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光のあたる場所へ

   

 

 


 ギリアムは、南の国にあるある港町に向かう船の中にいた。

 甘ったるい果実の匂いが充満した船室にずっと詰め込まれていたせいか、体中にその匂いが染みついている気がする。袖に鼻を近づけて顔をしかめるギリアム。


「ったく、ここまできても甘いのかよ……」


 ギリアムはこざっぱりとした通気性のいいシャツに、ゆったりとしたズボンといういで立ちである。以前は暗闇でも目立たないように黒ばかり選んで着ていたが、こんな暑い海の上であんな黒ずくめの服などとても着ていられるものではない。リリアの言う通り、着替えて正解だった。


 そこに船室から出てきた連れが、声をかける。

 髪を後ろでざっくりとリボンでひとつにまとめたリリアは、そのシンプルな服のせいもあって旅を楽しむ少女そのものである。その表情も、デルベを出る時とは大分変わっていた。今はもう、その瞳には悲しみの影は見えない。むしろその表情は、生き生きと輝いていた。


「甲板に出てみない?港が近そうよ」


 なかば強引に引っ張られるように、ギリアムとリリアは甲板へと続く階段を上がっていく。何日もずっとその上を渡ってきたのだから、今さら海なんて珍しくもないだろうに、リリアは何度甲板へ出ても感嘆の声を上げるのだ。


「わぁぁ!きれいねぇ。見て、海鳥がたくさん。それにあっちには大きな背びれが見えるわよ」


 子どものようにはしゃぐ連れの横顔に、あきれた表情を浮かべるギリアム。


 ギリアムは、リリアが生まれる前から侯爵家に仕えていた。

なにしろ行き倒れていたギリアムを拾ったのは、先代の娘なのだ。その娘は幼くして病死してしまったが、リリアはその娘リリーによく面差しが似ていた。時折リリアに、その娘の姿を重ね合わせていたギリアムである。

 ギリアムにとっては、リリアはこの世で信じられる数少ない人間の一人だった。もっともその境遇に同情していただけで、特別な思いがあるわけではなかったが。



「ねぇ、ギリィ。港へ着いたらどこか小さな家を探さない?宿を借りるのもお金がかさむし、港町ならきっと私にだってできる仕事があるわ、きっと」

「家ったって、そう簡単に借りれないだろう。金はどうするんだ。俺はもう無一文だぞ」


 以前はデルベ国で裏の仕事で食い扶持を稼いでいたギリアムだが、雇い主をなくした今は当然のことながら無職である。なにせその裏の世界から手を引いてからずっと、船の上にいるのだから。


 それもこれも隣にいるこの連れを、デルベから連れ出すためだ。

 その屋敷の周辺一帯は厳重に警備が張り巡らされていて、ギリアムでもその網の目をくぐってこいつを連れ出すのに苦労した。

 しかもギリアムはこの少女の頼みであるものの始末も済ませなければならなかったのだ。そのために残りわずかな金も全部使い果たしてしまった。


 その苦労をこいつは知ってか知らずか……。


「大丈夫よ。国を出る時に、宝石とか換金できそうなものを持ってきたもの。これで当面はなんとかしましょう。食べるものと住むところがあれば、なんとかなるわ」


 隣で気持ちよさそうに海風を受けながら、舞い上がる長い髪を手で押さえつけている姿に、ギリアムはため息をついた。

 あの国の手の届かない安全な場所へ連れ出せたはいいが、一体これからどうすればいいのか。もはやこの少女には手助けしてくれるような身内も知り合いもない。実の父親も、おそらくは海の底に沈んでしまったのだ。

 

 実のところギリアムにも、これからどうすればいいのか分からないでいた。なにせ普通の人間の暮らしなど、自分が知るはずもないのだから。

 これからリリアは、一人で生きていかなければならないのだ。貴族という身分を捨てて、ただの町娘として。手に職もなく、衣食住のすべてを他人の手を借りて生きていた貴族の娘が、果たしてやっていけるだろうか。ギリアムはどうするべきか、国を出てからずっと思案していた。


