歪2
公爵から歪の気配を感じたことをメイに話すと。
「な、なんすか、それ……?」
キョトンとした顔のメイ。
なんだその反応は? 歪のことを知らないのか。
歪のことを丁寧にメイに説明する。
歪とは生物たちから零れた負の感情などの集合体。
世界に散らばる歪みのエネルギーを【暴食】で食べることが、女神に与えられた昔の仕事の一つだった。
「歪を放置しておくと、大抵の場合は碌なことにならん、ゆえに我は女神の命令で世界から歪を処理するために動いていた」
「むごっ、もごおっ!」
必死でもがいている公爵を見ながら我は呟く。
「放っておくと魔物発生の原因ともなるしな」
「ま、魔物発生……もしかして歪とは魔気のことっすかね」
「魔気?」
「はい。魔族や魔物の魔力をそう呼び、人間が強烈な魔気に汚染されると狂暴な性格に、己の欲に忠実に行動するようになるんす」
なるほど、歪にも似たような性質は存在した。
狂暴化した魔物は歪が関わるケースが多かった。
歪の成分が魔気に含まれている可能性は高そうだ。
「最近、何度か話には出た記憶はあるが、そういえば我、魔族や魔王について殆ど知らんのだが……見たこともないしな、教えてくれるか?」
「了解っす」
メイが説明してくれる。
簡潔に言えば魔王、魔族は人類の滅亡という確かな悪意を持って世界に生まれた存在。
一定周期で登場し、魔王が生まれる度にいくつもの国が亡び地は荒れ果てた。
「魔族と魔族たちを束ねるのが魔王。最初に彼らが世界に現れたのは今からおよそ二千七百年ほど前。ムート様が地上を離れたあとの話っすね」
「ふむ」
「魔気の中に歪が含まれているとしたら、ムート様が去ったことで、世界から歪の浄化ができなくなり、蓄積された歪が魔族や魔王を生み出した……という仮説も立てられるかもしれないっすね」
「なるほど」
メイの仮説通りであれば、魔族を我が地上にいる時に見ていない理由にもなる。
「しかし、我が消えたことで……そのような影響が出るとはな」
「も、もしかしてムート様、責任を感じているんすか?」
「責任? ……はは、我が?」
気にしている顔に見えたのか。
メイの疑問の声。
「まさかだ、メイ。そもそもだ、女神は歪によって発生する害よりも、我が地上にいることの方が問題だと自分で判断したのだぞ」
我は地上の生物のために、自分の居場所まで譲った。
幻界へと追いやられなお、我が責任を感じるなどあり得ない。
我はそこまでお人好しではない。
「しかし、女神は魔族などの生物に対し、何の対抗措置も取らなかったのか?」
「強大な力を持つ魔族たちに対抗するため、魔王が誕生する年近くには、女神様により勇者が異世界から召喚されているっす」
「異世界召喚だと?」
「っす……異世界の人間が、召喚時に凄まじい力を女神様より授かるんす」
我が消えたことにより、歪によって発生した問題。
女神は一応の対策をとっていたらしい。
ちなみに、三百年前の勇者がこの国の開祖とのこと。
つまり、リリーラは勇者の血を引いているということか。
メイ曰く、王族ながら文武両道がモットーというのは。そういった背景から先祖代々引き継がれているものらしい。
「ちなみに、近いうち、勇者が召喚される可能性は高いと思うっす」
「何故わかる?」
「それは……」
サバイバルにも似たようなものがあるそうだが、魔のつく存在にも出現法則が存在するらしい。
理由は不明だが、三年周期で魔物が少し増える、三十年周期で魔物の数がとても増え魔族の活動が活発化する、三百年周期で魔王が誕生する……と言った具合に。
「そして今はその三百年周期に該当すると?」
「そうっす、厳密には今から二年後っすね」
首肯するメイ。
