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勇者の契約~家出少年の異世界冒険記~

作者: 猫子ゆづき

※この作品は作家の猫子ゆづきさんに「こんな物語が読みたい」と依頼して作成していただいた作品です。

 作者の許可を得て公開しています。

「ただいま」


 学校から帰った僕は、意味もなく玄関で少し大きめの声を出してみる。だけど、当たり前のように今日も誰からも返事は返ってこなかった。


 お母さんがこんな時間に帰ってきてるわけないって分かってたけど、やっぱり少しだけ寂しい気持ちになる。


 誰もいないリビングで宿題をやるため、ランドセルから教科書とノートと筆箱を取り出す。


 宿題も終わってゲームをやっていると、スマホに「遅くなりそうだから、今日も先にごはんを食べておいて」とお母さんからのメッセージが届いた。


 お母さん、今日も遅いのかな。最近ずっと遅いけど、また仕事が忙しいのかな。

 今日は話したいことがあったんだけどな。


 今日も一人でご飯を食べると思うとがっかりしてしまったけど、お母さんは仕事で忙しいんだし、仕方ないよね。そう自分を納得させ、財布を握りしめてコンビニに行くことにした。


 家の近くにコンビニはいくつかあるし、コンビニに置いてあるお弁当の種類もそれなりにある。だけどこうもコンビニ弁当が続くと、さすがに食べ飽きてきたな。


 一人で食べるコンビニ弁当は味気ないし、食事中に話せる相手もいないから、あっという間に食べ終わってしまう。


 置き時計の音がやけにうるさく感じて、それを紛らわすためにテレビをつけてみたけど、なんだかつまらない。宿題も終わっちゃったし、お風呂も入ったし、やることがなくて暇だな……。


 お母さん遅いな……。まだかなー……。


 あまり楽しめないテレビをボーッと眺めながらお母さんを待っていると、玄関からガチャガチャと音がするのが聞こえてきた。


 お母さんだ!

 やっとお母さんが帰ってきたのが嬉しくて、玄関までお母さんを迎えに行く。


「お母さん、おかえり」


「ただいま、宿題はもう済ませたの?」


「うん、ご飯もお風呂ももうすませたよ!」


「そう。じゃあ、そろそろ寝なさい。明日も学校でしょ?」


「あ、うん。もう寝るけど、その前にお母さんに見せたいものがあるんだ。今日ね、学校で……」


 もう寝るように言われちゃったけど、今日はどうしてもお母さんに見せたいものがあったんだ。


 お母さんに見せようと用意して置いた作文をテーブルの上から取って、それをお母さんに渡そうとしたけど、お母さんはチラリと見ただけで受け取ろとしてくれない。


「悪いけど、明日でもいい? お母さん、まだやらなきゃいけないことがたくさんあるのよ」


「え……っ。でも、すぐに終わるし、今日じゃダメ?」


 お母さん、今日も疲れてるのかな。

 今日見てもらうのは難しいのかな。


 でも、これはお母さんのことを書いた作文だから読んでほしいんだけどな。

 クラスの中で一番上手に書けてたって、先生にも褒められたんだよ。


 作文を握りしめながらお母さんの顔をじっと見つめると、お母さんは大げさにため息をついた。


「ごめんね、お母さん疲れてるのよ。学校の話ならお休みの日に聞くから、今日はもう先に寝ててくれない?」


「お母さんはそう言って、いつも僕の話を聞いてくれないじゃないか。この前の休みの日だって遊びに行く約束だったのに、急に仕事が入ったって約束守ってくれなかったし。この前だけじゃなくて、もうずっと遊びに行ってないし、まともに話さえしてないよ」


 疲れてるのは分かるけど、いつも後回しにされるのは寂しいよ。数枚の作文を読む時間もないの? そんなに僕と話すのが疲れるの?


 今までずっと我慢してたけど、たまには僕の話も聞いてほしいよ。


「仕事なんだから仕方ないでしょ? 聞き分けのないことばかり言わないで。一馬はそんなに聞き分けのない子じゃないはずでしょう」


「でも……いつも仕事仕事って、じゃあ僕とはいつ遊んでくれるの? たっくんのお母さんは、仕事してても休みの日には一緒に遊んでくれるのに! 僕もたっくんの家の子に生まれたかったよ!」


「……っ。もういいわ、そんなにこの家が気に入らないのなら出ていきなさい。たっくんの家でもどこでも行けばいいでしょ」


 出ていきなさいと言われた瞬間に思わずこみ上げてきた涙をこらえ、そのまま玄関から飛び出していく。


 お母さんが僕の名前を呼ぶ声が聞こえたけど、そんなの知るものか。


 何も持たずに靴だけ履いて、目的地もないままひたすら走る。


 お母さんは、僕のことなんかいらないんだ。


 うちはお父さんがいないからお母さんが一人でたくさん働かないといけなくて、家に帰っても家のことをやらないといけなくて、お母さんはいつも疲れてる。だから、僕も自分のことは一人でやらないといけなくて、休みの日もあんまりお母さんと遊べないことはちゃんと分かってるよ。


 たっくんの家の子に生まれたかったって言ったのも、本心じゃなかったんだ。ただ、少し話を聞いてほしかっただけなんだよ。でも……。


 お母さんは、僕と話したくないんだ。

 お母さんは、僕が邪魔なんだね。


 そうだよね。僕がいなかったらあんなにいっぱい働かなくてもいいし、家事も減るもんね。

 僕さえいなければ……。


 暗闇の中を走って、走って、無我夢中で走っていると、気がついたら街の方まで来ていた。


 さすがに僕みたいな小学生が一人でこんなに遅い時間にウロついてるのは不審に思われたのか、誰かとすれ違う度にジロジロ見られている気がする。でもジロジロ見るだけで誰も僕に声をかけようとはしないで、足早に通り過ぎていく。


 誰も僕のことなんか気にしてないんだな。

 僕は、ひとりぼっちなんだ……。


 これからどうしようかな。

 お金も持ってないし、こんな時間に友だちの家に行ったらビックリされるだろうし……。


 行くあてもなくトボトボと一人で街を歩いていると、突然ピカッと地面が光り出す。


「えっ? なに?」


 あまりの眩しさに一瞬だけ目を閉じてしまったけど、すぐに目を開ける。


 *


 目を開けると、なぜか全く見覚えのない場所にいて、目の前には知らない子までいる。


「……え? ここ、どこ? 君は、……誰?」


 キョロキョロと辺りを見回すけど、やっぱり何回見ても知らない場所だ。


 少し薄暗い部屋の本棚には本がたくさん詰まっていて、僕の足元には魔法陣みたいなマークが書かれている。


 目の前にいる男の子は僕と同じ年ぐらいに見えるけど、金色の髪に緑色の目で顔もイケメンだ。外国人なのかな? それはともかく、何でゲームに出てくるキャラクターみたいな服を着てるんだろう。


 ここ、日本なのかな……?

 さっきまで街にいたはずなのに、どういうこと?


 しばらくキョロキョロしていたけど、目の前にいる子と目が合ってしまった。動揺している僕とは違って、その子は笑顔まで浮かべて落ち着きはらっている。


「やあ、初めまして。僕はモラント王国の第一王子、フェルナンド・ディ・モラント。

 君の名前は?」


「僕は、羽沢一馬だけど……」


 モラント王国? 王子?

 そんな国聞いたことないし、いきなり王子って言われても……。たしかに王子みたいな服着てるけど……。


「えっと、フェルナンド・デ……デュ? なんだっけ」


 とりあえずこの子に何か知ってるのか聞こうと思ったけど、やけにややこしい名前だったから途中からあやふやになってしまう。


「呼びにくいなら、フェルでいいよ。僕もカズマって呼ぶから」


「……分かった。じゃあ、フェル。ここはどこなの? もしかして日本じゃないの? なんていう国? 僕はさっきまで日本にいたはずなんだけど」


「ここはモラント王国だよ。カズマから見ると、異世界ってことになるかな」


「あ〜……、なるほど。異世界かぁ。どうりで……、え? い、異世界!?」


 うそだよね? 

 どう見ても日本には見えないし、異世界と言われれば納得出来なくもないけど、異世界なんてまさかそんな……。


 だって、異世界ってアニメや漫画やゲームでよくあるやつ? うわーそっかー……異世界って本当にあるんだ……って感心してる場合じゃなくて、何で僕は異世界にいるの?


 僕にとっては一大事なのに、何でもないことのようにさらっと言わないでほしい。


 思いっきり動揺する僕を見て、フェルはクスクスと笑いだす。


 何でフェルはこんなに落ち着いているの?


「フェルはどうして僕が異世界から来たって分かるの?」


「それは、僕が君を召喚したからね」


「は?」


「先代の王が退治した悪魔が復活して、モラント王国は危機に陥ってる。悪魔を倒すには、異世界から来た勇者の力が必要なんだよ。

 それで、僕が召喚したのが君ってわけ。もちろん協力してくれるよね」


「え? ちょっと待ってよ、いきなりそんなこと言われても……」


 異世界から来た勇者? 悪魔? 全然意味が分からない。


 ここが異世界だってだけでも意味が分からないのに、いきなり悪魔を倒すために協力しろって言われても困るよ。


 すでに決まってることみたいに言われたって、うん分かったなんて言えるわけないじゃないか。


「カズマ、僕たちすっごく困ってるんだよ。カズマが協力してくれないと、僕だけじゃなくてモラント王国の国民全員が困ることになる。君の力が必要なんだ」


 僕の力が必要……?


 フェルはやっぱり余裕たっぷりでとても困ってるようには見えなかったけど、僕が必要なんだと言われて少し迷ってしまう。


 フェルやこの国の人は、僕を必要としてくれてるのかな。僕がいないと困るのかな。


 ……お母さんは、僕がいなくても困らないよね。むしろ僕がいなくなった方がお母さんも楽になるのかもしれない。


 どうせ向こうの世界は僕がいなくても大して困る人もいないだろうし、それだったら僕を必要としてくれるこの世界にいた方がマシなのかな。


「でも……、やっぱり無理だよ。僕に悪魔なんて倒せるわけないよ。格闘技だってやったことないし」


 僕に出来ることなら協力してあげたいような気もするけど、やっぱりどう考えても僕に悪魔なんて倒せないと思う。


 友達とサッカーや野球はやったことあるし、学校の体育の授業ではそれなりに良い成績をもらってるけど、誰かと戦った経験なんてもちろんない。悪魔ってよく分からないけど、なんか強そうだし……。


「それなら大丈夫だよ。カズマに剣術や護身術を教えてくれる優秀な将軍もいるし、精霊たちだって力を貸してくれる。カズマなら出来るよ」


「そうかな……」


「そうだよ。なんていったって、カズマは僕が召喚した勇者なんだからね。僕の召喚魔法が失敗するわけないよ」


 僕の召喚魔法か……。


 フェルは自信たっぷりで、いかにも王子って感じだよね。王子なんだから実際に偉いのかもしれないけど、同じ年ぐらいの子にえらそうにされるとなんかモヤモヤするな。


「悪魔討伐に力を貸してくれるなら、そのお礼としてモラント王国の財宝を一つあげるよ」


 悪魔討伐を引き受けようかどうしようかまだ迷っていると、フェルはそんなことまで言い出した。


「財宝?」


「そうだよ、信用できない?」


「そういうわけじゃないけど……」


 そのモラント王国?にどんな財宝があるのかも分からないし、財宝をあげると言われてもいまいちピンとこない。


「言葉だけの口約束じゃなくて、契約を結ぶことになるから必ず約束は守るよ。契約を破れば、僕もそれ相応の報いを受けるはめになるからね」


「待って、そんなに色々言われても理解できないよ」


「ああ、ごめんね。カズマたちの世界ではどうか知らないけど、この世界では遠いところにいる生き物を召喚して契約を結ぶことができるんだ。たとえば、火の精霊サラマンダーを召喚して、食べ物をあげるから火を貸してって具合にね」


「そんなシステムになってるんだね。もし契約を結ばなかったらどうなるの?」


「契約が成立しなかった場合は、召喚された生物は元の世界に帰ることになるね」


「元の世界に帰れるの?」


 なんだ、召喚されたらてっきり強制的に役目を果たさないといけないのかと思ってたけど、帰ろうと思えば帰れるんだ。わけのわからない悪魔討伐なんかやらされるよりは、元の世界に帰った方が絶対いいよね。でも、……。


「帰りたいなら帰ってもいいけど、カズマは帰りたいの? カズマは、元いた世界に自分の居場所がないと感じたことはない? 誰だって一度くらいはそう感じたことはあるんじゃない? でも、この世界ではみんなが君のことを必要としていて、君のことをずっと待っていたんだよ」


 自分の居場所がないと感じたこと、か……。


 優しく諭すようにフェルにそう言われ、お母さんとケンカしたことを思い出して胸の辺りがキシリと痛む。


(この家から出ていきなさい)


 そうだった。元の世界に帰っても、僕の居場所はないんだ。どうせ元の世界では誰も僕のことを必要としてくれないし、それなら僕は、僕は……。


「分かった。君と契約を結ぶよ」


 顔をあげてフェルと視線を合わせると、フェルは嬉しそうに笑った。


 分からないことばかりだし不安もあるけど、喜んでくれてるみたいだし、引き受けて良かったのかも。偉そうなところもあるけど、悪いやつじゃなさそうだし、フェルのことは嫌いになれないな。


「じゃあ、早速契約を結ぶよ。右手を前に出して」


「う、うん」


 さっと自分の右手を前に出したフェルに言われるがまま、僕も右手を前に出す。


「召喚者フェルナンド・ディ・モラントと召喚された者ハネザワカズマは、ここに契約を結ぶ。ハネザワカズマはモラント王国の悪魔討伐に力を貸し、フェルナンド・ディ・モラントはその対価として、モラント王国の財宝をハネザワカズマに一つ譲渡する」


 フェルが呪文みたいな言葉を言い終えると、僕たちの右手が同時に光り出す。僕の右手から出た光がフェルの右手に入っていき、フェルの右手から出た光が僕の右手に入ってくる。


「わっ……」


 あつ……っ。光が入ってきた瞬間右手が燃えるように熱く感じたけど、そう感じたのは一瞬だけだった。


「これでいいの?」


「うん、右手の小指に指輪みたいな跡が出来てるよね? 無事に契約が成立した証だよ」


「指輪みたいな跡? あ、本当だ。全然気がつかなかった」


 フェルに言われて自分の右手の小指を見ると、たしかに白い輪っかみたいな跡がついている。これが契約の証かぁ。


 なんとなくフェルの右手も見ると、僕と同じ位置に跡があったけど、他の指にもいくつか同じような跡がついていた。


 みんな輪っかみたいな形だけど、それぞれ大きさや色は違っている。白、黄色、赤、緑、ピンク、黒……。一本の糸のように細いものから、ごつい指輪みたいな太さのものまであった。


