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第七話:風に乗ってきた訪問者

昨夜、三枚目の羽根を桐の箱に仕舞ってから、結局明け方までほとんど眠れなかった。隣で眠るコッコの寝息だけが、静かな社務所に響いていたけれど、その寝息すらどこか浅く、時折唸るような声が混じるのが気になって仕方がなかったのだ。あの羽根の持ち主は、一体何者なのか。そして、何を目的としてこの鶏石神社に近づいているのか。考えれば考えるほど、不安ばかりが募っていく。


それでも朝はやってくる。そして、コッコの体内時計は、ほのかの睡眠不足などお構いなしに正確だ。

「ほのかー! 朝コッケー! 今日はいい天気コケー!」

いつも通りの、しかし今日のほのかにとっては少しだけボリュームが大きく感じられる声で、コッコは障子の外から呼びかけてきた。

「……はいはい、おはよう、コッコちゃん……」

重い体を起こし、縁側に出ると、コッコはすでに日の出の方向を向いて胸を張っていた。けれど、今日の彼女はただ朝日を浴びているだけではない。くんくんと鼻を動かし、時折ぴくりと耳(の辺りの髪)を立てて、周囲の気配を探っているような仕草を見せる。昨日までの出来事が、コッコの本能的な警戒心を刺激しているのは明らかだった。

「コッコちゃん、何か感じる?」

ほのかが小声で尋ねると、コッコは首を傾げた。

「うーん……なんか、いるような、いないような……? へんな感じコケ。昨日よりも、もっと近くにいる感じ……?」

「近くに……」

その言葉に、ほのかの心臓がどきりと跳ねる。気のせいであってほしい、と願いながらも、無視できない予感が胸を占めていた。


朝食を済ませ、いつも通りの日課をこなそうとしたが、どうにも集中できなかった。掃き掃除をしていても、ふとした物音にびくりとし、何度も神社の入り口である石段の方に視線を送ってしまう。コッコも、いつもならミミズ探しに夢中になるはずなのに、今日はどこか落ち着きなく、時折立ち止まっては空を見上げたり、地面の匂いを嗅いだりしている。

「大丈夫よ、コッコちゃん。何かあったら、私がいるから」

不安そうなコッコの頭を撫でてやると、少しだけ安心したように擦り寄ってきたが、警戒心は解けていないようだった。


その日の昼下がり。天気は良く、穏やかな風が吹いていた。ほのかは溜まっていた洗濯物を境内の物干し竿に干していた。コッコはその隣で、洗濯ばさみで遊んだり、飛んでいるモンシロチョウを追いかけたりしていたが、やはりどこか上の空だ。

その時だった。

ざわり、と境内の木々が大きく揺れた。いつもより少し強い、突風のような風が吹き抜ける。洗濯物がばたばたと音を立て、ほのかは慌てて押さえた。そして、その風に乗って、ふわりとあの香りが鼻をかすめた。甘くて、スパイシーで、薬草のような、不思議な香り。昨日よりもずっとはっきりと。

「……この匂い……!」

ほのかが顔を上げると、隣にいたコッコもぴたりと動きを止め、鼻をひくひくさせている。

「きのうの、へんな匂いコケ! こっちから来るコケー!」

コッコが指差したのは、神社の入り口、石段と鳥居のある方角だった。

ほのかは息を呑み、そっとそちらに視線を向ける。すると、鳥居の向こう、石段の下あたりに、ゆらりと人影が現れたのが見えた。

背はほのかと同じくらいだろうか。ゆったりとした、濃い紫色のローブのようなものを頭からすっぽりとかぶり、顔はよく見えない。その人物は、何かを探すように左右をきょろきょろと見回しながら、お世辞にもしっかりしているとは言えない足取りで、石段を登り始めていた。一歩一歩が、どこか危なっかしい。

「……誰……?」

ほのかは物干し竿の陰に隠れるようにして、コッコの腕をそっと引き寄せた。コッコも、珍しく声を上げることなく、じっとその人物を見つめている。警戒しているのは間違いないが、昨日羽根を見た時のような明確な拒否反応とは少し違う。むしろ、強い好奇心と、わずかな困惑が混じっているような表情に見えた。

人物は、なおも左右を見回しながら、ゆっくりと石段を登ってくる。手には、木の杖のようなものを持っている。そして、足元がおぼつかないせいか、時折バランスを崩しかけている。

(危ない……)

ほのかが見守る中、あと数段というところで、その人物は苔の生えた石に足を滑らせた。

「あっ!」

「わわっ!?」

短い悲鳴とともに、人物は派手な音を立てて石段の上に転がってしまった。ごろごろと数回転がり、うつ伏せの状態でぴたりと止まる。持っていた杖は手から離れ、ローブのあちこちから、小さな包みや、何かの植物の束、そして、きらきらと光る石のようなものや、見たこともない形のガラス瓶などが、ざらざらと地面に散らばってしまった。

