~穏やかな日常を過ごしたい~⑦
7.どうも、誘拐された侍女です
カタカタと音が聞こえる。隙間風なのか肌寒い。体の節々も痛くてこわばっているみたいだ。目を開けると山小屋のような所にいた。小屋の隅っこに転がされ、真ん中には木の机と椅子が2脚置いてある。棚には申し訳程度に食器があり、その側にはコンロと狭い調理台がある。物が置いてあるところを見ると実際に誰かが住んでいるようだ。掃除はされているようだが年季の入った感じが見受けられる。
「もがっ。」
声を出そうとして声が出ないようにタオルを咥えさせられていることに気づく。両手を後ろに、両足もロープでくくられている。動けない。少し手足を動かしてみるが頑丈に縛ってあり、手も結び目に届かなかった。
(今どういう状況?何でこんなことになってるの?)
疑問ばかりが浮かぶがここにはその疑問に答えてくれる人はいなかった。
風をかまいたちにして縄を切ろうと試すがいくら力を出そうとしても全く出ない。?が頭の中にいっぱい浮かぶ。
足にくくられたロープをよく見ると銀糸と金糸が交互に編み込まれていた。
(!魔力抑制!この編み込み方・・・もしかして属性がわからないから全属性用なの?)
犯罪者に対しては普通、魔法が使えないように魔力抑制の効くロープで体の一部をくくられるか、重犯罪だと魔力抑制の効能を持つ魔石をふんだんに使われた牢に入れられる。先日の皇族殺人未遂事件で私にそれを使われなかったのは温情だろう。ロープの場合、各属性によって編み方が違う。糸の色もちょっと違う。私みたいな風なら青みの帯びた銀とか。そして属性ごとのロープはそこまで高くはないが、全属性用は高額だと聞く。聞くだけで値段は知らないが。いや・・・1本あたり私の月給と同じくらいだったか?話にしか聞いたことがなかったが実物をこうしてお目にかかれるとは。大変に不本意な状況だが。
だが不思議に思う。こんな高額な品を買える人は貴族や儲かっている商人くらいだろう。
(誰かの恨みでも買ったのかな。うーん、--心当たりないな。)
たった1つの小さな窓から空を見るが、曇っていて薄暗い。今が夜じゃないことだけ分かった。ちらちらと雪も舞っている。
(今日は何日だろう。)
すぐ戻ると言ったのにこんなことになるとは・・・。みんな心配してるだろうな。
しばらくすると遠くの方から誰かの言い争う声が聞こえる。それは段々と近づいてくる。
雪は音を吸収するはずなのに意外と声が聞こえてくるもんなんだなー、なんて暢気なことを考えていたが、途切れ途切れに聞こえてくる単語は穏やかじゃない。
「--どういう-!間違--!」
「知ら--!とに--連れ---。なんとか--。」
かなり大きな声だった。扉がバンっと勢いよく開く。冬の海からの風は普通の日でも突風に近い。風で勢いよく開いたようだ。
開いた瞬間、声の主と目が合う。
「おう、起きたか。安心しろ何もしてねぇ。ああ、力が使えないようにくくらさせてもらったがな。」
東の国出身の者に多い黒髪を後ろで1つ括りにしている。耳にはたくさんのピアスをしており、目つきが厳つい。その後ろから現れたのは見覚えのある顔・・・。
(あ!あの人!)
以前姫様とともに行った視察に大臣の側近としていた人だった。
(なんでこの人がここに・・・。)
思わずまじまじと見つめてしまった。
「やっぱり覚えてたね。悪いね、別にあんたを攫おうとしたわけじゃなかったんだけど、こいつが間違えてね。でも僕のことを覚えてるならやっぱり帰せないね。」
目が笑っているのに笑っていない。ふと冷たい視線を送られる。この人はこんな顔だっただろうか。もっと真面目そうな顔つきで仕事をし、時には穏やかそうな顔を見せる人だったと思ったのだが。
「この間の姫様の毒殺未遂事件で姫様を殺そうと思ってたんだよね。そしたらマレーシャが君に恨みがあるって話にのってくれたからさ、ちょうどいいと思って託してたんだよね。結局失敗してこうなってるわけだけど。ああ、別に毒見のことは知ってるから成功率はかなり低いとは思ってたけどね。」
話されている内容に理解が追い付かない。
(どうして・・・?)