「どうかしたの? 僕の手が気になる?」


 思わずまじまじとフェルの手を観察していると、それに気がついたフェルは小さく笑いながら自分の右手を軽く振って見せた。


「フェルは、僕の他にもたくさん契約してるの?」


「そうだね、精霊たちと契約を交わしてるよ。この跡は、契約の大きさや種類によって異なるんだ」


「ふーん、……そうなんだ」


 なんかいまいちピンとこないけど、もし精霊がいるのなら見てみたいな。


「カズマにもそのうち召喚魔法を教えてあげるよ。さあ、無事に契約も成立したことだし、そろそろ行こうか」


「行くって、どこに?」


「まずは国王に謁見かな。それから、城の者たちや国民にも君を紹介しないとね。みんな勇者に会えることを待望していたんだよ」


 国王ってことは、フェルのお父さんってことだよね。王様に会うなんて緊張するなぁ。


 *


「おお、無事に異世界から勇者を召喚出来たのか! よくやったぞ、フェル。さすがはモラント王国の第一王子だ。

 カズマ殿もよく来てくれた。フェルや家来たちと力を合わせて悪魔を討伐することを期待しているぞ。我が国の未来はカズマ殿にかかっているのだ」


 フェルに王様のいるところまで連れていかれると、王様は僕を見るなりそう口にした。


 異世界から勇者を召喚することを王様も前もって知っていたのかな。


 フェルと同じ金色の髪の毛に緑色の瞳を持つ王様は、王様らしく威厳と貫禄があるけれど、僕のことは歓迎してくれているみたいで少しホッとした。


 王様との謁見が終わった後もフェルに連れられて色々な人にあったけど、みんなすごく歓迎してくれているみたい。


「あなたが異世界から来た勇者様ですか! 殿下と一緒に悪魔を倒してくださるのですよね! おお、ありがとうございます!」


「おお……、あなたが勇者様か……。死ぬまでにこの目で拝めてよかったわい……」


「おにいちゃんがゆうしゃさま? みたことないふくきてるね! ねえねえ、べつのとこからきたってほんと?」


「勇者のお兄ちゃん! 勇者の剣見せてよ! えー? まだ持ってないの? ちぇっ、見たかったのになー。もし勇者の剣をもらったら、絶対に僕にも見せてよ」


「フェルナンド殿下バンザイ! 勇者カズマ様

 バンザイ!」


「初めまして勇者様、家臣一同あなた様が来てくださることを待望しておりました。我が国の未来は勇者様と殿下にかかっております」


「何かご入用のものがありましたら、すぐに私共にお申し付けくださいね」


 お城の中を歩けば、鎧を身につけた人たちに頭を下げられる。街を歩けば、僕よりも小さな子からうんと大人の人まで近寄ってきて、口々に声をかけてくれたり、拝むように手を合わせる人までいた。とにかくみんなが異世界から来た勇者……僕のことを歓迎してくれているようにみえる。


 こんな扱いを受けたことは初めてだから、なんだかくすぐったいけど、僕がいるだけで笑顔になってくれる人たちがこんなにいると思うとすごく嬉しいな。


 この国には、こんなにも僕のことを必要としてくれている人たちがたくさんいるんだ。


「モラント王国はどう? カズマの元いた世界とは全然違うんじゃない?」


「そうだね。僕のいた日本とは全然違うけど、自然がいっぱいでいいところだね」


 街を歩きながら、時々話しかけてくるフェルに僕は辺りを見渡しながら答える。


 街を歩いていると、本当にここは異世界なんだなって改めて感じた。


 アスファルトの道路に電信柱が並び、みんなが忙しそうに歩いている日本とは違って、ここは電信柱も一つもないし、レンガ造りの道が敷かれている。道の両脇にはレンガ造りや石造りの家や建物が立ちならんでいて、どこを見ても普段見ていた景色とは違っていた。


 それに街のみんなの服装も僕の着ている服とは違っていて、中世ヨーロッパやゲームに出てきそうなドレスや騎士みたいな服を着ているし、時々頭からモフモフの耳やしっぽが生えている人ともすれ違った。


 ちょうど獣と人間の間のような外見の彼らのことを獣人と呼ぶんだと、フェルに教えてもらったんだ。初めはびっくりしたけど、獣人の人たちも気さくに話しかけてくれるし、言葉が通じないなんてこともなかった。


 獣人よりももっと獣に近い生き物たちは、街から離れた森の方に暮らしてるんだって。


 なんか本当にゲームの世界みたいだな。


 驚くことばかりだけど、人間もそれ以外の生き物もみんな仲良く暮らしてるんだね。


 悪魔さえいなければ、すごく平和な国に見えるけど……。


「どうかしたの? 考え込んじゃって。何か気になることでもあった?」


 少し気になることがあって考えていると、すぐにそれに気がついたフェルに顔を覗きこまれた。


「僕は悪魔を討伐するために異世界から召喚されたんだよね? 悪魔が復活したわりには、みんな幸せそうに見えるし、すごくニコニコしながら僕たちに話しかけてくれるっていうか……」


 もし悪魔なんて恐ろしい生き物が復活したって噂になったら、日本だったら大混乱になりそう。


 疑問に思ったことをフェルにそのまま尋ねると、フェルは納得がいったようにひとつうなずいた。


「モラント王国では、ずっと昔から次世代の王となる人が異世界から召喚した勇者の力を借りて悪魔討伐を果たしてきているんだ。

 先代の王が即位する時も悪魔討伐を果たしているし、悪魔討伐は次世代の王が即位するお祝いごとみたいなものだからね。それに、王子と異世界から来た勇者なら必ず悪魔討伐を果たしてくれると国民は皆信じている。だから、みんな祝福ムードなんだよ」


 先代の王ってことは、フェルのお父さんってことだよね。さっき会ったフェルのお父さんよりもずっと前の王から続いてきた伝統なんだ。


 復活した悪魔を毎回倒すのも大変そうだけど、この国では恒例行事みたいになってのかなぁ。


 ん? 悪魔討伐は次世代の王が即位するお祝いごとでもあるってことは……。


「悪魔討伐が終わった後は、フェルが次の王様になるってこと?」


「そうだよ。だから、僕は悪魔討伐の旅を必ず成功させなきゃいけないんだ。そのためにカズマにも協力してもらうよ」


「う、うん。約束したし、僕に出来ることは協力するけど……」


 悪魔討伐を必ず成功させたい。なぜだか分からないけど、そう言った時のフェルの緑色の瞳に恐ろしいものを感じ、ゾクッとした。


「まあ心配しなくても、王子の僕と異世界から来た勇者のカズマがいれば必ず成功するだろうけどね。気楽にいこうよ」


 あれ? さっきのは気のせいだったのかな?

 真顔のフェルに恐ろしいものを感じたのは一瞬だけで、数秒後には笑顔になったフェルからはもう恐ろしさなんて感じなかった。


 モラント王国の歴史や風習を語り出すフェルはどこもおかしいとこなんかなくて、一瞬だけ感じたフェルへの恐怖なんてすぐにどこかに飛んでいってしまう。


 えらそうだし、余裕にみえるけど、こう見えてフェルも悪魔討伐や王様になることへのプレッシャーもあるのかもしれないな。それで怖く感じたのかも。


「あのさ、僕と同じくらいに見えるけど、フェルって何才なの?」


「今年で十二才だよ」


「えっ、十二才なの? じゃあ僕と同じだ」


 さらりと年を明かしたフェルにやっぱり同じくらいの年だったんだと思ったと同時に、僕と同じ年で次の王様になるんだと思うと、すごいなぁと思ってしまう。


「そうなんだ? 年も同じみたいだし、僕たち仲良くなれそうだね」


 フェルって自信満々でえらそうなところもあるけど、気さくなところもあるし、なんだかよく分からない子だな。


 でも話しやすいし、同じ年だって分かってなんとなく嬉しい。そうだね、と返すと、フェルもにっこりと笑顔を返してくれた。


「モラント王国のことは大体分かったんじゃない? まだ見たいところがあったら、明日以降にまた案内してあげるよ。今日はそろそろ城に帰ろうか。もう宴の準備も出来ている頃だと思うよ」


 僕の返事も待たずにお城の方に歩き出したフェルの後を僕もあわてて追いかける。


 空を見上げると、いつのまにか日が落ちて赤く染まっていた。フェルから連れられて街に来た時はまだ青空が広がってたのに、もう夕方になったんだね。何を見ても新鮮で楽しくて、あっという間だったな。


 フェルが言うには、明日からは悪魔討伐のための準備や魔物を倒すために訓練をしないといけないらしいけど、今日は異世界から僕が召喚された特別な日だから歓迎会を開いてくれるんだって。


 こんなにいたせり尽せりでいいのかなって気もしてきたけど、お城の料理ってどんなものがでてくるのか楽しみ。普通に生きてたら、お城の料理が食べれることもそうそうないだろうし……ああでも、それを言うなら、普通に生きてたら異世界に召喚されることもめったにないよね。


 フェルから歓迎会の話を聞いてワクワクしながらお城に帰ると、城門にお城の人たちがズラリと整列していた。


「おかえりなさいませ、殿下。カズマ様」


 お城の人たちは声を揃えて僕たちを迎えると、一斉に頭を下げる。


 わっ……なんか照れるな……。


 フェルは慣れているのか、それを見ても眉ひとつ動かさなかったけど、こんな扱いを受けることが初めての僕はなんだか戸惑ってしまう。


 どこを見ればいいのか分からなくてワタワタしていると、頭を下げている人たちのうちの誰かに向けてフェルが手招きした。


「ローラもいたんだ。カズマに紹介しようと思ってたから、ちょうどよかった。

 カズマ、この子がこれから君の身の回りのことを担当するローラだよ。ローラ、カズマに挨拶して」


「へ?」


 フェルが手招きすると、頭に白いカチューシャをつけ、ピンクと白のメイド服のような衣装を身に付けた女の子が一歩前に出る。


 この子がローラ?


 身の回りの世話って何だろう。

 お世話をしてもらわなくても自分で出来るんだけどな。


 どういうことなのかフェルに聞く前に、ローラと言われた子が挨拶を始めたのでタイミングを失ってしまう。


「お初にお目にかかります、カズマ様。カズマ様にお支えさせて頂くローラと申します。不束者ですが精一杯つとめさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 ローラは片足を引いてもう片方の膝を軽く折り曲げると、ゆっくりと顔を上げて僕と視線を合わせた。


 うわぁ……、すごくかわいい……。


 少し彼女の顔を見ただけで、もうローラから目が離せなくなってしまった。


 腰くらいまであるふわふわのストロベリーブロンドの髪、宝石みたいに綺麗で淡いピンク色の瞳、透き通るような白い肌、内側からほんのり火照っているようなピンク色の頬、可愛らしい小さな唇。


 絵に描いたような美少女だ。

 背は僕よりも小さいし、年齢も同じくらいに見えるけど、こんなに可愛い子初めて見たよ。


 アイドルや芸能人でも、中々ここまで可愛い子はいない。中々どころか、今までに見た女の子の中で一番可愛いかも……。


 本当に人間なのか疑ってしまうくらいに可愛くてポーッとなってしまっていると、フェルから脇腹をつつかれる。


「ローラのこと気に入った? どうせ側にいるなら可愛い子の方がいいと思ってね。僕が彼女を選んだんだ。カズマの好みが分からなかったけど、気に入ってもらえたなら嬉しいよ」


 ローラには聞こえないくらいの小さな声でそんなことをささやいてくるフェルに言い返そうとしたけど、返す言葉もなくて口をパクパクさせるだけになってしまう。そんな僕を見てクスクス笑っているフェルを見ていると、ますます恥ずかしくなって自分の顔が熱を持っていくのが自分でも分かった。


 もう、こんなの困るよ……。いや、こんなに可愛い子が側にいてくれるなんて嬉しいけど……。いやでも……。そもそも身の回りの世話って何だろう。自分のことは自分で出来るんだけどな。


 お世話係なんていらないと断るべきなのか、受け入れるべきなのか。どうすればいいのか分からなくて、ちらちらローラの顔を見ていると、ふいに彼女と目が合ってドキッとした。


 やっぱり何回見ても可愛い……。


 ドキドキしながらローラを見ていると、ふわりと優しく微笑みかけられ、ますます心臓の鼓動が早くなる。


 普通にしてても可愛いのに、笑うともっと可愛いなんて反則だよ。


「ローラに見とれるのもいいけど、そろそろ行かない? 僕たちが戻らなきゃ歓迎会が始められないと思うよ」


「あ、そ、そうだね、ごめん。って、別に見とれてたわけじゃ……っ」


 ローラから目が離せないでいると、横からフェルに冷やかされてしまった。


「はいはい、分かってるよ」


 反論したけど軽く流されちゃったし、完全にからかわれてるな。


 フェルの後をついていくと、さらに僕の数歩後をローラがしずしずとついてきて、なんだか後ろばかり気になってしまう。


 こんなに可愛い子がお世話係なんて、僕の心臓が持ちそうにないよ……っ。


 フェルの後をついて長い廊下を歩いたあと、フェルは大きなホールみたいなところに入っていった。


 そこは学校の体育館くらいに広く、今までに見たことのないくらい長いテーブルとその周りに椅子が置かれていた。長いテーブルの上には、たくさんのお皿とナイフとフォークが用意されている。


 ここで今からご飯を食べるのかな?

 たくさん椅子があるけど、僕はどこに座ればいいのかな。


「フェル、僕はどこに座ればいいの?」


「僕の隣に座ってくれる?」


 フェルは金色の席の椅子を少し引いて、自分はその隣の席に座った。それにうなずき、フェルが引いてくれた椅子に僕も座る。


「あ、うん。これって、席は最初から決まってるの?」


「そうだよ。椅子の色が違うよね?

 その人の位によって、座る椅子の色が決められているんだ。王族は金、重臣は銀、そこそこの役職が与えられている家臣が銅、さらにその下が……みたいな感じでね」


「へぇ〜、そうなんだ」


 ずらっと並べられた椅子を見ると、たしかに金、銀、銅、黄、紫……と色々な色がある。……あれ?


 金の椅子に座るのは王族って言ったけど、たしか僕が今座っている椅子も金色だったよね?


 不思議に思って自分の座っている椅子の色をもう一度確認すると、やっぱり金色だった。


「僕も金の椅子に座って良いの? 僕は王族じゃないけど……」


「もちろん。君はこの国では王族と同格の立場だからね。悪魔を討伐する勇者はそのくらい皆に尊敬され、必要とされているんだよ」


 フェルの説明を聞いて納得はしたけど、やっぱり自分が王族専用の椅子に座るなんて落ち着かないな。


 だって、ついさっきまではどこにでもいる普通の小学生だったんだ。遊ぶ友達はいるけど、そこまで僕を尊敬してくれている子なんて誰もいなかったし、むしろ誰にも必要とされていないくらいで……。


 落ち着かなくてソワソワしているうちに、いつのまにか一人二人とホールに入ってきて、最後に王様とお妃様が来て席に着くと、少しずつ食事が運ばれ始めた。


 野菜がたっぷり入った温かいスープ、甘辛いソースがかかった骨付き肉、お肉と野菜を煮込んだもの、宝石みたいにキラキラなゼリーがかかったサラダ、りんごによく似た果物を煮たデザート……。


 漫画やテレビでしか見たことがないような豪華でオシャレな料理が次から次へと運ばれてきて、正直食べきれないくらいだった。


 その合間に色々な人がちょうど良い甘さのジュースやシュワシュワと泡が立った炭酸のような飲み物をつぎにきてくれたり、フェルや王様も僕に声をかけてくれた。


 いつのまにかハープやバイオリンの演奏まで始まってるし、隣ではさっき紹介されたばかりの美少女メイドのローラがかいがいしく僕の世話をやいてくれていた。


「カズマ様、いかがでしょうか? お口に合わないようでしたら、すぐにお取り替えいたしますのでおっしゃってくださいね」


「ぜ、全部おいしいよ」


「お口に合ったようで安心いたしました」


 にこりと笑ったローラはまるで天使みたいで、さっきから心臓の鼓動がドキドキとうるさいんだ。本来ならローラは王族からはずっと離れた位置に座るはずなんだけど、今日は僕の世話係として特別に隣に座っているということらしい。


 隣に美少女がいるのもドキドキするし、料理もおいしい。みんなから歓迎されて、みんなと一緒に食べるご飯ってこんなにおいしいんだね……。


 最近はお母さんとご飯を食べることもほとんどなくて、いつもコンビニ弁当だった。お腹が空いたから仕方なく食べるだけで、一人で食べるご飯は楽しいと思えなかったんだ。


 種類を変えてみてもみんな似たような味に感じたし、なんだか味気なくて……。


 お母さんは、今頃一人でご飯を食べてるのかな。


 お母さんが一人寂しくご飯を食べている姿を想像してしまって胸が痛くなったけど、どうせ僕がいてもお母さんは仕事で一緒にご飯を食べられないんだ。僕がいなくなって寂しく思うどころか、今頃せいせいしてるかも。


 洗い物も減るし、学校関連のこともしなくて良くなるもんね。


 お母さんを一人にして自分だけ楽しんでいる罪悪感が一瞬湧いてきたけど、すぐにそれを振り払い、お城のみんなと食べる夕食を楽しんだ。


 *


「はぁ〜……。本当に、今日は信じられない一日だったな……」


 夕食の後、僕のために用意してくれたという部屋に案内され、ようやく一人になった僕はフカフカのベッドに倒れ込む。


 わ……っ、このベッド見た目以上にフカフカだ。部屋も僕一人が使うにしては広すぎるし、本当に僕のためにここまでしてもらっていいのかな?


