~穏やかな日常を過ごしたい~⑤
5.違います!私じゃありません!
あの視察から2週間。何度か姫様と大臣たちの話し合いがされていたがいまだに話は平行線上だった。
そっとミルクティーを机の上に置く。
「ほんのりと温かく甘い。疲れが少し解けるようだ。」
「それはようございました。」
今日はこの国の南西地方で採れる、ミルクティーに適したホッサムティーを出してみた。
疲労の濃い顔に少し血色が戻る。そばで見ている私たちは心配になる。でも、所詮侍女である私たちが彼女の代わりを務めることはできない。
「なあ、アンナ。この間一緒に視察に行って何を思った?」
あの日のことを思い出す。
「・・・迂回路はどうかと思いました。でも一番はやはり専門家の意見も聞いてみたほうが良いかと。実際に予定地を見てみるのも手かな、とは思いました。」
「そうか・・・。」
それっきり姫様は黙り込んでしまう。ローズネリアさんと顔を見合わせる。ローズネリアさんも心配そうな表情ではあったが首を振る。
「御用の際はまたお呼びください。失礼いたします。」
2人でそっと部屋を後にする。
「最近ずっと執務室にこもりっぱなしだから心配ね。」
帰りの道中ローズネリアさんがささやく。いつものはつらつさがない。気分転換だ、視察だとよく城から抜け出していたのに。
気分転換になればとグラジオラスやガーベラ、アキノキリンソウ、ナナカマドなど、日毎に色とりどりの花を花瓶に生け、執務室に飾っているが気づいているだろうか。一応、私たち侍女の思いを花言葉にのせてみる。厨房のスタッフも最近食べ残しが増えた姫様を心配し、いろいろと工夫してくれているみたいだった。
今日も疲れをにじませたため息をつく姫様。外はどんよりとした曇り空でいつもより少し寒かった。そろそろ雪が降ってくる頃だろうか。ローツェン山脈は半分ほどが真っ白になっていた。だから今日もホットミルクティーを準備する。今日の軽食はチョコチップの入ったスコーンだ。
白地にピンクやオレンジで描かれた花柄の陶器のカップに紅茶を注ぎ、ミルクを適量入れ、銀のスプーンで混ぜる。
スプーンが黒く変色した。
「えっ!?」頭の中が真っ白になる。
そばではローズネリアさんともう1人の侍女が息をのみ、姫様は目を見開く。
その時の近衛騎士の動きは速かった。
「そのまま動くな。」
アクアウォーツ様が私の手首を掴む。冷たいまなざしが私を疑っていることを如実に語っている。
しばらくするとロイド様が騎士団長と副騎士団長を連れやってきた。
「どういうことだ?」
皆の表情は険しい。
「ちっ、ちがっ、私じゃないです!毒見では大丈夫でした!」
慌てて首を振り必死に訴えるが、私が紅茶を入れてこうなっているわけで、信憑性は低い。
私をよく知る侍女仲間や姫様はかばってくれる。
「そんなことをする子ではありません。」
「そもそも普段を見てればそんなことに頭が回るやつではないと思うがな。」
(かばってくれてるのか馬鹿にされてるのかどっち!?)
姫様はさらりと酷いことを言ってくれる。違わないけれども!
