「朝ですよ。起きて下さい」
一見広いが、それは家具がベッドと机と本棚ぐらいしかないからそう見えるだけだ。
一式家具があれば、それなりに狭いだろうその部屋は、かなり質素であった。
必要最低限の物しか無く、全く飾り立てられもせず、ただ埃まみれだったレースのカーテンはユウが来てから掃除をしたおかげで純白に戻った。
そしてその簡素なベッドで寝ている師匠は、いつも通り声をかけただけでは起きる気配がない。
シーツにくるまってむこうを向いている。
ユウは部屋へと踏み込み、カーテンと窓を開ける。
とたんに目をつむるほど眩しい朝日が部屋に差し込み、同時に涼しい風が部屋の空気を一掃する。
急に肌寒くなったのを感じたのか、師匠はシーツにくるまったまま身じろいだ。
「師匠」
師匠を揺する。
すると師匠はシーツから眠たそうな顔をだし、半開きの目でこちらを見上げる。
「・・・・何やい」
「起きてくださいよ」
「嫌あ」
子供のように駄々をこねる師匠は、再び顔をシーツにうずめた。
ユウはためらいもせず、そのシーツをひっぺがす。
途端に下着しか着ていない半裸状態の師匠の白い肌がさらされる。
微笑んで澄ましていれば誰もが目を見張るような美人なのに、師匠はそれとは裏腹の乱暴な言葉遣い、ガサツな態度、おまけに最強で凶暴ときた。
見た目は十代後半か二十代前半でこんなに美人なのに、恋人がいる気配など微塵も無い。
美人の半裸など男からしてみればこれほど嬉しいものはないだろうが、本性を知っているユウは何も感じない。
「ご飯冷めますよ」
「っぶふえっくしょいぃ」
変なくしゃみをかまして、師匠は自分の体をさすりながら寒そうに起き上がる。
ユウはシーツを洗濯物が入っている桶の中に放り込んで、師匠に言った。
「寒いなら服着ればいいのに」
「嫌あーよ。これが私のスタイルなの」
何がスタイルだ、とユウは呆れてため息をつく。
そして席について朝食。
二人とも手を合わせて「いただきます」と決まったように口にした。
ここにきて半年が過ぎた。
普通のような毎日でもあり、何もかもが新鮮で、愉快でもある。
血だらけの闇しかなかった半年前までの生活が嘘のようで、今ではすっかりこの孤島での生活に慣れつつあった。
相変わらず師匠は魔法を教えてくれない。
修行と言いつつ、いつもランニングやスクワットに腕立て伏せ、懸垂など基礎体力をつけるものばかりだ。
ユウはまだ子供だが、ここに来る前は殺人兵器として扱われていたほど戦闘能力が高い。
基礎体力など今更だと思うのだが、師匠はまったくもって取り持ってくれない。
「はあ・・・・」
思わずため息がもれる。
いつになったら魔法を教えてくれるのか。
最近は、そればかり考えている。
ユウは床を雑巾で拭きながら何か方法はないかと思案する。
すると、考え事で集中力が散漫したせいか、魔法で動かしていた箒がとある部屋へ勝手に入っていってしまった。
「あっ、こら」
そこは今まで入った事のない部屋だった。
私が言った時以外入るな、と言われており、そのくせ師匠にこの部屋に入れと言われた事は今まで一度も無い。
見つかったときの師匠の恐ろしさを想像すると足がすくむ。
ユウは慌てて箒を追ってその部屋へと入る。
すると、意外にも扉の向こうは地下へと続く階段だった。
雰囲気的に、かなり不気味だ。
箒を取り戻したらさっさと退散せねば、と駆け足で階段を降りる。
すると、予想外にそこは廊下になっていて、地下にはいくつもの部屋があるようだった。
その中でおそらく箒が入って行ったであろう、一つだけ扉が開いている部屋へと足を踏み入れた。
「うわあ・・・」
そこは書庫だった。
壁にびっしりと本が張り付けられたように並んでおり、天井にまで並ぶ本はどうして落ちてこないのか不思議でたまらない。
そして何故か本棚は道をつくるように並べられてあった。
どうしてわかりやすいように列にして並べないのか不思議だったが、ユウはとりあえず道を進んで行った。
やばい。
少し行っただけで、本棚の道がかなり入り組んでいる事を察した。
いくつもの分かれ道に、おまけに本棚ばかりなものだから景色もどこも同じ。
すると、奥の方に箒が倒れているのを見つけた。
ユウは慌てて箒を拾い上げる。
とりあえず、ほっと胸をなでおろす。
すると、その時目の前にあった本棚のとある本の背表紙が目についた。
禁忌魔術呪文集
魔術、という言葉に惹きつけられ、今のユウに禁忌という恐ろしげな言葉は見えていない。
ユウは無意識にその本を手に取った。
かなり古い本で、表紙にも題名が書いてあるのだろうがもう見えない。
埃かぶっているその本をそっと開いた。
どれくらいそこで本を読みふけっていたのだろう。
ユウは突然はっとした。
どれほど時間が経ったのかわからず、思わず背中にどっと汗が滲み出る。
もしも、勝手に部屋に入った事や本を読んでしまった事がバレたら・・・・・間違いなく殺される。
ユウは慌てて走り出した。
