6. 海の思い出
「あのーすいません」
「おう、どうしました?」
「マリンが海へ行きたいって言っているんで、連れて行ってやりたいんですが」
「海! 今から? でも親御さん呼んだし、それに海は危険だ」
「マリンが言ってたんですが、母親は仕事で来れないらしいんです、その間だけ海でもと、マリンもただ待っているのは退屈だろうと思って」
「しかしなー」
叔父さんは外で振る小雨を見た。
「この雨の中行かせるのもなー」
叔父さんは腕を組んで考えた。
「いや、やっぱりだめだよ。君たちがいるとはいえ、まだ幼い子どもを連れまわすのはよくないよ。親御さんに許可をもらっているんなら別だけど、そうじゃないんだろ」
「はい、そうですが……」
「親御さんが来たら一緒に行けばいい。それまではそこでおとなしく待ってなさい」
「は、はあ。すみません」
僕はこすずとマリンのところに戻り言った。
「やっぱりダメだって」
「えー」
マリンが残念そうに言う。
「ダメ?」
こすずは困った様子で返した。
「うん、親の許可がないとダメだってさ」
僕が言うと、こすずはため息を吐いてマリンの頭をなでながら言った。
「そうなの……ごめんね。マリンちゃんを海に連れていけないの」
こすずとマリンは俯いている。僕はそんなふたりを見ていられず、ふたりに言った。
「あのさ、ここを抜け出さない」
「え? 抜け出す」
「うん、あの叔父さんの目を盗んでここから抜けだすんだ。どうかな?」
「でも、そんなことして見つかったら、あの叔父さんに怒られるわ。それにマリンちゃんのママに迷惑かけると思うし」
「きっと大丈夫だよ。こすずはマリンを海に連れて行ってやりたいんだろ」
「そうだけど……」
こすずはマリンに目をやる。マリンは目を輝かせながら僕たちを見ている。
僕はマリンに言った。
「マリンも海に行きたいんだよな」
マリンは大きく頷いた。
「じゃあ決まりだ。行こう」
「うん、そうよね、行きましょう」
僕たちは海へ向かうため、叔父さんの目を盗んでテントを抜け出した。
止むか止まないかくらいの小雨の中、僕たちは海へと歩き出す。
花火を見に来ていた人たちはまばらになり、花火を待っている人や出店の物を食べている人などが、今か今かと待ちわびていた。
こすずはマリンの手を繋いで歩いている、僕はその少し後ろを歩いていた。丘の上で見えた花火会場の反対側にある海へ行こうとしているのだろう。
僕はなるべくこすずたちを庇う様に後ろを見張って歩いた。丘を上がり終えると広い海が下に見える、浜辺には出店と街灯の光が点々としていた。
丘を下りて分かれ道があり海方面へ歩いて行くと、(ザザー)っと波の音が聞こえてきた。
花火大会の中止で海に来ている人達もちらほら居た。浜辺に辿り着くと砂が足を出迎えた、(グッグッ)と少し重く柔らかい踏み心地を感じる。
「わー海だー」
マリンがピョンピョン跳ねて喜ぶ。こすずは笑いながらマリンに引っ張られていた。
海に着くとマリンはこすずから手を離して、下駄を脱いで波に足をつける。
「きゃーははは」
マリンの笑い声がする。僕たちはその光景を眺めていた。
「マリンちゃんうれしそうね」
「うん、連れてきて良かった」
波が引いては返す動きに合わせてマリンも行ったり来たりしていた。
「こすずお姉ーちゃーんなごるお兄ーちゃん」
マリンが手を振り僕たちを呼んだ。
「マリンが呼んでるから一緒に遊ぼうか」
「ええ、行きましょ」
僕たちは下駄を脱いで波に足をつけた。波の冷たい感触を足が拾う。
僕たちは浴衣が濡れな様に裾を軽く持ち上げた。
こすずとマリンは波を蹴ったり、両手ですくって上空に飛ばしたりしていた。波を蹴ったりすくって飛ばすと、その水の雫がキラキラ光っては消えて行く。
僕は危険人物が居ないか辺りを見てみた。少し遠くに出店が見えた、出店には花火屋と書いてあった。
「こすず」
「なに?」
「あそこに花火屋があるけど、花火一緒にやらないか?」
僕は出店に人差し指を向けた。
「うん、いいけど」
「じゃあ行ってみよう」
「うん、マリンちゃん花火買いに行こう」
「花火? うん」
僕たちは下駄を履いて花火の出店に向かった。着いてみると猫のお面をつけたお姉さんが居た。
「いらっしゃいませ」
「あの、花火をください」
「はい……あら? ごめんね、花火セット売り切れちゃって、そうだねー線香花火セットしかないんだけどいい?」
