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となりの赤畑さん

作者:

※登場する政治団体等は架空のものであり、実在する共産主義政党(アカ)とは関係がありません。

 オタク趣味が講じて部屋が手狭になってきたため、僕は引越しを決意した。

 広さの割に家賃もそこそこで、通勤にも便利な今の住まい(ハイツ)に不満はないのだけれど、これ以上ものを置けないとなっては仕方がない。

 主にネットで近場の物件を探していたのだが、たまたま通りかかった隣町の住宅地の道沿いに「売物件」と書かれたのぼりに飾られた一軒家を見つけた。

 流石に大袈裟だろうと一軒家は候補から外していたのだけれど、なにか妙に引っかかるものがあって、その場で不動産屋に電話をした。

 翌日には不動産屋がやってきて、あれこれと話を聞くことができた。

 この一軒家、どうやら抵当物件というものらしく、借金を返済できなくなった前のオーナーに新生活のためのお金を(こっそり)贈与する代わりに土地建物の価格は相場の半額近いという、いわゆる訳アリ物件だった。

 支払い総額をローンにすると、今借りている部屋の家賃の五割増程度、これで一軒家を手に入れられるならお安いくらいだと、話はトントン拍子に進んだ。

 しがないサラリーマンの僕だが、学生時代に取得するだけしておいた(そして新品未使用の)教員免許を持っていたことが高く評価されて、ローンの審査はすんなりと通った。

 こうして僕は、三十路半ばにして夢の一軒家を手に入れ、一国一城の主となった。

 まあ、城っつっても、その実態はただのオタクハウス(予定)なのだが。


 移転先が現住所から徒歩約七分ということもあり、引越し屋には小型のトラックを手配してもらい、ピストン輸送で荷物を運んだ。

 オタクグッズはどれも貴重品扱いということで多少のトラブルはないでもなかったが、それでも夕方前には荷物の運び入れが終わり、それからご近所さんに菓子折りを持ってご挨拶に回る事にした。

 少し古い町ということもあって、ご近所さんはほとんどが僕よりも歳上のご家族だったが、右隣のお宅から出てきたのは、明らかに僕よりも若い女性だった。

 肩に掛かる長さのストレートヘアにセルフレームの眼鏡。

 美人とは言わないけれど、愛嬌のあるおっとりした表情に少し親しみを感じる。

 赤畑(あかはた)さんというその人は、一人暮らしだという。

 僕も独り者であることを伝えて、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、と型通りの挨拶をしたのだが、

「困ったことがあったらなんでも相談してくださいね」

 と、少し意外な、頼もしさを感じさせる返事があった。

 ふと門の脇を見ると「町議会議員(ちょうぎかいぎいん)○○○○連絡所」という立て看板があった。

 僕はこの町議さんを知らなかったが、その所属政党名は一般にリベラルと認識されていて、たまにややこしい行動が目立つことで有名な団体(意訳)と位置づけられていた。

 それに目をやっていることに気づいた赤畑さんは、

「私、ボランティアで町議さんのお手伝いなんかをやっていますので」

 僕自身に特定の政治的信条があるわけでもなかったけれど、かの党はあまり良い噂を聞いたことがなかったため、ちょっと複雑な心境だった。


 翌日は有給を取って荷物の片付けを行っていた。昼前にチャイムが鳴ったのでインターフォンを取ると、モニターに赤畑さんが写っていた。

「お忙しいところすみません。少し、この辺りのことをご説明したくて」

 僕が門まで出ようとすると、赤畑さんは自分で門を開けて玄関の方へと入ってきていた。

 顔に似合わず、押しが強めだ。

 立ち話もなんなので、と扉を開けたまま中に招き入れ、玄関に座ってもらう。

 散らかっていて申し訳ない、と伝えると、

「お引越しの最中ですもの、当然ですよ」

 といい、手に持った布製のエコバッグから小さなお茶のペットボトルを二本取り出し、一本を僕にくれた。

 準備が良い、というか、ちょっと良すぎて軽く引く……。

 そして同じバッグからいくつかの書類を取り出して説明を始めた。

 それは、例えばゴミ出しの曜日や場所、自治会の入会案内といった生活する上で重要な情報から、近くの買い物処やバスなどの公共交通機関の説明(これは元々この近所に住んでいたから既に知っている内容が多かった)、はたまた近場に住んでいる地域猫の話まで、幅広く詳細だった。

