第四話:コッコ語とトウモロコシごはん
鶏石神社の朝は、相変わらずコッコの元気な声で始まる。
しかし、今日のコッコは朝ごはんを食べ終えると、そわそわと落ち着かない様子で縁側を行ったり来たりしていた。
「どうしたの、コッコちゃん? 何か気になることでもあるの?」
ほのかが声をかけると、コッコはぴたりと足を止め、境内の隅にある鶏小屋の方をじっと見つめた。
「……みんな、元気かなって思ってコケ」
「みんな」とは、もちろん鶏小屋にいる他のニワトリたちのことだ。人間になってからというもの、コッコはかつての仲間たちと微妙な距離感を保っていた。
「会いに行ってみたら? きっとコッコちゃんのこと、待ってるよ」
ほのかが促すと、コッコは少し迷った後、こくりと頷いて鶏小屋へと歩き出した。
ほのかは心配になって、こっそり後をついていく。
鶏小屋の金網の前に立ったコッコは、中を覗き込み、大きく息を吸い込んだ。そして――。
「コケコッコー! みんな、元気コッケー!? わたしコッコー! コッコだコッケー!」
人間になった少女の声で、全力のニワトリ語(?)を発したのだ。
小屋の中のニワトリたちは、突然の奇妙な呼びかけに一瞬キョトンとし、次の瞬間、警戒したようにバタバタと羽ばたき、小屋の奥へと散っていってしまった。
「あ……」
コッコは呆然とその様子を見つめている。明らかにショックを受けているようだ。
「……みんな、わたしのこと忘れちゃったコケ……?」
しょんぼりと肩を落とすコッコに、ほのかはそっと近づいた。
「忘れちゃったわけじゃないと思うよ。ただ、今のコッコちゃんの姿と言葉に、びっくりしちゃっただけだって」
「人間の言葉じゃ、ダメコケ……?」
「うーん、どうだろうね……。でも、今のコッコちゃんは人間なんだから、人間の言葉で話すのが自然じゃないかな?」
ほのかはコッコの手を取り、社務所へと戻った。
少し落ち込んでいるコッコを見て、ほのかは何か気分転換になることをしようと考えた。
「そうだ、コッコちゃん。少しだけ、人間の言葉の練習してみる?」
「にんげんのことば……?」
「そう。例えば、自分の名前を書けるようになったら、ちょっとかっこいいかもよ?」
「かっこいいコケー!?」
単純なコッコは、すぐに興味を示した。ほのかは紙と鉛筆を用意し、まず「こっこ」とひらがなで書いて見せた。
「これが、コッコちゃんの名前だよ。真似して書いてみて」
「こうコケ?」
コッコは小さな手で一生懸命鉛筆を握りしめ、紙の上にミミズがのたくったような線を描き始めた。真剣な表情だが、すぐに飽きてしまったのか、鉛筆の先で紙をつつき始めたり、消しゴムを不思議そうに眺めたりしている。
「こらこら、集中して。まずは一本の線から……」
「線……ミミズさんみたいコケー……」
「ちがいます」
結局、文字の練習は早々に切り上げることになった。どうやら、元ニワトリに読み書きを教えるのは、思った以上に根気がいる作業らしい。
「ふぅ……。お勉強はまた今度にしようか。お腹、空かない?」
「空いたコケー! ぺこぺこコケー!」
待ってましたとばかりに、コッコはお腹をさする。ほのかは苦笑し、台所へと向かった。
「今日のお昼ごはんはね、コッコちゃんの大好きなアレを使おうかな」
「アレ……? もしかして……!」
コッコの目がキラキラと輝く。
「そう、トウモロコシご飯だよ!」
「わーい! トウモロコシご飯! 大好きコケー!」
ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶコッコ。ほのかは昨日買ってきたトウモロコシを取り出し、コッコに皮むきを手伝ってもらうことにした。
「この薄い皮を、一枚ずつむいてくれるかな? ヒゲも取ってね」
「わかったコケー!」
今度のお手伝いは楽しいらしく、コッコは夢中でトウモロコシの皮をむき始めた。ぷちぷちと実をつまみ食いしそうになるのを、ほのかが慌てて止めたりもしながら、なんとか下準備が終わる。
炊飯器にお米と、ほぐしたトウモロコシ、少しのお酒とお塩を入れてスイッチオン。炊きあがるまでの間、部屋に広がる甘くて香ばしい匂いに、コッコはそわそわと落ち着かない。
そして、待ちに待ったお昼ごはんの時間。
ほかほかと湯気の立つトウモロコシご飯が、お椀によそわれる。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただくコケー!」
コッコは目を輝かせ、スプーン(まだお箸は上手に使えない)でトウモロコシご飯を大きな口いっぱいに頬張った。
「ん~~! おいしいコケー!! 甘くてプチプチするコケー!」
「ふふ、よかった」
夢中で食べるコッコの姿は、見ているだけで幸せな気持ちになる。ほのかも自分の分を口に運び、トウモロコシの優しい甘さを味わった。
縁側に座り、穏やかな日差しの中で食べる、ほかほかのトウモロコシご飯。さっきまでのニワトリ語の失敗や、お勉強の苦労も、なんだか些細なことに思えてくる。
「ほのかのごはん、世界一おいしいコケー!」
「ありがとう。たくさん食べてね」
食事が終わると、満腹になったコッコは、いつものように縁側にごろんと横になり、すぐにすぅすぅと寝息を立て始めた。口元には、まだトウモロコシの粒がついていて、なんとも間の抜けた寝顔だ。
(ニワトリの言葉は通じなくても、美味しいごはんはちゃんと伝わるんだな……)
ほのかは、コッコの頭のアホ毛をそっと撫でた。
人間になるって、きっとコッコにとっても大変なことなんだろう。言葉も、習慣も、何もかも違うのだから。
(焦らなくてもいいか。ゆっくり、少しずつ、ね)
ほのかは、眠るコッコの隣に静かに座り、読みかけの本を開いた。
優しい風が、二人の間を吹き抜けていく。
鶏石神社には今日も、騒がしくも温かい、そして少しだけ美味しい匂いのする時間が流れていた。