そして、ほのかはその中に、見覚えのあるものを見つけた。

深い藍色に、七色の光沢。――あの、不思議な羽根だ。数枚、他の荷物に紛れて地面に落ちている。

間違いない。この人が、あの羽根の持ち主。

ほのかはコッコと顔を見合わせた。どうしよう。助け起こすべきか、それとも……。

しかし、転んだ人物は「うぅ……い、痛たたた……」と呻き声を上げているだけで、なかなか起き上がろうとしない。さすがに放っておくわけにもいかないだろう。

ほのかは意を決して、物干し竿の陰から姿を現した。

「あ、あの……大丈夫ですか?」

恐る恐る声をかけると、うつ伏せになっていた人物は、ゆっくりと顔を上げた。ローブのフードがずれ、その素顔が現れる。

年の頃は、ほのかと同じくらいか、少し上だろうか。大きな丸い眼鏡をかけた、そばかすの散った顔。少し癖のある栗色の髪が、フードから覗いている。目元は少し赤くなっていて、どうやら転んだ時に打ったらしい。全体的に、どこか頼りなげで、少し間の抜けたような印象を受ける女性だった。

「あ……えっと……はい、だ、大丈夫……だと思います……。ちょっと、派手に転んでしまったみたいで……あはは……」

女性は困ったように笑いながら、よろよろと体を起こそうとする。ほのかは慌てて駆け寄り、その腕を支えた。

「無理しないでください。どこか打ちましたか?」

「いえ、たぶん、打撲くらい……だと……。ありがとうございます、助かります……」

女性はほのかに支えられながら立ち上がると、散らばった荷物を見て、はぁ、と大きな溜息をついた。

「もう、またやっちゃった……。師匠に怒られる……」

ぶつぶつと何かを呟きながら、慌てて荷物を拾い集め始める。その手つきもどこか危なっかしく、拾ったと思ったら別のものを落としたりしている。ほのかは黙ってそれを手伝い始めた。コッコも、おずおずといった様子で近づいてきて、落ちていた光る石を拾い上げ、じっと見つめている。

「あ、ありがとう……君も……」

女性はコッコに気づき、少し驚いたような顔をしたが、すぐににこりと笑いかけた。

荷物をあらかた拾い集め終わると、女性は改めてほのかに向き直った。

「本当に助かりました。私、ちょっと道に迷ってしまって……。というか、探し物をしていて……」

そう言って、女性は地面に残っていた一枚の羽根を拾い上げた。あの七色の羽根だ。

「あの、もしかして、こういう綺麗な羽根、この辺りで見かけませんでしたか? いくつか、風で飛ばしてしまったみたいで……」

やはり、この人が持ち主だった。ほのかは警戒心を解かずに、しかし嘘をつくこともできず、正直に答えることにした。

「……はい。いくつか、拾いました。昨日と、一昨日……」

「本当ですか!?」

女性は、ぱあっと顔を輝かせた。その表情は、まるで宝物を見つけた子供のようだ。

「よかったぁ……! 本当によかった……! あの羽根がないと、ちょっと……いや、かなり困るんです!」

そう言って、ほっと胸を撫で下ろしている。その様子からは、少なくとも悪意のようなものは感じられない。どちらかというと、少しドジで、慌てん坊な人のように見える。

「あの、もしよろしければ、中でお茶でも……。羽根も、そこに保管してありますから」

ほのかがそう提案すると、女性はぱっと顔を上げ、少し驚いたようにほのかと、その隣にいるコッコを交互に見た。

「え……? あ、はい! 是非! 助かります! 実は、喉も渇いていて……あ、えっと、わたくし……」

名前を名乗ろうとして、女性は一瞬口ごもり、何かを思い出したように慌てて首を振った。

「……リリア、と申します。旅の……えーっと、薬草の研究をしている者です。以後、お見知りおきを……」

少しぎこちない自己紹介に、ほのかは内心で首を傾げた。薬草研究家、ねぇ……。散らばった荷物の中身や、あの羽根のことを考えると、どうもそれだけではない気がするけれど。

ひとまず、ほのかはこの不思議な訪問者を社務所へと案内することにした。コッコは、リリアと名乗った女性の持つ杖や、ローブのポケットから覗く奇妙な道具に興味津々な様子で、警戒しながらも、その周りをうろうろとついてきている。

これから、一体どうなるのだろうか。

ほのかは、一抹の不安と、ほんの少しの好奇心を胸に、リリアを社務所の古びた木の扉へと招き入れた。鶏石神社の穏やかだった午後は、この風に乗ってきた訪問者によって、新たな局面を迎えようとしていた。

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