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8月13日(火)-3

 華嬢は飲み物を置き終えると、私の前に座った。どうぞ、と勧められたので、コーヒーに口を付ける。

 おいしい。

 ミルクも砂糖も何も入れていないのに、ふわっと甘味のようなものを感じる。後味もすっきりして、コーヒー特有の苦みがない。

 あの苦みがないと、という友人もいたが、私はあの苦みがそこまで得意ではないので、このコーヒーは本当に素晴らしいと思う。


「まずは、お詫びをさせてください」


 華嬢はそう言い、頭を下げる。


「え、な、何事ですか?」


 何がどうしてこうなったのか分からず、私は動揺する。慌ててコーヒーカップを置き、頭を上げるように促した。


「桂木が、貴方をほぼ強要する形で、先日の調査に同行してくださったと聞きました。調査の方を優先していたため、こうしてお詫びが遅くなってしまい、重ねて申し訳ございませんでした」

「いえいえ、とんでもないです。結局、圭君には厄を取ってもらっていますし、一生泊まれないかと思っていた旅館にも泊まれましたし」

「そうそう、おっさんにとって悪い事はしてないじゃん」

「黙りなさい、桂木」


 ぴしゃりと華嬢が諫める。圭は「やべ」と小さく呟き、置かれたオレンジジュースを口にした。


「鈴駆さん、その、圭君が言っているのはその通りなので」

「いえ、とんでもありません。厄付とはいえ、あなたは今までこのような世界とは無縁の世界に生きてきた人なのです。そのような人が、突如こんな摩訶不思議な世界に引っ張り込まれるなんて、そうそうない事なのです。それを、この桂木はリスクもほとんど説明せずに、自分の依頼に同行させるなんて」


 華嬢はそう言い、厳しい目を圭に向ける。圭は素知らぬ顔で、ずず、とオレンジジュースを啜っている。


「本当に、申し訳ございませんでした」


 再び華嬢が頭を下げた。そして、す、と封筒を差し出してきた。


「今回の件についてのお礼と、報酬です。お詫びも含んでいます。少ないかもしれませんが、どうぞお納めください」


 あれ、と私は思う。少ない、か?

