36 第二話「遠い日」 受験
【毎日昼の12時に更新します】
「その女医さんがあこがれになったって訳?」
「ええ。……でも今は廃院になっているわ。数年前にお亡くなりになったから……」
千葉さんはどこか寂しそうにそうつぶやいた。
「でもどうして廃院になったの?」
「跡継ぎがいなかったのよ。息子さんは務め人になってしまったし、その子供、……つまりお医者さんの孫ね。その孫は芸術家になるって言い出すし」
すると千葉さんの笑顔がふっと消えた。私はなぜだろうと考えたけど、さっぱりその原因がわからない。
「芸術家になろうって言う子供と千葉さんはなにか関係あるの?」
すると千葉さんが私に向き直った。その顔は真剣だった。
「大ありよ。……それが私が好きになった人だから」
「ええっ!」
思わず私は叫んでいた。千葉さんがお医者さんになろうとしたきっかけに縁がある人とよりによって恋愛対象になるなんてことにびっくりしたからだ。
「その人はね、画家を目指しているの。……小さい時から知ってるんだけど本当に絵は上手なのよ。だから高校でも美術部の部長をしているし、いくつかのコンテストに入賞もしているの」
「そ、そうなんだ」
「でもね、それが高校を卒業したら別れ別れになってしまうかもしれない原因なのよ」
「ど、どういうこと?」
思わず私は身を乗り出した。
「彼はね、……大阪の美術大学を目指しているの」
「大阪……」
「ええ。私は自宅から通える大学に行くつもりだから、東京と大阪にそれぞれ離れちゃうのよ」
そう言った千葉さんは足元を見ていた。スカート丈は私とは違うけど、指定の革靴は同じデザインだった。
「でもどうして大阪なの? 東京でも美術大学はいっぱいあるじゃない?」
「ええ。……でも受験の問題なのよ」
「失礼だけど、学力が足りないとか?」
私は考え考え言う。すると千葉さんは首を横に振った。
「ううん。美術系の大学は学力試験はそれほど難しくはないのよ。受験の合否で問題になるのは実技なのよ」
「実技?」
「ええ。彼の場合は洋画志望だから絵画の技量の問題なの。……美術大学って言うのは競争率が半端じゃなくて、現役で合格するのはとても難しいの。だから五浪とか六浪とかの受験生もいるって聞くわ」
「そ、そうなんだ。すごい世界だね」
まったく知らない世界を垣間見た。
私の将来の選択肢で美術系ってのは、完全にあり得ないので知識がない。だからそんな世界があるなんて全然知らなかった。
「それでね。その競争率から判断すると大阪の美大なら合格できる可能性が高いって話なのよ」
「……それで離ればなれになっちゃうってことなのね?」
「ええ、そうなのよ」
「……なんとかその彼が東京の美大で受かる方法はないの?」
すると千葉さんは首を横に振る。
「可能性はゼロじゃないの。……彼は風景画が得意だから実技のテーマがそれなら大丈夫なんだけど、人物画となると実力が発揮できないのよ。テーマは受験当日に発表されるから危ない橋を渡るようなものね」
「じゃ、じゃあ賭と同じなんだね?」
「ええ。いちおう併願はしてみるつもりみたいだけど、美術大学用の予備校では東京の美大の過去の傾向から肖像画、……つまり人物画の可能性が高いんですって」
想像する。
受験とは同一の条件で技量を測るのが目的だ。だとするとモチーフによって出来映えが左右される風景画では実力を判断するのが難しい。だから大学側は受験生がみんな同じテーマである人物をモデルとした絵で力量を見て、受験の合否を決めたいのだろう。
「そ、そうなんだ。だから大阪なんだね?」
「ええ、そうなのよ。そっちだと東京よりは競争率が低いんですって。……それでも美大だから競争率は十倍くらいになるかもしれないけどね」
そう言って千葉さんは涙ぐんだ。
そしてハンカチを探そうとしてポケットをあちこち探している。だけどなかなか見つからないようだった。
「あ、私持ってるよ」
私はハンカチをポケットから取り出した。すると同時にハンカチといっしょに入れていたスマホがぽろりと地面に落ちた。
「あ、ありがとう」
千葉さんは私が取り出したハンカチで目元を押さえた。だけど同時に私が落としたスマホに目を奪われていた。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「生忌物倶楽部」連載中
「いらぬ神に祟りなし ~少子化問題解決します~」連載中
「四季の四姉妹、そしてぼくの関わり方。」完結済み
「固茹卵は南洋でもマヨネーズによく似合う」完結済み
「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」完結済み
「墓場でdabada」完結済み
「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み
「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み
「空から来たりて杖を振る」完結済み
「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み
「こころのこりエンドレス」完結済み
「沈黙のシスターとその戒律」完結済み
も、よろしくお願いいたします。




