風と波
こちらはファンタジージャンルに投稿した前作『ジョーモンの記憶』の続きの話になっています。
もちろん前作を読んでいなくても単独で問題なく読めますが、読者様が苦手とする、または不快になる何かしらの要素が含まれている可能性がありますので、何でも大丈夫という場合に限り読み進められることを推奨いたします。
私はとある島国の王家の第三王子として生を受け、十八年間何不自由のない暮らしを送り、学園を卒業すると同時に国の唯一と言っても過言ではない大自然そのものの土地に一人、形だけの辺境伯として移り住んだ。
ここまで話を聞いたものは皆、大体二つのうちどちらかの感想を持つだろう。
一つは『あーこの王子は何かまずいことをやらかして、名ばかりの辺境伯として事実上の追放処分になったんだろうな』という感想で、もう一つは『恐らく王子の我がままで仕方なく、一時的でも辺境伯として移住の経験をさせたんだろうな』という感想である。
まあ事実としては、幼少期から王族としての生き方に疑問を抱いていた自身が最終的に王族を離脱し、平民として田舎暮らしをすることを決め、平民ではないがほぼ望み通りに王から許可を得られたためということになる。
そして王から許可を得る前、詳しい情報がなかった望んだ移住先について、直に尋ねた私に王は真実を話すと言ってこの国の闇を伝えてきたのである。
私たちが教育で受けるこの国の歴史はまず、どのようにこの国が誕生したのかということから始まり、その時に天から降臨した神により統治が行われ、その神から途切れることなく現在に至るまで継がれている王家は神同然に大変尊いということである。そして各時代において必ず起こっている争いでは勝者が王家の下に君臨し采配することもあったが、王家を頂点とする国の姿勢自体はずっと変わってはいないということだ。
だが私が知ることとなった真の歴史は簡単に言えば我が王家の祖先は隣国からの侵略者であり、武力でこの国を乗っ取りその血でここまで継がれてきているということだった。そしてこの国が長く続いていた平和で豊かであった時代から大きく変貌を遂げることとなった改革が、実は遠方から海を渡ってきた大国とこの国の裏切者たちが組んで起こしたクーデターであったということである。しかもそのクーデターを起こしたものたちは英雄と崇められ、その子孫たちにより現在進行形でこの国は多方面から操られている。それはこの国のためではなく、その大国を主としているものであり、更に私たち王家も今はそちら側であるということだ。当然これはこの国の最高機密として知ることができるものはごく少数で限られており、本来であるならば第三王子の私にはその権利はなかったのだ。それでも父である王は決断し私に伝えた。その最たる理由が私が移住を希望する土地が大きく関わっていたからであり、その地は一言でいうならば、この国の人たちが本来の自由で豊かな暮らしを取り戻すための鍵となる場所だったからなのである。
私は王からすべてを聞き、改めて熟考した上で学園卒業後に一人その地に向かったのだ。幸運なことに今は誰でも魔導式自動車を手にすることができる時代である。よって私も自身が運転する車でその地に向かうことができた。学園在籍中に学んだサバイバル術で途中に挟む野営も楽しくこなしながらようやくたどり着いた場所は初めて訪れたというのになぜかとても懐かしさを感じる人工物の一切ない大自然であった。
実のところ、広大な誰もいない初めての地で、特に完全に真っ黒な闇に覆われてしまう夜は、恐怖や孤独感でどうにかなってしまうのではないかと考えてもいたのだが、月明りのやさしさと、無数に広がる星々の輝きに安心感と感動しかなく、ここに来て本当によかったと心の底から思っていた。
そこから一月ほど近場を巡って水場や洞窟探しを行った。
その最中に出会う様々な動物たちにも最初は警戒され逃げられていたが、いつしか受け入れられ、自身に近づいてくるものまで現れるようになった。しかもなんとなく私の言葉を理解しているのではないかと感じ、返事はないもののいろいろなことを話すようにもなっていた。
そんなある日、挨拶に訪れた鹿にどんぐりを与えながら近況報告をしていると、視界の端で何かが動き、私はそちらへと視線を向けた。するとそこにはワンピースのようなものを着た籠らしきものを抱え立っている女性がいたのだ。しばらくはその女性と目があったまま互いに無言の状態が続いていたが、突如として何事もなかったかのように踵を返し歩き出してしまった彼女を大声で慌てて呼び止めていた。
