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第一話:朝コッケーと掃き掃除と、ときどきミミズ

あの衝撃的な出会いから、数日が経った。

ほのかの日常は、けたたましい「コッケー!」という鳴き声……ではなく、少女の声で幕を開けるようになった。


「ほのかー! 朝コッケー! 起きてコッケー!」


今日も今日とて、太陽が昇りきるよりも早く、コッコの元気な声が静かな神社の境内に響き渡る。障子越しに聞こえるその声に、ほのかは布団の中で重たい溜息をついた。目覚まし時計が鳴る前に叩き起こされる生活にも、少しだけ、ほんの少しだけ慣れてきた自分がいることに気づき、さらに溜息が深くなる。


「はいはい、起きてるよ、コッコちゃん……。もうちょっと静かにね? ご近所迷惑になるから」

「だいじょうぶコケ! ニワトリさんはもっと大きな声で鳴いてたコケ!」

「それはニワトリさんだから許されるの!」


寝ぼけ眼をこすりながら縁側に出ると、そこにはすでに元気いっぱいのコッコが立っていた。相変わらず、申し訳程度に白布を巻いただけの姿だ。何度か子供服を引っ張り出して着せようとしたのだが、「動きにくいコケー!」とすぐに脱いでしまう。頭のトサカ風アホ毛が、朝日を浴びてぴょこぴょこ揺れている。


「ほのか、お腹すいたコケー! 朝ごはんまだコケー?」

「はいはい。その前に、まずは境内のお掃除を手伝ってくれるかな?」

「お掃除! やるコケー!」


目をキラキラさせて、コッコは小さな箒を手に取った。最初は物珍しさからか、張り切って落ち葉を掃き集めてくれるのだが、その集中力は残念ながら長続きしない。


掃き掃除を始めて十分もしないうちに、コッコの動きがぴたりと止まった。視線は地面の一点に集中し、くりくりとした瞳が何かを捉えている。そして、次の瞬間。


「あ! ミミズさん発見コケー!!」


箒を放り投げ、コッコは地面を素早くつつくような動きで駆け出した。落ち葉の下から顔を出した、小さなミミズを追いかけているのだ。右へ左へ、ぴょこぴょこと跳ねるように追いかける姿は、人間というより、やはりまだニワトリに近い。


「こらー! コッコちゃん! 掃除の途中でしょうが! ミミズさんは食べちゃダメだって言ってるでしょ!」

「でも美味しそうコケー!」

「ダメなものはダメ! ほら、ちゃんと箒持って!」


ほのかはハァと溜息をつきながら、逃げ惑うミミズとそれを追いかける元ニワトリの女の子、というシュールすぎる光景を眺める。これがここ数日の日常なのだから、慣れとは恐ろしい。結局、ミミズはコッコの追跡を振り切り、土の中へと逃げていった。残念そうに唇を尖らせるコッコに、ほのかは改めて箒を手渡す。


「まったく……。ほら、こっちの落ち葉も集めてね」

「はーいコケ……」


少ししょんぼりしながらも、コッコは再び掃き掃除を始めた。その素直さは、彼女の数少ない(?)美点かもしれない。


掃除が終わり、ようやく朝ごはんの時間。食卓には、炊きたてのご飯と味噌汁、そしてコッコの大好物である卵焼き(もちろん神社の鶏たちが産んだ新鮮な卵だ)が並ぶ。


「わーい! 卵焼きコケー!」


目を輝かせ、コッコはものすごい勢いでご飯と卵焼きをかき込んだ。その食べっぷりは見ていて気持ちがいいほどだが、もう少しおしとやかに、とは望むべくもないだろう。ほのかは苦笑しながら、自分もお箸を進めた。


朝食後、ほのかが社務所の仕事を少ししていると、石段を登ってくる足音が聞こえた。近所に住む、信心深いおばあさんだ。いつもお米を一握り、お賽銭として持ってきてくれる。