実際、魔王が現れる信ぴょう性は高く、王都付近の森だけでなく世界各地で魔物が例年より格段に増えているそうだ。
「なるほどな、と……いかんいかん、話は一度止めて、公爵の身体を早く調べなくてはな」
「そ、そうだったっすね」
話を中断し、我は放置していた公爵の身体に手を当てる。
「しかし、マルティナすらも魔気には気づかなかったのか?」
「魔族の魔力と人間の魔力の差異の見分けなんてつかないっすよ」
「ふむ」
魔族のやっかいな点は人間に擬態できる点だそうだ。
力を大きく解放したりすると、翼が生えたり、目が赤くなったりするらしいのだが……。
通常時ではまず見分けがつかないそうだ。
魔気に歪の成分が含まれるとすれば、我は何千年とに関わってきたのもあって、近距離であればなんとか判別できるが。
面倒だな、竜ボディであれば遠くからでも即座に判別できたんだがな。
「しかしこの男、無駄に生地の厚い服を着おって……正確に調べるためにも脱がせた方がいいな、手伝ってくれ」
「うぅ、あんまり見たくないなぁ」
何が悲しくてお腹の出た中年男性を裸にするのか……と、思いっきり嫌そうな顔のメイ。
とはいえ渋々ながら手伝ってくれている。
「むぐううううっ!」
会話中余りにうるさかったので公爵の口を布で塞いである。
じたばたと抵抗するヴォトン公爵。
「レイラ……だったか、汝にも手伝って欲しいんだが」
「ふぇ?」
放心状態で、現実逃避していたレイラが我の方を向く。
「ぜ、絶対いやよ……私に共犯者になるつもりはないわ、すべては貴方の独断専行の結果なのよ」
「ふむ」
「だ、大体アンタはなんなのよ……前にも学園長と一緒にいたけど、わ、私を巻き込んで」
我から距離と取ろうとするレイラ。
そうだ。こういう時のためにマルティナから授かっていたんだ。
先日貰ったペンダントをレイラに見せる。
「な、そ、そそそ、その紋章は……まさか【エレメントマスター】の認可章っ! 嘘、ほ、本物っ!」
「きちんと事情があるのだ。もしかすると魔族に関わる話だ」
「ま、魔族……」
「汝に責任が及んだりしないよう、マルティナにはしっかり伝えておく、それどころか……うまくいけば、これは昇進のチャンスになるかもしれんぞ」
「え、えぇ……わかったわ!」
一転して素直に手伝ってくれるレイラ。
最早、信じるしかない状況なのかもしれんが……。
徐々に公爵の脂ぎった肌が露わになっていく。
肉ばかり食べているんだろうか?
しっかりと野菜もとったほうがいいと思うが。
「公爵め、装飾品をジャラジャラと……付けすぎだろ、まったく。意味あるのかこれ、ただ重いだけじゃないのか? ……没収だ」
「お、王様……や、やってることが追いはぎみたいで罪悪感が半端ないっす。これ、間違いだったら……」
「その時はその時だ」
失敗を恐れていたら何もできん。
一分ほどして公爵のボディチェックが終了する。
「やはり……気のせいではなかったな」
身体から確実に歪みを感じるぞ、微弱だがな。
「メイ、先ほど魔気に汚染された人間の話をしていたな」
「あ、はいっす」
「それはどういった時に確認されている? 我の知る限り、歪の場合は負の感情の溜まる場所に関係していたが……」
「王様の言う通りっす。例えば国同士で大規模な戦闘のあった戦場跡、後は大量のアンデッドに囲まれた場合……ただ公爵は、そのどちらにも該当してないんすよ、ここ数百年は隣国とも友好的な関係を保ってるっすから」
思考を続けるメイ。
「だが、近くに発生源がなければ汚染されることはないだろう」
「はいっす、あとは近くに魔族がいるくらいしか、でも、まさか」
「近くに魔族か……息子のトバルスからも感じたぞ、同様の気配を」