「あのっ!ちょっと待ってもらえませんか⁉」
それでも歩みを止めない彼女に急激に不安が押し寄せてくる。私はその状態のまま彼女の背中をじっと見つめていたのだが、彼女は何かに驚いたように突然立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。
「‥‥えーっと、もしかしなくても私を認識できているのよね?」
「?はい‥‥」
「それなら少しお話でもしましょうか?」
「‥‥‥‥」
「あらっ?話はしたくない?それではまた機会があれば‥」
私は彼女の言葉を遮り「違います!話したいです!お願いします!」と矢継ぎ早に大声で叫んだ。彼女はそんな私に微笑みながら「ではそちらに行かせていただきます」と言ってどんどん近づいてきた。そして目の前まで来るとそこに在った小さな岩にありがとうと声を掛け、やさしく撫でた後その上にそっと腰を下ろした。
「はじめまして。私の名前はナミ。あなたは?」
「俺の名はウィンド!ウィンと呼ばれている!えっと、ナミに尋ねたいことがたくさんあるのだが、まず俺が認識できているとはどういう意味⁉それとナミはどこから来てどうやってここまでたどり着いたんだ⁉」
「ウィン、そんなに慌てなくてもなんでもきちんと答えるわ」
彼女は前のめり気味で焦った様子の私にそう言いおかしそうに笑った。
「認識できているというのは私を視界に入れたということではなく、私のエネルギーを感知しているということね。そして私はずっと向こうにある山の麓の辺りに住んでいて、ここへは瞬間移動で来たの。そしたらウィンがいて気になったものだから様子を伺っていたのだけれど、途中から全然動かなくなってしまったから帰ろうと思ったのよ。でも呼び止められてあれ?ってなったわけなのだけれど、気のせいということにした途端、ウィンの不安なエネルギーが背中に飛んできて驚いちゃって‥‥それでこれはもう完全に認識しているようだから少し話でもしてみようかしらって思ったのよ」
「俺の不安なエネルギーが飛んできた?それは一体‥‥‥」
「まあ!そっちなの?瞬間移動にはまったく驚かない感じ?たとえばウィンは誰かの心情を察することができる場合があるでしょ?それはウィンが相手の出しているその感情のエネルギーを受けて読み取ったっていうことなの‥」
「あーっ⁉瞬間移動⁉まっ、まさか!魔の森に住む真のこの国の始祖の末裔?」
私は驚愕して思わず彼女の言葉を遮り叫んだが、彼女は落ち着いた様子のまま、なんてこともないように頷き肯定した。そして少し考えるような素振りの後、私のことを王族であると言い当てた。今度はその瞬間に体が勝手に動き、私は土下座の体勢になっていた。
「大変申し訳ございませんでした!今更謝罪したところで何の意味もないことはよく理解しています。ですが私たちがこの国の建国以来、武力を行使し侵略して乗っ取り、今も現在進行形で武力を行使しないやり方で侵略を続けています。どうか私のことはここで切って捨てるなり、煮るなり焼くなりお好きになさってください!」
私はそうしてしばらく地面に押し付けるようにして頭を下げ続けていたが、まったくなんの反応も得られず不安になり、恐る恐るゆっくりと頭を上げるとそこにはわかりやすくドン引きした様子の彼女の顔があった。それからすぐに彼女も我に返って土下座の実物を初めて見たとつぶやいて苦笑した。
彼女はただ、以前聞かされた昔の話の人物と所縁のあるものがまたここに訪れたということに感慨深くなっていただけなのに、突如として私が土下座をして謝罪し始めたことに驚いてしまい、土下座の酷く重いエネルギーにちょっとしたショック状態に陥っていたのだと語った。それから私も冷静に自身の現状を話し、父からこの国の最高機密となっているすべてのことも聞いていると告げた。
彼女は私の言うすべてが無宙の始まりから現在の世界情勢に至るまでのことを指しているのかと問うてきたのだが、思いもよらない無宙という言葉が出てきたことに困惑し、沈黙してしまったのだ。それでも黙ったままの私に決してイラつくこともなく、ただじっと返答を待っていた彼女に「ナミの話は一体どこからきてるのだ?」と、単純に頭に浮かんできた疑問を素直にぶつけていた。