 部屋に置いてある家具は、クローゼットと机と椅子とベッドぐらいで数は少なかったけど、どれもこれも豪華すぎるぐらいに豪華で、逆に落ち着かなくて居心地が悪いくらいだよ。もっと小さい部屋で良かったのに。


 この世界はあまりに僕に都合が良さすぎて、夢なんじゃないかと思えてきた。夢……、なのかな。


 明日の朝目が覚めたら、また元通り日本にいて、一人で起きて学校に行って、誰もいない家に帰って、一人でご飯を食べて、一人で眠るのかな。誰にも必要とされない毎日に戻るのかな。……嫌だな。


 もしもこれが夢なら、ずっと夢から覚めなければいいのに。


 この世界ではみんなが僕のことを必要としてくれて、それに……。ローラの顔を思い出すと、また急に胸がドキドキしてくる。


 ……帰りたくないなぁ。ずっとここにいたい。


 異世界にきた初日、そんなことを考えていたらそのまま眠りについたんだ。


 目が覚めたら、いつもの誰もいない家にいるかも……。そう思いながら毎日眠りについて、次の日も今日こそは元の世界に戻ってるかもと思いながら目を覚ましたけど、何回それを繰り返しても、いつもの家で目覚めることはなかった。


 広すぎる部屋のフカフカのベッドの上で目を覚まし、ローラが用意してくれた異世界の服に着替え、豪華な食事を食べ、魔物を倒す訓練に励む。


 ああ、そうそう。最初の頃はローラが着替えを手伝わせてくださいと言ってきたり、食べ物までスプーンで食べさせようとしてきたりしてきたけど、それだけはやめてってお願いして、しぶしぶ納得してもらったんだ。


 着替えを手伝ってもらうのはさすがに恥ずかしいし、この年で食べさせてもらうのもね……。


 でも王族や貴族の人たちにとっては、それが当たり前なのかな。もしかしたらローラも以前はフェルや他の王族の人たちのお世話をしていたのかと思うと、なんかモヤモヤするというか胸に何かが引っかかったような微妙な気持ちになるんだけど、この世界ではそれが当たり前なんだからきっと気にする方がおかしいんだよね。


 着替えを手伝ってもらったりすることが当たり前なら、お互いドキドキしたりすることもないんだろうし……。


 お風呂とか着替えのお手伝いはさすがに断ったけど、それ以外の時はローラはいつも僕のそばにいて、とにかく身の回りのことは何でもやってくれた。


 広いお城の中で迷子になりそうになってもローラがいたから大丈夫だったし、食事の作法やお城のルールが分からなくてもローラのおかげで困ることはなかったし、訓練の後もいつも清潔なタオルや冷たい飲み物を用意してくれたりして気を配ってくれている。


 戦闘の訓練では、マルコ将軍っていう2メートルくらいはありそうなおじさんが剣の使い方を一から教えてくれるんだけど、筋が良いっていつも褒めてくれるんだ。今まで剣を使ったことがないとは信じられませんな、うかうかしてると私も追い越されるかもしれません、って。


 本物の剣なんてもちろん使ったことないし、剣道さえもやったことがなかったけど、マルコ将軍に褒められて少しずつ自信がついてきたよ。


 マルコ将軍は、フェルが小さな頃から剣を教えていたくらいに王様からの信頼も厚いんだ。


 真面目な人柄で信頼されてるのもあるんだろうけど、何年か前に起きた大きな戦争でもたくさんの手柄をあげて王国を勝利に導いた英雄なんだって。それ以外の小さな戦いでも負け知らずで、このお城はマルコ将軍によって守られてきたと言ってもいいくらいにとにかくすごい人らしい。


 そんなにすごい人に認めてもらえるなんて、僕って実は強かったのかな? もしかしたら、あっさり悪魔も倒せちゃったりするのかも?


 さすがにそんなに甘くはないだろうけど、将軍もいつも褒めてくれるし、お城にいるとすごく平和で、今から悪魔を倒しにいくんだっていう実感も湧いてこない。


 訓練の合間にはローラに元いた世界のことを話したり、フェルに召喚魔法やこの世界のことを教えてもらったりして過ごした。そういえば、火の精霊サラマンダーと水の精霊ウンディーネと契約を結ぶことも出来たんだよ。困った時に火と水を貸してくれるっていう小さな小さな契約だけどね。


 悪魔を倒すというわりには、僕は毎日緊張感のない毎日を送っていたと思う。


 召喚された日から一週間が過ぎて、いよいよ楽しかったお城の生活にも別れを告げ、旅立つ日がやってきた。


 王様から旅の装備としてもらった最高級だという鎧を身につけ、最高級の剣を腰にさす。


 あれ? 思ったより重くないけど、最高級のものだからかな?


 この世界の武器の中でも最高級の攻撃力を誇るという剣はシンプルなデザインだけど、訓練用に使っていた鉛色の鉄の剣よりも見た目は重そうだった。だけど手に持ってみると意外にもしっくりと馴染み、腰にさしてみると剣を下げていることを忘れるくらいに軽い。


 鎧は全身を覆うような形ではなくて、簡単な胸当てみたいなものだけど、これをつけていると全身の防御力が上がるらしい。剣と同じく鎧もつけていることを忘れるくらいに軽くて、息苦しさや圧迫感も全く感じなかった。


 見た目は重そうなのに装備してみると軽いなんて不思議だけど、持てないくらいに重いものじゃなくて良かった。そのことに少し安心しつつも、旅立ちの装備を身につけると、いよいよ行くんだなって実感して、やっぱり緊張してしまう。


 大丈夫かな……。歴戦の将軍や騎士団きっての精鋭の人もついてきてくれるらしいから、きっと大丈夫だとは思うけど……。


 悪魔討伐に行くのは、僕と王子のフェル、僕の世話役のローラ、マルコ将軍、それから精鋭の騎士の人たち数人。


 みんなでお城を出て、城下町に向かうと、たくさんの人たちが僕たちを待っていてくれた。


「殿下〜! 勇者様〜!」


「勇者様は我が国の希望です! どうかよろしくお願いいたします」


「ゆうしゃのおにいちゃんがんばってね〜! ぶじにかえってきたら、わたしとけっこんしてね! ……え? もっとおおきくなってから? え〜ん、そんなのやだ〜! わたし、もうおとなだもん!」


「お兄ちゃんがんばれ! 勇者はとっても強いから、どんな敵にも絶対に負けないんだよな! 俺、知ってるんだぞ!」


「おお……、あの方が今回の勇者様……。生きているうちに二度もこの目で拝見することができるとは……。ありがたや……、ありがたや……」


「勇者様、殿下、皆様のご無事をお祈りしております」


 熱い声援を送ってくれる国民の人たちにフェルは軽くうなずいたり微笑んだりしている。恥ずかしくなってきたけど、僕もなんとか笑顔を作ってみんなに手を振り返す。すると、いっせいに「勇者様〜!」と歓声が上がった。


 うぅ……、やっぱり照れる……。

 でもこんなに僕に期待してくれてるなんて嬉しいな。みんなの期待に応えなきゃ。


 恥ずかしいような誇らしいような気持ちで城下町を通り過ぎたところで、確認のためにフェルに声をかける。


「これから僕たちは、悪魔が棲む山に向かうんだよね?」


「うん。でもそのためには、まずはエントの森を通らなきゃね」


 前もって聞いていた通りの道筋を地図を見せながら説明され、僕もこくりと頷く。


 悪魔の棲む山ほどではないけど、エントの森にもモンスターがいるって聞いているし、いよいよ僕も戦うんだよね。がんばらないと……。


「心配しなくても大丈夫だよ。歴戦のマルコ将軍もいるし、他の騎士も皆精鋭だからね。カズマは何も心配しなくていいから」


 不安が隠しきれていなかったのか、フェルから肩を叩いて励まされ、最後尾から将軍や騎士たちにまで声をかけられる。


「そうですぞ。我々もおりますし、カズマ様は剣の素質もおありの勇者様なのですから、魔物なぞに遅れをとるはずもありません」


「何があっても、私たちが全力でサポートいたします。この命に変えてもカズマ様をお守りいたします!」


「あ、ありがとう。僕もがんばるけど、あの……、ローラは大丈夫なの? 本当にローラもつれてきて良かったの?」


 ずっと気になっていたことを口にしながらも、僕とフェルの少し後ろにいたローラをちらりと見る。


 ローラは僕たちみたいに武器や防具も装備していないし、いつものピンクと白のメイド服だ。戦えるような格好じゃないし、どう見てもか弱そうだし、まさか旅にまでついてくるとは僕は思わなかったんだ。


 てっきりお城に滞在してる間だけのお世話役なんだと思ってたんだけどな。


「まあ、私のような者のご心配までしてくださるなんてカズマ様はお優しいのですね。私はカズマ様のお世話をさせて頂くことがお役目。どのような危険な場所にもお供させて頂きます」


 フェルか将軍に話しかけたつもりだったけど、ローラ本人にうっとりしたように見つめながらそう言われ、ドキマギしながらも僕もローラに返事をする。


「でもローラは女の子だし、心配なんだ。まだ城下町を出たばかりだし、今からなら引き返せるよ」


「そんな……、私に帰れとおっしゃるのですか? 私はカズマ様のお側にいさせて頂きたいのです。どうしてもご迷惑だとおっしゃるのであれば、ご命令には従いますが……」


 え……、それってどういう……。

 仕事だからじゃなくて、僕と一緒にいたいからなの?


 ローラからキラキラした瞳でみつめられ、ドキドキし過ぎて何を言えばいいのか分からずにうつむいてしまう。


「ローラもこう言ってるし、いざという時は君が守ってあげなよ。ローラに良いところを見せるチャンスだよ」


 きっと挙動不審になっていただろう僕の耳元でフェルからそんなことをささやかれ、恥ずかしくなって思わず軽く突き飛ばすと、フェルは楽しそうにクスクスと笑った。


 うぅ……、もう……。


 自分以上にローラが心配だけど、旅の間もずっとローラと一緒だと思うと、正直嬉しいような気もする。フェルにずっとからかわれるのかと思うと気まずいけど……。


 城下町を通り過ぎても、しばらくは獣人や町に住んでいると思われる人と道ですれ違ったけど、町が遠くなっていくにつれて道ですれ違う人が少なくなり、ついには辺りにいる人間は僕たちだけになった。


 元々城下町の周りも自然豊かだったけど、今はさらに緑が増えたというか緑しかなくなったし、人間や獣人がいなくなった代わりに時々足元に飛び出してくる小さな獣が増えてきた気がする。


 だいぶ日も高くなってきた頃、お城の料理人の人たちが作ってくれたお弁当をみんなで道端で食べた。その場で少し休憩してからどんどん歩いていくと、道らしい道もなくなって、獣の数もますます増えてきたんだ。


 特に攻撃しようとはしてこないし、大人しそうだからいいけど、そのうち僕たちを襲ってくるモンスターに遭ったりもするのかな。きっとそうだよね。何事もなければそれが一番いいけど、そこまで順調にいくとも思えないし、獣も増えてきて、いつ何が出てきてもおかしくないような雰囲気になってきたし……。


「ここがエントの森だよ」


 えっ、もうエントの森?


 魔物に遭遇しないか心配しているうちにいつのまにか目的地についていたらしく、フェルの言葉に顔をあげる。


 フェルの視線の先には大きな木がたくさん茂っていて、一度入ったら出てこれなくなりそうなくらいに深い森があった。


 いかにも何か出そうな雰囲気に僕はごくりと唾をのみこむ。一瞬ひるんでしまったのは僕だけだったみたいで、ためらわずに森に入っていくフェルの後をあわてて追いかける。


 森の中は太陽の光もほとんどさしていないくらいに草木がたくさん茂っていて、まだ昼過ぎのはずなのに異様に薄暗かった。


 途中で小さな花を何度か踏みそうになったけど、どうにかそれを避けて歩く。花を踏まずにすんだと思ったら、今度は足元に木の根が這っていたりと森の中は足場も悪く、障害物を避けながら転ばないように気をつけて進んでいく。


「きゃあっ!」


 あ……っ。複雑に絡み合った木の根に足をとられ、転びそうになっているローラに慌てて手を伸ばす。


「大丈夫?」


「ええ、カズマさまのおかげで助かりましたわ。ありがとうございます、カズマさま」


 僕の手をとったローラにその手を両手できゅっと握られ、上目遣いで見つめられ、心臓がドキリとしてしまう。


 やっぱり可愛い……。それに、ローラの手が想像よりも小さく柔らかくて、余計にドキドキしてしまった。


 女の子の手って、こんなに小さいんだね。


 いつもは僕の着替えを用意してくれたり、配膳を担当してくれたり、訓練の後にはタオルや冷たい飲み物を用意してくれて、同じ年とは思えないくらいにしっかりしてるローラだけど、こんなに小さな手をしてるなんてやっぱり同じ年の女の子で、守ってあげなきゃと改めて感じる。


 僕は異世界から呼ばれた勇者で、この世界の平和とモラント王国のみんなを守るために呼ばれたんだと思うし、僕を必要としてくれるみんなのためにがんばりたいけど、その中でも特にローラのことは僕がちゃんと守りたい。僕が、ローラを守らなきゃ。


「良い雰囲気のとこ悪いけど、そろそろ先に進むよ。カズマ、危ないからローラの手を引いてあげたら?」


 じっと見つめてくるローラのピンク色の瞳から目を離せずにいると、少し離れたところにいたフェルからからかうように声をかけられ、反射的にローラの手を離す。


「我々は何も見ておりませんので、どうぞお気になさらず」


 周りを見ると、近くにいた騎士の人からすごく良い笑顔でそんなことを言われてしまい、余計に気恥ずかしくなってきた。


 ローラばかり見ていたけど、気がついたら近くに将軍や騎士の人たちが僕たちを見守るように立っていて、急に恥ずかしさが込み上げてくる。何も見てないって言っても、絶対見てるよね。気にするなって言われても、気にしないなんて出来ないし……。


 うう……、みんなに見られてたんだ……。


 フェルのところに行こうとした時、ふいに右手に柔らかいものが触れ、びっくりして体が硬直してしまう。


「もう少しだけ、手を繋いでいてはいけませんか?」


「……え?」


「カズマさまは私と手を繋ぐのが嫌ですか?」


 うるんだ瞳で遠慮がちに見上げられ、ぶるぶると首を横に振る。みんなに見られたりからかわられるのは恥ずかしいけど、ローラと手を繋ぐのが嫌なわけない。


 むしろずっと繋いでいたいくらいだし……。でも、何でローラは……。


「……良かった」


 安心したように微笑んだローラにそっと指を絡められ、僕の心臓がまたドクンと大きく飛び跳ねた。


 小さくて柔らかいローラの手にきゅっと自分の手を包み込まれ、ギクシャクしながら歩き始める。


 ローラって、もしかして僕のこと好きなのかな? いやいや、さすがにこんなに可愛い子が僕のことを好きなんてそんなことあるわけないよね。


 でも、勇者はみんなから尊敬されて憧れられているみたいだし、年が近いローラが僕のことを好きになるなんてこともあるかも……?


