7. マリンを狙う者
線香花火はまだ半分くらいある、相変わらず小雨が降っていた。僕は立ち上がり海に向かって叫んだ。
「海のバカヤロー!」
こすずは唖然としている。マリンも僕の真似をする。
「うみにょばかやろー!」
「どうしたの?」
「こすずも叫ぼうよ」
僕が言うとこすずは立ち上がり海に叫んだ。
「海のバカヤロー!」
波の音がそれに反応するかの様に(ザバァー)っと音が返ってくる。
こすずは急に笑い出した。
「あはは、バッカばかしい」
「そうだね、馬鹿だね」
「バカ―!」
マリンも意味もなく海に叫ぶ。こすずの話を聞いて僕はどうしようもなくなった気持ちになり、何かを叫びたかった。頭悪いかも知れないが下手な言葉を返すより気持ちを叫んだほうがいいと思ったからだ。
「なごる、何か良く分かんないけどスッキリしたよ」
「うん、僕はこすずの話を聞いても辛いなと思うだけで何も出来ないけど、海に叫ぶくらいは出来るからさ、僕は頭が悪いんです」
「ううん、そんなことないよ、なごるからの思いは伝わったよ」
こすずはとてもさっきまでとは違う晴れやかな表情をしていた。
「線香花火の続きやろうか?」
「ええ」
「バカヤロー!」
マリンが叫び続けていた。
「マリン、叫びはもういいから、線香花火やろう」
「花火、うん」
僕たちはまた線香花火に火を点けた。僕も叫んだ効果だろうか、さっき見ていた線香花火の光が淡く優しく感じた。
波の音と共に優しい風が吹いて来る。線香花火が消えない様に僕は不意に手を添えると、懐にある風鈴が(リンリン)と鳴った。
「いい風ね」
こすずが髪を手で押さえて言う。
「うん」
「ふうりん……」
マリンが僕を見て言う。その表情はみるみる変わり泣き始めた。
「う……うッ」
「え、マリンどうした?」
「どうしたの? マリンちゃん」
「ふうりん」
「うん風鈴がどうした?」
僕は懐から風鈴を取り出すとマリンに見せた。
「パパがー」
「お父さん?」
僕がそう聞くとマリンは少し震えていた。こすずはマリンの背中に優しく手を添えた。
「パパのおとー」
何かを思い出した様にマリンは泣いていた。僕たちはこすずと顔を見合わせて、マリンが泣き止むまで待った。辺りを見ると海へ来ていた人たちは居なくなっていた。雨が止みかけていて、それで戻ったのだろう。
こすずはハンカチを取り出してマリンの涙を拭っていた。
「パパね……」
マリンは少し落ち着きを取り戻すと僕たちに話し始めた。
「マリンたち悪い人に追いかけられて逃げていたの、それでね、パパがね悪い人に向かって行ったの、ママはマリンを抱いてその場から逃げたの、それで、風鈴の音が遠ざかっていくの、ずっと小さくなって行って……」
「マリンちゃん、もういいよ」
こすずはマリンを抱き寄せる。僕の持っている風鈴が静かに鳴った。
「マリン、ごめん、思い出させて」
「ううん、大好きなパパに買ってもらったマリンとお揃いの風鈴、マリンいつも持ってるんだよ」
マリンは懐から小さな水色の風鈴を取り出して見せた。
「マリンはこれでいつもパパを思い出すの」
風鈴を揺らして音を鳴らすとマリンは微笑んだ。
「寂しくないの? マリンちゃん」
「……パパねマリンに言ってたの、パパはマリンより先に居なくなるけど、いつでもその風鈴でマリンのことを見守っているからって」
マリンは凛とした顔をして言った。
「だから寂しくないの」
柔らかな一陣の風が吹くと、マリンの言葉に反応した様に(リンリン)風鈴が鳴った。マリンは風鈴を大事そうに懐に閉まった。僕も自分の風鈴を懐に閉まった。
「そうか」
「マリンちゃん」
こすずはマリンの頭を優しくなでた。
「なごる、そろそろ戻ろう」
雨はいつの間にか止んでいた、花火大会もそのうち再開するだろう。
「うん、最後に1本ずつやろう」
