8月5日(月)-1
鳥居を抜けると、旅館の中庭に出ていた。
後ろを振り返るが、そこに鳥居などない。ただ、離れと旅館を仕切っている生け垣が茂っているだけだ。
「帰ってきたのか」
私は、ほう、と息を吐く。空はまだ明るい。結構長い時間を過ごしたような気がするが、まだ夕方にもなっていないようだ。
昼頃だろうか、と私は目星を付ける。ちょっとだけ、お腹が空いた。
「おっさん、お疲れ」
目の前で、圭が笑った。圭の手に、もう有姫はいない。
「もう女将さんに、有姫ちゃんを渡したのかい?」
「渡すも何も、もう自分の体に戻ったんだろ。こちらには、自分の体があるんだから」
言われて、あ、と気づく。そういえば、魂だけ連れていかれたんだっけ。
「おっさん、間違い探し、分かる?」
「間違い探し?」
「中庭。何かがおかしいの、分かる?」
悪戯っぽく圭に言われ、私は中庭をぐるりと見渡す。春夏秋冬を表すという四つの場所に、中央にある池と周りを流れる川、それにまたがる橋。
いや、ない。
橋が、ない……!
「いつの間に、橋を撤去したんだ?」
「多分だけどさ、あれ壊したの、俺」
堂々と言い張る圭に、私は唖然とする。
「いつの間に?」
私が鳥居をくぐる間に? そんな時間が、圭にあったのか?
私が動揺していると、圭がくすくすと笑った。
「だから、俺が壊しただろう? ジャングルジムを」
「でもあれは、異空間でのことだろう? ジャングルジムを壊したから、こちらの橋が壊れたとでも?」
「その通り」
「えっと……すまない。ちょっと、分からない」
「そうだなぁ……まずは、この中庭。あっちの公園と、同じ大きさなのは分かる?」
言われて、確認してみる。確かに、これくらいの広さだった気がする。
「中央にあった、有姫を閉じ込めていたジャングルジム。あれは橋と同じ場所にあった。異空間と言えど、まったくもって新しい空間を作り上げてはいないんだ。いうならば、軸が違う、というか」
「軸……」
「ビルの1階と2階っていうか。おおよその場所は同じなんだけど、存在する軸が異なるから、異空間になる。それでも場所が同じなんだから、どちらかの出来事がもう一つの空間に干渉することもある」
「それが、ジャングルジム破壊による、橋の破壊?」
「多分」
「曖昧だなぁ」
「そりゃ、旅館の人が突如思い立って、橋を撤去した可能性がゼロじゃないから」
それはゼロじゃないけれど、ほぼほぼゼロに近いだろう。
有姫が眠り続けているという異常事態の中、どうして突如橋の撤去を思いつくというのだ。
「じゃあ、答え合わせもしたことだし、そろそろ行くか」
圭はそう言い、中庭から渡り廊下へと上がる。訪れた道筋と同じように、離れへと歩を進めていく。
圭の後を続きながら、私はふと思い出した。
初めて中庭を見た時、池の上にかかっていた橋に違和感を覚えたことを。
(あれは、有姫ちゃんが閉じ込められていたからなのかな?)
私は、ぶる、と背筋を震わせる。
もしそうだとしたら、私は思いもよらぬ霊感とやらを発揮したことになる。圭の影響か、それとも私の厄付という性質か。
いずれにしても、どうせ発揮するのならば、宝くじとかで発揮してほしい。なんかこう、削ったら当たりが出るスクラッチ用紙とか、当たる番号が思い浮かぶだとか。
「無事、帰ってるといいんだけどな」
離れの玄関前に到着し、ぽつり、と圭は呟いた。
今は私の宝くじの事を考えている場合ではなかった。優先すべきは、有姫だ。
私はちょっぴり恥ずかしくなり、こほん、と一つ咳きこむのだった。