1. 風鈴の誘い
夏の晴れた暑い日、僕は草原を歩いていた。風鈴を買いに行った帰り道、どんよりした風が吹き(リンリン)と風鈴の音色がする。そんな風に煽られて空を見てみた、草が舞い上がり上空へ消えていく。
舗装された道が分かれている。普段は右側を通って家に帰るのだが、雑草が生い茂り僕の歩行を妨げていた。雑草は右側と左側の道を目隠しするように、背丈が僕の目の高さ以上に伸びていた。
通れなくもないが、虫とかが体に付くとちょっと嫌だなと思った。
左側の道に目を向けてみる。道は綺麗で丘の上に登って行けるようになっていた。僕はどっちに行こうか迷っているとき(ザザッ)っと突然草むらから誰かが飛び出して来た。
女の人だ。僕の目の前に立って、僕を見るなり驚いた表情をした。その女の人は桃色のカーディガンに桃色のワンピースを着て、桃色のサンダルを履いており、アタフタと目をあちこちに動かしていた。
僕は焦りながら言った。
「あ、あの、どうかしたんですか?」
女の人は僕の持っている風鈴に目をやると微笑んで言って来た。
「風鈴?」
僕は手に持っている風鈴をチラっと見ると少し上げて言った。
「あ、ああそうですけど、風鈴が何か?」
「あ、あのー今暇ですか?」
女の人は両手を前に出して、僕の行動を止める様に慌てて言ってきた。
「ええ、大丈夫ですけど、何かあったんですか?」
「あのちょっと来ていただけますか?」
そう言うと、左側の道を颯爽と駆け上がって行った。
「え!」
僕は慌てて追いかけて行く。丘は草原が広がっていて、時折吹く風がさっきよりは涼しくなっている。女の人は丘の上にある1本の木の所で立ち止まっていた。僕は木のところまで走り息切れしながら辿り着いた。
「はぁはぁ……どうしたの?」
僕が聞くと、女の人は上を見て人差し指をそこに向けた。
「あれ、取れますか?」
僕は上を見てみた。見ると木の枝に水色の風船が引っ掛かっていた。今にも風で飛んで行きそうに揺れている。
「あれを取ればいいの?」
「うん」
僕は木に登るため持っている風鈴をポケットに入れようした。けど、風鈴が大きく入らなかった。彼女に持ってもらうのも悪いと思ったので、仕方なく風鈴の紐を首に下げて木に登った。
両手を枝に引っ掛けて風船の紐に片方の手を伸ばした。そのまま紐をつかむと僕はバランスを崩し地面に激突してしまった。
「うっ」
地面に胸を打ちつけて声がもれる。
僕はうつ伏せのまま風船を彼女に差し出した。
「だっ大丈夫ですか?」
彼女は困った表情をしながら、風船を取るのか取らないのかアタフタしていた。
「え、ええ大丈夫大丈夫」
とても痛かったが、女性を前にしては弱音は吐けないと思った。
僕は何とか立ち上がり、再び風船を彼女に差し出した。
「ありがとう」
そう言うと、彼女はうれしそうに笑った。
「いえいえ、どういたしまして」
僕は首を押さえながら帰ろうとした。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ! 待って」
彼女は僕の胸辺りを見て指を差していた。
僕は自分の胸元を確認した。風鈴が割れていた。さっき木から落ちた衝撃で風鈴が割れてしまったようだ。
「あー気にしないで大丈夫だから、また買いに行けばいいし」
「ごめんなさい、あの―もしよろしかったら、明日のお祭り一緒に行きませんか? 弁償もしたいですし、それに怪我までして風船を取って頂きましたので」
「え! 明日、お祭りなの?」
僕はこの町に来て日が浅い。田舎というわけではないが都会とも言えないそんな町に、この前引っ越して来たばかりなのだ。
「ええ、そこに風鈴も売っていると思いますし」
「あ、じゃあいいですよ、あのー待ち合わせ場所とかどうします?」
彼女は少し考えてから言った。
「りねず神社に鳥居がありますので、そこに夕方の6時でどうですか?」
「りねず神社の鳥居に6時ね。分かった」
「では、今日はありがとうございました」
見送りながら僕は重要な事を聞くのを忘れていた。それは名前だ。彼女の名前を僕は知らない。
「ねえ、ちょっと待って」
彼女は振り返り不思議そうに僕を見た。
「お互いの名前聞いてなかったよね、僕は【なごる】って言います」
「あ、私は【こすず】」
こすずは自分の胸に手を立てて言った。
「じゃあ明日のお祭りでまた」
「ええ、それでは、あ! あのー来るとき、浴衣を着て来て欲しいんですが」
「浴衣? ああ、お祭りだから、うん分かった」
「それじゃあ、また、りずね神社の鳥居の下で会いましょう」
一礼してこすずは帰って行った。柔らかな風が草原をなでる。その風に揺れながらプカプカと浮かべている水色の風船を飛ばされない様に手で押さえている。そんなこすずの姿を僕は見送っていた。
僕は家に帰り地図を調べた。お祭りの場所を確認するためだ。りねず神社は家からそんなに遠くない場所にあった。
その後、僕は浴衣を買いに服屋まで足を運んだ。適当に紺色の浴衣と下駄を買い家で試着してみた。帯の結び方が全く分からなかったので適当に巻いた。
「これでいいか」
次の日、りねず祭りの会場に向かった。カランカランと下駄の音が鳴る。人の賑わいが徐々に聞こえてきた。浴衣を着ている人もいるけど普段着の人もいる。僕はちょっとだけ恥ずかしさを感じて自分の服装をチラチラ確認した。
会場に入ると出店が左右に分かれていておいしそうな匂いがしてくる。石段を進んでいくと鳥居が見えて来た。
「ふぅ」
鳥居の下に着いて、左側の足の部分に寄り掛かり彼女が来るのを待った。
薄暗い鳥居の周りは静けさが漂っていた。人のざわめきが聞こえてくる。提灯などの淡く暖かい光を眺めて、それから空を見上げた。少し曇っていて星が雲の隙間から顔を覗かせていた。
カランカランと音が鳴り近づいてきた。誰かが石段を上ってくる。浴衣姿の女の人が現れた。僕は女の人と目が合った。
「あ! えっとーこすずさん? 僕ですなごるです」
「え! ああ、風鈴の?」
「あ、はい」
薄暗くて良くわからないが、こすずは桃色の浴衣を着ていた。
「あ、その髪飾りと浴衣何かいい感じだね」
僕はたどたどしく言った。
僕が一瞬こすずとわからなかったのは、服装や髪型を変えるだけで、こんなに女性が変わるとは思わなかったからだ。
「そう、ありがとう」
「これからどうする?」
僕はこすずに聞いた。
「あのーえっと、えっと」
こすずはアタフタして体を左右に揺らしていた。
「あーじゃあ、お店見て回ります?」
僕が言うと、小さくこすずは頷いた。
僕たちは階段を下りて出店を見回った。色々な出店がある。
金魚すくい、ヨーヨー釣り、輪投げ、的当て、かき氷、焼きそば、たこ焼きなどなど。
隣を歩くこすずは出店を子どもの様にうれしそうに眺めていた。
「あのー何さんて呼んだらいいかな?」
「あ、こすずでいいよ」
「あーじゃあ僕もなごるでいいですよ」
「こすずは何かやりたいものある? それとも何か食べたい?」
僕が聞くと彼女は首を傾げて「うーん」と唸った。
「勝負しよう!」
と言って、こすずは満面の笑みで僕の肩を叩いた。僕は驚きながら返した。
「勝負?」
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