第二話 - 偽りの平和
家族が夕食の鍋を囲んでいる。
父と母と娘。どこにでもある平凡な家庭。
「学校のほうはどうなんだ?陽菜」
陽菜と呼ばれた少女は豆腐をよく噛んで飲み込んだ後、読み上げるように答えた。
「順調よパパ。授業での先生方の説明もとっても分かりやすいわ。テニス部でよい成績が残せなかったのは残念だけど、でも身体を動かすと頭も心もすっきりするようだわ。」
「そうか、それはよかった。」
満足して頷いた父親がウイスキーのグラスを傾ける。
隣では100点のテストを見るような目をした母親が、静止した微笑みを浮かべていた。
陽菜はこういうやりとりが嫌いだったし、それゆえ自分の父親と母親も好きではなかった。
話そうと思えば、他にもっと話したいことはあった。
授業中に先生の似顔絵を描いていたのが見つかって職員室に呼ばれた同級生の話。
SNSでのフォロワーの数が1万人を超えた友だちの話。
最近なにかと話しかけてくる隣のクラスの男子の話。
しかし陽菜は、こういった話題を両親が愉快に感じないことを経験的に知っていた。
ひとたびこのような話題を出せば、父親はお酒のグラスを置き、母親は赤点のテストを見るような顔になって、「躾」を始める。
それは観葉植物から不要な枝を切除する作業によく似ていた。
両親が面白くないと思ってほしいことを、正しく面白くないと感じるよう、繰り返し繰り返し、思考方法を「説明」される。
いつからか、陽菜は両親になにひとつ本当のことを話さない子供になっていた。
つまらない事なかれ主義者…それが陽菜の両親に対する評価だった。
(だっる…はよ部屋に戻ってウェブ漫画の続き読みたいンゴねぇ…豆腐たべよ…)
豆腐をよそうためにオタマを手にして鍋を覗いた陽菜は、ある異変に気付いた。
なにか、手袋のようなものが鍋の中に入っている……?
ガッ!!
鍋の中にいつのまにか出現していた「手袋のようなもの」が、鍋のフチを力強く掴む。
ガッ!!!!
もうひとつ「手袋のようなもの」が鍋から飛び出してきて、また鍋のフチを掴む。
ズズズズズズズ………
鍋の具材が盛り上がり、テーブルの上にこぼれ落ちる。
鍋から「頭巾をかぶった人間の頭部」が現れる。忍者である。
忍者はギョロギョロと視線を動かし、状況を確認する。
父親の虹彩、母親の虹彩、娘の虹彩。
電話回線の有無、コンセントの位置、照明と玄関、窓の位置、建物の材質……。
ザバァァァァ!!!!
忍者の全身が鍋から出てきた。
黒い装束に身を包み、身長は2メートルはあろうかという巨漢。
忍者はゴグッという鈍い音をさせて肩関節をはめた後(おそらく鍋を通過する際に関節を外したのであろう)、いままで家族団欒が行われていたテーブルの上にしゃがみこんだ。
父親と母親は、忍者と目を合わせないように無言でうつむいている。
陽菜もどうしてよいか分からず、両親と同じように行儀よくうつむいて座っているしかなかった。
忍者がおもむろに腕を伸ばし、テーブルに散乱した鍋の具材のなかから、鶏肉をひとつ拾い上げて口に運ぶ。
「……味が薄い………」
母親がうつむいたまま消え入りそうな声で返答する。
「………すみません…………」
陽菜は忍者の足元で無様に潰れている豆腐を見つめながら、自分の家の料理の味について考えはじめた。
まだ忍者ではない陽菜にとって、それがこのときにできる唯一のことだった。
(そう、うちの料理の味は薄い。ママは薄味が上品で健康にいいって信じてる…。)
―ピンポーン!
―ピンポーンピンポーン!
不意にインターホンがなる。
―どうも〜山猫隼人の者で〜す…。忍者の転送波を検知したので討伐に参りました〜…。住民様ご在宅でしょうか〜…?もしお出になるのが不可能な状況でしたら〜…
ドカーーーーーーンッ!!!!
爆発音が鳴り響き、ひしゃげた玄関のドアが廊下の奥まで吹っ飛んでいった。
「いや〜すみませんね、お邪魔しますっ!」
新たに現れた宅配員のような風貌の忍者はそう言うなり、鍋の忍者に拳銃を向ける。
パンパンパンパンッ
パンパンッ
鍋の忍者は転がるような動作で拳銃の弾を回避すると同時に、忍者装束の中から忍者刀を抜刀する。
近接戦闘に備えて宅配員の忍者も拳銃を捨て、どこからか取り出した特殊警棒を展開する。
ギィィィィン!
チンチンチンチンチンザシュッ!!
機銃掃射のような剣戟の音。
刃が触れたわけでもないのに、父親のウイスキーのグラスが割れ、母親の眼鏡のレンズが粉砕される。
目に見えない無数の衝撃波が空間を充填していた。
ザンッッッ!!!!
斬撃により壁に巨大な穴が空き、その穴から鍋の忍者が家の外へと躍り出た。
宅配員の忍者もそれを追って穴に身をくぐらせる。
ギンッ!!ギギギギチチチチチチッ……
キンッ……
激しい剣戟の音、互いの制空権を削り合う音が、遠く夜の街へとフェードアウトしていった。
残されたのは、メチャクチャになった家族団欒の夕食の席。
テーブルの上には割れた皿や潰れた鍋の具材が散乱し、カーテンはずたずたに切り裂かれ、天井にも大きな穴があき、そこからバラバラとすごい量の埃が落ちてきている。
父親が咳払いをした後、テーブルの上から潰れた鶏肉を拾い上げ、口に入れた。
「ママの薄味の料理、僕は好きだけどね」
なんということ…。
この男は、忍者の戦いに巻き込まれた後も、日常を継続しようとしている。
事なかれ主義であることは間違いない。
しかしこの無力な市民には、事なかれ主義の一言で済ますにはあまりに強力な、一本筋の通った意志の力があった。
陽菜はしばしあっけに取られた後、クスリと笑って潰れた豆腐を拾って食べた。
「ごちそうさま、パパ、ママ」