「こんにちは、ほのかちゃん。今日も精が出るねぇ」

「こんにちは、スズキさん。いつもありがとうございます」


おばあさんはにこやかに挨拶し、賽銭箱にお米をパラパラと入れた。その瞬間。


「お米コケー!!」


今まで縁側で大人しく(?)していたはずのコッコが、弾かれたように走り寄り、賽銭箱に手を突っ込もうとしたのだ。


「こらっ! コッコちゃん!」


ほのかは間一髪でコッコの腕を掴んだ。


「ダメでしょ! それは神様への捧げものなの! 食べちゃダメ!」

「だって、お米……美味しそう……」

「ダメったらダメ!」


口を尖らせてお米を凝視するコッコと、それを必死で制止するほのか。突然の出来事に、おばあさんは目を丸くしている。


「あらあら、ほのかちゃん。その子は?」

「あ、えっと、その……うちの、えーっと、居候? みたいな……ちょっと変わった子でして……すみません、お見苦しいところを……」


しどろもどろになるほのか。コッコの存在をどう説明したものか、まだ答えは出ていない。幸い、おばあさんはおおらかな人だった。


「ふふ、元気な子だねぇ。鶏石神社の神様も、賑やかなのはお好きかもしれんよ。ほれ、坊や、これはお食べ」


そう言って、おばあさんは懐から小さなお煎餅を取り出し、コッコに手渡した。


「わーい! ありがとうコケー!」


さっきまでの不満顔はどこへやら、コッコは満面の笑みでお煎餅を受け取り、さっそくバリバリと食べ始めた。その単純さに、ほのかはまたも溜息をつく。おばあさんはそんな二人を微笑ましそうに見て、手を合わせてから帰っていった。


「まったく、コッコちゃんは……心臓に悪いよ……」

「お煎餅おいしいコケー!」


ほのかの心配をよそに、コッコはお煎餅にご満悦だ。


午後になり、日差しが暖かくなってきた頃。

コッコは案の定、縁側の一番日当たりの良い場所にごろんと寝転がり、ひなたぼっこを始めた。目を細めて、実に気持ちよさそうだ。時折、小さく「くぅ……」と寝息のような声が聞こえる。その姿は、まるで日向で丸くなっている猫か、あるいは……そう、ニワトリそのものだ。


(本当に、中身はまだニワトリなんだなぁ……)


ほのかはそんなコッコの隣にそっと座り、読みかけの本を開いた。静かな時間が流れる。鳥のさえずり、風が木々を揺らす音、そしてコッコの穏やかな寝息。


しばらくして、ふと隣を見ると、コッコがうつらうつらと舟を漕ぎ始めていた。頭がカクン、カクンと揺れている。


(あ、危ない……)


そう思った瞬間、コッコの体が大きく傾ぎ、頭から縁側の外、地面に向かって落ちかけた。


「わっ!?」


ほのかは慌ててコッコの体を支えた。


「んみゅ……? ほのか……?」


眠そうな目をこすりながら、コッコは何が起こったのか分かっていない顔をしている。


「もう、危ないでしょ! 縁側で寝るなら、ちゃんと座布団敷いてあげようか?」

「んー……ふかふか……?」

「そう、ふかふか」


ほのかは奥から座布団を持ってきて、コッコの頭の下に敷いてやった。コッコはすぐに安心したように目を閉じ、再びすぅすぅと寝息を立て始めた。アホ毛が穏やかな風に揺れている。


ほのかは、その無防備な寝顔を見つめながら、小さく笑みをこぼした。

突拍子もなくて、手がかかって、毎日驚かされてばかりだけど。この元ニワトリの女の子との生活は、なんだかんだ言って、退屈しない。


(さて、と……)


ほのかは立ち上がり、台所へと向かった。そろそろ夕飯の支度を始めなければ。


(今日の晩ごはん、何にしようかな。コッコちゃん、トウモロコシご飯とか好きかな……)


きっと、目をキラキラさせて「食べるコケー!」と言うのだろう。その顔を思い浮かべ、ほのかは少しだけ楽しい気持ちになるのだった。


緑豊かな神社の縁側には、穏やかな午後の日差しと、小さな寝息だけが残されていた。

ほのかとコッコの、騒がしくて温かい日々は、まだ始まったばかりだ。

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