それに対し彼女は、その疑問の答えを持ってはいるが、今の私にはまだ受け入れられないだろうと言って立ち上がり、籠に入っていたとてもよい香りのする果実を一つ岩の上に置いた。
「これは今がちょうど食べごろなの。よかったらどうぞ」
彼女はそう言って微笑みながら手を振り、またねと踵を返して先ほどいた木々の間の方へ歩いていきすぐに見えなくなった。
その夜はナミの話を回想しながらいろいろと思考を巡らせていたため、朝まで眠れずいつものようなスッキリとした目覚めは期待できないと思っていた。それが気づけばすっかり明るくなっていて、いつも通りの快眠で夢も見ず、途中に起きることもなく驚くほどにスッキリと目覚めたのである。
必要なエネルギーが100%補給された感覚のため空腹感はゼロ。なのでいつも通りに少量の水を飲んだ後、洗濯場としてちょうどよい水場に向かい衣類を洗った。その後はその日食べる分の野草や木の実の採集に出かけ、あとは持ち込んだ本を読みながらただのんびりと過ごしていた。そんな風に数日が過ぎていき、その間時折思い浮かんできてしまうナミのことを考えていたが、あれから四日が経っても姿を見せないことに不安が募っていた。だが五日目の野草の採集中に突然後方から足音がして驚き振り向けばそこには彼女が立っていた。
「こんにちはウィン。ここから少し行った先に温泉が湧き出ているところがあるの。もしよければ今から一緒に行かない?」
「温泉⁉それはもちろん行きたいけど‥‥‥‥」
「行きたいけど?ウィンが行きたいか行きたくないかなんだけど、迷っているならまた機会があれば‥」
「行きたいさ!でもその‥‥自然の温泉なんだから男女別ではないだろうし‥‥一緒にっていうのは二人で温泉に入るってことだと思って‥‥」
私はまた彼女の言葉を遮ってそう答えたが、彼女は特に恥ずかしがることもなく普通に肯定した。そして私もなんだか気が抜けてしまい、まあよいかとそのまま彼女について温泉のある場所に向かうことにした。
「‥‥‥あのさ、もう一時間くらいは歩いている気がするのだけれど、ナミは確か少し行った先って言ってたよな‥‥‥」
「そういえば私の感覚で言ったから、今のウィンには納得いかないかもしれないわね。私はこうやって木々の間を抜けて歩くことがとても好きなの。だから目的地に着くまでのプロセスもうれしくて楽しめるから本当にあっという間に感じられるし実際たいした距離でもないわ。あと温泉はもうすぐそこだけれど、ウィンはいつでも休みたいと思ったときに好きに休めばいい。私は先に行くけれど、ここからならもう薄っすらと湯煙が見えるし迷子にならずに来られるわ」
彼女はそれだけ告げるとお先に、と軽く手を振りながらまた歩き出した。
確かにここからでも湯煙が上がっているのが見えていて、本当にあと少しだということもわかる。だがさすがにちょっと冷たいのではないだろうかと不満に思いつつも彼女の後を追った。彼女の横に並ぶとうふふ、と小さな笑い声が聞こえてきたので彼女の顔を見ると、やはり何か面白そうな笑顔になっていた。
「ウィンは私のことを冷たいと感じたのよね?実は生まれて初めて誰かにそんなふうに思われて、初体験としてとても面白かったものだから‥‥私が住む場所にいる人たちは皆、個を尊重しながら協力し合う生き方をずっとしているから誰に対しても期待することもがっかりすることもないの。だから全員がそれぞれ好きなように生きていて、自分以外の人たちもそれが当たり前だとわかっているから何があったとしても絶対に否定しない。これは現代においては冷めた関係だとか、そんなのは秩序が乱れて犯罪者だらけになってしまうとか拒絶されてしまうかもしれないけれど、本質は単なる類友なのよ。要は価値観の合うもの同士は自然に集まるようになっているから自分と違う価値観の人たちのことは気にする必要は全くないの。互いに排除し合うのではなく、住み分けるだけのこと。これがいわゆるパラレルワールドのことね。こんなに単純なことなのに、現代ではそれが無理とか出来ないとかあり得ないっていう思考になるよう小さい頃からあの手この手で仕込まれるから、まあそのことに気が付くというか思い出すまでは相当かかるのでしょうね‥‥」
なんだかものすごく重要な話を聞かされたような気がするが、彼女は日常会話レベルでさらっと話してしまうのでまるで頭に入ってこない。そんなことさえ彼女には筒抜けなのであろうが、正直どこから突っ込んでいけばよいのかもわからない。だからまったく別方向の自身が今気になっていることを尋ねてみた。
