そのカクテルには早すぎる
「何やら変わったのを飲んでいるね、ディディエ」
いつものように、至極当然の顔でユリウスがディディエの部屋にやってきた。
色々な意味で止めることが出来ない侍従達は諦め顔だし、彼らの主であるディディエはまるで気にした風もなくグラスを傾けている。
そのグラスを満たすのは、オレンジ色の液体。普段であれば、琥珀色なり無色なりの、透き通った蒸留酒を飲んでいるはずなのだが。
既にある程度回ってきているのか、少々緩んだ上機嫌な顔でディディエが笑いながらグラスを目の前に持ち上げて見せる。
「これかい? 酒自体はいつもの蒸留酒さ」
「しかし、見たことのない色だが」
返ってきた答えにユリウスが少しばかり首を傾げるが、そんな彼の仕草が面白いのかディディエがくつくつと喉を鳴らす。
「なんせ、色んなジュースとか他の酒とかで割って飲んでるからねぇ。
カクテルって言うんだってさ、シェリエルが教えてくれたんだけど」
「ほう。彼女自身はあまり好きではなさそうなのに、やたらと酒のことをわかっているように思うのは気のせいかな」
ディディエの説明に、ユリウスの眉が2mm程動く。
常人の目に捉えることは出来ないが、勿論常識の外にいるディディエの目はその動きを捉えていた。
さて、どう来るか。いくつか問答を想定しながら、ニヤニヤとした顔でユリウスを見やる。
「気のせいじゃないと思うけど、どうでもいいじゃない、そんなこと。
それより酒が美味い方が重要さ」
「それは認めるがね。しかし、ジュースなんぞで割って美味いものかね?」
もしこの場にシェリエルが居たらその柳眉を逆立てそうなことを、気楽な男二人で言い合う。
もちろん彼らにとってシェリエルは大事な存在ではあるのだが……近すぎるが故に、どこまでぞんざいに扱っていいかもわかっている。
いや、何度か間違って痛い目を見たから学んだところもあるにはあるが。
ともあれ、今ここにシェリエルはいない。
だから、当たり前のように酒飲み話が続いていく。
「僕も最初はそう思ってたんだけどさ、やってみるとこれが意外といけるんだよね。
元々アルコールが強いから、割ってもワインと同じか、それでもまだ強いくらいだからパンチもあるし」
そう言いながらディディエは手にしたグラスを傾け、オレンジ色の液体を喉へと流し込む。
その飲みっぷりを見るに、とてもそれなりに強い酒には見えないが……まあ、普段からきつい蒸留酒をロックやストレートで浴びるように飲んでいる男だ、これくらいは平気なのだろう。
誰よりもそのことを知っているユリウスは、なるほど、と小さく頷いて見せた。
「ふむ、それなら少なくとも物足りないということはなさそうだ」
「味もちゃんとしてるって。何、僕の言うことが信じられない?」
まだ懐疑的な気配を見せるユリウスへと、ディディエが睨むような目を向ける。
本当に睨んでいるわけではない。はず。多分。
理性があるようでないベリアルドの中でも、一際理性的に見せるのが上手く、それでいてシームレスにキレるディディエのことだ、いつ本気でキレ散らかすかわかったものではない。
もっとも、そんなことを気にするユリウスではないのだが。
「私が君の言うことを鵜呑みにするわけがないだろう? それに、酔っ払った君の舌は普段以上に信用がおけないね」
普段の言動を考えれば至極当然としか言えないユリウスのディディエ評に、しかし言われたディディエはしかめ面を作る。
「うわ、こいつ最悪。酒に対してだけはあんまり騙そうとしたことはないよ?」
などと、傷ついたと言わんばかりの声で。
いや、表情も目の色さえ完璧に作り込んでいる。
ユリウス以外で見抜けるのは、シェリエルくらいのものだろうか。
だから、ユリウスは全く絆された様子もない。
「自覚があるのは結構なことだ。いや、君の場合は自覚した上で悪用するから質が悪い」
「有効利用してるだけさ。相手からどう見えてるか知らないけど」