そう言うと、お姉さんは紙に巻かれた線香花火の束を出してきた。
「え? じゃあそれで」
「ありがとうございます、300円になります」
「はい」
僕はお金を払うと店のお姉さんが言ってきた。
「こちらで花火をおやりになりますか?」
「ええ」
「ちょっと待っててね」
そう言うと、お姉さんはマッチ箱と水の入ったバケツとロウソクの付いたロウソク立てを用意してくれた。
「これを持ってってください」
「あ、ありがとうございます」
「終わったら返しに来てくださいね」
「はい」
僕はこすずに線香花火セットとロウソク立てを渡して、代わりにバケツとマッチ箱を手に持った。
波打ち際の手前くらいまで来て僕たちは線香花火セットを開封した。線香花火セットと言っても一種類しかない、僕はマッチでロウソクに火をつけた。
「マリンほら」
僕はマリンに線香花火を渡した。
「ありがとうなごるお兄ちゃん」
「こすずも」
こすずにも線香花火を渡した。
「ありがとう」
僕たちはそれぞれ線香花火にロウソクの火を点けた。
「わーきれい」
パチパチと線香花火の光が走るとマリンははしゃいだ。
「静かだね」
こすずが線香花火の火玉を見つめていた。
「久しぶりだな」
何年ぶりだろう、こうして花火をやるのは。幼いときの楽しかった記憶はある。
「私ね、こういう花火したことないんだ、実は私には両親が居ないの」
「え?」
こすずは静かに話し始めた。その表情は切なくそしてまっすぐだった。
「私はね、幼いときに両親が離婚したの。それで母親が私を引き取ることになった。女手一つで育ててくれた母親、でも貧しくて食べ物も1日1食の日が続いていたそんなある日、母親は私を海へ連れて行ってくれたの。私はうれしかったわ、そうマリンちゃん見たいにはしゃいでたの……」
話しながらこすずは花火ではなくどこか遠くを見ているようだった。
「でもそのとき、私は波に足を取られて溺れたの。母親に助けを求めて声を出したりしたわ。全然気づいてもらえなくて、ううん、気づいてたけど助けに来てくれる様子はなかった。私が溺れて苦しんでいる姿をただ見ていた、そしてわかったの、なぜ助けてくれないのかを……」
あまり話したくないのか、こすずは俯いている。
「この先、私を育てて行くことが出来なくなって苦しい思いをさせるくらいなら、このまま命を落としたほうが母親は私という子を育てる必要がなくなる、そうすれば、少しでも貧しくなくなるって子どもながら思ったの」
こすずは消えた線香花火をバケツに入れて、また新しい線香花火に火を点けた。こすずは目を細めて悲愁の思いでそれを見つめているように感じた。
「それでね、このまま海に沈んで行こうと思って力を抜いたの。波が体を覆い被さり静かに海に沈んで行った。海の静けさの中で思ったの、母親に感謝を形で返せないのならせめて気持ちだけでもと思って『今まで育ててくれてありがとうお母さん』って心で言って覚悟したの」
こすずの話でも聞いているかのように波が音を小さく立てる。
「そしたら母親は私を担ぎ上げて助けてくれた。波が体を叩きつけても、私を抱えて、フラフラに成りながら浜辺まで私を運んだの。母親はそのまま倒れて、私の顔に優しく手を添えて気を失った。私は母親に蹲り泣いていたわ。そこに私たちを見つけた人が救急車を呼んで病院に連れてってくれたの、母親は衰弱が激しく息をしていない状態だったらしく帰らぬ人になった」
僕はこすずに何も言えなかった。そんな過去があったなんて思いもよらなかったからだ。ただ僕は線香花火の静かな光に目を向けていた。
「それでね、親戚の居なかった私は養護施設に預けられて、その後、今住んでいる叔父さん夫婦の家に引き取られることになったの」
こすずを見ると少し涙ぐんでいた。
「こすずお姉ちゃん大丈夫? 泣いてるよ」
マリンが悲しそうにこすずを見て言った。
「うん、ちょっと昔のことを思い出しちゃって」
僕は何て言ったらいいの分からず、自然と出てくる言葉に任せた。
「こすず、なんで、いや……そんなことがあったんだ」
「悲しい話しちゃってごめんね、母親とこんなことしたかったなーって」
「海に来るの嫌だったんじゃない?」
「ううん、辛いけど来たかったの、母親との思い出の場所、始めて連れてきてもらった海、私の頬に手を添えて優しく微笑んでくれた、母親の顔を思い出すから」
「そうか」
最後までお読みいただきありがとうございます。