 差し出されている封筒は、分厚く見える。郵便で言えば、一つ上の重い方の切手がいるような。十円プラスしなければいけないくらいの。

 中身がすべて千円札だとか? いや、それとも中身は何かサービス券みたいな、プロマイドとか……。

 好奇心に勝てず、私はそっと封筒を手にした。そ、と中をのぞくと、一万円札が見えた。

 ああ、これ、一万円なのか……一万円がたくさん入っているのか……。

 これだけの一万円があれば、何ができるだろう。テレビがいいやつに買い替えられるかもしれない。


 ちょっとだけ欲望を刺激されたのち、私は「うん」と小さくうなずいてから、そっと封筒を華嬢に戻す。


「これは、いりません。私は、もう報酬というかお詫びというか、そういうものは頂いているのですから」

「旅館や厄の事ですか?」

「それも、なのですけれど」


 なんというか、私は迷った。

 驚くことや、ちょっと怖かったことは、確かにあった。それでも、私は圭と一緒に体験したことが、嫌ではなかった。それどころか、楽しかったな、くらいの気持ちでいるのだ。

 連休最初に起こった、非日常の体験。

 それは決して、お礼やお詫びを受けるものではなく、さらに言えば分厚い一万円札をもらえるようなことではない。


「こう言っては、いけないんでしょうけれど。普段できない体験をして、ちょっとわくわくしたんです。年甲斐もなく」


 私が言うと、華嬢はようやく顔を綻ばせた。ふふ、と微笑んだ。名前のごとく、花のように。


「まだ、お若いでしょう」

「とんでもない。鈴駆さんや圭君に言わせれば、私はおっさんでしょうから」


 ぷっと私の隣で圭が噴き出した。

 君が言い出したんだぞ、圭。


「本当に、よろしいのですか? 大事なお休みを、奪われたというのに」

「ああ、そういえば、気付けば二日経っていましたね。でもそれも、今となってはちょっと面白かった体験です」


 華嬢は「分かりました」と答え、封筒の中から数枚だけ抜き、新たな封筒に入れて私に渡した。


「では、これだけは受け取っていただけませんか? お車代です。先日のと、本日のと」


 辞退しようとしたが、華嬢は一切譲る様子はない。私は観念して「では、これだけ受け取ります」といって受け取った。


「それにしても、すごい会社なんですね。秘密基地みたいな地下にありますし、驚きました」

「浄華は、お葬式などの式典を手配する会社です。そちらはまた別の社長が運営しており、私がこういう裏のお仕事をしているんです」

「心霊体験とか、不思議体験とかな」


 圭が注釈を入れてくる。


「人伝だったり、噂だったりで、依頼をしてこられる方もいらっしゃいます。今回は、人伝でしたけれど」

「ああ、そうだ。あれから、有姫ちゃんに変わりはありませんか?」


 私が尋ねると、華嬢は一瞬きょとんとしてから、くすくすと笑った。


「はい、元気いっぱいだと伺っています」

「それはよかった。寂しい思いや、悲しい思いをしてないといいな、と思っていたので」

「しいちゃんは遠くに行ったのだと、伝えたんだと。保育園ではよくある事だから、特に疑いも持たなかったらしい」


 圭がグラスに入っている氷をがりがりとかみ砕きながら、言う。

 そうか、と私はほっとした。子どもは強い、とも思いつつ。


「華、おかわり」

「自分で注いで来なさい」


 圭は「へーい」と言いながらグラスを持って立ち上がった。華嬢はそんな圭を見送ってから、私に向き直る。


「不思議な人ですね、あなたは」

「そうですか? しがないサラリーマンですよ」


 はは、と笑うが、華嬢はゆっくりと頭を振った。


「桂木が、あなたと一緒に依頼をこなしたと聞いて、本当に驚きました。桂木は、人と組むのを嫌いますから」

「へぇ……」


 口が悪いからだろうか。それとも、大食いだからだろうか。

 不思議そうにしている私に、華嬢はくすくすと笑った。


「実際にお会いしてみて、納得しました。あなたならば、桂木が一緒にいても嫌がらないでしょう」

「厄付、というものだからでしょうか」

「いいえ、それだけではありません。厄付なら、誰だっていいわけではないでしょうし、それに」

「華、これも食べていい?」


 華嬢の言葉を遮るように、圭が割り込んできた。手にあるのは、ケーキの箱。

 華嬢は肩をすくめてから「いいわよ」と答える。圭はにっこりと笑ってから、どん、と私の隣に座った。


「一つくらい、分けてやってもいいけど?」


 箱の中にケーキは10個。……全部食べるつもりだったのか?


