記念日
女神との約束の期間はまだまだ先だが、幻界はもう死ぬほど暇なので我慢の限界、地上に行きたい。
フェニに我の正直な気持ちを打ち明けてからというもの、忙しそうに彼女は地上で動き回っている。
ほぼすべての時間を、我のために費やしてくれている。
本当にありがたいことだ。
ただまぁ、すぐに成果を求めるのは酷というものだろう。
上手くいかずとも彼女を責めるつもりはない。
結果を出せずとも、以前より少し気持ちはずっと楽になったと思う。
我の事情を知ったフェニはカウンセラーのように、話し相手をするようになった。
嫌な顔一つせず、笑顔で我の話を聞いてくれている。
王の立場で考えれば情けないのかもしれないが、気恥ずかしさはあっても、不思議と悪い気持ちはしなかった。
思えば我、幻界に来てからこうして、配下たちを頼ったりすることはなかったな。
【幻王様……今、お時間よろしいでしょうか?】
「どうした? フェニよ」
そんなことを考えていると。
丁度、地上にいるフェニから念話が入る。
【目処が立ちつつあります。バハムート様を地上へとお呼びするための準備が……】
「な、なにっ!」
【本日、計画通りにいくか、実証実験をする予定なのですが】
フェニからの予想外の言葉。
何千年と、待ち望んでいた内容。
しかし、ちょっと待て。いくらなんでも……。
「ほ、本当なのか? その話」
【はい。長い間……お待たせしました】
「いや、全然待ってなどいないぞっ! 凄まじく早かったではないかっ!」
フェニに相談を持ちかけてからまだ三ヶ月だぞ。
まさかこの短期間でこうして成果を出してくるとは……。
【ただ、その……落胆させてしまい申し訳ないのですが、バハムート様が竜形態の完全な状態で地上に顕現するとなるとやはりまだ、私の力では……】
「そうか……いや、だが、それでも……」
多少残念に思う面もないわけではないが、一番大事なのはその点ではない。
我が地上に入る手段を得ることだ。
「フェニよ、一体どのような方法で……我を地上に」
【説明させていただきます。少し手順が複雑なのですが……】
説明を始めるフェニ。
「なるほど、我一人ではまず無理な発想だな。外に協力者がいなければできん方法……しかし、可能なのか?」
【理論上は可能とのことです。そういったわけでバハムート様にお時間を割いていただきたいのですが、よろしいでしょうか?】
「勿論だとも……」
断る理由など何一つない。
そもそも、時間も何もいつだって暇である。
【既に準備の方は進めております。今回の件で快く協力してくれたザウルス国立魔法学園の学園長より、地下室を借りることができました。そちらで検証実験を行います。詳細な時刻、地上座標などを伝えておきますね】
「……うむ、頼む」
予定した時刻となった。
海に面しており、豊かな海産資源などの交易で栄えるザウルス王国の王都。
王国最大の都市、その中心部に存在するザウルス国立魔法学園は、この国の初代国王でもあり、勇者と共に魔王と一線交えたとされるエルフ、マルティナが学園長を務めている。
その歴史はとても古く、学園ができたのは二百年程昔。
成績上位者は宮廷魔道士への道も約束されており、世界中で活躍する優秀な魔法使いを輩出している学園。
自由な校風が特長で、狭き門ではるが才能さえあれば平民であっても受け入れる。
その魔法学園地下室。
三十メートル四方のかなり広めの地下空間。
壁に設置された、揺らめく松明が怪しげな空間を演出している。
部屋中央にある巨大な魔法陣を囲む、種族も容姿まったく異なる三人の女。
幻獣のフェニ、その契約者で人間のメイ、そして……。
「あああ……ついに待ち望んでいた日がやってきたわ」
頬をほんのりと赤くし、恍惚とした声をあげる美女。
サラサラの黄金の髪を腰まで伸ばしており、尖った耳から種族はエルフ族であることがわかる。
学園長であり、召喚魔法研究を専門とするマルティナ。
「だだだ、大丈夫っすかね? ふふふ、不安っす、胃がキリキリするっすよ」
「落ち着いてくださいメイ……さっきまで何度も安全確認をしたでしょう」
マルティナとは対照的に、メイはこれから起こることに不安で身体を震わせている。
「バハムート様……予定時刻の三分前ですが、準備はよろしいでしょうか?」
【……うむ】
フェニがバハムートに念話を飛ばす。
二人の間でなされる確認行為。
「ねぇ、フェニ……大丈夫っすよね、もも、もしもの時があっても、私のことをちゃんと守ってくれるんすよね」
