8月3日(土)-7
生け垣の中を、ちょっと入っていっただけだったはずだった。
がさがさっと音を立てながら生け垣の隙間を通ると、ほどなくして洞窟のような場所に出てしまった。
「なんだ、ここ」
思わず口から出る。私はついさっきまで、離れを取り囲む生け垣におり、圭がなんかした(本人曰く、固定した)門を通った。中庭に通じていたから、すぐに中庭に出る予定だった。
それなのに、今いる場所は、中庭とは程遠い。真っ暗な、それでもなんとなく自分と圭の背中くらいは見える程度の、暗いトンネルの中みたいだ。地面は土がむき出しで、先程まで踏みしめていたものとはちょっと違う気がする。
何しろ、草一本生えてないのだから。
「ここは、通路だよ」
圭がなんてことないように言う。「ただの、通路」
「すぐに、中庭に出ると思っていたんだ」
「有姫がいるかもしれない空間と繋げる門を固定したって、言ったじゃん」
「言っていたが……でも」
私は動揺していた。ここに向かう途中でも、初めての体験をしたことはした。いわゆる、幽霊との対峙。だが、あれは車の中から見たというだけで、自分で体験したというのはちょっと違うような気がしていた。
もちろん、怖かったし、驚いた。だが、車の中から見たり体験したりということで、どこかエンターテイメントを見ているような、体験しているようなものに近かったように思う。
テレビで心霊現象を特集し、怖い怖いと言いながら見るのに近い気がする。
だが、今は違う。私は、あり得ない体験をしている。
中庭にすぐ出るはずだった、生け垣の隙間を通った。ものの一分もしないうちに、中庭に出るはずだった。
それなのに、今もこうして私は歩いている。地面を踏みしめて、いつしか生け垣もなくなって、たんなる暗いトンネルのような場所を歩いている。
夢の中ではないか、と思ってしまい、ぐに、と頬をつねった。
痛い。
「ここは、アラザリキ場所だから」
ぽつり、と呟くように圭が言う。
「アラザリキ?」
「現実には、ない場所ってこと。いや、違うな、おっさんや俺が普段生活している世界には、ない場所ってところかな」
在らざりき。あるはずのない場所、ということか。
「もう面倒だから、現実って言っちゃうけどさ。俺はさっき、現実世界と、有姫が……ああ、面倒だからこっちも異空間って呼ぶ!」
説明一つに、大騒ぎだ。
いや、その原因は私なのだが。すまない、圭。素人だから。
「現実世界と異空間を、俺は無理矢理繋いだ。もともと繋いでる奴がいたから、固定しやすかったってのもあるけど。だから、ここは本来はない場所なんだ」
「結構歩いている気がするんだけど、それもこの場所がアラザリキ場所だからかい?」
「そうかもな。俺に来てほしくないから、異空間の方が逃げているってのもあるかも」
「え、向こうは、圭くんが行こうとしているのに気付いているっていうのかい?」
「そりゃ、気付くだろ」
「門を作ったから?」
「それもあるけど、もっと早くに気づいているんじゃない? 俺、裸足で踏み込んでやったから」
「踏み込んでやったって、女将さんの家に上がった時の?」
「そう。あそこは異空間とつながっていた場所だ。そこに俺は踏み込んだ。俺という存在を遮断するものを纏うことなく」
ご丁寧に、靴下まで脱ぎ、スリッパを断ってまで裸足で上がったのにはちゃんと理由があったのだ。
「隠れることなく、堂々と門を通って来ているから、余計に警戒しているだろうな。何しろ、正々堂々、真正面から来ているんだからな」
くつくつと圭が笑った。ちょっと楽しそうだ。
「でも、そうだな。確かにちょっと面倒になってきたな」
圭はそう言うと、その場に立ち止まる。そうして、ぱん、と柏手を打った。
「迷いし道を、到達する道に、置き換えるなり」
――ぱんっ!
より一層、強い柏手が響く。
「汝逃れることできず。到達する門をここに置くなり。汝逃れることできず……!」
――だむっ!
圭が力強く右足を踏み込んだ。すると、圭の目の前に、すう、と音もたてずに何かが浮かび上がってきた。
鳥居だ。
神社でよく見る鳥居が、圭の目の前に現れている!
突然起こった不可思議現象に、私は思わずぽっかりと口を開けた。
何がどうなって、こうなったのか分からない。
プロジェクションマッピング?
バーチャルリアリティ?
最近よく聞く単語たちだが、いまいちよくわかっていない。なんとなく、現実世界に仮想世界を映し出す、みたいなふわっとした知識しかない。
「やってやったぜ」
圭はそう言うと、ぜえはあ言いながら肩で息をする。
「大丈夫かい?」
私は慌てて近付き、圭に肩を貸そうとする。すると、圭は私の肩を掴むのではなく、肩辺りの空間をぎゅっと掴んだ。
掴んで、それを口元へと持って行く。
「……よしっ」
圭はそう言うと、何度か息を整えてから鳥居をくぐった。
「……補給、か」
私は苦笑交じりに呟き、圭の後に続いた。
一応、役目を全うしているのかもしれない。