第三話:鶏小屋のボスと、魅惑のたまごかけごはん
鶏石神社の朝は早い。しかし、誰よりも早く朝の訪れを告げるのは、境内の鶏たちでも、ましてや東の空が白み始めることでもなく、コッコの元気な声だった。
「ほのかー! 起きる時間コケー! もうすぐ太陽さんが出てくるコケー!」
時計を見ると、まだ日の出には少し時間がある。しかし、コッコの体内時計は驚くほど正確で、彼女が「もうすぐ」と言えば、本当にあと数分で空が明るみ始めるのだ。ニワトリ時代の習性が、こんな形で役立っている(?)らしい。
「はいはい、おはよう……。コッコちゃんのアラームは正確だねぇ」
眠い目をこすりながら縁側に出ると、コッコはすでに胸を張って東の空を眺めていた。その姿は、まるで夜明けを告げる役目を誇っているかのようだ。
朝食後、ほのかは日課である鶏小屋の掃除と餌やり、そして卵の回収に向かった。もちろん、コッコも「お手伝いするコケー!」と、ぴょこぴょこと後をついてくる。
鶏小屋に近づくと、中にいる十数羽の鶏たちが、一斉にこちらに注目した。コッコが人間の姿になってからというもの、鶏たちはこの元仲間(?)に対して、どこか警戒しているような、それでいて遠巻きに様子をうかがっているような、微妙な態度をとるようになっていた。
「みんな、おはようコケー! 元気コケー?」
コッコは柵越しに、まるで旧知の仲間に話しかけるように、鶏たちに声をかけた。返ってくるのは、もちろん「コッコッコッ」という鳴き声だけだ。
「ほら、コッコちゃん。危ないからあんまり近づかないでね。つつかれちゃうかもしれないから」
「だいじょうぶコケ! わたし、前はここのボスだったからコケー!」
「えっ、そうなの!?」
初耳の事実にほのかは驚いた。確かに、コッコは他の鶏(特に名古屋コーチン)と比べても少しだけ体が大きく、活発だった気がする。
コッコは、柵の中を威風堂々と歩く一羽の大きな雄鶏を指差した。
「あいつ、シロスケ! いつもわたしのごはん横取りしようとしてたコケ!」
さらに、隅っこで小さくなっている雌鶏を見て、
「あの子はタマちゃん。いつもシロスケにいじめられてたから、わたしが守ってあげてたコケ!」
と、まるで人間関係を語るように解説してくれる。鶏語が分かるのか、あるいは一方的にそう思っているだけなのかは不明だが、その様子はなんともシュールだ。
ほのかが小屋の中に入り、卵を一つ一つ丁寧に集め始めると、コッコは興味深そうにその手元を覗き込んだ。まだ温かい、産みたての卵だ。
「卵いっぱいコケー! きれいな色コケー!」
「そうだね。みんな頑張って産んでくれたんだよ」
ほのかがカゴに集めた卵を見て、コッコは自分の手のひらをじっと見つめた。
「わたしも、昔はこれを……ぽこって……」
「……(やっぱり自覚あったんだ……)」
どこか不思議そうな、それでいて他人事のような口調のコッコに、ほのかは内心でツッコミを入れるしかなかった。
集めた卵を持って母屋に戻ると、ちょうどお昼ご飯の時間だった。
「ほのか、お腹すいたコケー! 今日のお昼はなにコケー?」
「ふふ、今日はね、採れたての卵で、とびきり美味しいものを作ってあげる」
ほのかが用意したのは、炊きたての白いご飯と、先ほど採ってきたばかりの新鮮な卵。そして、醤油。そう、シンプルにして至高の「卵かけごはん」だ。
「わー! TKGコケー!」
どこで覚えたのか、コッコは目を輝かせて叫んだ。小さな茶碗にご飯をよそい、真ん中にくぼみを作る。そこに、ぷりんと黄身が盛り上がった新鮮な卵を割り入れた。
「ほら、お醤油を少しかけて、よーく混ぜて食べるんだよ」
「まぜまぜ……まぜまぜ……」
コッコは小さな手で一生懸命お箸を使い、ご飯と卵を混ぜ合わせる。黄金色に輝くご飯を、大きな口でぱくりと頬張った。
「んーーーー! 美味しいコケー!!」
至福の表情で、あっという間に一杯目を平らげ、すぐさま「おかわりコケー!」と茶碗を差し出す。その見事な食べっぷりに、ほのかは苦笑しながらも、おかわりをよそってやった。
ふと、ほのかは疑問に思ったことを口にした。
「ねぇ、コッコちゃん」
「なんコケー?」もぐもぐ。
「その卵、さっきまで鶏小屋にあったやつだよね。もしかしたら、コッコちゃんがニワトリだった時に産んだ卵かもしれないのに……よく平気で食べられるね?」
ほのかの(ある意味、核心を突いた)質問に、コッコはきょとんとした顔で首を傾げ、ご飯を飲み込んでから、にぱっと笑って答えた。
「だって、美味しいんだもん! 美味しいものは美味しいコケ! それに、今はもう人間コケー!」
そのあまりにも単純明快、かつ力強い肯定に、ほのかは脱力した。そうだ、この子に難しいことを考えても仕方がないのだった。目の前の美味しいものに全力。それがコッコなのだ。
午後は、縁側で日向ぼっこ。コッコは膝を抱えて座り、庭先で餌をついばむ鶏たちを、どこか不思議そうな顔で眺めていた。
「どうしたの? みんなが気になる?」
ほのかが隣に座って声をかけると、コッコは小さく頷いた。
「なんだか、むかしのこと、少し思い出すコケ……」
「昔のこと?」
「うん。朝早く起きて、みんなでごはん食べて、お昼寝して……。あ、でも、あの屋根の上、登るの楽しかったコケ!」
コッコは鶏小屋の屋根を指差した。ニワトリ時代は、よく器用にあの屋根に飛び乗って、得意げに下を見下ろしていたのをほのかも覚えている。
「人間になって、できなくなったこともあるコケ。でも、ほのかの作るごはんは美味しいし、お布団で寝るのはふかふかだし……今のほうが楽しいコケ!」
そう言って、コッコはへへっと笑った。
その屈託のない笑顔に、ほのかもつられて微笑む。
元ニワトリの女の子との生活は、驚きとシュールさに満ちているけれど、確かな温かさもそこにはあった。
「さ、そろそろ夕飯の支度しなきゃね。今日は、畑で採れたナスとトマトを使おうか」
「やったー! 食べるコケー!」
食いしん坊な声が、夕暮れ時の静かな神社に響き渡る。
美味しいごはんの匂いと、賑やかな声。鶏石神社に訪れた、ささやかだけど大きな変化。
ほのかとコッコの、お腹が空く日常は、これからも続いていく。