「いや、別に、いいけれど」

「じゃあ、いっか」

「いっか、じゃありません。5個にしておきなさい」


 華嬢が、子供を叱るように言う。圭は「了解」とだけ言い、早速一つ目に取り掛かった。

 一口で食べきった。

 呆気にとられる私を見て、華嬢はまた小さく笑った。


「ああ、そういえば、何か言いかけていませんでしたか?」


 華嬢の視線に気づき、私は問う。だが華嬢は「いいえ」とだけ答えた。


「特に問題はありません。それよりも」


 華嬢はそう言うと、一枚の書類を私の前に置いた。

 特殊契約書、と書いてある。


「もしよろしければ、これからも桂木の力になっていただけませんか? もちろん、ご都合の良い時で構いません」

「私が、ですか?」

「はい。あなたと一緒に取り組んだ今回の件、桂木はいつもより早く、そして円滑に依頼を達成することができました。一つもクレームのない調査報告書は、初めてです」


 毎回、一つはクレームがあったのか。

 私は思わず、3つ目のケーキに取り掛かる圭を横目で見た。


「ええと……私は今、別の会社に勤務している身です。副業などは許されていないのですが」

「それでしたら、大丈夫です。そちらの会社に差しさわりがあるような状態には、決して致しません。もちろん、我が社に正式に入社していただいてもいいですけれど」


 悪戯っぽく、華嬢が言う。さらりとすごいことを言っているけれど、あえて突っ込まないことにした。

 こんなすごいビルを作れるくらいの会社なのだ。藪をつつく勇気はない。


「じゃあ、構いませんよ。署名したらいいですか?」


 こっくりと頷く華嬢に、私は書類に署名する。

 書類内容をざっと見たが、私に不利益になりそうな部分は見つからなかった。あえていうのならば、住所と携帯電話番号といった、個人情報くらいだろうか。

 署名を終えると、写しになっているその書類の二番目を、封筒に入れて私に渡した。


「何かありましたら、先程の名刺に書いてある連絡先にお願いします。大したことではないことでも、構いませんから」


 華嬢はそう言い、ちらりと圭を見る。「桂木が、不敬を働いたとか」

 茶目っ気のある言葉に、私は思わず悪戯心を揺り動かされる。


「じゃあ、デートのお誘いをしてもいいですか?」


 華嬢はにっこりと笑い、もちろんです、と答える。


「ぜひ、お誘い下さい」


 ああ、これは。これは、脈がないタイプの、社交辞令のやつ……。

 私は肩をすくめる。相手の方が、一枚も二枚も上手だった。


「おっさん、何か食べに行こうぜ。ケーキだけじゃ足りねぇわ」

 ケーキを5個も食べておいて。

 私は華嬢から受け取った書類の写しを懐にしまい「分かった」と立ち上がった。


「ご迷惑でしたら、断っても大丈夫ですよ」


 華嬢が心配そうに言うが、私は「大丈夫ですよ」と答える。


「本当に嫌な時は、きちんと言いますから」


 私の言葉に、華嬢はほっとしたように微笑み、頭を下げた。私も頭を下げたのち、手をひらひらと振りながら「いってきます」と華嬢に声をかける圭君の後を追いかけた。


「あー何食べようかな」


 エレベータを待つ圭を見て、そっと受け取った封筒に触れる。


「せっかくだから、おごってあげようか。さっき、過分に頂いたから」

「え、いいよ、とっときなよ。おっさんの金じゃん」

「過ぎたお金だよ。返せなかったから、返さなかっただけだから」


 圭は不思議そうな顔をしたのち、にっと笑う。


「じゃあ、ホテルのビュッフェとか行っちゃうぜ。ちょっと高めの、まだ出禁になってないところの」


 ホテルに行くのならば、スーツを着てきてよかった。私はほっとすると同時に、ふと気づく。

 さっき、変な言葉が聞こえた。


「出禁になったビュッフェがあるのかい?」

「……ちょっとだけ」


 ちょっとだけではないのかもしれない。


――有姫も、帰ってきてお腹が空いた、と言っていたっけ。


 私はふと、思い出す。しいちゃんの作り上げた空間に、閉じ込められていた有姫。さながら鳥籠のようだったジャングルジム。

 あの不思議な体験を思い返していると、ピン、と明るい音が響く。エレベータがついたのだ。


「おっさん、早く行こうぜ」


 わくわくしている様子の圭に、私は「分かった」と返す。

 あの時の有姫の何倍も、食べるつもりなのだろう。その様子を見るだけでも、なかなかの体験ができそうだ。

 連休終わりの面白体験に、私は小さく笑った。

 きっと頼もうとしていた宅配と同じくらい、いや、もっと豪華で楽しい食事ができることだろう。

 そうこう考えていると、エレベータが地上につく。圭は軽い足取りで自動ドアを抜けて外に出た。

 むわ、とする空気がまとわりついてきた。


「あー何食べようかなぁ」


 うーんと伸びをしながら圭が言う。

 どこまでも広がる青空に、私は目を細めるのだった。



<透明な籠は破られ・了>

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