ランチタイム
実は入学してから一ヶ月。美桜莉には苦手な人が一人いた。
それが犬童くんだった。
「おはよー」
教室にいる友人に挨拶をする美桜莉は、目の端に彼を捉えてた。
”同じ講義を受けるんだ…うん…と、昨日のお礼を軽くしておこうかな。”
そう思い、教室の中程、右の端に座って、頬杖をつきぼーっとしている犬童の元へ向かった。
「あの…犬童くん。」
「…」
「…ぁ」
「…」
「い、犬童くん?」
「…ん?…なに?」
すぐそばで話しかけたのに一度で気づかれなかった事にやや気後れしながらも、二回目の呼びかけで応じてくれたのに幾分か安心した。しかしそれはすぐに打ち砕かれた。
「あの…昨日はありがとう。」
「……俺、あなたに何かしましたっけ…?」
「〜〜!へ…あ…あぁ〜〜…間違えたみたい。ごめんね。」
「え…はぁ…」
ただでさえ居づらい空間なのに、更に追い討ちをかけるように、昨日の出来事の当事者だとも認識されていない様子に、途端に恥ずかしくなり、美桜莉は話を切り上げた。
そしてすぐに彼とは反対側の左端後方へと向かい、着席した。
”ほら〜〜〜〜!!やっぱりそうだ、興味がない事に関してはとことん冷たい…!
初めて話しかけた時と同じ…。やっぱり私にはちょっと苦手…だなぁ…”
美桜莉は顔を隠すように手で覆い、犬童へ初めて話しかけた時の、彼の冷ややかな態度を思い出していた。
”彼の記憶にすら残っていなかったとは…まあ、お礼は言えたし、私としてはスッキリした、でいいか!……でもちょっと恥ずかしい…!”
顔を覆う手の隙間から、彼の方を見てみると、こちらをみているのがわかった。
”ひえ…!見られてる…わわわ…もう忘れて…!!”
美桜莉は顔を再び覆い、存在感を消す事に尽力した。
一方、彼は彼でようやく記憶が結びついたところだった。
”…
……
あ…猫の…人…。”
***
ある日のランチどき。
たまに犬養、犬上と3人でランチをする時もあったが、それには美桜莉が気を遣ってしまい、それが二人にも伝わって微妙な空気感になったこともあって、最近はもっぱらひとりランチだった。
ただ、寂しいランチではなく、毎回ランチのベスポジを見つけるという、彼女なりの楽しみを作っていた。
ある時は、ランチルームの中央。巨大な花瓶に絶妙なバランスで生けられた花を見ながら…。またある時は、屋上のサンルームから見える遠くの山々の青々しさを眺めながら…。
今日はほとんど葉桜になってしまったが、今年の見納めということで、桜の木の横に設置されたベンチを確保した。
早速、作ってきたお弁当を開き、フォークをケースから出す。
「いただきます…」
至福の一口目を口に運ぼうとした時。
ぽとっ…
「…!?」
頭になにかが落ちてきた感覚があった。そして確かに感じる存在感。しかもモゴモゴとして動くような感覚すら感じた。
”ここは桜の木の下…もももも、もしかして…!?”
美桜莉はもぞもぞした青虫を思い浮かべて、サアーっと青ざめた。
”こ、こ、これはどう対処すれば…!?…あああ、うご…動いている感覚が…!ああああっ!!”
自分が動くと頭のものもびっくりして動き回るかもしれない、頭を振って振り落とすとしても失敗したらどこに行っちゃうの…ましてや手でなんて取れない…と、いろいろな考えが頭を巡り、動けないでいた。何よりその事実に血の気が引いて、今にも倒れそうになっていた。
「え…?」
目線すら動かせなくなっていた美桜莉の視界外から、最近耳に覚えのある声が聞こえた。
”この声は…!”
確信した美桜莉はまるで古いロボットのようにぎこちなく、カクカクと首を横に捻ると、ベンチを通りかかろうとして、美桜莉の異常さに驚いて立ち止まっている犬童が目に入った。
「やっぱり…!」
小さめのコンビニ袋を腕に通し、飲みかけの紙パックジュースを持ち、もう片方の手はポケットに入れていた。彼は美桜莉を不思議そうに見てはいたが、
「…っと、ども…」
と言って、美桜莉の前を横切ろうとしていた。
それを逃しては頭がすみかになってしまう…と半ばパニックになり、涙声で彼に話しかけた。
「あ、ああの!い、犬童くんにお願いがありますっ…。」
「え?」
異常な声かけに驚きつつも、立ち止まり振り向いてくれた。
美桜莉はそれに幾分かの安心を覚えながらもお願いを続けた。
「い、今、私の頭に、多分青虫的な何かが乗っていると思うんです。あの…そ、それをと、ととととと取って…もらえないでしょうか…?」
「え…あお…むし?」
美桜莉の願いを聞いて、彼女の方に近づいてきてくれる犬童。
彼女の頭を、覗き込んだ後、ポケットから手を出し、何やら頭の上をちょちょっと触る。
ふと、今まであった感覚が無くなった気がした時、
「取れたよ」
と言って、手にしたものを美桜莉に見せた。
「頭にあったのはこれだけだったけど…」
と言う犬童の手に持つものを、恐る恐る見てみると…
「ん?」
目に入ったものは、青虫…ではなく、一枚の葉っぱだった。
「あ…は、葉っぱ…だね。」
「うん…」
安堵した美桜莉は、犬童から受け取った葉っぱを見て、硬直していた体がふにゃふにゃと崩れた。
「ふぇぇ〜…。よかった…青虫じゃなかったよ…」
「……じゃあ…」
「あ、待って!」
自分の役目が終わり、犬童は早々に立ち去ろうとしたところを
美桜莉は慌てて引き止めた。
「?」
「これ…いつもの癖で作りすぎちゃったんだ。よかったら…食べるの手伝ってくれると嬉しいよ。」
そう言って、オイルペーパーとラップに包まれた三角形のサンドイッチを2つ渡した。
「じゃあ、本物が落ちてこないうちに場所を変えることにするよ。」
美桜莉は手を軽く上げて立ち去っていった。
犬童は足早に去る美桜莉を見送った後に、手に残ったサンドイッチに目を落とした。
「…」