あんなにも入り組んだ道をどうやって抜け出したのかは覚えていない。
とりあえず、地下から脱出して扉を閉めた。
その瞬間にはっとした。
本を、持ってきてしまっていたのだ。
「やばい・・・・」
「ゆうちゃあーん」
ハッとしてユウは思わず自分の後ろに本を隠す。
すると、師匠の声だけ外から聞こえてきた。
「昼ごはんは肉系がいいー」
大抵、師匠が自分の事を「ちゃん」づけやあだ名で呼ぶ時は何かわがままを言う時と決まっている。
とりあえず、師匠が自分のところまで来なかった事にひどく安心した。
「昼ごはんはもう決まってるんで変更できません」
「けち!」
師匠はあれだけ朝、爆睡しておいてまだ表の芝生の上で昼寝を兼ねた日向ぼっこをしているようだった。
小鳥やリス達とたわむれる声が聞こえる。
「こらあ、私の眠りを妨げるんじゃねえ」
小鳥が面白がって師匠をつついているようだ。
動物にも言葉遣いが悪い師匠に、ユウは呆れた。
そして再び、背中にある本をそっと取り出す。
しかし、また地下に戻るようなリスクを冒す事はできない。
ユウは見つからないよう、静かに自分の部屋へと戻った。
その夜、ベッドの上でシーツをかぶり、ユウはそっと緊張の中本を開いた。
今朝読んだところももう一度読み返す。
それほど、この本にユウは惹きつけられていた。
しかし、禁忌というだけあってどれも高度な魔術ばかり。
恐ろしい大量殺人を一瞬で犯せるような魔法から時を戻す魔法などの重罪な魔法まで、全部決して人が踏み入れてはいけない領域の魔法だった。
そしてあっという間にユウは本の最後まで辿り着いた。
死者蘇生
一瞬で、ユウの顔から血の気が引いて青ざめる。
子供のユウでも知っている。
人間が最も犯してはならない罪、そして絶対に発動させてはならない魔法、それが死者蘇生。
だが、愚かな者達は愛する人を失った悲しみに狂い、死者蘇生を行う。
しかし、成功した例は一度として無く、魔法を発動させた者は天罰をくらう。
その天罰がどのようなものなのかはユウは知らなかったが、おおよその想像ぐらいはつく。
恐ろしくてひどく寒気がする。
今まで数え切れないほど戦場に赴き、そこを血の海にしてきた自分が、何を恐れているのだと思う。
ユウは意を消してページをめくった。
「なーに?最近、機嫌がいいのねえ」
ユウははっとして、部屋の窓から顔を出している師匠に振り返った。
どうやらユウは、洗濯物を干しながら鼻歌を歌っていたらしい。
周りの動物達も気になっていたのか、師匠とユウをじっと見つめている。
「いや・・・・別に」
「ふーん。ここでの暮らしに慣れてきたってところね」
そう言って師匠は大きな欠伸をした。
ユウは密かにホッとして、目の前の洗濯物に目を戻した。
あれから本を返すタイミングがわからず、まだユウはあの本を持っている。
そして毎晩、何度も何度も読み返す。
おかげでほとんどの魔術を覚えてしまった事については、正直かなりの罪悪感を持っている。
だが、魔法を教えてもらえないユウにとっては罪悪感よりも満足感の方が大きかった。
「今日、洗濯、だめ」
ふと足元を見ると、兎が3匹、くんくんと鼻を動かしてユウに何かを言っていた。
ここに来たばかりの時は、なぜ師匠が動物たちとさも当たり前かのように会話をするのか理解できなかった。
しかし、今では片言なら理解できるようになったのだから不思議なものだ。
むこうはユウの言う事は理解できるようで、いつも家事の手伝いを頼んでいる。
「え、でもこんなに晴れてるのに」
「だめ、今日、だめ」
兎は首を振る。
ユウは、兎が言うならそうなのか、と仕方なく干した洗濯物を取り込んだ。
そして室内で動物達と掃除をしていると、昼前あたりから急に大雨が降り始めた。
本当に言うとおりになった、と感心する。
兎が胸を張ってこちらを見上げているものだから、思わずユウは噴き出した。
そういえば、いつも朝は外にいる師匠が何故ずっと部屋の中でぐうたらしているのか疑問だったが、そういうことなのかと納得した。
しかし、ふと部屋を見渡すと師匠がいない。
さっきまで部屋の中でごろごろしていて、掃除の邪魔だったはずなのに。
ユウは疑問に思ったが師匠の事なので、別に心配はいらないだろう。
「あ、ちりとり?」
ユウは狐につつかれ、慌ててちりとりを探す。
その時、どこか遠い空で雷の音が聞こえた。
リスが慌てて部屋の窓を閉める。
雨がひどくなってきたな。
そんな中、師匠はというと森の中を一人歩いていた。
途中までついてきていたリスのチャールズも、途中で引き返していった。
ここより先は、動物達は誰も立ち入らない森の奥深く。
この小さな孤島にそれほど深い森があるとは思えないが、それもこの孤島の謎。
ジャングルにでも踏み言ってしまったかのような暗さに、おまけに雨なものだからかなり雰囲気は不気味だ。
そんな中、ブーツでスキップを踏む。
その表情は、曇りがかった笑顔だった。