 書類の半分以上は町や自治会が作成したもののコピーといった感じの印刷物だったが、残りは万年筆で書かれたと思われる手書きのものだった。

 昨日の看板の件もあり、ひょっとしたら町政の話や選挙協力のような話もあるかも、と構えていたのだが、それはまったくなくて、最後は近隣のゴミ置き場まで道案内してもらったあと、

「それではこれで。困ったことがあったらいつでも声をかけてください!」

 と、あっさりと自宅へと戻っていった。少し拍子抜けだった。


 次の日は通常通りの出勤日。僕の職場は始業時間が遅めな事もあって八時過ぎに家を出たら、手に小さな黄色い旗を持った赤畑さんに出くわした。

「おはようございます。昨日はありがとうございました」

 と声を掛けると、

「おはようございます、今からお仕事ですか? いってらっしゃい!」

 と明るい返事が返ってきた。

 後に知るのだが、赤畑さんは朝から近くの交差点に立って、通学中の小中学生の見守りボランティアに参加しているのだという。

 ほかにも、自治会の町内一斉清掃や近隣の自治会連合主催の夏祭り、町主催の町民体育大会などなど、おおよそボランティアが活躍しがちな行事には勧んで参加しているようだった。

 自治会を我が物顔で牛耳る御老体の方々(ジジイども)とも友好的で、中には娘か孫のように接してくる不届き者もいるらしいのだが、卒なくお付き合いしているらしい。

 ご近所での赤畑さんの評判は極上で、少なくとも表面上は一点の曇りもない、今どきの若い娘さんにしてはとてもデキた人、といった感じらしい。

 実際、僕も色々なイベント会場で彼女がテキパキと、嫌な顔ひとつせず作業をしているところを目にしたことが一度や二度ならずあった。


 引越してきてから半年ほど経ったころ、僕は自治会役員さんから頼まれて、子供会主催の焼き芋大会の手伝いをすることになった。

 この役員さん、本来なら僕の引越し時の案内などを任されている立場なのだが、赤畑さんよりも遅れてやってきたために内容がほとんど被るというポンコツぶりだった。

 なかば押し付けられて役員をやっている事を考えれば仕方がない側面もあるのだけれど、独身で歳も近いからという理由で僕のところに代役を頼みにやってくるのは正直勘弁して欲しい。

 当日、朝から自治会の集会所に行くと、すでに他の役員さんや気の早い子供たちに混ざって、赤畑さんが芋を洗っているところだった。

「おはようございます。朝からご苦労さまです!」

 肩口まである髪を後ろに束ね、その上からバンダナを巻いていた。

 腕まくりをしたクリームイエローのトレーナーに、スリムフィットのジーンズ、そしてエプロン。

 なんというか、場馴れした感じのカジュアルな装いだ。

 何か手伝うことありますか、と口に出してから、しまった、僕は役員の代わりなんだから、赤畑さんに手伝ってもらっている立場なんだと気付いたけれど、彼女はニッコリと笑って、

「じゃあ、お芋を一緒に洗ってください。まだこんなにあるんです!」

 と言いながら、傍らにあるダンボール箱いっぱいに入った、泥の付いたサツマイモを指さした。

 聞けば、老人サークルの里山保存会が育てたもので、赤畑さんも早朝から芋掘りを手伝ってきたのだとか。見た目によらず体力があるひとなのか。

 芋を洗いながら、赤畑さんはずっと僕に話しかけ続けた。

 赤畑さんは普段常勤の仕事はしておらず、もっぱらボランティア活動や例の町議さんのお手伝いなどをしているらしい。

 彼女の家はお祖母さんの持ち家で、そのお祖母さんは高齢のため施設に移って久しいという。

 福祉関係の学校に通っていた頃からボランティア活動に熱心で、半ばライフワークになっているのだそうだ。

 今は定職には就いていないものの、以前常勤していた福祉施設で忙しい時のヘルプ要員として単発のシフトに入ったり、短期のパートのようなお仕事をすることで必要最低限の収入はあるらしい。

 家賃が掛からないから、何とかやっていけるのだとか。

 そんなこんなで忙しい日々を送っているため、三十路近く(アラサー)にもなって浮いた話のひとつもない、と笑う彼女は、自嘲気味ではあったけれど悲壮感は全くなかった。


 芋洗いを終えて、ドラム缶製の窯に芋を吊るして点火、しばらく手が空いたあとも、話は続いた。

 そういえば、と、かねてより疑問だった事を聞いてみることにした。

「町議さんのお手伝いって、どんな事をしてるんですか?」

「そうですね……まあ、色々ですよ。身近なところで気になることを伝えて、町議会の議題に挙げてもらったりすることもあるし、どこそこの雑草が道まではみ出しているのを伝えて業者を手配してもらったり。割と地味な事が多いですね」