「また難しい言葉も出てきて混乱するから別の話をしたい。ナミの家族は侵略者の血筋の俺のところに行くことを反対しないのか?」
「反対なんてされないわ。ウィンは血筋のことをかなり気にしているようだから言うけれど、あくまで肉体はこの世で生きるための乗り物であって、重要なのはその乗り物の中に入って運転しているわたしという意識とその思考なの。はっきり言って血筋なんてものは人生という旅を終え、運転していた乗り物を降りた後にもこの世になんとか影響力を残したいという執着心そのもの。だから華麗にスルーして乗り物である体の整備という視点で気にするようにして毎日頑張ってくれてありがとう!って感謝していればそれでいいのよ。それと私たちは個を尊重し合っているから皆自由であり、親であろうが兄弟であろうが友人であろうが誰かの行動に口出しはしない。人生で起こるすべてはただの経験だと全員が知っているから何か自分にとってのミスがあったとしても、深刻にはならずに笑い飛ばして過ごすから。だって悩んで深刻になったり怒りを抱えて過ごそうが、笑い飛ばして忘れて楽しく過ごそうが、この世での生の終わりは必ず訪れる。まあそれでもどちらの道を選ぶかはもちろん自由よ。私はウィンが好きだし、会いたい時に会いに来るし、温泉にもウィンと一緒に入りたいと思ったから誘いに来たのよ。ウィンも自由に選択していくだけ、簡単でしょ?」
私はもう頭でいろいろ難しく考えるのは止めようと思った。
急に笑いが込み上げてきて、いろいろなことが馬鹿らしく思えてきてしまったのだ。単純すぎて愚かしいとも思うが、恋愛の意味での好きではなくとも彼女が自分を好きだと言ってくれたその言葉だけでモヤが晴れるように素直に思うまま行動すればよいのだと、魔法でもかけられたかのように気持ちが軽くなってしまったからだ。個を尊重するということは、違和感を抱けば排除するのではなく、相手から距離を置くということになるのだから、その時が来れば彼女は私から離れていくだろう。だから彼女が私の傍に来てくれている今は何も気にせずその幸福感にどっぷりと浸っていればきっとそれでよいのだ。
それからも彼女はたまに私のところに来てはいろいろな話をしてくれた。私も自身の考えや思いなどを打ち明けるようになっていった。隣の領地との境付近にある村にも彼女と同じ魔の森と呼ばれる場所で生まれ育った人たちが移住しているという情報を得、そこの村人たちと交流する日々を送り、彼女と最初に会った日から半年が過ぎる頃にはその村に彼女と一緒に移り住んだのである。
今思い出しても笑える話なのだが、私は魔の森で暮らす人々は現代人との関りを持たないようにしていると思っていたので、たまにその村で見たことがない人物を見かけるたびに、隣の領地の人間だろうと勝手に推察していた。だがある日、ナミとその見知らぬ人物がものすごく親し気に会話しているところに出くわし驚いて後で尋ねたところ、あの魔の森の住人だと知らされたのだ。彼女は自身を含め、魔の森に住む皆もこの時代に生きている同じ現代人だと呆れたような顔をし、皆が自由に好きなように生きているので、もちろんどこにでも行くし、買い物もしていると聞かされた。そして私たちが持つ、薄汚れた布を体に纏い、ウホウホと叫びながら狩りをして暮らしている彼らのイメージは、まさに教育という名の洗脳のよい一例であるということも教えられた。
そしてナミと一緒に暮らすようになって、やはり結婚を意識した私が思い切ってプロポーズをしたところ、結婚はしませんと即答されてしまった。だが私が落ち込むよりも早く、彼女はそんなエネルギーを重くするために作られた制度には乗りたくないだけだからと笑い、私とはずっと一緒にいたいと思っているからもし私自身が結婚にこだわらないのであればこのままこれからもよろしくお願いしますと言ってくれたので、遠慮なくそこから長いイチャイチャタイムに持ち込ませてもらったのだった。