「毒見はどこでした?」
「厨房です。いつもそこで毒味役の人にしてもらってから運んでいます。」
ああ、この先どうなるのだろう。突然のことに心臓は早鐘を打っている。口から心臓が出そうな心地である。
「とりあえず調べなければならん。寮の自室も調べさせてもらう。リストニア女史は皇族殺人未遂の疑いがあるからな、しばらくは牢にいてもらう。姫様もそれでいいですね?」
「仕方ない。アンナ、しばらく我慢してくれ。早く犯人を見つけるから。すまんな。」
こうなっては早く解決することを願うのみだ。真っ青になった顔で泣きそうになりながらも小さく頷いた。
副騎士団長とアクアウォーツ様に挟まれながら地下の牢獄へ向かう。向かう途中ですれ違う人たちのひそひそ声や視線が気になる。気分は犯罪者だ。
牢の一室へ通される。そこは狭く、片隅にトイレがあるだけ。薄いボロボロの毛布が申し訳程度に置いてある。中に入ると施錠される。
「ロイドも君はそんなことをするような人じゃないと言っていた。でも君が入れた紅茶で銀が変色したんだ。それも姫様が飲まれようとしていたもので。ここにいてもらわなければならないことを理解してくれ。」
そういえばロイド様と副騎士団長は兄弟だった。
「はい。」
殊勝に頷くと目を細め、白地に金糸の刺繡がされたマントを翻し去って行った。
地下は薄暗く、底冷えのする寒さだった。ちょっと臭いけど仕方なしボロボロの毛布を羽織る。
未来の見えない不安に、地面に座って折り曲げた足を腕で抱き込む。
その後何度か聴取されたがやっていないものはやっていないし、知らないものは知らない。答えようがなかった。毎回ほとんど同じような質問をされることに、私が犯人だと決めつけられているような感じがして辛かった。
1日2食、硬いパンにスープとシンプルな食事を運ばれるが食欲はなく、ほとんど喉を通らずに返していた。寒く硬い床では寝ることもできず、いつまで経っても状況が変わらないことに精神的に参ってきていた。
四六時中薄暗い所にいるため、時間の感覚もなければ日付も分からない。あれからどれだけの時が過ぎたのだろうか。ここは生きる気力さえも失わせる力があるところだと思う。
ぼんやりとした暖かなオレンジの光が見えた。
「大丈夫か?」
のろのろと顔を上げると、そこには副騎士団長と侍女長が立っていた。しばらく思考を停止させていたために反応が遅れる。
副騎士団長が鍵を開けると侍女長が急いで牢の中に入り、私をきつく抱きしめた。
「ああ、こんなに痩せて。遅くなってごめんなさい。もう大丈夫よ。早くここから出ましょう。」
侍女長の声が震えている。
「・・・じじょちょう?」
久しぶりに出した声はかすれていて弱々しかった。
(ああ、やっと--)
そう思うと私も自然と涙がこぼれた。それは止めどなく流れ続ける。
しばらく食事もほとんど摂らずにこの中にいたせいで体力は大分落ちていた。副騎士団長が支えてくれるが、支えられながら歩くのがやっとだった。
遠くでロイド様が誰かと歩いているのが見えた。向こうもこちらに気づいたようで足が止まる。目を見開いた後痛そうな顔をしていた。両手は握りしめられている。一緒にいた人から声がかかったのかすぐに去ってしまったが。
侍女寮の自室へ戻る。そこにはローズネリアさんが待っていた。
「お帰りなさい。辛かったわね。」
ここでもそっと抱きしめられた。だいぶ経ってから、しばらくお風呂に入っていなかったのに匂いは大丈夫だっただろうかと心配になった。だがもう後の祭りだ。
ゆっくりと温かいお風呂につかった後、すりつぶしたリンゴを食べる。はちみつ入りのホットミルクを飲みゆっくりと自分のベッドで眠る。ずっと床の上だったから体のあちこちが痛かった。ここに戻る前、治療院へ行くよう言われていたが断りを入れ、こっちに戻る。自室(2人部屋だが)の方が気兼ねなくゆっくり休めるからだ。
そして2日ほど貪るように眠った。途中何度か意識が浮上していたがその時のことは覚えていない。
眠りから覚め、落ち着いたころに事の顛末を聞いた。
曰く、犯人は同じ姫様に仕える侍女の1人であり、姫様付きになって日の浅い私が姫様に気に入られていることに腹が立ったと。私が失脚すればいいと思ってやったことだと話していたそうだ。
当の犯人はロイド様とアクアウォーツ様に牢へ連れられて行かれたそうだ。ここに向かう途中に会ったロイド様はきっと護送中だったのだろう。ちなみに2週間近く牢の中にいたと聞いて驚いた。
今までも下働きとして城に上がり、すぐに姫様付きになったことに対してやっかみを受けることはあったがここまで悪質なものはなかった。だからしばらく落ち込んだ。そんなに憎まれていたことに、姫様や他の仲間たちを巻き込み迷惑をかけたことに。
名前のない手紙とともに花が届く。真っ白な花を咲かせたナナカマド。手紙には『お大事に』と一言だけど、それを受け取って涙した。胸の中がほんのり温かくなった。
誰かわからないけど、心の中でお礼を言う。
(ありがとう--。)
こうして今日も1日が過ぎていった。
ナナカマドの花が咲く時期と季節が合わないと気づかれた方、ここはひとつ他国からの輸入品だということでお手打ちくださいませ。