「メイは信用できないのですか、ずっと一緒にいる私を……」
「フ、フェニ……でも」
「この私を誰だと思っているのですか? まったく、あまり侮らないで欲しいものですね」
「ごめん……そうだった。なんたって、あの四獣が私には付いているんだもんね」
「その通り……私は不死鳥の幻獣ですよ。きちんと復活させてあげますから」
「守ってないいぃ! ……それ大事故、前提なやつっす!」
フェニに半泣きで迫るメイ。
「例えバラバラになっても、完全な状態で復活させることをお約束します」
「帰りたい、帰りたいよぉ……うう、うううう……うわあああああああああああっ!」
「「ちょっと……どこへ行くの?」」
恐怖で泣きわめくメイ。
隙をついて逃げようとする彼女を抑えつける二人。
「ああ、ああああ……おおおおおっ、離せええっ!」
「女の子がなんて品のない声を……本当にうるさいわねぇ、この子は……」
教え子のメイを鬱陶しそうに見るマルティナ。
「大体、なんで泣くのか理解できないわ! 数多の幻獣たちの王であり、かの神話の時代を生きたお方が、地上に再び降臨される歴史的瞬間を目撃できるかもしれないのよっ! それがどれほどの幸運なのか、貴方はもっと理解するべきよ」
「その通りです……やはりマルティナは話がわかりますね、貴方に協力を求めたのは大正解でした」
「ありがとうございますっ、フェニ様……ですよねえっ! それなのにこの子は、対価に命の一つや二つ張ったとしてもそんなの当然でしょうが! ガタガタ言ってんじゃないわよ! みっともないっ! ケツの青い小娘かっ!」
「小娘っすよ! 私二人の十分の一も生きていないんすよっ! やりたいこと、た~くさんあるんすっ! 男の人と手だって繋いだことないのにっ!」
「え? いや……アンタ、そう言ってももう十七でしょ。それはそれでさすがにどうかと思うわよ……ごめんね、先生、貴方の孤独に気づいてあげられなくて。今度、よさげな卒業生の子を紹介してあげるからね」
「うあああああああっ! ティナ先生がダブルの意味で、いじめてくるっ!」
「ああもう……メイはもういい加減、諦めなさい。貴方の考えるようにはたぶんなりませんから」
フェニは契約者のメイの身を心配していないわけではない。
フェニ自身、今回の検証は大事故が起きるような類いのものではないと判断している。
万が一のことも考慮し、数日前から強大な防御結界を部屋に張ってある。
それでも、バハムート相手となると、絶対の保証などないが……。
この日のために、こつこつとメイの魔力を使って作り出した蘇生石を準備してある。
最悪の場合でも蘇生できる。
彼女なりにできる限りの安全確認をした上での儀式である。
「二人とも静かに……もう一分前です」
「「っ!」」
壁に立てかけられた時計を見ながらフェニが呟く。
部屋の中央にある魔法陣。
その中央には……。
仰向けに置かれている人型の存在。
「後は、私たちはここで待っているだけで、あのホムンクルスにバハムート様の精神が宿るんすよね」
「ええ……そうです」
「ああ、お願いします……女神様、私をお守りください、まだ死にたくはないんす」
「あんな駄女神になんて祈らないでください……何の意味もありませんよ」
主のため(フェニ)、自分の興味のため(マルティナ)、自分の保身のため(メイ)……それぞれの思惑を抱き、儀式の成功を祈る三人。
一秒、二秒……ゆっくりとすぎていく時。
彼女たちは黙ったまま、その時が来るのを待つ。
沈黙の空間にカチカチと秒針の刻む音がする。
五、四、三、二、一……そして予定時刻となる。
「「「っ!」」」
ゆらゆらと部屋が揺れ始める。
室内だというのに、魔法陣の中央から吹きすさぶ風。
照明の松明が半分消えた。
予定時刻から十秒、二十秒と経過……だが人形は動かない。
失敗……その単語が三人の頭の中に浮かんだその時。
「「「……あ」」」
ピクリ、とホムンクルスの手が小さく動いた。
次に両の瞳がゆっくりと動く。
ゆっくりと、自分の身体の調子を確かめるように上半身を起こす。
「この、部屋は?」
儀式の成功に破顔するフェニ……そして。
「我、我は……」
「あ、ああ……」
「フェニ……我は、我は……本当に……」
「はい……よ、かった」
儀式は無事に成功する。
「バハ、ムート……様、バハムート様あああああああっ!」
感極まったフェニが駆け寄る。
竜と人で形は全然違う、それでも……。
バハムートが三千年振りに地上の大地を踏んだ瞬間だった。