「へえ。なんかこう、もっと政治的なお手伝いかと思ってました。秘書的な」

「そういうのは、党の方がされてますね。言っても、私自身は党員じゃありませんから。あくまで、住人と町の取次役みたいなものです」

 なんとなくだけど、そういうのは役場に直接談判に行ったり、ホームページから投書するような感じだと思っていたので、少し意外だった。

「ボランティアなんかで色んなところに顔を出していると、色々見えてくるんです。それをお伝えしてるだけですね。町政に熱心な人は、自ら勧んで意見を投げるんでしょうけれど、不安や不満があっても、大げさにしたくないとか、面倒くさいとかで、なかなか意見を言えない人も多いと思うんですよ。一人暮らしのお年寄りとか、社会的弱者の人、あと、声を上げることで身の危険を感じるという方もいらっしゃるから」

「身の危険?」

「ええと、例えば、DVから逃げてきたシングルマザーさんとか」

「ああ、なるほど」

「そういった方の相談に乗ったりすることも、たまにあります。議員さんはお忙しいので、私みたいに歳が近くて、独身で、基本いつでも家にいる女性って、話がしやすかったりするみたいです」

「それは、なんというか、ご立派ですね」

「いえいえ、とんでもない。本当に、好きでやってるようなものですから」

「そんなことはないでしょう。なかなか出来ることではないと思いますよ?」

「私は、ただの世話好きなお姉さんって感じなので、そういう人の役に立てるのが嬉しいんですよ。ただの地域住民の一人です。でも、そんな素人に相談する人なんていないでしょう? だから、町議さんの連絡所っていう看板を立てさせてもらって、信用を借りてる感じなんです」

 それはそうかもしれない。

 なんの権力も権限も持たない一般市民に相談に来るような人はいない。

 あの看板があることで、町議さん目当ての人はやってくるのかもしれない。

 でも、ネットなどで悪評のある党……それって、逆効果になったりしないのだろうか?

「私、党員じゃないから言っちゃいますけど、党の方全員が偏った政治思想で動いてる訳じゃないんですよ。あの人たちは、困った人を助けることを政治信条に掲げているので、案外身近なレベルでは頼りにされてる方も多いんです」

「……」

「でなければ、こんな田舎町とはいえ、議席を確保したりできないじゃないでしょうか」

 そりゃそうか。

 日頃困っていることを相談して、解決に向けて動いてくれる人がいれば、その人に投票するだろうし、そうした人が一定数いるから議席も確保できる。

 考えてみれば当然な話だ。

「私個人としては、この町も、国も、今の政治体制は少し偏っていると思うんですよね。日本の国旗と同じ、白が七分で(アカ)が三分。そのくらいがちょうどいいんじゃないかなって思います」