僕たちは線香花火を1本ずつ持ち火を点けて花火をした。
赤く橙の火玉がパチパチと音を立てる、ほんの少しの時間に僅かだけ僕たちに見せてくれる小さな光、でもそれは少ない時間だからこそ力づよく印象を与えてくれるのだろう。
僕たちは花火を終えると、出店に向かい道具を返してその店を後にした。歩きながら目を少し閉じてみると、さっきしていた線香花火の光が目に焼き付いている。浮かび上がる赤と橙の色それと火花。
「きゃー!」
「マリンちゃん!」
マリンの悲鳴とこすずの慌てた声が聞こえた。
「どうしたの!?」
僕は目を開けると、こすずが後ろを向いていて空を見上げていた。僕は焦ったマリンが居ない。僕も振り返り空を見上げた。
マリンが宙に浮いていた。浮いていると言うより、襟を持ち上げられ吊るされている感じに見えた。
「マリン!」
「マリンちゃん!」
「えーん、助けてなごるおにーちゃん、こすずおねーちゃん」
僕はマリンの下に何者かが立っているのがわかった、それは白い浴衣を着てキツネのお面をつけた男が立っていた。男は釣り竿の様な物を右手に握っていた。
その男は振り返り肩に釣り竿を抱えると歩き始めた。僕は慌てて呼び止めに行った。
「おい、待てー!」
僕はその男の肩をつかみ引いた。キツネのお面からのぞく鋭い眼光が僕の体を怯ませた。
「何だ?」
「マリンを放せ!」
「マリン?」
男は上を見て言った。
「あれのことを言っているのか?」
「そうだ!」
「何で? 俺が釣った獲物だ関係ないだろ」
男は僕の手を振り払い歩き始める。僕はその男の腕をつかんだ。
「マリンが嫌がっているだろう、早く下ろせ!」
男は無言のまま僕の手を振り払った。僕は男の持っている釣り竿をつかんだ。
「その手をどけろ、さては俺の獲物を横取りする気だな」
「何のことだ!」
「食糧をだ」
「食糧?」
「えーん助けてよー」
マリンが僕の頭上で泣き懇願する。
男はマリンの方に顔を向けると自分の頭を掻いた。
「あーあ、食いもんがしゃべんな」
「マリンを放せ! お前は何者だ!?」
「俺は狩人のナルドっていうもんだ、あれをお前にやるつもりはない、わかったらその手をどけろ」
「そんなことはさせない!」
「しゃーねー」
僕の懐に重い痛みが走る。
「うっ」
ナルドの膝が僕の腹に食い込んでいた。僕はその場に蹲り倒れた。
「邪魔するからだ」
ナルドは歩き始める。マりンの泣き声が少しずつ遠くなって行く。そのとき、ナルドの頭に水風船が当たった。ナルドは振り返り僕を見る、それから目線を僕の後ろのほうへ送った。
「待ちなさい!」
こすずの声がする、怒気の張った声が周りに響く。
「まだいたのか?」
こすずは僕に近づき小声で言った。
「私があの釣っている糸を切るから、なごるはマリンちゃんを怪我させない様に捕まえて」
「う、うん」
「私が合図したら走って捕まえに行って」
「わかった」
僕は立ち上がり体制を整えた。ナルドは僕たちを見ると腰に片手を当てて言った。
「今度はふたり係か。いいぜ、何人来ようが食糧は渡さん」
「行くよ!」
こすずは走り出してナルドの前まで行くと、ナルドの顔に向けて何かを投げた。それは手に隠し持っていた浜辺の砂だった。ナルドは顔を手で覆い首を振っている。そこからは苦悶の声を漏らしていた。
「今よ!」
僕は走り出して、吊るされているマリンの下まで行った。こすずは懐から石を取り出しそれを釣っている糸に目掛けて投げた。
糸は切れマリンが僕の腕に落ちてくる。僕はそのまま尻もちを付いてマリンを抱えた。マリンは僕の腕の中で泣いていた。
僕たちはその場から少し離れた。ナルドは僕たちを睨み付けて言った。
「やってくれたな、お前ら生きて返さんぞ」
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