 ローラは僕が元いた世界の話も熱心に聞いてくれるし、もしかしたら僕に興味や好意をもってくれている可能性も……いや、でも……。


 初めて繋いだローラの手があまりにも小さくて、いつ魔物が出てくるかも分からないのに、ローラのことで頭がいっぱいになってしまう。


 しかしそんな幸せな時間も長くは続かず、茂みから出てきた何かに一気に緊張が走った。


 四本足で飛び出してきた何匹かの獣は、見た目は狼に似ている。けれど、今までに遭遇した小さな獣よりもずっと大きく、僕が生まれた向こうの世界で見たことのある狼よりも大きいくらいだった。大きいだけじゃなくて、その獣たちは鋭い牙を剥き出しにし、目はギラギラと血走らせている。


 敵だと直感で感じた僕は、ローラの手を離し、彼女を自分の後ろに隠してから、腰にさしている剣を抜こうとする。


 けれど、うなりながらジリジリと近づいてくる獣に威圧され、手と足の震えがおさまらなくて剣を抜くことができない。


「カズマさま……?」


 不安そうに僕の服の裾をきゅっと掴むローラに情けないところは見せたくないけど、こわくてこわくて、倒れないように震える足に力を入れておくことで精一杯だった。


 早く剣を抜いて、目の前のこいつを倒さなきゃ。だって、僕は勇者なんだから。みんなのために戦わないと。ローラを守るんだ……。


 そう自分に言い聞かせ、震える手で剣を抜こうとしても、やっぱり思うように手が動かない。僕の心の準備が出来るまで獣が待っていてくれるわけもなく、目の前の獣が牙を剥いて僕たちに襲いかかってきた。


 何も出来ず身を固くしたその時、僕たちの間に一瞬で飛び込んできた将軍が一振りで獣を真っ二つに引き裂く。


 うわ……っ。真っ二つになっているのは僕たちを襲おうとした獣だけではなく、いつのまにか向こうの方にも獣が何匹か倒れていて、その周りには大きな血だまりが出来ている。


「お怪我はございませんか?」


「は、はい。おかげさまで……。あ、あの、ありがとうございます」


「何のこれしきのこと。悪魔を討伐して頂く勇者カズマ様のことは必ずやお守り致しますので、ご心配なさらぬよう。道中の魔物の始末は、全て私たちにお任せください」


 将軍は剣を鞘におさめながら頼もしいことを言ってくれたけど、素直にじゃあお願いしますと言う気にはなれなかった。


 将軍や騎士の人たちは僕なんかよりもずっと強いと思うし、さっきだって一撃で獣を倒しちゃったし、将軍の言うように将軍たちに任せておいた方がいいのかもしれない。むしろ余計なことすると、逆に足を引っ張っちゃかもしれないし……。


 だけど、みんなから期待されて、将軍からもせっかく剣の使い方を教えてもらったのに、肝心な時に足がすくんで何も出来ない自分が情けなくてすごく悔しい。


 きっとローラにもがっかりされただろうし……。


 後ろにいるローラの様子が気になって振り向くと、少し離れたところにいるフェルの背後からさっきと同じ種類の狼のような獣がいまにも襲いかかろうとしていた。


「フェル! あぶないっ」


 まだ仲間がいたの!? 

 全く敵に気がついていない様子のフェルにひやりとして、大声で叫ぶ。フェルが剣を抜いたのは、僕が叫んだタイミングとほぼ同時だった。


 剣を抜いた瞬間、目にも止まらない速さでフェルは獣を切り捨てたんだ。


 え? 今、何が起きたの?

 将軍も一撃で獣を倒すくらいに素早い動きだったけど、フェルのスピードはそれ以上だった。


「フェルってすごく強いんだね」


 フェルは王子様だし、小さい頃から訓練してるんだろうなとはなんとなく思ってたけど、ここまで強いとは思わなかったよ。


「そうかな?」


 相変わらずすました態度のフェルは余裕の笑みを浮かべていて、なんだか完璧過ぎて嫌味な気がしてきた。王子で、イケメンで、しかも強いって、恵まれ過ぎじゃない?


 でも、さっきのは素直にかっこよかった。

 それに……。


「そうだよ。あと、フェルの持ってる剣もかっこいいね」


 フェルが手に持っている剣が、さっきから嫌でも目に入ってくる。


 そこまでゴテゴテしているわけじゃないけど、緑色の宝石がついているその剣はキラキラと光っていて、とてもかっこよかった。


「ああ、これ? 所持しているだけで持ち主の身体能力を飛躍的に向上させる伝説の剣だよ。王国の宝の一つなんだ」


 フェルは僕にも見えやすいよう、キラキラと輝く剣を高く掲げる。


 フェルが高く剣を掲げると、それは薄暗い森の中でもまぶしいくらいの光を放っていて、ますます羨ましくなった。


 伝説の剣か……。かっこいいなぁ。

 あれを持ったら、僕も強くなれるのかな。


 いや、きっとフェル自身も強いんだろうし、僕だって最高級の武器をもらったのに、戦えなかったんだ。武器だけ強くても、自分が強くならなくちゃ意味ないよね……。


 フェルの剣が一瞬羨ましく思ってしまったけど、そもそも足がすくんで動けなかった自分に伝説の剣なんて使いこなせるわけがないとすぐに思い直す。


 僕も強くなりたいなぁ。強くならなきゃ……。

 次に魔物と遭遇した時には、絶対に僕も戦おう。


 そう誓ったけれど、そのあと何回か魔物と遭遇しても、僕は一度も戦えなかった。僕がもたついているうちに、将軍や騎士の人たちがあっさりと倒してしまう。


 みんなとても強くて、頼りになって、恐ろしい魔物に襲われても命の危険を感じることなんて一度もなかった。


 将軍に言われたようにみんなに全て任せておけば、本当に問題ないんだと思う。何をすればいいのか分からないけど、僕は悪魔を倒す時だけフェルに協力したらいいんだ。


 でも、本当にそれでいいのかな。一応勇者なのに、その辺の魔物と戦うことさえ出来ないなんて情けないな……。


 もし僕一人だったら敵を倒すことはもちろん、ローラを守ることも自分の身を守ることさえも出来ない。


 戦闘はほとんど将軍たちに任せていて、フェルが直接戦うことはほとんどなかったけど、いざとなればフェルだってすごく強いし……。役に立ってなくて弱いのは、僕だけ。


 何も出来ずに守られるだけの自分を情けなく思いながらも、森の探索は続いていく。


 日が暮れると進むことが難しくなるから、日が暮れるまでに出来るだけ先に進んでおきたいということらしい。


 日が暮れてなくても十分暗いと思うんだけど、きっと日が暮れたら何も見えないくらいに真っ暗になるってことだよね。


 襲ってくる魔物を将軍たちが倒しながら進んでいったけど、その途中、どこかからじっと見られていることに気がつく。


 視線を感じる方向を辿っていくと、僕たちをじっと見ていたのは足まである緑色の髪が特徴的な若い女の人と、黄色い毛並みの小さな獣だった。


 黄色い毛並みの小さな獣は、犬とうさぎを混ぜたような姿をしていて、額には燃えるように赤いキラキラした宝石のようなものがついている。


 今までに襲ってきた魔物とは違って神秘的な雰囲気の生き物だけど、何であんなにじっと僕のことを見てるんだろう。


 その隣にいる緑髪の優しそうな女の人の方は人間に見えなくもないけど、たぶん違うんだろうし、敵……なのかな?


「あそこにいる女の人と黄色い生き物って、敵なの?」


 敵なのかそうじゃないのかよく分からないけど、向こうも襲ってくる気配はないし、今までは魔物を見た瞬間に剣を構えていた将軍たちも戦おうとする気はないみたいだった。


 なんなのかよく分からなくて、誰ともなく聞いてみると、敵じゃないよとフェルが答えてくれた。


「そこにいるのは、木の精霊のドライアドと幻獣カーバンクルだよ。僕も実際に見るのは初めてだけど、カーバンクルは遠くを見通す力があるとモラント王国では言い伝えられているんだ。きっと君がいた世界のことも見えるんじゃないかな」


「そうなの? なんか僕のことをずっと見てる気がするんだけど、敵ではないんだよね?」


 考えすぎかもしれないけど、僕たちというよりも、僕のことをずっと見てる気がして、なんなのか気になる。何かしてくる様子もないし、本当に何なんだろう。


「ええ、ドライアドやカーバンクルが人間を襲ったという話は聞いたことがありませんし、きっと敵対する意思はないと思います。カーバンクルは見通す力があるので、きっとカズマさまのまっすぐで素晴らしいお人柄に目が離せなくなったのではないでしょうか」


「幻獣たちにも気に入られてるみたいで良かったね」


「さすがはカズマ様でございます」


 うっとりと僕を見上げるローラの言葉にフェルや将軍もそうそうと同意するけど、本当にそうなのかな?


 気に入られているというよりも、心配そうに見られてるような……。気のせいなのかな?


 近づこうとはしないのに、ずっと僕のことを見ているドライアドとカーバンクルは気になったけど、先を進んでいるうちにいつのまにか彼らもいなくなっていた。


 どうして見られていたのかは気になるけど、きっともう会うこともないんだろうな……。


 ドライアドとカーバンクルの姿が見えなくなっても僕たちの旅はまだまだ続き、魔物と戦いながら森を進んでいったけど、気がつくと辺りが真っ暗になっていた。


 もう夜なのかな?

 ますます視界も悪くなったこともあるけど、さすがに一日歩き通しで疲れてきたな……。


 近くに生えていた木に手をつくと、ローラの息も少し上がっていて、その足どりも重く見えた。


「日も暮れたことですし、今日はこの辺りで陣をはりましょうか。カズマ様もローラも疲れているようです。いかがでしょうか、殿下?」


 大丈夫?とローラに声をかける前に将軍がフェルに話しかけ、フェルが何か言おうと口を開きかける。


「ねえ、あなたが異世界から来た勇者?

 あなたのことを若い木たちが噂をしていたわ」


「え? 誰か何か言った?」


 そのとき、歌うような囁くような声が聞こえてきて、辺りを見渡す。


 フェルの声でもローラの声でもないし、将軍や騎士たちの声とも違うような気がしたけど、ここには僕たち以外に人間はいない。だから、僕たちの中の誰かのはずだと思ったんだけど、みんな揃って首を横に振った。


「じゃあ、誰が?」


「あなたに話しかけたのは私よ」


「わわっ……! 木がしゃべった!?」


 さっきと同じ声が今まで手をついてきた木からはっきりと聞こえてきて、びっくりしてすぐに木から手を離す。


 木が話しかけてくるなんておかしいし、ありえないんだけど、どう考えてもこの木がしゃべったとしか思えない。


 さっきまでただの木だったはずなのに、いつのまにか口も目も鼻もあるし……。


「きっとあなたがそうよね。異界の匂いがするもの。数十年前にもあなたのような異世界から来た人間とこの国の王子たちが森を通って、悪魔が棲む山に向かったわ。でも、帰りにこの森を通った時は勇者はいなかったのよ。どこに行ってしまったのかしら? もしかしたら、あの勇者は、」


「余計な干渉はやめておきなさい。

 この森を荒らさない限りは、どんな生物が森に住み着こうが、人間たちが何をしようが自然にまかせなさい。私たちはただこの森と共にあるだけだ」


 僕が驚いてるのもおかまいなしにその木は話し続けていたけど、どこかから低くて落ち着いた声が聞こえてきた途端口をつぐむ。


 しばらくすると、僕に話しかけてきた木は口も鼻も目もなくなり、普通の木に戻っていた。


「さっきのって、何だったの?」


「長生きしたエントと、エントの長老じゃないかな。長生きしたエントは人の言葉を話すようになるんだよ」


 うつむいて何かを考え込んでいたフェルに話しかけると、フェルは顔を上げて説明をしてくれた。


「へ、へぇ〜……」


 エントって、たぶん木のことだよね。


 この世界では、木もしゃべるんだ……。

 獣人や魔物や幻獣や悪魔だっているくらいだから、木がしゃべったっておかしくないのかもしれないけど、動かない木だと思っていたのに急に話しかけられたからやっぱりびっくりしたな。しかも、木の長老までいるんだね……。


「森を荒らさない限りはめったに話しかけてこないんだけど、異世界から来た君に興味を持ったのかな。僕も久しぶりにエントの声を聞いた気がするよ」


「そうなんだ……。でも、帰りに森を通った時は勇者はいなかったって言ってたけど、どういうことなんだろう?」


 悪魔が棲む山に行くには必ずこのエントの森を通らなければいけないって聞いたのに、行きだけ見かけて帰りはいなかったっていうのはどういうことなんだろう?