 あ、今「アカ」って言っちゃったよ、この人。

「確かに、こと国会議員さんは、悪目立ちする人が目立ちすぎていて、人気というか、支持を落としてると思いますけど、こと草の根ではとても頑張っている人が多いんですよ」

「そうなんですね。あまり興味がないから、知らなかったです」

「まあ、普通はそうですよ。知らなくても暮らしていけますもの」

 僕よりも若いのに、しっかりしている。

 漫然と日々を暮らしている僕自身と比べてしまい、なんだか少し心がザワッとした。

「じゃあ、ゆくゆくは町議さんになったりするんですか?」

「いえ? そんなことはないです。お仕事にしてしまうのは、ちょっと違うかなって思いますので」

「そうなんですか? 向いていそうなのに」

「お仕事にしてしまうと、もっと上の立ち位置に上がって、全体を見下ろす感じになりそうで。私は、身の丈にあったお手伝いが出来れば、それでいいので」

「はあ」

「私が目指しているのは、ズバリ『町政(ちょうせい)協力員(きょうりょくいん)』です!」

「町政協力員?」

 聞き慣れない言葉だった。

「町政協力員というのは、まあ、簡単に言えば自治会長です。地域住民と町との連携をお手伝いするお仕事です。非常勤の公務員という扱いなので、お給料も出ます」

「初耳です。そんなお仕事もあるんですね」

「あるんです! ただ、非常勤なので、お給料といっても年に12万円ほどなんですけどね」

「安ッ! と、すみません失礼でした」

「いえ、私もそう思いますから」

 そう言ってクスリと笑うと、

「そろそろ焼けてそうですね。開けてみましょうか?」

 そう言ってドラム缶の方へ歩いていき、蓋を開けた。

 煙と湯気がもわっと吹き出し、赤畑さんの眼鏡を曇らせた。


 焼き芋大会も終わり、冬の寒さが辺りに忍び寄ってきた土曜日の朝、赤畑さんの家の前に数台の車が路上駐車されていた。

 何事かとそっと覗いてみると、玄関の扉に「忌中」の張り紙がされていた。

 どうやら、赤畑さんのお祖母さんが亡くなったようだった。

 少し悩んだが、僕は急いで黒っぽい服に着替え、意を決して赤畑さんの家を訪ねた。

 玄関で、喪服を着た赤畑さんが出迎えてくれた。

 僕は、お祖母さん本人には一度もお会いしたことはなかったけれど、良ければ手を合わせさせてほしいと伝えると、彼女は、

「ありがとうございます。ぜひ、お線香をあげていってください」

 と言い、家に上げてもらうことになった。

 お祖母さんの趣味だろうか、若い女性が住んでいるにしては地味な印象を受ける部屋を横目に、奥の仏間に通された。

 小さな祭壇の前には、赤畑さんのご両親と思しきご夫妻と、お兄さんだろうか、僕とそう変わらない歳の男性がいて、僕を見るなり立ち上がって深く礼をしてきた。

 釣られるように、僕も礼を返す。

 お隣さんです、と軽く紹介をして、赤畑さんは列の端に座った。

 正直、こういった場の作法はあやふやだったが、祭壇前の座布団に正座して、お祖母さんの遺影を見た。

 お祖母さんの柔らかい笑顔は、どこか赤畑さんの笑顔に通じるものがあった。

 線香に火をつけ、振って火を消し、線香立てに挿したあと、手を合わせて深く黙祷した。

 それから親族の方を向き、深く頭を下げた。親族側もそれに合わせて礼を返してきた。

 顔を上げると、赤畑さんと目が合った。

 その目は少し赤かったけれど、泣いてはいない、気丈な様子が見て取れた。

 僕が席を立つと、赤畑さんも立ち上がって、玄関まで付いてきてくれた。

「会ったこともないおばあちゃんのために、わざわざありがとうございました」

「いえ……赤畑さんも、どうか気を落とされず……」

 気の利いたことのひとつも言えずに、僕は靴を履いた。

「お葬式は、こちらで?」

 と聞いたが、赤畑さんは伏せ目がちに

「お葬式は、親族だけで小さく済ませる予定なので……お心遣いだけ」

 そう答えた。

「そうですか……心よりお悔やみ申し上げます」

 それだけ言って、僕は赤畑さんのお宅を後にした。


 それからしばらく経ったある日、会社からの帰宅中に赤畑さんの家の前で彼女に遭遇した。

 日も暮れた時間帯に遭遇するのは珍しかったのだが、僕は声を掛けることにした。

「こんばんは」

「あ、今お仕事帰りですか? お帰りなさい。先日はお焼香、ありがとうございました」

「珍しいですね、どうしたんですか、こんな夜更けに?」

「……実は、近く引っ越すことになっちゃいまして」

「えっ?」

「ほら、ここっておばあちゃんの家なんですよ。おばあちゃん亡くなっちゃったから、母が相続して、売って遺産分与するみたいです」

「それは……」

「仕方ないですよ。おばあちゃん、あまり蓄えとかもなくって」

「だからって、そんな……」

「でも、私、この町が好きだから、どこか近くに住むところないかなって」

「え、引越し先、決まってないんですか!?」

「探してるところです。でも、手頃なところがなかなか見つからなくて……」

 赤畑さんは俯いて、手を後ろで組んだ。

「ちょっと色々あって、実家には帰りづらいんですよね……」

 少し困ったような笑顔を浮かべた彼女に、僕はこう答えた。

「あー、ひょっとしたら、良さげな賃貸物件を紹介できるかもしれません。ここから徒歩七分ほどなんですが……」


 ほどなくして、赤畑さん引越し当日。

 僕が手伝いをしようとお隣を尋ねると、既に十一人もの「運び屋」がそこにいた。

 畑からそのまま駆けつけたような格好の爺さん、抱っこ紐で幼児を抱いたお姉さん、どこか泰然とした雰囲気の漂うパーマ頭の女性(おばさんとおばあさんの中間くらいの見た目)、休日だというのにワイシャツにスラックス姿の青年、僕に焼き芋大会を押し付けた今年の自治会役員のおっさんなどなど。