いろんなことにどうしてと思う。私の愕然とした表情を見て何を思ったのか察したのだろう。扉の近くの椅子を引き、側近が座る。
「マレーシャのこと?それとも姫様を殺そうとしたこと?ふふ。彼女はね、僕の婚約者なんだ。全くの他人を巻き込んだわけじゃないしいいだろ。姫様はね、道路の件でね。こっちは早く作ってほしいって東から頼まれてて前払いをしてもらってるんだ。なのに一向に話が進まないだろう。困るんだよね。向こうからも責められるし。後払いも結構な額もらう予定なのにこのままじゃもらえないだろう。だから誘拐して脅してやろうとしたのにね。まあ、脅しが聞くような人ではないから誘拐して解放の条件として今すぐに工事を開始してもらうことを考えてたんだけど・・・。間違えて君を連れてきてしまったんだ。ま、君は姫様のお気に入りだから交換条件にはなると思うからいいけど。」
暗い、闇のような笑顔で答えていく。背中を冷たい汗が流れる。頭が、体が危険を察知する。残念ながら体は全く動かないが。
よく気分転換に脱走癖のある姫様は成人前の少女であることも含み、『仕事ができない人』と思われていることが多々ある。実際には頭のよく回る人だと知っているのはごく近くの者たちだけだ。だからそんな姫様が自分の思うように進めてくれないことにイラついているようだ。
ふと、何を思ったのか厳つい目つきの男が口に咥えられているタオルを外す。楽になった。でも、うぅ、口が痛い。
「何か話したいことがあるんだろう。そんな顔をしている。」
どうやらこの側近の男よりは気が利くらしい。
「賄賂を貰うのもどうかと思いますけど、そもそもなぜ殺すところまで話がいってるんですか。それに婚約者ならもっと大切にしてください。」
怖いながらもこちらも負けじと声を発する。声が震えていたかもしれない。
「一番手っ取り早いのがそれだったからさ。交渉なんてどれだけ時間がかかると思ってる。それに婚約者っていっても親同士が勝手に決めたもので彼女に愛情なんて感じていないさ。」
最低だ。それに大臣の側近をしているのに存外馬鹿なようだ。もう1つ気になっていることを聞く。
「このことは大臣は知っているんですか?」
「いや、知らない。もしかしたら薄々気づいているかもしれないけどね。うちと大臣は派閥が違うから話はしてないよ。皇帝派の大臣は姫様が思ったより頭の回る人で安堵されていたけどね。僕たち貴族派は困るんだよ。」
今日は風が凪いでいた。暖炉の薪のパチパチ燃える音を聞きながら山小屋でのことを思い出す。あの時はあの時で困ったけどまだあちらの方がましだと思った。
「あんたさ、この件、あいつから話を聞いてしまったから無事に帰れると思わない方がいいよ。交渉の材料にならないと分かったらすぐに殺されるからね。」
見張り役で付いている男が窓の外を眺めながら言う。私がまだ助けが来るのを信じていることに気づいているようだ。あれから2日経っていた。
「ここはあなたの家なんですか。」
今更だが気になっていたから聞いてみたら意外とすんなり答えてくれた。
「俺の家じゃねぇよ。ただ人に聞かれたくない商談とかで使うことがあるだけだ。」
「もしかしてネーゴット商会が彼に殺人や誘拐をそそのかしたのですか。」
思わずそんなことを口に出してしまった。
「デイビット会頭は関わってねぇ。3人いるうちの1人の会頭補佐とその下につく者たちだ。次の会頭は補佐の3人のうちから選ばれるからな。会頭に気に入られるくらいの業績を残さなきゃなんねぇ。お前のところもそうだけど、こっちも一枚岩じゃないってこった。」
怖そうな人だと思っていたけど根っこはそうじゃないのかもしてないと思わず思ってしまった。
ここに連れて来られてから、人質にされるだけあって魔法を使えないように縛られている以外は特に何もされなかった。
翌日、また冬型の冷たい突風が吹く日となった。外は粒雪が降っている。例え暖炉に火を焼べていようと、こうも隙間風が入ってくれば家の中も寒い。
バサバサと音がしたと思うとあの側近の男が入ってきた。
「交渉の期限は今日までだ。それでも向こうから何の返答もなければ君は死んでもらうね。せいぜい今は返事があることを祈っているといいよ。」
とうとう死が現実味を帯びてきた。手が使えたならきっとお祈りのポーズをとっているだろう。寒さとは違う意味で震え上がる。側近の男は沸かしたお湯でコーヒーを入れて飲んでいた。いつもはこの側近と商人と私の3人だけだが、今日はさらに3人増えており小屋の中は狭かった。
時間だけは無情に過ぎてゆく。
