心配性
「ねえ、なんか遅すぎない、大丈夫なんだろうか。」
19:45、私はあふれ出す不安感を旦那にぶつけていた。
……いつもなら18:00に現れるはずの娘が、いまだ姿を現さないのである。
「残業じゃない?そう心配しなさんな。」
「あんた心配じゃないの?!もう二時間だよ?!」
実にあっけらかんと、スマホゲームに熱中している真横の過体重者に苛立ちが増す。
「も~、社会人なんだからさあ、たかが二時間でぎゃあぎゃあ言いなさんな、おちけつ、おちけつwww」
水産加工業社で働く、娘。
朝6:00出勤、残業込みで18:00までの勤務となっている。
会社は自宅から自転車で40分の距離にあるため、朝は私が送って、帰りは仕事帰りの旦那が迎えに行くことになっている。
この送り迎えは、娘のマイカーローンが通って車が納車される8月まで続く見込みとなっている。
……うちは基本、子どもには甘いのだ。
今日はたまたま旦那の仕事に同行したので二人で娘の帰りを待っていたのだが、一向に待ち合わせ場所であるコンビニに姿を現さない娘に、私の心のざわつきがおさまらない。
「だってさあ、同僚がサイコパスかもしれないって言ってたし、もしかして事件に巻き込まれてるかもしれないじゃん!ひょっとしたら高速カッティングマシンに腕とか引き込まれて病院行ってるかもしれないじゃん!玄関から出てすぐの階段で足滑らせて気絶してるかもしれないじゃん!!」
「そんなんないってばwww……あ、ほら!!普通の顔して帰ってきた!」
「あー、ツカレタ―!も~、明日イベントでさあ、メッチャ残業だったー!待たせてごめんね!ありがとー!」
ばたんと車のドアを開けて乗り込んできた娘を見て、ほっとしている私がここに。
「なに、こんなに遅くなるならメールくらいちょうだいよ、めちゃめちゃ心配したんだけど!!」
「働いてるからメールは無理!!仕方ないじゃん、こういう事もあるよ。」
「お母さんだって昔残業入って家帰るの遅くなることあったでしょ!」
ムム……。そりゃあ、まあ、確かに、そういう事も、あったけれども。
超就職氷河期だった頃、予定外の残業は当たり前で、日を跨いで家に帰ることも結構多かった。
……だけど、あの頃、私は一人暮らしをしていて、家族に迷惑をかけるようなことはしてなかったぞ。
……うん?迷惑??
そういえば……昔、就職が決まった時、事前研修で、一週間、自宅から職場に通ったことがあった。
月曜から金曜まで、9:00-17:00の研修だったのだが、最終日、勤務先の店長代理と副店長の雑談から逃げ出せなかった私は、終電に乗って帰る羽目になってしまった。
人の話を遮ることができない、私もう時間なので帰りますの一言が口に出せない、気の弱すぎる自分故に起きてしまった、給料の発生しない、残業ですらない、世間話という、呪縛。
―――あ、ごめんね、話はずんじゃった、電車無くなっちゃうよね、急いで帰りなよ!
―――俺たちはもうちょっと話してから帰るからさ!
車通勤だった店長代理と副店長は、時間を気にするタイプの人間ではなかったのだ。
入社後判明するのだが、この二人は時間にルーズで、会社に泊まり込む常習者であり、周りにもそれを強要する人間であった。
本来であれば、とっくに家に着いているはずの21:00、遅くなったことを詫びるために携帯電話で家に電話をすると…怒り狂った母親の声が聞こえた。
―――こんな会社辞めろ!!もう社長に電話した!!明日からいかなくていい!!!
ぶつりと切れた電話に、呆然とした。
自宅から会社までは電車で二時間かかる。
21:00になっても帰ってこない私を心配してパニックになった母親は、本社に電話をして、社長に直々に、私の退職を伝えたのだ。
研修が終わって二週間したら、私は本社のある都会に引っ越すことになっていた。
就職先が決まり、実家を出て一人暮らしをすることが決まっていたのだ。
地下鉄に乗り、私鉄に乗り換えるタイミングで、社長に電話をかけた。
―――お母さん、興奮されてたけど、大丈夫?