 なんというか、赤畑さんの人望が伺えるメンバーだった。

 事前に赤畑さん本人から聞いた話では、

「近いし、持っていく荷物もそんなに多くないので、軽トラでも借りようかと」

 とのことだったが、実際には『農道のポルシェ』と渾名される軽トラックや、屋根の上にスピーカーを載せた軽ワンボックス(お察し)、側面に自治会名が書かれたアルミニウム製のリヤカーまであり、これピストン輸送どころか一度で運びきれるんじゃないか、という構成だった。

 結局、正午を待たずに荷運びは終了して、「泰然としたおば(あ)さん」の鶴の一声で近所の蕎麦屋に昼飯を食べにいくことになった。

 蕎麦屋に着いても、まだ驚きが待っていた。入口に掛かった「本日貸切」の張り紙。

 誰だ予約したの。

 普段なら四人掛けが並んでいそうな店内は、その日はテーブルが寄せられ、巨大な長テーブルと化していた。運び屋十二人が向かい合わせに座り、赤畑さんはおば(あ)さんに促されて、今日一番あたふたしながらお誕生日席へ。

 なんだか可愛らしい。

 大将の「引越し蕎麦は昔っから『盛り』と決まっている」との言葉で、全員で盛り蕎麦を注文すると、しばらくして全員分の蕎麦が長テーブルを埋め尽くした。

 子供を抱えたママさんが大将の奥さんに頼んで撮ってもらった集合写真は、赤畑さんを囲む十二使徒のようだった。

 蕎麦屋なのに無駄に神々しい。

 ちなみに、この若ママさんとおば(あ)さんは、ほとんど荷物を運んでいない。

 どうやら、放っておくと無理して大物家具などを運ぼうとする赤畑さんを止めるためのストッパー役だったらしい。

 まるで事前に打ち合わせていたかのようなチームプレイだった。


「本日は、引越しのお手伝い、ありがとうございました。本当に助かりました。引越し先も近いので、また皆さんとお会いすることも多いかと思います。そのときは、どうぞよろしくお願いします。それでは、いただきましょう!」

 という挨拶の後、皆で一斉に蕎麦をすする。

 ちょっとシュールな光景だったが、大将だけは厨房でうん、うんと頷いていた。

 それから、店の中はガヤガヤと騒がしくなった。

 本人も言う通り、引越し先が近所ということもあり、悲壮な感じはまったく無かった。

 みんなが和気あいあいと談笑する中、末席に座った僕に、ポルシェオーナーの爺さんが話しかけてきた。

「引越し先のアパートって、兄ちゃんの紹介だって?」

「ええと、実は今の家に越してくる前に僕が住んでたんですよ」

「てことは、あれか、合鍵とか持って……」

「ません。部屋を出たあと、鍵は交換されてるはずですから」

「……チッ」

 今、舌打ちしたか、この爺さん。

「まあ、いいやな。ともあれ、引越し先を近くに見つけてくれたのは感謝だな」

「……」

「これが、県外にでも引越された日にゃあ、こっからの短い老い先でもう会えねえかも知れねえからな」

「……ええと」

「赤畑さんにゃあ、色々と世話になったからなあ。せめて嫁に出るまでには恩を返さねえとな。さて、ワシがくたばるのとどっちが早いか……」

「聞こえてますよ!?」

 と、急須を片手に赤畑さんがやってくる。

「赤畑さん、ワシ、ビールがいいんだけど」

寺井(てらい)さん、今日トラックじゃないですか」

「だーいじょうぶ、この若いのが代わりに運転してくれるって。なあ?」

「……すみません、僕、オートマ限定なんです……」

 とまあ、終始こんなノリで、赤畑さんの引越しが終わった。


 さて。住人のいなくなった隣の家だが、次の住人はすぐに決まった。

 赤畑さんが転居して一ヶ月ほどして、新しい住人が挨拶に来た。

 赤畑さんの引越しのときに手伝いに来ていたおば(あ)さんだ。

 名前を聞いて、何かがストンと胸に落ちた気がした。それは、赤畑さんの家の門の脇に立っていた、町議さんの看板に書かれた名前と同じだったからだ。

「あなたが、赤畑さんの家を買われたんですか?」

 そう問うと、おば(あ)さん改め町議さんはこう話し始めた。

「私ね、十五年くらい前かしら、主人が亡くなって、それなりの遺産を相続したの。それまでは、共働きで働いていたのだけど、なんだかすっかりやる気を無くしてしまって、仕事はそれっきり辞めてしまって……毎日、何もしないで悲嘆に暮れていたわ。これからどうしよう、って」