 たまたまエントたちが見逃してただけなのかな。


「元いた世界にお帰りになったのではありませんかな。私は同行しておりませんでしたが、元国王陛下……当時の王子殿下からはそう伺いました」


「異世界から召喚された勇者は目的を果たすと、元いた世界に帰る。国の言い伝えの通り、契約の通りだね」


 将軍にもフェルにも口を揃えて帰ったと言われ、なるほどと納得する。


 契約を果たした精霊たちは元いた場所に帰っていくし、召喚されて契約を結んだ勇者も同じってことなのかな。


「ええ。ですから、目的を果たせばすぐにでも元の世界に帰ることが可能でございますので、カズマ様もご安心なさってください。きっとカズマ様の母君や父君も今頃ご心配なさっていらっしゃることでしょう」


 そっか……。こっちの世界の居心地が良くてすっかり忘れてたけど、今までの勇者はみんな元いた世界に帰っていったってことは、もちろん僕も帰らなきゃいけないってことだよね。


 でも僕にお父さんはいないし、お母さんは……。僕が帰ってきても、別に嬉しくないんじゃないかな。


 将軍の言葉に素直に頷くことが出来ず、ぎゅっと唇を結ぶ。


「カズマ様……、この旅が終わったら帰られてしまうのですか?」


 僕が何も言えないでいると、ローラに潤んだ瞳で見上げられ、また僕の心臓がドキリと飛び跳ねる。


「ローラはカズマに帰ってほしくないみたいだね。僕も同じ年のカズマがいなくなったら寂しくなるし、もうこっちの世界に住んだら?」


「ええ……っ、それは……、そんなことできるのかな……?」


「言い伝えでは勇者は元いた世界に戻ることになってるけど、戻りたくないなら戻らなくてもいいんじゃない? 契約を結んだ本人が同意すれば、契約の延長も出来るかもね」


「契約の延長なんて出来るの?」


「さあね。延長したことがないから保証は出来ないけど、試してみる? あ、それかもう一度契約を結び直すのはどうかな?」


 さあねって、そんないい加減な……。

 フェルにとっては他人事だろうけどさ……。


 でも、もし帰らなくてもいいなら、ずっとここにいたいな。


 向こうの世界には、僕を必要としてくれる人は誰もいないけど、ここには僕を必要としてくれる人たちがたくさんいるし、ローラだっている。


 もし、悪魔討伐が終わっても、それでも誰か一人でも僕を必要としてくれるのなら……。


「悪魔を討伐するまでは、まだ時間もかかるだろうし、じっくり考えなよ。

 とりあえず今日はここで休もうか」


 思わず考え込んでしまったけど、フェルからそう言われ、ひとまずは僕も考えることをやめる。


「あ、うん。……あの、夜は魔物も襲ってこないの? 休んでる最中にいきなり襲ってきたら、どうしよう?」


 もう真っ暗だし、体力も限界だから僕も休みたいけど、魔物が襲ってこないのかが心配だ。


 夜は魔物も寝てくれるんだったらいいけど……。


「私たちが交代で寝ずの番を努めますので、カズマ様はご心配なさらずにごゆっくりお休みください。明かりをつけると魔物が寄ってきますので、小さな明かりしかつけられずにご不便をおかけすることになるとは存じますが」


 頭を下げる将軍にそんなとんでもないですと首を横に振ってからお礼を言う。


 申し訳ないような気もするけど、将軍たちが見張っていてくれるなら安心して眠れそう。


 こんなに強い人たちがついてきてくれて本当にありがたいと思うのと同時に、何の役にも立っていない自分がますます情けなく感じた。せめて僕も少しでも魔物と戦うことが出来たら……。


 そのあと、騎士の人たちが背負っていた袋のようなものからテントを取り出して設置する。それから、干し肉や保存のきく堅いパン、ドライフルーツを食べた。


 お城での料理に慣れてきたからか、パサパサして少し味気なく感じたけど、それでも物足りないとは感じなかったのは、みんなと一緒だからかな。


 ご飯を食べた後は、ローラが用意してくれた濡れたタオルで簡単に身体を拭いてからテントに横になる。


 一つのテントに全員は入れなかったから、二つに別れて眠ることになった。こっちのテントは僕とフェルとローラの三人で、もう一つのテントの方は見張りをしてくれている騎士の人たちと将軍が使うことになったんだ。


 ぼんやりとした小さな明かりで照らされるテントの中、隣で眠っているフェルからはすぐに寝息が聞こえてきたけど、なんだか眠れなくて何度も寝返りを打つ。


 明日も早いみたいだから眠らないといけないんだけど、自分が役に立てていないこととかお母さんのこととか色々なことが頭の中に勝手に浮かんできて、眠りたいのに全く眠れない。


「……カズマ様? どうされましたか? 眠れませんか? やはりお城でご使用になっているベッドとは違い、寝心地が悪いからでしょうか?」


 とくにうるさくしたつもりはなかったけど、寝付けずにいたことをローラに気づかれてしまったみたいだ。小さな声で聞かれ、僕もフェルを起こさないように小さな声でローラに返事をする。


「あ、ううん。それは大丈夫だけど、なんか色々考え出したら眠れなくなっちゃって……」


 森の地面に直接テントを敷いているから、確かに寝心地は良いとは言えないけど、それが眠れない原因ではない気がする。


「そうなんですね。私でよければ、お話を聞かせて頂けませんか?」


「いや、そんな、大したことはないんだよ。疲れてるだろうし、気にしないでローラは寝てて良いよ。僕もそろそろ眠るからさ」


「私もちょうど眠りにつけなかったので、お気になさらないでください。何か気にかかることがあるのでしょう? カズマ様のお話を伺うまでは、私も眠れません」


 ローラは静かに起き上がり僕の隣に座ると、そっと僕の顔を覗き込む。ローラのピンク色の瞳に見つめられ、じっとしていられなくなった僕もさっと身体を起こす。


「じゃあ、少しだけいい?」


「はい、もちろんでございます。私でよろしければ、いくらでもお付き合いさせて頂きます」


 すぐに触れることが出来そうなくらいの距離の近さにドキドキしながらも、僕はゆっくりと口を開いた。


「僕は……、元いた世界では誰にも必要とされてなかったし、誰にも愛されてなかったんだ。

 友達もいたし、家族もいたけど、誰も僕のことを必要としてくれなかった」


 こんな話をしたら何て思われるのか不安だったけど、真剣に話を聞いてくれている様子のローラに少し安心して続きを話し始める。


「僕はお父さんがいなくて、お母さんしかいないんだ。お母さんはいつも忙しくてほとんど家にいないんだけど、家にいる少しの時間もほとんど僕と話してくれないっていうか、もちろん忙しいから仕方ないって分かってるんだけど……」


 上手くまとめられずに何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、そういえばローラも親と一緒に生活してなかったよね。元々お母さんもお父さんもいないのか、親元から離れてお城に働きに出てるのか分からないけど、一人でお城で働いていたローラからしたら、僕ってすごく情けないと思われるんじゃ……。


 急にそんなことが心配になってきたけど、ローラは特に何も言わずうなずいてくれていたので、それに促されるように口を開く。根掘り葉掘り聞いてくるわけじゃないけど、不思議とローラには何でも話せちゃうな。


「お母さんは、僕のことなんかきっといらないと思っていたんだよ。だから、フェルに勇者として召喚されて最初は驚いたけど、それでもみんなから必要とされて頼りにされて、すごく嬉しかったんだ」


 生まれ育ったところでとなく、誰も知り合いもいなくて、命の危険もある世界なのにこんなことを思うのはおかしいのかもしれないけど、この世界こそが僕の居場所なんじゃないかって思ったんだ。だって、向こうの世界ではもう僕の居場所なんてないから……。


「こんな僕でも必要としてもらえるなら、みんなのために役に立ちたいと思ったけど、結局魔物との戦いでも将軍たちに助けてもらってばかりで……。役に立つどころか、足を引っ張ってばかりでなんか情けないなって……」


 ああもう、何が言いたいのかよく分からなくなってきた。


 相変わらず考えがまとまらないまま話していたら、自分でも何が言いたいのか本気で分からなくなってきたし、きっとローラもあきれてるよね。


 小さな明かりに照らされたローラをおそるおそる見ると、ローラは不思議そうに僕をじっと見ていた。


「ローラ……?」


「カズマさまがそのように思われる必要はありません。騎士様は騎士様の為すべきことが、カズマさまはカズマさまの為すべきことがございますでしょう?」


「そうなんだけどね……」


 将軍にも同じようなことを言われたし、ローラの言っていることは分かるけど、でもやっぱり勇者なのに守られてばっかりっていうのも情けないような気がして、モヤモヤする気持ちが消えないんだ。


 この気持ちをどう伝えたらいいのか分からなくて考え込んでいると、手の上に柔らかくて温かいぬくもりを感じ、ハッとしてローラの顔を見つめる。


「カズマさまは情けなくなんかありません。

 優しくて、いつも私のことを気づかってくださいますでしょう? それにカズマさまとお話ししていると楽しくて楽しくて、つい時間を忘れてしまうのです。私はカズマさまのお世話係なのに、時間を忘れるほどカズマさまとのおしゃべりに夢中になってしまうなんていけませんよね。

 カズマさまの世界のことは存じませんが、この世界にはカズマさまのことを待ちわびていた者たちがたくさんおります。私もその一人でしたが、今は勇者さまとしてだけではなく、カズマさまのことが……」


 そこまで言いかけてローラは恥ずかしそうに目をふせる。


 ……えっと。これって、もしかしたら期待してもいいのかな……?


 熱っぽく僕を見つめるローラのピンク色の瞳や、柔らかい手のひらのぬくもりに変な勘違いをしそうになる。


 勘違い……じゃ、ないのかな?

 こんなに可愛い子が僕のことを好きになるわけないって気持ちもあるんだけど、ローラの態度はどう考えても僕のことを好きとしか思えなくて、自惚れてしまいそうになるよ。


 ……僕、ローラのことが好きだ。


 初めから一目惚れだったけど、優しくて聞き上手なローラと一緒にいるとすごく癒されるし、一緒にいるうちにローラをどんどん好きになっていく。


 改めてローラのことが好きだと気がついてしまうと、ますますローラのことが可愛く見えてきた。ローラとずっと一緒にいたいな……。


「あの、話を聞いてくれてありがとう。

 僕も……ローラのことが、好きだよ」


 思いきってそう告げると、ローラは何も言わずにふわりと笑った。その笑顔がいつも以上に可愛くて、ローラを好きな気持ちが溢れ出しそうに見る。


 急にフェルに見られてないかが気になってきて、ばっとフェルの方を振り返ったけど、相変わらず気持ち良さそうに寝ていたのでホッとした。良かった、僕がローラを好きなことはとっくにバレてるだろうけど、こんなところを見られてたら恥ずかし過ぎる。


 もし見られてたらきっと旅が終わるまでの間ずっとからかわれ続けるだろうし、何を言われるのか考えただけで恥ずかしくて死にそうだ。


「頼りないかもしれないけど、僕は僕の出来ることを頑張るね」


 もう一度ローラの方に向き合うと、ローラは少し僕に身を寄せて、手を握り直した。


「はい、私も精一杯カズマさまに尽くさせて頂きます」


「……う、うん、ありがとう。明日からもよろしくね」


 ローラの上目遣いはやっぱり可愛すぎて慣れないけど、ローラのおかげでだいぶ気持ちが前向きになった気がする。おやすみと言い合ってから、ローラとほぼ同時に横になった。


 しばらくしてローラの寝息が聞こえてきたのを確認すると、フェルとローラを起こさないようにそっとテントの外に出ていく。


 テントの外はもう真っ暗で、足元さえもはっきりしないくらいだった。目を凝らしながら歩いていくと、僕たちのテントともう一つのテントの間ぐらいに将軍が立っているのを見つける。


「カズマ様? どうされましたか?」


 僕が声をかけるよりも将軍が僕に気づき、音を立てずにこちらに近づいてきた。僕もだいぶ暗闇に目が慣れてきたので、将軍の方へと歩いていく。


「あの……! 僕に剣の稽古をつけてくれませんか?」


 こんな時に剣の稽古をしてほしい、なんて迷惑かもしれない。たった一日、たった数時間特訓したところで、大して強くなんてならないのかもしれない。


 だけど、ただ黙って守られているのはもう嫌なんだ。


 ローラと話してますますその気持ちが強くなって、じっとしていられなくなった。


 僕は僕に出来る精一杯のことをやりたい。


 それだけ言い出すのにも緊張してしまって、声を絞り出すだけでも大変だったけど、どうにかそれを伝えると将軍は驚いたように目を丸くした。


「今時分に、剣の稽古を……? そのお心がけは大変素晴らしいですが、明日も早いですし、おつかれではございませんか? 本日はもうおやすみになった方がよろしいかと。

 カズマ様は戦闘面のことはご心配なさらず。今は明日のために体力を回復させることを最優先にして、どうかゆっくりとおやすみになってください」


 将軍は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに冷静さを取り戻し、諭すように僕に語りかける。


「でも、じっとしてられないんです……。

 僕、もっと強くなりたいんです。役に、立ちたいんです……!」


 やっぱり、僕のわがままなのかな。

 でも、どうしても引けなくて、必死に将軍に訴えると、将軍は小さく首を横に振った。


「そのようなことをお考えにならなくても、勇者様であらせられるカズマ様の存在こそが我々の救いなのです」


「将軍たちからしたらそうなのしれませんが、それじゃ僕が嫌なんです。勇者なのに弱いなんて、嫌なんです」


「カズマ様は弱くなどありません。これで戦闘経験がないのであれば、身体が動かないのも仕方のないこと。

 しかし……、さらに強くなりたいというカズマ様のご立派な思いに感動いたしました! 不肖の身ではございますが、私がカズマ様に剣の稽古をつけさせて頂きましょう」


 わ……、感動とまで言われるとなんだか恥ずかしいけど、剣の稽古をしてくれる気になったみたいで嬉しいな。


 それから、暗い森の中で僕と将軍の二人きりの特訓が始まった。


 旅に出る前は剣の持ち方や立ち方などのごく基礎のことを教えてもらっていたけど、今日の将軍はもっと実践的なことを教えてくれた。


 気配の消し方、敵のどこを狙えばいいのか、敵との間合いや攻撃のタイミングのとり方……


「魔物と対等に渡り合おうとしてはいけません。勝負が長引くほど、体力で劣る人間に不利となります。勝負は一瞬でつけねばなりませんが、そうですね……。カズマ様の場合は、まずは一撃。一撃を魔物に与えるのみを考えましょう。後のことは我々がなんとかしますゆえ、カズマ様は一撃与えることのみに集中なさってください」


「はい、分かりました」


「では、私を魔物だと思って向かってきてください。遠慮はいりません」


「は、はい」


 魔物、魔物……。

 将軍に教えてもらったことを忘れないようにしながら、将軍は魔物なんだと自分に言い聞かせて、将軍に向かって剣を振りかぶる。


 体の軸がブレないように、勢いをつけたまま一気に斬り下ろす!


 魔物を斬ることをイメージしながら、右斜め上から斬りかかると、カキン!と剣と剣がぶつかり合う音が響き、剣を止められた衝撃がビリビリと手首から全身に伝わってきた。


 全力でぶつかっていったのに、あっさりと止められちゃった……。


「そうです! その調子ですぞ! いや、カズマ様は実に筋がいい」


 あれ? 今ので良かったの?

 軽々と止められちゃったから、てっきりあんな剣の振り方じゃダメだと思ったのに。


 思いがけず褒められてしまって、素直に喜んでもいいのか分からなくなる。

 全然手応えもなかったけど、本当に今ので良かったのかな?


「やはりカズマ様には剣の素質がございます。ここまで筋が良いと、私も教えがいがあるというものですな」


 全く手応えがなくて手放しで喜べなかったけど、歴戦の将軍が言うんだからそうなのかな?


 いつも筋が良い筋が良いって褒めてくれるけど、もしかしたらこのまま訓練を続けたらフェルや将軍よりも強くなったりして……。いや、さすがにそれは難しいかもしれないけど、でももしかしたら僕も良いところまでいけるのかな?


「後は、怖れずに一撃を打ち込むことのみをお考えください」


 アレコレ妄想していたら、将軍から声をかけられ、あわてて剣を構える。


 恐れずに、か……。そんなことできるのかな。できるできないじゃなくて、やるしかないんだけど……。


 旅に出る前に剣の稽古をつけてもらった時は実戦でも戦えそうな気がしてたんだけど、実際に戦闘になって魔物を目の前にすると恐怖で足がすくんだんだ。


「どうすれば……、どうすれば恐れずに戦えるようになりますか?」


「こればっかりは場数を踏むしかありませんな」


「そうですよね……」


 やっぱりすぐに強くなろうなんて甘いよね。

 それは分かるんだけど、どうにももどかしくてじれったい気持ちになってしまう。


 う〜んとうつむくと、カズマ様と声をかけられて、ぱっと上を向く。


「ご自分よりも敵の方が強いと思い込んでしまうと、ますます敵への恐怖心が強くなってしまいます。いきなり恐怖心を捨てるのは難しいかもしれませんが、どうかご自分よりも敵は弱いんだとお思いになってください。

 ご自分よりも弱い相手ならば、少しは余裕を持って戦えるのではありませんか? 

 カズマ様はまだ経験を積まれていないだけで、カズマ様の本当の実力ならばたかが魔物一匹……いや数匹ふぜいに負けるはずがありませんからな」


 そっか……、敵への恐怖心か。たしかにそれはあるかも。


 自分よりも敵の方が弱いと思うことも難しそうだけど、将軍たちもほとんど一撃で倒してたし、この森に出てくる敵はそんなに強くないのかな?