―――ご迷惑を、おかけしました。
―――上田君と牧田さんには注意しておくから、四月から出勤してね?
―――すみませんでした、ありがとうございます。
社長の懐の大きさに救われた私は、引っ越しをして、就職を続行することができたのだ。
……23:00に家に着いた私は、母親と祖母の猛攻撃を受けて、何一つ言い返すことができなかったのだな。
―――やっぱりろくでもない会社だよ!!
―――あんたのごはんなんかないよ、全部捨てたわ!
―――もうこんな時間だよ、気が立って眠れやしない!!
―――次の就職先は健全な事務職にしろ!!
―――ごめんなさい。
これ見よがしにふろの湯まで抜かれてて、やかんでお湯を沸かして、体中ハンドタオルで拭いて寝たんだよねえ……。
次の日は卒業式のリハーサルがあったんだよなあ……。
……なんだ、自分も、あの時の婆さんと母親と一緒ってことか。
……パニックになりかけていた私を、旦那がおさめてくれなかったら、やらかしていたのかもしれない。
……わりと愕然としている自分が、いる。
「…ねえ、聞いてるの!!遅くなっちゃったから晩御飯食べに行こうって話だけど、お母さんはどこがいいの!!」
「ああ、ごめん、全然聞いてなかったわ!」
ぼんやり昔を思い出していたら、車内の愉快な晩飯計画に乗り遅れてしまったようだ。
気が付けばもう家の前だ、…昔の出来事に心を持って行かれると、実にこう、時間が持って行かれるな。
つまんねえ出来事思い出して貴重な時間が減るとか実にもったいないな。
……過ぎた事はもういいや、私は暴走していないんだから、セーフ、セーフ。
「えっとねー、回転寿司がいいかな!!酒飲もう♪」
「今ってお酒の提供中止になってなかった?てゆーか、禁酒って張り紙貼ってなかったっけ?!」
「あたしは肉食べられたらそれでいいや!!しゅんくん待たせて悪かったからさあ、キノコ料理ある店にしてあげようよ!!」
車を家の前に止めると、玄関のドアが開いて息子が出てきて、……あれ、鍵かけてるな、出かけるつもりなのかな?こちらにやってきた。
助手席のドアの窓に顔を寄せ、ニコニコしながらこちらをのぞき込む息子。
「遅かったね、お帰り。」
娘を迎えに行くからと言って留守を頼んだのは…もう三時間も前の事だ。ずいぶん悪い事をしてしまったなあ、これはウマいもんを食べさせて差し上げねばなるまい……。
「キノコのすき焼き作った。うどんないから、買いに行きたい。」
料理自慢の息子は、留守番中に晩御飯を作っていてくれたらしい!さすがだ!!!思いやりにあふれて機転の利くところは、実に私によく似ている!!!
「マジで!!君さすがだね、よーし、今晩は日本酒開けちゃお!!!」
「じゃあスーパー行って肉買お!!!生卵もいいやつ欲しい!!!」
「お父さん牛乳買いたい、あとアイスとデザート欲しい!!!」
「キノコ無くなったから買いたい。」
時刻は20:05、今から買い物に行くと、晩御飯は21:00ごろになるかな?
明日は家族全員休みだし、たまには遅めの晩御飯もいいもんだ。
……半額のお惣菜とか、絶対買い込みそうだけどさあ。
がーっ、バタン!!……ばん!!
息子が後部座席に乗り込み、ドアを閉めた。
「どこのスーパー行く?せっかくだしケーキも買いたい!!」
「九時閉店のとこがいいよ、半額半額明日の分もいろいろ買おう!!」
「とろけるチーズと玉ねぎも欲しい。」
「あんまりお金ないから買うのは最低限にしてよ?!」
私はあわてて、財布の中身を確認したので、あった。