「も、もしやトバルスが魔族?」
「いや、そこまで強い気配ではない……おそらく公爵と同程度の気配だな」
話を聞く限り、魔族ならもっと強い魔気を感じるはずだ。
「ほ、本当に魔族が近くにいるんすかね? だとしたらとんでもない事態っすよ」
「否定はできないと思うがな」
我は公爵の身の回りの関係などを尋ねる。
妻は昔に亡くなっており、王都の屋敷で二人の息子と使用人で共に暮らしているそうだ。
必然、接触時間の長いのは身内になるだろうが。
「ちなみに……トバルスの弟はこの学園に通っていますよ、トバルスの二つ下で、今年高等部に進学したばかりですね」
「ああ、彼は私が学園にいた頃から有名だったっすね」
横で話を聞いていたレイラが会話に混じってくる。
「彼は兄と正反対の性格で、無遅刻無欠勤、品行方正、文武両道、誰に対しても礼儀正しく、穏やかな物腰で接する、その上で少年らしさと恰好よさを同居させた甘いマスクで学年主席で中等部を卒業し、女子に人気者の……」
なんか最近どこかで聞いたことがあるな。
「気に入らんな」
「ま、まぁ……気持ちはわかるっすけど、同級生のリリーラ王女もムート様と同じことを言ってましたし」
顔を顰める我を見てメイが言う。
別に我は人間相手に嫉妬しているわけではない。
「そういうことを言いたいのではない。なぜ弟は正常なのだ? ……おかしいだろう?」
「え? せ、正常なら別にいいんじゃないっすか?」
「違う、同じ状況ならば家族全員が異常なのが正常であるべきだろう? 何故弟だけが無事なのだ?」
「あ……た、確かにっす」
もし、事実魔族がいるのであれば。
父親や兄と共に魔気の影響を受けているはずだ。
「なんかこう、よくわかんないけど強い精神力で魔気にレジストしたという線もあるっすよ、王様」
「その可能性もあるが……」
直接会ってみないことにはなんとも判断できんな。
「それで、ノスとやらは今どこにいるんだ?」
「今日は高等部のオリエンテーションということで、学園地下のダンジョンの探索に……」
先日王女も話していたな。
あの時の会話を思い出す。
(戻ってきたら、直接会ってみるか)
我なりに魔族に興味もあるしな。
しかし、それから三人で話をしていると……。
とんでもない報告が入ってきた。
「レ、レイラ先生……大変ですっ!」
慌てた様子で、部屋に入ってきた男性の教師。
額には汗、かなり急いで走ってきたのだろう。
「リ、リリーラ王女たちのパーティが、ダンジョン探索中に行方不明に」
「な、なんですって!」
緊急事態にレイラが男性教師に詰め寄り、真剣な顔で報告を聞いている。
二人の話を聞くに、例年通りに講師一人と五人の学生パーティーの構成で学園の地下ダンジョンを探索していた。
途中までは順調に進んでいたそうだが、前触れなく突然二人の足元に魔法陣が出現して消えたそうだ。
オリエンテーションで予定していたのは二層までの探索。
大きな罠などは存在しないはずとのこと。
「王様……わたし、ものっすごく嫌な予感がするんすけど」
「だろうな」
メイに同意する。
「あ、ああああっ! どうしようぅ、どうしようっ! もうやだ、なんで学園長がいないこんな時に限って……」
泣きそうな顔のレイラ。
消えた件の人物。
しかもマルティナの留守にしているこのタイミング。
すでに王城の学園長に知らせに走っているらしいが……。
とはいえ、すぐに助けは来ないだろう。
どれだけ急いでも戻るのには一時間かかるとのこと。
「急いでダンジョンに向かうか」
「お、王様、力を貸してくれるんすか?」
「一応、王女は知った仲だし、見捨てるのもな」
それに魔族に関しても多少興味はあるしな。