111.夕日に滾れ!
「ふぅ、やっぱり何度入っても気持ちいいねぇ」
「そうですね」
目の前にはいつも通りの桐生院先輩。けど、俺の心にはどこか疑っている部分もある。なんというか意味深な笑顔……それは今までに見た事の無い桐生院先輩の顔だったし、その顔で口に出したのが露天風呂に2人きりというワード。
いやね? 普通に考えれば何ともないよ? でも先輩ちょっと強調したじゃないですか? なんか意味有りげで怖いんですよ? ……ここはちょっと探りを入れてみるか?
「先輩。あの……」
意を決して話し掛けた瞬間、先輩の腕が素早く動く。その動作はいつもの桐生院先輩らしくはない、もの凄いスピード。
うおっ? なんだ? ……あれはっ!
驚いたのも束の間、俺は即座にその桐生院先輩の行動に意味を見出した。そう、口に人差し指を当て俺の方を見つめ、もう一方の手で手招く動作……それは即ち、
はっ、静かに? そしてゆっくり露天風呂に入って来いって事かっ!
その半分は推測の域でしかない。けど静かにって指示は明確。全てが合ってるかは知らないけど、とりあえず頷いて、ゆっくりと露天風呂に足を入れる。その最中だった、
ガラガラ
静寂の中聞こえてきたのは、ドアが開いた音。その音は少し小さくて、もちろん男湯じゃないのは見なくたって分かる。
女湯? 誰か……来た?
別に今の時間帯露天風呂に来る人が居たって不思議じゃない。けど、なぜか俺の動きは片足だけがお風呂に浸かったまま止まっている。自分でもよく分からないけど動いちゃいけない気がした。
そんな状況で、男女の露天風呂を仕切る壁から桐生院先輩の方へと視線を戻してみると、目が合った瞬間に桐生院先輩はまたもや見た事もない意味深な笑顔を浮かべ、コクリと……頷いた。
なんだ? どういう意味なんですか先輩? てか俺このまま動かない方が良いんすかっ!?
「うわぁ、すごい」
「夕日が綺麗ですね?」
「でしょでしょ?」
「ホント、一望って感じだね?」
こっ、この声は……恋、凜、海璃に六月ちゃん!?
「こらっ、あんまりはしゃいじゃダメよ? それにしても……相変わらず良い体ね?」
「きゃっ、きゃぁ! もっ、もう! 葉山先輩!?」
更にヨーマに早瀬さん!? という事は……女性陣大集合じゃないかっ! 待て待て、桐生院先ぱ……
思わぬ人達の登場に、少し動揺しながらも再び桐生院先輩の方を見る。しかし、先程まで口に指を当てていた桐生院先輩はいつの間にか露天風呂の奥の方にまで移動していて、さらに親指を立てて天高らかにそれを掲げていた。
まっ、まさか……先輩? 女性陣がご飯を食べる前にお風呂に入る事を!? どうやってそれを知ったかは知らないけど……
「あっ、先輩ずるーい。私もっ!」
「れっ、恋ちゃんまで?」
「バスタオルからこぼれる……ゴクリ」
「海璃ちゃんヨダレが出て……ひゃっ!」
「油断大敵だよ? 六月ちゃん?」
「そのセリフそのまま返すわよ? 高梨さん?」
…………なんて素晴らしいんだっ! いやいや、このやり取りを聞いてるだけで……うん。滅茶苦茶体力回復しましたっ! ありがとうございます桐生院……
何のとも素晴らしい女性陣のムフフな会話。それが耳に入るたびに自然とニヤけてしまう。そんな最高の時間を提供してくれた桐生院先輩へ一言お礼を言わなければ。そう思い、俺は少し満足げに先輩の方を見たんだ……しかし、我らが知将の実力はこんなものじゃなかった。
まるで俺が先輩の方を見るのを予測していたかのように、既に俺の方へ視線を向けてて、手招きをしていたんだけど、最も気になったのは反対の右手。その人差し指で指差しているのは、露天風呂同士を隔てる邪魔な壁だった。
こっちへ来い? そして壁を指差してるって事は……まさか?
桐生院先輩の行動に去年の記憶が蘇る。確か去年も静かに呼び出して、一部の壁を動かしたっけ? それに……工作依頼済みというストメ。さらに、さっきの意味深な透也さんとのアイコンタクトっ! 本当に本当に今年も……
それが頭を過った瞬間、俺の身体は自然と動き出す。もちろん女性陣に男の露天風呂に誰かが居るって事は知られてはいけない。特に恋、ヨーマ、早瀬さんに関しては不慮の壁劣化による事故って事にしてるけど、覗いていたのはバレてるし、覚えているかは知らないけど思い出させて警戒心を強めるのは得策ではないっ!