 僕でも、倒せるのかな。……いや、弱気になってたらダメだよね。


 将軍も筋が良いって褒めてくれたし、ローラを守るためなんだ。


 背筋を正し、もう一度剣を構え直すと、将軍も剣を構えたので、大きく踏み込んで斬りかかる。


 やっぱり僕の攻撃は軽々と受け流されてしまったけど、もう一度!と将軍に促され、その後の僕は時間も忘れて何度も何度も将軍に向かっていった。


 それから、どのくらい経ったのか分からないけど、すっかり目も暗闇に慣れて、少し離れたところまではっきりと見えるようになった頃。僕たちから少し離れた木の間に、見覚えのある生き物を見つけてしまい、自然と足が止まる。


「カズマ様? 何か気になることが?」


 まさか魔物がいるのでしょうか、と将軍が辺りを見渡しだす。それを否定してからもう一度さっき生き物がいた場所を見ると、そこにあったのは木だけだった。


 あれ? 見間違いかな?

 でも、確かに見かけたはずなんだけど……。


「いえ、魔物ではないんですけど、そこの木の陰に昼間出会ったカーバンクルとドライアドがいた気がしたんです。僕の気のせいかもしれないんですけど」


 カーバンクルとドライアドを見かけた木の辺りを指差すと、将軍も不思議そうに首をひねる。


「そうですか……。もしかしたら、私たちの後をつけてきていたのかもしれませんな。しかし、あの者たちには敵対する意思はないと存じますので、放っておきましょう」


 う〜ん……、敵じゃないなら放っておいてもいいのかもしれないけど、何でずっとついてきてるんだろう?


 人間が珍しいのかな?

 それとも、異世界から来た僕が珍しいとか……? 遠くを見通す力があるらしいけど、何か変なものでも見えたかな?


 この世界の生き物からしたら、車や電車なんて信じられないだろうし、スマホやゲーム機だって驚くだろうな。


 カーバンクルとドライアドが何で僕たちを気にしてるのかが分からなかったけど、考えていても仕方ないので、特訓に集中することにした。


 それからしばらく特訓を続けていたけど、将軍と他の騎士の人が見張りを交代するタイミングでそろそろ眠るように言われたので、素直にテントに戻ることにしたんだ。


 まだ全然足りないような気がするけど、わがままを言って特訓してもらったんだし、明日からのこともあるから少しでも寝ておかないとね。


 フェルとローラを起こさないようにテントに戻り、横になっているうちにその日は眠ってしまった。


 次の日、目を覚ますとすでにフェルはテントからいなくなっていて、ローラも起きて僕の服や食事の準備をしていてくれていた。


「おはよ……。はやいね……」


「おはようございます、カズマさま」


 まだ半分寝ぼけながらローラに声をかけると、にっこりと笑顔を返される。ふいに昨日のことを思い出してしまい、ドキッとする。


 そういえば、昨日ローラと良い雰囲気になったんだよね。良い雰囲気……というか、どういう関係なのか分からないけど、でも僕たちはたぶん両思いなんだよね?


 なんだか緊張してローラの顔が見れないけど、まだ旅の途中なんだし、気を引き締めないと。


 ニヤケそうになる頬をつねって無理矢理顔を引き締めてから、ローラが用意してくれた乾パンのようなものを食べて、身支度をしてから外に出る。


 テントの外に出ると、騎士の人たちがもうひとつのテントを片付けていて、その近くで将軍とフェルが小声で話をしていた。


「おはよう」


 二人に声をかけると、二人はすぐに話をやめて僕たちの方に近づいてきた。


 それからみんなで今日の予定を簡単に打ち合わせしてから、もう十分に空も明るくなったので先を急ぐことになったんだ。


 昨日初めて森の中に入った時は全然日が差さなくて暗く感じたけど、一度森の夜を経験すると少しの光でもだいぶ明るく感じるなぁ。


 でも昨日の特訓で少し夜更かししてしまったからか、まだ少し眠たいけど……。昨日はだいぶ歩いたし、まだ疲れがとれてない気がするよ。


 フェルやローラも元気そうだし、見張りであまり寝ていないはずの将軍たちもしゃんとしていて、眠たそうにしているのは僕だけだ。みんなさすがだな。僕もしっかりしないと。


 いつ魔物が出てくるか分からないし、寝ぼけてる場合じゃないよね。


 今日もがんばるぞ!と心の中で気合いを入れてから、みんなに遅れないようについていく。


 それにしても……何回も同じようなところを通ってるけど、ちゃんと前に進んでるのかな?


 もし僕が一人で森の中を歩いたら、すぐに遭難しそうだなぁ。絶対にみんなからはぐれないようにしないと。


 今日は将軍を先頭にして変わりばえのしない道を進んでいくと、ガサガサと茂みから物音が聞こえた次の瞬間、熊のような大きな獣が僕の目の前に飛び出してきた。


 わっ、大きい……。


 二本足で立っている恐ろしい形相をした熊のような魔物は、僕どころか将軍よりもずっと大きくて、目の前に立たれるとものすごい威圧感を感じた。


 こわくて足がすくみそうになったけど、僕の隣にいたローラに震える手で服の裾を一瞬だけ握られてハッとする。


 剣を持っている僕よりも、武器を持っていない普通の女の子のローラの方がもっとこわいよね。


 僕は勇者なんだから、ローラを守らないといけないんだ。せっかく将軍にも特訓をつけてもらったんだし、やらなきゃ!


 震えているローラを隠すように魔物の前に立ちはだかり、魔物が動くよりも早く飛び出した。


 魔物を怖れず、一撃を与えることのみを考える!


 剣を振り上げ、左斜め上から下に振り下ろすと、魔物のお腹にわずかに剣先がかすり、魔物はよたりと数歩下がった。


 僕の攻撃で魔物は一瞬怯んだけど、すぐに体勢を立て直して再び飛びかかってくる。


 うう……、全然効いてない……。やっぱり僕じゃダメだったんだ……。


「私におまかせを!」


 衝撃を覚悟して目を瞑りかけたけど、将軍の声が聞こえたかと思ったら、次の瞬間には僕に襲いかかろうとした魔物が地面に倒れていた。


「ありがとうございます……っ、助かりました」


「いえいえ、それよりもカズマ様! やりましたな!」


 振り返った将軍にお礼を言うと、まるで僕がすごいことでも成し遂げたみたいな勢いで褒められてぎょっとする。そんなに褒められるようなことは何も出来てないと思うけど……。


「え? でも僕は魔物を倒せなかったんですが……。全然ダメージも受けてなかったみたいだし……」


「何をおっしゃられますか。魔物もカズマ様の強烈な太刀筋に怯んでおられましたぞ。私も拝見させて頂きましたが、惚れ惚れする太刀筋でございました。

 あと一撃与えれば、きっと再起不能になっていたに違いありません」


「そ、そうかな……?」


「はい! さすがは数多の異世界の人間の中から勇者様に選ばれしお方ですな!」


「やったね、カズマ」


「カズマさま、素敵でしたわ」


 みんなからすごいすごいと褒められて頬が熱くなってきたけど、じわじわと実感が湧いてくる。


 僕も魔物に一撃を与えることが出来たんだ。

 僕でも、やれたんだ。


 たった一撃与えただけで、致命傷を与えることも戦闘不能にすることも出来なかったけど、それでも今まで怖くて攻撃さえ出来なかった僕にとっては、敵に一撃を与えることが出来たということは、大きな自信となった。


 それからも森を進んでいく中で大きな獣に襲われたり、たくさんの魔物に囲われることも何度もあったけど、僕も毎回戦闘に参加したんだ。


 相変わらずフェルのように華麗に戦ったり、将軍のように一撃で倒すことは出来なかったし、それどころかなんとか一撃与えるだけで精一杯だった。だけど、戦闘が終わる度にみんなから褒められたり感謝されるので、こんな僕でも少しは役に立ってるんだなと思うと嬉しくなる。


 時々カーバンクルやドライアドも木の陰から僕たちを見ていたけど、やっぱり近寄ってこようとはしなかった。


 まさか森にいる間はずっとついてくる気なのかな? もしかして、森を出てからもついてくるなんていうことは……さすがにないよね。森に棲んでいるんだろうし。


 ドライアドとカーバンクルと微妙な距離を保ったまま、足場の悪い森の中を進みながら魔物と戦った。戦闘の合間に休憩したり、夜はテントで休む生活を何日か続けていると、少しだけ辺りの雰囲気が変化した気がした。


 景色はそんなに変わらないし、何が変わったのかと聞かれても説明出来ないけど、なんとなく空気がどんよりしているような気がするんだ。


 一度に出てくる魔物の数も増えたような気がするし……。


 そんなことを思っていると、「このペースで行けば明日か明後日くらいには悪魔が棲む山に到達する予定です」と将軍から話しかけられる。


 いよいよなんだ……。

 悪魔が棲む山と聞いて、緊張して急に手が汗ばんできたのが自分でも分かった。


 悪魔が棲む山が近づいてきたから、魔物の数も増えてきたのかな。


 いよいよだと思うと緊張感がぐっと増したけど、心強い味方もいるし、今までも命の危険を感じることは一度もなかったので、なんとなくこのままスムーズに悪魔を討伐出来るような気がしちゃうんだよね。


 もちろん今までの敵よりはずっと強いんだろうけど、伝説の剣を持ったフェルもいるし、負け知らずの将軍や頼れる騎士の人たちもいる。いてくれるだけで元気がもらえるようなローラだっている。


 頼もしい仲間たちと好きな人と一緒の旅は楽しくて、もう少しで終わっちゃうと思うと寂しいくらいだよ。ああ、でも、もし悪魔を討伐しても元の世界に帰らなかったら、帰りも歩いて帰らないといけないのかな?


 契約の延長、出来るのかな。

 今までの勇者は全員元の世界に帰っちゃったみたいだから難しそうだけど、どうにかならないかな。ローラとも離れたくないし、こっちの世界の方が居心地が良いから出来れば帰りたくないなぁ。


 そんなことをのんきに考えながら、その日の夜も暮れていった。


 一度は眠りについた後、ふと目が覚めて身体を起こすと、ローラはテントの中で眠っていたんだけど、フェルがどこにもいない。


 あれ? フェル、どこに行ったんだろう?

 トイレかな?


 大した用事じゃないかもしれないけど、もうすぐ悪魔が棲む山につくのなら契約の延長を考えていることもフェルに話しておきたいし、フェルを探しに行こうかな。普段はみんないるし、旅に出てからはフェルと二人でゆっくり話せる時間もなかったし、これを逃すと次にいつ話せるか分からないからね。


 すやすやと眠っているローラを起こさないように、そーっとテントを抜け出す。


 相変わらず真っ暗だな。この暗さにもだいぶ慣れてきたけど、フェルは……あ、あんなところにいた。


 フェルを探していると、テントが見えなくなるか見えなくならないかくらいの距離のところに将軍と一緒にいるところを見つけた。


「僕の武勇伝の作成は順調に進んでる?

 悪魔との契約を果たせば一応王位を継承出来ることにはなるけど、国民からの支持も集めたいからね。僕の華々しい活躍で悪魔を倒したことにして、国民からの人気が得られるような武勇伝を作ってもらえるとありがたいよ」


「承知しております、殿下。

 部下にフィクションの武勇伝を作らせておりますので、ご安心ください。まもなくそれも完成する頃かと」


 フィクションの武勇伝? 悪魔との契約?


 二人に声をかけようとしたけれど、聞こえてきた単語に不穏なものを感じ、とっさに身を隠してしまった。


「それなら良いんだけど。

 それにしても、カズマにも困ったものだよね。どうせ役に立たないんだから、じっとしておけばいいのに。弱いくせに戦闘に参加したがるカズマのせいで余計に手間がかかるのに、フォローするこっちの気持ちも考えてほしいよね」


 そんな風に思われてたんだ……。

 隠れる必要もなかったのかもしれないけど、無駄に隠れてしまったせいで聞かなくてもいいことまで聞いてしまって、正直少しショックを受ける。


 フェルがそんなこと思ってたなんて全く気がつかなかったよ……。完璧すぎて嫌味だとは思っていたし、そう思われても仕方ないんだろうけど、今まで僕のことを足手まといと思っているなんて態度には出さなかったけど、本心ではそう思っていたんだね。


「それはそうですが、あの者を生贄として捧げなければ契約は成立いたしません。あと少しのご辛抱です、殿下」


 思いがけずフェルの本心を知ってしまってショックを受けたけど、さらに衝撃的な言葉が聞こえてきて耳を疑う。


 いけ、にえ……? 生贄って、殺されるってことだよね? あの者って僕のこと……? 


 え、なに、何で? 

 僕は勇者なんじゃなかったの?


 悪魔を討伐するために召喚されたんだよね……?


 意味が分からないし、冗談だと思いたかったけど、そんな雰囲気でもなくて、勝手に足がガクガクと震え出す。


「そうだね。君もよくやってくれてるよね。

 素質もない素人の剣の稽古までつけてあけで、思ってもいないことを言わせて、君には本当に申し訳ないと思ってるけど、感謝してるよ。君がいなければ、きっとこの旅は成功しなかった」


「もったいないお言葉を頂き、ありがとうございます。殿下のためであれば、この手がいくら汚れても構いません」


「ふふ、本当に良い臣下を持ったよ。カズマも残り数日の命だし、それまでは今まで通り良い思いさせてあげて」


「はっ、承知いたしました」


「手間をかけるけど、よろしくね」


 ……! やっぱり僕は殺されるんだ……!


 何のための生贄なのか、なんでそんなことになってるのかよく分からないけど、たぶん今まで騙されてたってことだよね? 


 いつから? もしかして、最初から全部嘘だった?


 じゃあ悪魔を討伐するために召喚したっていうのは嘘で、本当は悪魔への生贄に捧げるために僕は呼ばれたってことなの?


 フェルが僕に友達のように接してくれたのも、将軍が僕の剣の腕を褒めてくれたのも、全部演技だったってこと?


 まさか……他の騎士の人やローラもこのことを知ってるの?


 わけが分からなくて大声で叫び出しそうになるのをどうにか堪え、足音を立てないようにそっとその場から離れる。


 逃げなきゃ。どこに逃げたらいいのか分からないけど、とにかく逃げなきゃ。


 このままここにいたら、確実に僕は殺される。

 何のための生贄なのか分からないけど、とにかく悪魔の前に突き出されて、殺されるんだ。


 異様に心臓がバクバクして、自然と荒くなる息を必死で殺し、もつれそうになる足を無理矢理動かす。


 無我夢中で走っていると、誰かにぶつかってしまい、思いきり尻もちをついてしまう。


 いててて……、ん? あれ? ローラ?


 ふと顔を上げると、僕と同じように尻もちをついていた相手はローラだった。


「……カズマさま?」


「ローラ、ごめん。ちょっと急いでて。大丈夫だった? どこか行くところだった?」


 急いで立ち上がって手を差し出すと、ローラはその手につかまりながら立ち上がる。


「カズマさまこそどうかされたのですか? いつもとご様子が違っていらっしゃるみたいですが……」


「何でもないよ……。大したことじゃないから大丈夫」


「そうですか……、それならよろしいのですが……。もし私でお役に立てることがございましたら、どんなことでもお申し付けくださいね」


 ついごまかしてしまったけど、心配そうに見上げられ、もう全部話してしまいたくなった。


 ローラだったら話しても大丈夫かな……?

 ローラは、ローラだけは僕のことを裏切らないよね?