「そういうところだと思うよ?」
ユリウスが窘めるように言えば、んべ、と悪びれもせず舌を見せてくるディディエ。
王子である彼に対して不敬な態度だが、それも今更だ。
何よりユリウス自身が全く気にすることなく、グラスに蒸留酒とオレンジジュースをドバドバと目分量で入れているのだから。
そして、口を付けて一言。
「……ふむ、適当に割るだけでもそれなりに飲めるね」
途端、我が意を得たりとばかりにディディエはぱっと顔を輝かせる。
「だろ? シェリエルが言うには、ちゃんとした奴が作ったら滅茶苦茶美味いんだと。
ちょっと興味引かれたね、僕は抉って削ってすり減らして、その奥に美味しいのがあると思ってたんだけど、こうやってあれこれ足して混ぜていくのも美味しいんだなって」
「それは酒の話なのかな、人間の話なのかな」
「どっちでもいいじゃん、大して変わんないし」
「なるほど、それもそうだ」
悪魔の一族らしい事を言えば、ユリウスも動じることなく返す。
類友だからこそ、こんなにもくつろいでいるのだろう。
まともな神経の人間であれば、どちらか一人とのサシ飲みでも遠慮したいところ。
ましてこの中に放り込まれでもしたら。
ジェフリーも呼べば良かったかな、と本人が聞けば泣き叫ぶようなことを思いながら、ディディエは空間から金属製の筒のようなものを取り出した。
緩いカーブを描く蓋付きのそれは、ユリウスも見たことがないもの。
シェリエルの前世でシェーカーと呼ばれる道具なのだから、仕方がない。
「ま、でも折角だからね、道具も作らせてみたんだ。これに氷を詰めこんで、こうして混ぜてっと。
で、こうやって振るんだってさ」
得意げに見せつければ、無詠唱で氷いくつか生み出して詰め込んで。
手の温度が伝わらないように指先で蓋を押さえシェーカーのボディを支えながら、両手で振ればシャカシャカと小気味のよい音が響く。
十分に攪拌され冷えたところで、蓋を外してグラスへと注ぐ。
カクテルグラスなんて洒落たものはまだないが、家飲みならば問題もないだろう。
注がれるのは、薄緑に染まった蒸留酒ベースのカクテル。
その色合いを見たユリウスの目が、興味でも引いたか少しばかり細まる。
「おや、君が自ら作ってくれるとはね」
「ばーか、これは僕の分だっての。それに、結局僕が一番美味く作れるんだよねぇ、今んとこ。
ん、いい出来」
「ほう、私にも一口もらえるかな」
満足そうに頷くディディエへと、当然の顔をして手を差し出すユリウス。
いつものように軽く応じて渡そうとしたディディエの手が止まる。
「ああ……って、いや、だめだ。これはだめ。
これは、お前には早すぎる」
唐突な拒絶に、また少しユリウスの表情が動く。
何よりも、その言い分の理不尽さときたら。
「何を言ってるんだ君は。私の方が年上だというのに」
「とにかくだめ。他のだったら作ってやるから」
飲んでみたいという自分の欲求を押し通す為に正論をぶつけてくるユリウスへと、珍しく言いくるめようともせずに押し返すディディエ。
そんな態度は、それはそれでユリウスの興味を引いてしまうのだが。
「何故これだけ駄目なのか、理解出来ないんだが」
「理解しなくていいよ、てかお前にだけは理解されたくない。
ほら、他のだったら作ってやるからさ」
あまつさえ、ディディエが自ら他人のためにカクテルを作るという暴挙に出てまで誤魔化しにかかった。
それも、仕方のないことなのかも知れない。
ディディエが作っていたのは、ライムジュースとジンに似た蒸留酒を1:3で混ぜてシェイクしたもの。
シェリエルの前世で『ギムレット』と呼ばれたカクテル。
とある小説においては、最後の一杯を意味するものだったから。
だからディディエは、ユリウスの手に別のカクテルを押しつけたのだった。
※下部に原作様へのリンクがございますので、ご興味を持たれた方は是非とも!