はちがつー5
しいちゃんは吠えた。
厄と呼ばれ、喰らうと言われ、あまつさえちょっと喰らわれていて。
しいちゃんは、目の前の圭を敵と再確認したのだ。
「喰らわれて、なるものか!」
吠えたのち、大きく腕を振り上げながら、圭に向かって走り出す。圭は「ふん」と鼻で笑うと、腰を落として構える。
「我は汝を打ち砕くものなり」
ぐっとこぶしを握り締めながら、圭は言う。
「お前が、私を、喰らうなどと言えぬようにしてくれる!」
しいちゃんは叫びながら腕を振り下ろす。途端、ブン、と強風が圭を薙ぎ払おうとする。
だが、圭は動かない。じり、と足元だけが後方に少しだけ動いたが、腰を落としてこぶしを握り締め、目の前のしいちゃんを見つめたまま、動かない。
「我は汝を喰らうものなり」
しいちゃんが後方に飛ぼうとした瞬間、圭は地を蹴る。一瞬のうちにしいちゃんとの距離を縮め、がっと顔を掴んだ。
アイアンクロウ、というのだっけ。
顔をがっちりと掴まれたしいちゃんは「離せ!」と叫ぶ。だが、圭は聞かない。
「お前をこのままにはできない。今後のためにも、お前は、俺に食われた方がいい」
「喰らいたいだけの、鬼のくせに!」
しいちゃんが叫ぶ。それに対し、圭は微笑んだ。
ぞっとするほど、綺麗な笑みだ。
そうして、ぐっとしいちゃんを掴む手に力を入れた。
「正解だ、おめでとう」
静かに圭が言うと、圭の目がより一層金に光った。
しいちゃんの叫び声が響く。耳を塞ぎたいほどの、胸が痛くなるような叫び声だ。
それでも、私は「やめろ」と言えなかった。
傍で意識を失っている有姫の事を思い、またこれから先の子ども達の事を思い、圭を止められなかった。
もっと言えば、怖くて動けなかった。
しいちゃんの姿が、徐々に薄れてきた。圭は目を金に光らせたまま、口元だけで笑っている。
そうして、叫び声すら聞こえなくなり、姿もなくなり、圭だけが残される。
圭は、ふう、と小さく息を吐きだした。
「行くぞ、おっさん」
「行くって」
「ここから出る。もうすぐ、ここは崩壊する」
圭はそういうと、有姫を担いで歩き始めた。私は圭についていきながら、ふと、ジャングルジムがあった辺りを振り返り見る。
もう、何もない空間だ。
「おっさん、早く!」
「あ、ああ」
私は慌てて圭の後ろについていく。圭はすでに鳥居をくぐろうとしている。崩壊すると言っているのだから、早くここから出なければ。
――ばいばい。
しいちゃんの声が聞こえた気がして、私は今一度振り返った。もちろん、誰もいない。景色の端が、ぼろぼろと崩れ始めている。
「ばいばい、しいちゃん」
私は小さく呟き、圭の後へと続いた。
もう二度と来ることはない、存在することもない空間を、後にして。