しかし、今の俺はとんでもない力を秘めている。よもやそんな凡ミスを犯す気がしない。そう、まるで水面を泳ぐカエルの様に、いや? アメンボの様に足を擦りながら、音も無く知将の隣へと到着する。
「桐生院先輩?」
「栄人君達には申し訳ないけど、これは新聞部の特権さ? それに……去年バレたのも栄人君のせいだしね?」
虫の鳴く様な位の小声の中、桐生院先輩のありがたいお言葉には感謝しか出てこないっ! ホントっ、ありがとうございます。
「まっ、間違いないです。それで先輩……今年はどこを細工して貰ったんですか? 急がないと、万が一恋達が去年の覗きの事を思い出したら一気に警戒心が……」
「そういえば、去年はお猿さんが覗いてたわね?」
ん? 猿?
「えっ、お猿さんですか?」
「そうなんですか? 烏山そっくりです」
「あれ? 先輩? お猿さんなんて居ましたっけ?」
「居たじゃない? しかも3匹も」
3匹……? 去年猿が出たなんて言ってたっけ? ……覗いてた? 猿? 三匹……おいっ! それってまさか!
「あっ……確かに居ましたね?」
「お猿さんいいなぁ、来てくれないかな?」
「えぇ? 居ました? こっちゃんも見たの?」
「もしかして恋ちゃんだけ見てないの?」
しかも恋はともかく、早瀬さんも何となく理解している……という事は猿3匹って、やっぱり俺達の事じゃねぇか! 先輩ヤバいですよっ! ここぞってタイミングでヨーマの奴思い出しましたよっ!
「先輩っ!」
「大丈夫、今回は前回の反省も含めて、綿密に透也さんと打合せしたから」
マジか! でも今この状況でお披露目するのはいくら何でも少し危険じゃ……
「でも今それをやると……」
「ふふふ、いいかい? 月城君。分かってると思うけど、今彩花達が話してるお猿さんって多分僕達の事なんだ。でもさ、本当に警戒をしているならそんな話するかな?」
「でっでも、話をしてるという事は覚えているって事じゃ」
「そこがポイントさ。覚えてはいるんだ……けど、それがイコール今この瞬間警戒しているとは言えないんだ」
「それって……」
「人が警戒してる時って、大体は無言にならない? 集中してさ? それが今は饒舌に思い出話をしてる。それってさ?」
なっ、なるほど。 覗かれた話をしているけど、それはあくまで思い出話。本当に警戒してるなら自然と無言になるはず。ならヨーマが話してる今この瞬間は、
「今は恐らく無防備って事ですか?」
「そゆこと」
なんて事だ。俺じゃそこまで頭回んないよっ!
「それじゃあ行こうか? 今回ののぞき穴はっと……ここだよ」
少し指でなぞりながら、桐生院先輩はある場所で動きを止める。そこは丁度温泉の表面と同じ位の高さにある石部分。桐生院先輩はそこに手を当てると、なんとゆっくり引き抜いて行く。
おっと? これは去年と同じ方法か? でも去年より穴の部分が下になってるから、あっちからバレる可能性も少なくなったって事か!?
そんな感心している間に、もはや先輩はそこを引き抜いてしまい、おもむろに手に乗せている。
「ほらっ、月城君。持ってみて?」
持つ? 邪魔って事かな?
「はい……って軽っ!」
先輩が差し出した岩の部分。疑う事なくそれを持ってみたんだけど、それは想像より遥かに軽い。
軽くね? 何これ? てか、そう言えば桐生院先輩片手で軽々持ってたもんなぁ。
「先輩?」
「これスポンジ。ここってさ? 両方の温泉の量を調節する穴みたいなんだよね? なんか昔使ってたらしいんだけど、今は全然使ってないみたい。今回はさ? そこを活用したらどうかって透也さんに提案して貰ってね?」
「なっ、なるほど!」
「まぁ穴自体は去年より小さいけど、こういう作りだって思える場所にあるしさ?」
マジか? 確かにこれなら不自然さはないかもしれない。穴が小さくてもカモフラージュ率は去年より格段に上。しかもこのスポンジも……
「見事な色だろ? 今は軽石入れてるみたいなんだけどさ? 引き抜く時に音出ちゃうみたいで、これも透也さんに用意して貰ったよ」
……透也さんっ! あんたマジで神だよっ! 最高だよっ!
「まぁ、本番はこれから。成功させて、2人仲良く透也さんにお礼言おうか」
「はっはい」
いいか? 月城蓮。今回は失敗は許されないぞ? 女性陣の数は去年の倍、バレたらひとたまりもない。
「今年は少し小さいけど、場所が去年より低いから……2人で覗いてもバレないと思うよ?」
しかも去年は湯気が邪魔でハッキリとは見えなかった。
「了解です。でも危険を感じたら退避ですね?」
でも、今は夕方。夜程湯気もないだろう。
「うん。安全第一で行こう」
確実に恋は見たい。てか、見せてください。
「了解しました」
次点で女神様とヨーマ。心の中だけでも俺はハッキリ見たんだぜ? ってドヤりたい。
「じゃあ……」
多くは望まない。出来たら六月ちゃんもっ!
「行こうか」
待っていろ? 極楽浄土。年に1度のご褒美をしかとこの目に焼き付けろっ!
「はい」
行きましょう桐生院先輩っ!
俺たちの戦いは……これからだっ!