 だって、ローラはきっと僕のことを好きでいてくれるはずだから……。


 少し迷ったけど、ローラに全部話すことにした。


 フェルや将軍が僕を騙していたとすると騎士の人たちも信じられないし、他に頼れる人もいない。一人でどうしたらいいのかも分からないし、とにかく誰かに頼りたかったんだ。


「実はさっきフェルと将軍の話を偶然聞いちゃって……。

 僕は勇者なんかじゃなくて、本当は悪魔に捧げるための生贄らしいんだ。最初から騙されていたんだよ」


「まあ……! そのような恐ろしいことを……」


 思いきってローラにさっき聞いたことを話すと、ローラは驚いたように口に両手を当てる。


 ローラは僕のことを好きでいてくれるかもしれないけど、僕よりももっと長い付き合いのフェルや将軍のことだって信頼してるだろうし、いきなりこんな話を聞かされてどう思うんだろう。


「信じられないかもしれないけど……」


 僕だって、人当たりが良くてさわやかなフェルと真面目な将軍が僕を生贄にしようとたくらんでいたなんて考えもしなかったんだ。


 ローラは……、どっちを信じるんだろう。

 まだ出会ったばかりの僕の話を信じてくれるのかな。それとも、異世界から数週間前に来た僕よりもずっと長い付き合いのフェルと将軍の方を信じてしまうのかな。


 僕を信じてほしいと思う気持ちもあるけど、正直嘘を言っていると疑われても仕方ないと思う。


 ローラに信じてもらえるのか不安になって口ごもると、ローラは僕の手を両手でにぎった。


「私は、カズマさまを信じます。

 殿下や将軍様がそのような恐ろしいことをお考えになっていらっしゃったとは考えもしませんでしたが、カズマさまが嘘をつくはずがありませんもの」


「……ありがとう、ローラ」


 やっぱりローラを信じてよかった。

 僕の手を握りながら何の迷いもなくローラにそう言われ、思わず涙がこみ上げそうになる。


「ローラに会えて本当に良かったよ。

 もっと一緒にいたいけど、このままここにいたら生贄にされるだけだから、僕はどこか遠くへ逃げるよ。今までありがとう。また、どこかで会えたら……」


 名残惜しかったけど、あまり長話をしているとフェルたちが戻ってくるかもしれない。


 とりあえずしばらくは何事もなかったかのように振る舞って、隙を見て逃げ出した方が安全なのかもしれないけど、そんな器用なことを出来る自信もない。だからといって生贄にされるのをただ待つのも嫌だから、もう行かないと。


 ローラから手を離して、くるりと背を向ける。


「……お待ちください、カズマさま」


 行くあてもないけどどこかに逃げようとした時、ローラから呼び止められたので振り向くと、ローラはじっと僕を見上げていた。


「私も一緒に連れていってくださいませんか? 私には戦う力はありませんが、モラント王国の生まれなので少しは地の理があります。私を連れていってくだされば、微力ながらカズマ様のお役に立てると思うのです」


「え……でも、それは……。……ダメだよ、危ないし、ローラはここにいた方がいいよ」


 じっと見つめられながら言われた言葉に一瞬頷きそうになってしまったけど、すぐに思い直して首を横に振る。


 一人は心細いし、本当はローラに一緒にきてほしい。だけど、生贄にされる予定の僕と一緒に逃げたらローラにも危険が及ぶかもしれないし、ローラまで巻き込むわけにはいかないよ。


「やはりご迷惑でしょうか?」


 悲しそうに僕を見つめるローラに慌てて首を横に振る。


「そんなわけないよ。本当は僕も一緒にきてほしい。だけど、ローラのことが大切だから……、君のことが大好きだから、危ない目にあわせたくないんだ」


「私は大丈夫です。カズマさまのおそばにいたいのです。どうか一緒に連れていってください」


「……分かった、ありがとう」


 ローラを巻き込みたくない。だけど、一緒に行きたいと必死に訴えてくるローラの頼みを断ることなんて出来るわけなかった。


 だって、本当は僕だってローラと一緒にいたいんだから。


 顔を見合わせてうなずくと、ローラの手をとり、暗い森の中を走る。


 剣もリュックも全部置いてきちゃったから身体が軽いけど、せめてリュックぐらい持ってきたら良かったな。リュックがあれば、契約した火の精霊のサラマンダーに食べ物を与えて、暗い足元を照らしてもらうことができたのに。


 暗闇にもだいぶ慣れてきたけど、それでもやっぱり足場が悪いと走りづらい。あ、でも、あんまり明るくすると魔物が寄ってくるかもしれないから、むしろ暗い方が良かったのかな。


 僕一人じゃローラを守りきれる自信もないし、それどころか自分の身さえ守れるかどうかも微妙なところだ。まともに魔物と戦ったら僕じゃ勝ち目がないから、とにかく見つからないように進むしかない。


 フェルや将軍たちがいなくなって、今までいかに自分が守られてきたのかを改めて実感する。

 将軍たちがいなかったら、僕って何も出来ないんだな。でも、今はローラもいるし、何とかしなきゃいけないんだ。


 何も持たずに逃げてきてしまったことへの後悔や今後への不安を抱きながらも、ローラの案内で暗い森の中を進む。


 いつ追手がかかるかも分からないのでとにかく森を抜けて、ひとまずどこかの村に逃げる。後のことはそこで身を隠しながらゆっくり考えようとローラに言われ、もちろん僕も反対するわけもなく二つ返事で賛成した。


 どの道をいけば森を抜けれるのか全く分からないけど、ローラは来た道を覚えているらしい。


 魔物に見つからないように息をひそめつつ、フェルたちに追いつかれないように森を駆け抜けると、やがて景色がガラリと変わった。


 森を抜けたのかな?

 木もなくなったし、暗くて遠いところまではよく見えないけど、今までよりもずっとひらけたところに出た。


 でも、……なんか……、不気味な場所だな……。


 遠くの方にある山にはコウモリのような魔物がたくさん集まっていて、ギィーギィーと騒ぎ立てながら空を飛び回っている。今のところ魔物に見つかってはいないけど、いつ魔物が出てきてもおかしくなさそうな雰囲気だし……。


「ローラ、こっちで合ってるのかな?」


 私に任せてくださいと言うからローラについてきたけど、少し不安になって聞いてみると、ローラは小さく微笑んだ。


「はい、合っていますよ」


「それならいいんだけど、なんかさ……」


「向こうに見えるのが、悪魔が棲む山。私たちの目的地です」


「えっ……」


 笑みを浮かべたまま、とんでもないことを言われた衝撃でローラの手をパッと離し、無意識に後ずさる。


 何で……、どういうこと……?


「ようやく追いついたよ。意外と足速いんだね。今までは手を抜いてたの?」


 何が起こっているのか理解する前に後ろからフェルと将軍が現れ、自然と身が固くなる。


「……フェル」


 悪びれもせずに話しかけてくるフェルに反論しようとする前に、ローラが僕のそばから離れ、フェルの後ろに歩いていった。


「申し訳ございません、カズマさま。

 私、カズマさまに嘘をついてしまいました」


 フェルに寄り添いながら、僕に何かを言おうとするローラに頭がガンガンしてくる。悪い予感しかしないし、もう何も聞きたくない……。


「うそって……?」


「はい、私が信じているのはフェルナンド殿下だけ。私がお支えしているのは、殿下だけなのです」


 それを聞いたとき、僕を騙していたのはフェルと将軍だけでなく、ローラもだったんだと気がついてしまい、頭がズキズキと痛み始めた。


 そっか……、そうだったんだね。

 最初から僕の味方なんていなかったんだ。


 ローラは、……ローラだけは……、僕の味方でいてくれると思ったのに……。


「ありがとう、ローラ。

 ローラが伝令の精霊を送ってくれたから助かったよ。

 ずいぶんカズマと親しくなったみたいだから、もしかしたらカズマの方につくかもって少し心配してたんだよね。でも、君に限ってはそんな心配も必要なかったね」


「まあ、私を疑うなんてひどいですわ殿下。

 私が忠誠を誓っているのは、殿下だけなのに」


「ハハ、ごめんごめん。冗談だよ」


 いつもよりもずっと親しげにじゃれ合うような二人のやりとりに、ますます頭の痛みがひどくなってくる。


 ローラが、僕が逃げたってことを知らせたってこと?


「僕たちの話を立ち聞きなんてしなければ、もう少し良い思いをしていられたのにね。自分はみんなから必要とされ、世界を救う勇者だって、ね。でももう本当のことを知ってしまったのなら、夢の時間はおしまい。

 現実に戻り、この世界のために生贄になってもらうよ」


 顔色ひとつ変えずに淡々と告げるフェルに怒りを通り越して、恐怖を感じてしまう。


 気がある振りをしていたローラもだけど、フェルも今まで友達みたいに接してくれたのに、最初から全部演技だったってことだよね?


「何だよ、それ……。 全部嘘だったの? ずっと騙してたってこと? 冗談だよね?」


 信じられないし、信じたくない。

 悪い冗談だと言ってほしい。


 今からでもそう言ってくれれば……。


「うん、まあ、そうなるかな?

 でも、悪魔への生贄として必要とされてるんだから、僕たちがカズマを必要としていることにはかわりはないよ。

 どうせ元の世界でも誰からも必要とされてなかったんでしょ? ローラから全部聞いたよ。

 だからさ、最後に誰かの役に立てて良かったんじゃない?」


 最後の望みも簡単に打ち砕かれ、力が抜けてガックリと地面に膝をついてしまう。すぐに両脇を将軍とフェルにかかえられ、悪魔が棲む山の方向へと連れられていくのが分かったけど、もう抵抗する気にもなれなかった。


 何気なく後ろを振り返ると、木の陰にいたドライアドとカーバンクルと目が合ったけど、こちらに来ることもなく、どこかに走り去っていってしまった。


 今までもこっそり見てるだけで関わってこなかったし、助けてくれるわけないか……。


 なんか、もうどうでもいいや……。

 どうせ僕が死んでも誰も悲しまないよね。


 この世界ではたくさんの人から必要とされて、すごく嬉しかったのに、全部僕の勘違いだったんだ。本当は、誰も僕のことなんか必要としてなかったんだね。


 優しくしてくれたフェルも、将軍も、ローラも、僕のことなんかどうでも良くて、さっさと死んでくれって思ってたんだ。


 それなのに一人で勘違いして、ローラとも両思いだって舞い上がっちゃって、本当に馬鹿みたいだ。


 向こうの世界と同じように、この世界でも僕は誰からも必要とされず、誰からも愛されてなかったんだ。


 僕は、この世界でも一人ぼっちなんだ……。


 *


 フェルと将軍に引きづられるようにして悪魔が棲む山に入ると、そこは木どころか草さえも一本も生えてない荒地だった。


 空にはコウモリのような魔物や黒い翼を持った大きな鳥人間が飛んでいたけど、不思議なことに僕たちの存在に気がついても、彼らは決まって素通りしていく。


 エントの森の魔物たちは僕たちを見るなり攻撃をしかけてきたのに、どうして悪魔が棲む山の魔物たちは素通りなんだろう。裏で契約でもしてるのかな。


 どうせ僕は生贄として殺されるんだから、どうでもいいけど……。


 かなり長い時間引きづられて歩かされていたような気もするけど、山の上には常に黒い雲がかかっていて薄暗くどんよりとしていたので、まだ夜なのか朝になったのかも分らなかった。


 いよいよ頂上に着くと、大きな角と牙を持ち、真っ黒な化け物が僕たちを待ち構えていたんだ。


 あれが……悪魔……?


 見上げるほどに大きい将軍よりも、さらに大きな体の化け物は見ただけでも禍々しいオーラを発している。


 なんだか何もかもどうでも良くなっていたけど、これからあの恐ろしい化け物に食べられるんだと思うと、体が勝手にブルブル震えて吐き気まで込み上げてきた。


 生贄って、どうやって殺されるんだろう?

 足や頭からバリバリと食べられるの?

 それとも、胸を刺される?


 嫌だ……怖い……怖いよ……。

 誰か助けて……。


「お前が王子か? 先代によく似ているな。生贄は、そっちの震えている人間か」


 地の底から響いているような低い声で、その恐ろしい悪魔がフェルに話しかけると、フェルはいつもの余裕たっぷりな態度で、そうだよとうなずいた。


「我と契約を結んでいる王子と生贄以外の人間は、即刻この場から立ち去れ。さもなくば、間違えてとって食べてしまうかもしれぬからな」


「承知いたしました。

 我々はこれにて下がります。山のふもとでお待ちしております、殿下」


 クツクツと不気味に悪魔が笑っているのにも動じず、将軍は一礼してその場を去っていく。将軍の後をついて、ローラも去っていてしまう。


 頬を染めてフェルの方をちらりと見ただけで、ローラは一瞬さえも僕の方を見てくれなかった。


 本当に、僕のことは何とも思ってなかったんだ……。もしかして、ローラはフェルのことが好きなのかな。フェルの目的を叶えるために、ずっと僕のことを騙していたのかな。


 ほんの数時間前までは僕の話を熱心に聞いて、うっとりと僕のことを見つめてくれていたのに、演技をする意味がなくなった今ではもう見ようともしなかった。


 そんなローラの態度に、本当に今までのことは全て演技だったんだと改めて感じてしまい、胸に暗く重たいものが広がっていく。


「ククク……、その若さでここまで絶望に染められた魂は珍しい。実においしそうだ」


「ふうん、さすがは悪魔。絶望に染められた魂を好むんだ。ずいぶん悪趣味だね」


「否定はしないが、お前にだけは言われたくないな。自国を守るためとはいえ、同族の人間を生贄として差し出すとは恐れ入る」


「何かを守るためには、犠牲がつきものだよ。

 綺麗事だけでは国は治められないんだ」


「人間の世界も中々大変そうだな。

 若く活きの良い魂さえ食らえれば、我はどうでも良いがな。特に異世界の者の魂は格別に上手いから、この時を楽しみにしていたのだ」


「……約束は、ちゃんと守ってくれるんだろうね?」


「我は契約は破らぬ。

 他国と戦争になった際は手を貸す。それから、しばらくは人間の村を襲うのは控えれば良いのだろう?」


「うん、君がしばらく人間の村を襲うのを自重してくれれば、今までと同じように王子と勇者によって悪魔が討伐されたと民も信じるだろうからね。よろしく頼むよ」


「分かっておる。だが、いつまでも自重はできぬぞ」


「仕方がないね。民の人数が減りすぎないように、ほどほどにお願いしたいところだよ」


「くっくっくっ……。やはり先代とよく似ておるな」


 悪魔相手に怯えもしないで対等に会話しているフェルと、楽しそうな悪魔の会話は僕の耳にも嫌でも入ってきたけれど、会話に割って入る気にはとてもなれなかった。


 たぶん国民のみんなは本当のことを知らなくて、裏で悪魔と王族が繋がってるっていうことなのかな。よく、わからないけど……。


 勝手に異世界から召喚して、自分の国を守るための生贄にしようなんてずいぶん勝手だなと思ったけど、それが自分の国を守るために一番良い方法ってことなのかな。でも大勢の人の命を守るために、ほとぼりがさめたら村を襲うのを認めるなんて……。


 もっと他の方法はないのかな。

 みんなで協力して悪魔を倒せばいいのに。


 ……将軍たちにサポートしてもらえないとろくに戦えもしないし、何の役にも立っていなかった足手まといの僕がそんなことを言っても仕方ないか。


 それに、誰にも必要とされていない僕一人の命と引き換えにたくさんの人の命が救えるのなら、そっちの方がいいのかな。


 フェルは平気な顔で人を騙して悪魔に捧げるようなやつだけど、こんな僕なんかよりもずっとずっとみんなに必要とされているんだろうし、ローラからも家臣からも国民からの愛されてるんだ。僕みたいな実力もない偽物の勇者なんかじゃなくて、本物の王子として。


 弱くて何の役にも立たない僕がフェルや悪魔に勝てるわけないし……。どうせあがいたって無駄だよね。


「おお……! 絶望の色がさらに濃くなっていく……! 素晴らしい……! 実に素晴らしいぞ、ここまでの絶望と恐怖に染められた極上の魂を食らえるとは……」


 肩を落として考え込んでいると、悪魔がよだれを垂らし、なめるような目で僕を見ていた。


 これから殺されると思うと全身が震えたけど、反抗する気力もわかない。


 もう何でも良いから、早く終わらせて……。

 なるべく痛くないように殺してほしいなぁ。


 悪魔の大きな手がゆっくりと僕の方に伸ばされる。その手が僕に触れようとしたその時、どこからか木の枝のようなものが悪魔の腕に巻きついた。


 ……え?