「それでも、なにかしなくっちゃと思って、でもお仕事をする気にはなれなくて。だから、やりたいときにだけやれる、ボランティアを始めたの」

「今までにやったことのないことをやるのは、ちょっと気を紛らわせるのにうってつけだったの。それで、どんどんとボランティアにはまっていったんですよ。幸い、お給料をいただかなくても暮らしていくには多すぎるくらいのお金はあったから」

「言い方は悪いけど、中年のおばさんの道楽だったのかもしれないわね」

「そうして、人助けすることに喜びを感じるようになったころ、一つの転機が訪れた。私がお世話をしていたお年寄りたちがとても困ってしまうような条例が町議会で可決されたの」

「お年寄りの人たちは、これからどうしよう、って、可哀想なくらい落ち込んでしまって」

「それを見て、腹が立ったわ。本当に頭にきた」

「『おこ』よ、『おこ』。激おこ……なんだったかしら。まあいいわ。とにかく」

「だから、次の町議会選挙に立候補したの。ご存知かしら、町議会議員って、国会議員と違って立候補するのに供託金とか要らないの。立候補するだけならほとんどタダみたいなものなの」

「で、素人ながら手探りで選挙活動をしたわ。そうしたら、当選しちゃったのよ。お世話をしていた人たちが私に投票してくれたのね」

「私は議員になった。最初は無所属。でも、例の条例を提起したのは多数派の派閥で、そこと対立するために、私は今の党に入ることにしたわ。それで嫌な顔をする人もいたけれど、ほとんどの人はそれでもいいって、支持してくれたんですよ」

「それから、最初の任期が終わるまでに、例の条例はなんとか廃止に持っていけたんですよ。だから、本当はそこで辞めてもよかったんだけど……町議をしながらいろんな人と協力してボランティア活動も続けていくうちに、私のところにボランティアに来てくれる人ができてしまった」

「それが、赤畑さん」

「あんまり詳しい事情を聞いたことはなかったけれど、彼女は多分お祖母さんのためにボランティアをしていたんじゃないのかなって思うの」

「すごく頑張り屋で、まじめで、気が利いて。とてもボランティアに向いている()だったわ」

「でも、赤畑さんを見ていて、なんだか危うさを感じたの。議員になる前の私みたいだったから」

「人助けをすることに対して、義務感を持っているような、そんな感じがしたの」

「人助けは、良いことよ。言うまでもなく。でもそれは、他人のためだけではなく、自分のためにもなっていなくては、いつか歪な形になってしまうと思うの。まあ、これは私の経験則なのだけど」

「赤畑さんは、その点で危うい。ボランティアのために仕事を減らして、自分のことを後まわしにして、それが、それこそが自分の幸せだと思い込んでる」

「そんな時に、お祖母さんが亡くなって、家も出なくてはならなくなって。このままでは、赤畑さんの中の何かが音を立てて折れてしまうんじゃないかって」

「だから私、赤畑さんのお母さんにご連絡して、家を買いたいってお伝えしたわ」

「現金一括よ、凄いでしょう?」

「でね、赤畑さんにこういったの。『ボランティアは控えめにして、ちゃんと仕事をしてお金を稼いで、私が死ぬまでに私から家を買い戻しなさい。それまで、家は大事に預かっておくから』って」

「きっと、赤畑さんなら、すぐにお金を貯めて私のところに来ると信じているわ」


 赤畑さんは、それからも休みの日には隣の家に来て、町議さんのお手伝いをしているようだった。

 時々顔を見かけて挨拶をすると、とても元気そうな笑顔を見せてくれた。

 そうして、そう遠くない未来。

 赤畑さんは再び「となりの赤畑さん」になり、最終的には「うちの(旧姓)赤畑さん」になったのだけれど、それはまた別のお話。

(了)

構想では、お隣のお姉さんはもっとバリバリの共産主義者(アカ)で、過激思想を垂れ流すというギャグっぽい作品を目指していましたが、色々差し障りがありそうだったので大分マイルドに仕上げました。


ちなみに、文中で「町議会議員の供託金はタダ」と書きましたが、2020年の公選法改正で現在は15万円となっているそうです。

この話を読んで町議会議員に立候補する人がいるかどうかは分かりませんが、その点ご注意ください。

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