風音の合間にふと馬の嘶きが聞こえた気がした。周囲に目を向けるも誰も気づいていない。外は相変わらず雪が降っていた。空はどんどん夜に向かって色を変えていく。
そんな時、ドンドンと扉を叩く音が聞こえた。男たちは目を見合わせ1人が向かう。片手を後ろに隠しながらすぐに魔法を使えるようにしていた。その隠した手のひらには小さく火が浮き上がっている。
もう片方の手でそっと、薄く扉を開ける。
すると外にいた人が思いっきり扉を開けて瞬時に目の前の男を氷漬けにする。周囲は騒然とした。側近の男がすぐに私の背後に来て、--水が属性なのだろう--氷の刃の切っ先を私の首に当てる。少しでも動けば刺さってしまう。
雪崩のように小屋に入ってきたのは第2騎士団の、黒地に金の刺繍がされた制服を着た者たちだった。
「やあ、君が経済大臣の側近、オルフェスト殿かな?いろいろ聞きたいことがあってね。騎士団の詰め所まで来てもらえるかな?」
「はっ、交渉決裂ということかい。じゃあ、この子はもう用なしだね。それ以上近づくとこの子の首を突き刺すよ。」
やっと助けが来たと思ったのに逆にピンチになってしまった。まだ死にたくない。恐怖で声は出ないから目で騎士へ訴える。
「それは困る。じゃあ僕は手を挙げておくよ。」
なんとものんびりした人だ。でもそれは口調だけを聞くならば。顔を見ると真剣な表情で側近を真っ直ぐ見つめていた。ふと私と目が合った際に微笑んだ気がした。あまりにも一瞬で気のせいだったのではないかと思う。
「いや、術を使われては困るから魔力抑制させてもらう。」
中になだれ込んだ救いの手たちは皆魔力抑制のために私と同様ロープでくくられた。
全員をくくると少しは安心したのか側近の手が緩む。そのすきを狙って団のトップと思しき人が小さく足音を立てる。するといきなり床板が割れ、地面から土壁が天井に向かって生える。それは側近と私の間から出てきて氷の刃から離れることができた。
「ぐっ。」
土壁が生えるときに側近の体に当たったようだ。服が破れ血が流れている。
「1つ言い忘れてたよ。外も騎士団で包囲させてもらった。どう足掻こうともう逃げられないよ。」
室内の犯人たちはあっという間に拘束された。私も手と足のロープを切ってもらう。
「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ。このまま帰してあげたいところですがいろいろ聞きたいことがあるので一緒に騎士団の詰め所まで来ていただきますね。」
騎士の1人に柔和な表情で言われた。頷き、その人に誘われて付いて行く。
温かい詰め所で騎士と話をした後、引受人が来るまで待ってほしいと言われ、いただいたホットココアをゆっくりと飲みながら待っていた。まだ気が高ぶっている。たった数日なのにとても長く感じた。
ココアを飲み終わり、高ぶっていた気も少しは落ち着いたと思われた頃、静かなノック音が聞こえた。
「お迎えが来ましたよ。」
返事をすると扉が開く。迎えに来てくれたのはロイド様だった。
「お待たせしました。一緒に帰りましょう。」
穏やかな瞳が私の手首を見て瞠目する。
(そういえばずっとくくられてたから赤くなってるんだった。)
「大丈夫です。ロープでくくられてたのでそのかすり傷です。」
そう説明するも表情は硬い。スッと手首をなぞられる。
「我が家によく効く塗り薬があります。後ほど届けますね。」
「いえ!そんな、悪いです。これくらいすぐ治りますよ。」
断ったが聞いてはくれなかった。
「城まで近いので私1人で大丈夫ですのに。」
第2騎士団の詰め所から城までは15分ほどの距離だ。これくらいならよく歩くし犯人は捕まったから大丈夫だと思うのだが。
「いいえ。その道中に何かあっては大変です。姫様からも直々に迎えに行くよう申し付かっています。」
お手間を取らせてすみません。申し訳なく思った。
城までの道を私の歩行速度に合わせて歩いてくれる。疲れた私に気遣ってかあまり会話はなかったが彼の隣はほっと安心できるようで居心地がよかった。
帰ってそのまま姫様の執務室へ挨拶に行く。
「失礼します。ただいま戻りました。ご迷惑をおかけしました。」
「ああ、よかった。迷惑ではない。心配はしたがな。」
いつものメンバーが執務室内で待っていた。姫様が小走りで扉の前まで来てギュッと抱きしめてくれる。
みんなの笑顔を見てようやくここに帰ってきたと実感した。
次の日、ロイド様から手渡されたクリームはカモミールの香りがした。そして本当によく効き、すぐに傷は治った。