「……くっ、何だこれはっ」


 木の枝のようなものはどんどん伸びていき、そのまま全身に巻きつき、悪魔の巨大な身体の動きを止めてしまう。


 悪魔を含めその場にいた全員が木の枝が伸びている先に視線をやると、そこには大きな大きな木が生えていた。生えて……というより、歩いて、る?


「……エントの、長老。どうして……」


 珍しく動揺したようなフェルの言葉にハッとする。そうだ、この山には一本も草木が生えてなかったし、さっきまで何もなかったじゃないか。


 エントの長老が森から歩いてきたのかな。

 でも、何でわざわざ……? そんなことを考えていると、エントの長老の後ろにはドライアドとカーバンクルもひっそりとこちらをのぞいていた。


 エントの長老だけじゃなくて、ドライアドとカーバンクルまで?


 こっそりと僕を見つめていても、今までは絶対に関わってこなかったのにどうしたんだろう。


 まさか僕を助けに……、そんなわけないか。僕なんか助けても仕方ないし。


「なぜエントの森の長老がこんなところにいる? 何のつもりか知らぬが、そこの人間の絶望の色は色濃くなっていくばかり。もし助けにきたのなら、手遅れだ」


 エントの長老を挑発するように悪魔が僕をアゴで指すと、長老は静かに語りかけてきた。


「私たちは、全てを自然に任せている」


「それは我も知っておる。では、なぜ今回はそこの人間を助けようとする?」


「そこの少年を助け、母親の元に返すことが森の総意だからだ。総意に従うのは当然だ」


 僕をお母さんのところに?

 森の総意?


 意味が分からなかったけど、長老の後ろからエントの木たちやリスのような生き物が続々と頂上に登ってくるのが見えて思わず息をのむ。


「あの……よく分からないんですけど……。

 お母さんは、僕が帰ってきても喜ばないと思うんです……」


 何でここまでしてカーバンクルたちが僕をお母さんの元に返そうとしてくれているのかが分からなかったけど、ここまでしてもらえる価値なんて僕にはきっとないと思うんだ。


「それは違う。あなたの母親は、あなたを必要としている。

 カーバンクル、彼に見せてあげなさい」


 エントの長老が声をかけると、カーバンクルがトテトテとこちらに近づいてくる。カーバンクルの動きを目で追っていると、その額についている真っ赤な宝石がいきなり光り出し、立体映像のようなものが空中に浮かび上がる。


 これは……、お母さん……?


 そこに映っていたお母さんは、髪を振り乱し、今にも泣きそうな顔で僕の名前を呼びながら街を走っていた。


 お母さん……、もしかして僕を探してくれてるの……? お母さんは僕のことなんかどうでも良いんだって思ってたけど、そうじゃないの?


 どれだけ疲れていても、いつも身だしなみはしっかりしていたお母さんがあんなにボロボロになってまで僕を探してくれている。


 この映像が本物のお母さんなのか分からないけど、久しぶりに見たお母さんの姿に胸がジンとするのを感じた。


「あなたは他の人間とは違い、むやみに小さな命を奪わなかった。草花さえも踏むのを避けただろう」


 確かにそうだけど、襲ってくる魔物以外はわざわざ危害をくわえる必要もないし、小さな花を踏んで歩くのもなんとなく気分が悪いからで、これといって特別なことじゃないような……。


 ……でも、森の生き物たちは僕の小さな行動も見ていてくれていたんだね。


 みんな僕のことなんかどうでも良くて、誰も僕のことなんか気にかけてくれてないと思ってたけど、……そうじゃなかっんだ。


 もしかしたら、お母さんもそうなのかな。

 急にいなくなった僕のことを心配してくれているのかな。


 お母さんは、僕を必要としてくれてるの?

 お母さんに会いたい。ううん、絶対に会うんだ。お母さんのところに戻らなきゃ。


 ゆっくりと顔を上げると、たくさんの木の枝に拘束されている悪魔と目が合った。


「なんということだ……。絶望と恐怖に支配され、せっかくおいしそうだった魂が希望を取り戻してしまった……」


「希望を持っても意味ないよ。

 カズマの実力では、悪魔にも僕にもかなわないからね。あきらめなよ」


 僕と目が合うなり深いため息をついた悪魔のところに行こうとしたけれど、フェルに道をふさがれてしまった。


 僕なんて相手にもならないとでも思ってるのかもしれない。


 伝説の剣のさやに手をかけ、フェルはいつも通り余裕の笑みを浮かべている。


 悔しいけど、たしかにフェルの言う通りだ。

 ただでさえフェルよりもずっと弱いのに、剣も武器も持たない今の僕ではフェルに勝てるわけがないだろう。


 でも、勝ち目なんかなくても、それでもあきらめたくなんかない。


 だって、僕はお母さんのところに帰らなきゃいけないんだ。元の世界に帰って、お母さんが本当に僕を必要としてくれているのか知りたい。


 伝説の剣を抜き、それを構えたフェルから距離をとろうとジリジリと後ずさる。


 くっ……、このままじゃダメだ……。

 ああ、もし、僕にも伝説の剣みたいな武器があればよかったのに……。


 ……ん? 伝説の剣……?

 そうだ……そういえば、たしか……。


(悪魔討伐に力を貸してくれるなら、そのお礼としてモラント王国の財宝を一つあげるよ)


 そのとき、この世界に召喚された日にフェルから言われたことが頭の中で再生される。


 あの契約って、伝説の剣にも有効なのかな?

 分からないけど、もうそれしか方法はないし、一かバチかでやってみるしかない。


「フェル、契約通りに僕はこれから悪魔を倒すよ。だから、その代わりに君の伝説の剣をもらうね」


「君は何を言って……、っ! そうか、……しまった」


 悪魔を倒すから、その代わりに伝説の剣をもらう。


 そう告げると、一瞬の間があった後にフェルは顔を歪め、まるで吸い寄せられるかのように僕の方に歩いてきて、素直に伝説の剣を僕に手渡した。


 伝説の剣を渡した瞬間にフェルは僕から距離をとったけど、薄暗い山の中で唯一キラキラと光輝く剣を手にしただけで力が湧いてくるのを感じる。


 剣を構えると勝手に身体が動き、一瞬でフェルを追いつめることができた。


「フェルは僕よりずっと強くて、賢いと思う。でも、君はひとつだけ失敗をしたね」


「……そうだね、カズマの言う通りだ。僕の負けだよ。その剣で僕の胸を貫くなり、喉を裂くなり好きにしなよ」


 フェルの首筋にぐっと剣の刃を当てると、フェルは潔く負けを認めて目を伏せた。


「そんなことをする意味もないし、君のことは殺さないよ」


 フェルの首筋に押しつけている力を弱めると、フェルは驚いたように目を開ける。


「騙してたことは許せないけど、ここで引いてくれるなら何もしないよ。でも、もし引かないのなら……」


 友だちだと思っていたのに最初から騙されていたと思うと許せないし、ローラにも裏切られて悲しいし悔しいし、二人には言ってやりたいことや問い詰めたいこともたくさんある。


 だけど、今はそんなことよりも、僕は悪魔を倒して、元の世界に帰らないといけないんだ。そのためだったら、何でも出来る気がするんだ。


 弱めていた力を強めると、一瞬目を伏せたフェルは僕の目をまっすぐに見て「分かった、引くよ」と一言だけつぶやいた。


「悪魔を倒せば、当初の契約通り君は元の世界に帰れると思うよ」


 フェルの首筋に押し当てていた剣を下ろすと、フェルはそれだけいって山を降りていった。


 結局言い訳もしなかったし、ごめんの一言もなかったな。フェルらしいと言えば、フェルらしいけど……。


 正直フェルに対しては複雑な思いがあるけど、今はそれに囚われている場合じゃない。


 悪魔の方を向き直ると、悪魔は憎々しげに僕をにらみ、ふん!と腕に力を込めた。すぐに腕の筋肉がパンパンに膨らみ、大きな身体を拘束していた木の枝がブチブチとちぎれてしまう。


「ふん、愚かな人間め。王子を撃退しても、我には勝てぬわ」


 重低音を響かせる悪魔の恐ろしさを前にして、足が震えそうになる。逃げ出したくなる。


 でも、僕には伝説の剣がある。

 お母さんも僕の帰りを待ってくれている。

 必ずお母さんのところに帰るんだ。


 逃げるわけにはいかない。

 伝説の剣を握る手に、ぐっと力を込める。


 伝説の剣を手にしているおかげで悪魔からの攻撃を素早く避け、懐に潜り込むことが出来た。


 自分よりも何倍もある巨大な身体に剣を振り下ろす。わずかに悪魔の腕の皮膚をかすめることが出来たけど、すぐに大きな腕に跳ね飛ばされてしまう。受け身をとって立ち上がり、また悪魔に立ち向かっていく。


 この剣を持っているだけで、元から戦い方を知っていたみたいに身体が勝手に動いてくれた。


 けれど、伝説の剣を持っていてもまだ悪魔のスピードの方が上回っていて、少しずつ僕は悪魔におされはじめてしまう。


 致命傷を与えることが出来ずに焦りはじめたその時、僕の後ろから木の枝が伸びてきて、再び悪魔の身体に巻きついていく。


「さあ、私たちの力で悪魔を取り押さえているから、今のうちにとどめを刺しなさい」


 チャンスだ! エントの長老の声を背に受け、木の枝の拘束を解こうともがく悪魔の元に飛び込み、伝説の剣で悪魔のぶ厚い胸を一息で貫く。


「グキャアアアアアア!!!」


 胸を貫かれた悪魔が耳を塞ぎたくなるくらいの大絶叫をあげるのとほぼ同時に、フェルとの契約印がある僕の右手の小指が光り出す。


 熱い……!


 *


 ……? あれ? ここは?


 ふと気がつくと、さっきまで持っていたはずの剣もなく、戦っていたはずの悪魔はもちろんエントの長老もカーバンクルたちもいなかった。


 それどころか周りにいる人は日本人に見えるし、夜だけど街は照明で明るく、道路には自転車や車だって走っているし、僕もお母さんとケンカして家を飛び出したあの日と同じ服を着ている。


 ……僕、帰ってこれたの? ということは、悪魔を倒せたのかな?


 悪魔の胸を貫いた手応えはあったけど……。


 さっきまで悪魔と戦っていたはずの手をじっと見つめても何もなく、フェルや精霊たちと契約した証も全て消えていた。


 まさか今までのこと全部夢……、じゃないよね。夢なら夢でいいのかもしれないけど、あんなリアルな夢なんてある?


 帰ってきたという実感が湧かずにその場で立ち尽くしていると、道の向こうから通行人をかきわけて誰かが走ってくるのが見えた。


 あれは……、お母さん?


 久しぶりに見るお母さんは、カーバンクルに見せられた映像のように髪を振り乱し、泣きそうな顔をしていた。


「……一馬!」


「……おか、……あさ、ん」


 走ってきたお母さんにぎゅっと強く抱きしめられると、急に胸に熱いものが込み上げてきて言葉が何も出てこなかった。お母さんに聞きたいことや、話したいことはたくさんあるはずなのに……。


「一馬、ああ、一馬……。無事でよかった。

 三日もいなくなったから、心配したのよ。どこを探してもいなくて、誰に聞いても知らないって言われたから、もう本当にどうしようかと思ったのよ。……見つかって本当に良かった」


 あれ? あれから三日しか経ってないの?

 三週間は過ぎたはずだけどな。


「……ごめんなさい」


 少し不思議に思ったけど、異世界に行ってたんだと言っても信じてもらえないだろうし、とりあえずここは謝っておくことにした。


 でも、たった三日いなかっただけで、こんなに心配して一生懸命探してくれていたんだね。


 そう思うとますますお母さんの気持ちが伝わってきて、ポッカリと空いていた胸の穴が埋まっていく。


「ううん、いいのよ。一馬が無事に帰ってきてくれたなら、それでいいの。

 ……ごめんね、一馬。お母さんが悪かったわ。

 一馬が出ていってしまって、すごく反省したの。今までどれだけ一馬に寂しい思いをさせていたのかようやく気がついたわ。

 一馬がしっかりした子だからって、お母さん甘えていたのね。いくらしっかりしていたとしても、一馬はまだ小学生なのに」


 僕のことを抱きしめるお母さんの力がどんどん強くなってきて、それだけでお母さんがどれだけ僕のことを想ってくれているのか伝わってくる気がした。


 お母さん、僕のことが必要?

 お母さん、僕のことが好き?


 そんなことをいちいち言葉にしなくても、僕を抱きしめるお母さんの腕の強さから全てが伝わってきた。


 エントの長老の言葉は本当だったんだね。

 お母さんは、本当に僕のことを必要としてくれてたんだ。お母さんは、僕のことを愛してくれていた。


「そんな……、僕の方こそごめんなさい。

 お母さんは仕事で疲れてるのにわがまま言ったりして」


 本当は、他のお母さんみたいに休みの日に遊んでくれなくても、ゆっくり話す時間がなくても良いんだ。


 ただ少しだけ僕のことも気にかけてほしかっただけなんだ。


 どれだけ忙しくても、疲れててイライラしててと、僕のお母さんはお母さんだけで、他のお母さんの方が良いなんて本当は思ってないよ。


「いいのよ、親子なんだからわがまま言ったっていいの」


「お母さん……」


 少し身体を離し、まっすぐに目を見つめられながら言われたお母さんの言葉に思わず涙を浮かべると、お母さんはスカートから出したハンカチでそっとそれをぬぐってくれた。


「話したいことはたくさんあるけど、カズマ疲れてるでしょう? まずは家に帰って、ゆっくり休みましょう。

 お腹は空いてる? 今日はお母さんが手料理を作るわ。何が食べたい? 何でもいいのよ」


「何でもいいの? 何にしようかな。じゃあね……」


 お母さんが料理を作ってくれると聞いて、一気にテンションが上がる。


 ずっとお米を食べてないから、早く温かいご飯が食べたい。ご飯が食べれれば何でもいいけど、ハンバーグも良いし、カレーも良いな。あ、唐揚げや海老フライも良いかも。


 お母さんの手料理なんて、すごく久しぶりな気がする。ああ、楽しみだな。


 そのあとは、お母さんと何を食べたいのか話しながら、何年かぶりにお母さんと手を繋いで家まで帰った。


 お腹はペコペコだし、正直クタクタだ。

 早く帰って休みたいし、ゆっくり湯船にも浸かりたい。しばらくテントだったから、ちゃんとベッドでぐっすり眠りたい。何も考えず、朝までゆっくり眠りたい。


 だけど、久しぶりに繋いだお母さんの手がすごく温かく感じて、すごく幸せで、もっと家が遠ければいいのにと思ったんだ。


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