結婚という制度がこの国に定着した背景には、隣国から人が入ってきた大昔の時代まで遡り、彼らが所有の概念をこの国に持ち込み浸透させたことから始まっているという。彼らはまず、ここは自分の土地だと主張し始め、それまではすべてが皆の共有意識で平和に暮らせていた場所が次々に囲われていき、あっという間に自由に出入りできる場所が失われていったのだそうだ。そして彼らは自分の物という所有の概念に執着するあまり、死後も間違いなく自身の血筋のものだけが継いでいけるシステムを構築させたものが結婚であった。ちなみにこのあたりから、食べるものも必要なものもお金がなければ手に入れることができないシステムも作り上げられていったそうである。
そこでふと彼女たちは買い物もしていると言っていたが、お金はどうしているのだろうと不思議に思い尋ねてみたところ、貴重な鉱石を売ったり、貴重な森の恵みを売ったりしてお金を稼ぐのだと教えてくれた。そもそも必要なものと欲しいものがある時に限ってのことらしく、私たちが考える買い物とは意図が少し違っているようだ。ただ私たちが想像するよりも便利なものがいろいろと揃っていると言い、少しいたずらな表情を見せた。基本、彼らは魔の森での暮らしが好きで満足しているため、本当に気ままにその日の気分次第で、というところが大きいのだそう。そしてナミは読書が好きで、一番大きな図書館がある王都にはよく行っていたと聞き、その際あまりに夢中になり、閉館間際まで居座っていたために毎回帰宅を促されるという面倒くさい人物として記憶されてしまっていたと聞き、その場面が容易に想像できて吹き出してしまった。
私は魔の森のようにストレスフリーな楽園を創造することは難しということはよく理解しているが、それでもせめて同じ価値観を有する皆が安心して楽しく生きていくことができる場所づくりを目指してみたいと考えるようになっていた。それをナミにも話したところ、この村ではすでにその理想に近い暮らしができているのだから、そのままその思考をここで活かし、実現させればよいのだと言って協力を申し出てくれた。
初めてこの地を踏んでからおよそ二年の時が過ぎ、子にも恵まれ、同じ価値観を持つ人々と仲良く暮らすことができて本当に毎日が幸せだと感じられることに感謝していたある日、ふと自身のこれまでの人生について冷静に思い返していた。そしてなぜ望まぬ王族として生を受けたのだろうかと考えた時、その時初めて自身が望んだからこそ、そこに生まれてきたのではないかと思えたのだ。この世で経験してみたかったことが王族という立場でなら叶えられるかもしれないとそう思ったからこそなのではないかという思考に変わり、一度ナミと子供を連れ、王都に戻る決心をした。もう王族ではないが、一臣下として王に奏上することはできると考えたからだ。辺境伯として、少なくとも謁見の機会は得られるであろう。
意外にもあっさりと謁見の機会は整えられ、気づけば王都へと帰還していた。そして正式な謁見の後、知らぬ間に辺境伯の王都での住まいとなっていた離宮の一つに皆が集まり、私的な時間を過ごすこととなった。私はナミから教えられた始祖が築いた長期に渡る平和で豊かであった時代をジョーモンと呼ぶのだという話を思い出し、現在住んでいる村と王領となっている隣の領地を合併させた地を正式にジョーモン辺境伯として治めていくことを提案した。そしてまるで待ってましたとばかりに正式に認められてしまった。何より驚いたのは、魔の森がある周辺を含む一帯の地は今まで通り誰にも興味を持たれることがないよう情報をコントロールし、危険地帯扱いのままでいくことが告げられたことである。どうやら父も兄もずっと思うところがあったのかもしれない。
その後私はジョーモン辺境伯領を緩く発展させていきながら、自身の思うまま好きなように生きた。病気も怪我もほぼすることなく、三人の子とナミとただ幸せな暮らしが続いていき、孫も曾孫たちも生まれ育ち、そろそろもう帰ろうと思った時から数日後にこの世での人生の旅を終え、ありがとうと、ただその言葉と感謝の思いだけを置いて乗り物からそっと降りたのだった。
そして役割を終えた乗り物の上には私とナミが描かれた一枚の絵がのせられた。
長男は絵を描くことが得意で好きなものは何でも描いた。
私の一番の気に入りの絵で、父と母ではなく【風と波】というタイトルも彼がつけたものだ。
愛おしい人たちが皆、またねと泣き笑いで手を振ってくれている。
「見送りありがとう、それではお先に」私はいろいろと寄り道をしながら、先に行って待ってくれている大好きな人たちに合流するのだ。
読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。