「大丈夫よ。二人一緒ならなんとかなるわ」


 こちらをのぞきこむようににっこり笑って、明るく話すリリア。ギリアムは、その顔をしばしぽかんと見つめて固まる。


「一緒って……。お前俺とずっと一緒にいる気かよ?」


 みるみるその顔が歪んでいく。泣き出しそうなのではなく、むしろ怒りの方向に。

 少し不健康そうにも見える白すぎる肌にやわらかな顔立ちの少女は、一見気の弱そうな性格に見える。が、実際は意志のはっきりした頑固さも持ち合わせた性質である。

 それを子どもの自分からよく知っていたギリアムは、次の展開を想像してわずかに後ずさる。


「ギリィ!ここまで私を連れ出しておいて、一人でほっぽりだそうっていうの?」


 じり、とギリアムににじりよりその大きな瞳でにらみつける。


「とはいっても、お前だって知ってるだろう?俺は普通の……」


 普通の人間じゃない。そう言おうとしてこちらに向けられた表情に気が付いて黙り込む。

 

「私にはもう、ギリアムしかいないのよ。それに、昔から言っているでしょう?あなたはただのひねくれた変わり者よ。人間だろうがヴァンパイアだろうが関係ないわ。ギリアムはギリアムよ。……それに私はあなたを待ってるっていったでしょう?そしてあなたは戻ってきてくれたわ。私をあの暗い生活からこうして連れ出してくれた」


 一度言葉を止めて、リリアはその榛色の瞳をギリアムをまっすぐに向ける。その瞳に射抜かれたようにギリアムは目を離すことができない。


「ギリアム。私にはあなたが必要なの。あなたと一緒にいたい。これからもずっと」


 きっぱりと言い切るリリアの表情は揺るぎなくまっすぐで、ギリアムはため息をつく。


「俺は半分は人間でも、ヴァンパイアであることに変わりはないんだ。そのせいでお前が嫌な思いをすることだってある。住処を追い出されることだってあるかもしれないんだぞ。……俺と一緒でなければ、普通の人間と普通に交じり合って生きていける。それでも俺と生きるっていうのか?」


 ギリアムは今でこそ人間の中には自分たちを排除しない者たちもいると知っていたが、それがすべてではないことも良く知っていた。もしヴァンパイアであることが知れたら、その身に危険が及ぶことだって考えられるのだ。そんな事態にリリアを巻き込むわけにはいかない。


 ギリアムはリリアの身を案じればこそ、今度こそこそこそと隠れるような生き方ではなく、堂々と明るく日の光の下で生きて欲しいと思っていた。幼くして死んだリリーの分まで、幸せに。だからこそ、自分はそばにいるべきではないと考えていたのだ。

 なのに。


「私はあなたと生きるわ。私とあなたは似た者同士よ。そうでしょ?ギリィ。あなたも私も寂しくて独りぼっちで、でも簡単には人に受け入れてもらえない。……でも、もう一人はいや」

「俺といたら、余計に受け入れてもらえないかもしれないんだぞ」

「平気よ、あなたがいるもの。それに私知ってるのよ。あなたが日の当たる場所に行きたがってること。本当はあなた人を傷つけて楽しむような人じゃないもの。……ギリィが優しいってこと、私は知ってる。子どもの時からずっと見てきたんだもの」


 ギリアムはリリアの姿に、リリーの面影を見た。一緒にココアを飲もうと自分をあたたかな場所へ救い上げてくれたあの手を、思い出した。


 ――リリー、俺にもこいつに手を差し伸べてやることができるのかな?お前に見た目は似てるけど、こう見えて結構気が強いんだ。変な奴だし、強引だし、泣き虫で、甘ったれで……。放っておけないんだ。


 ギリアムが自分の身の危険を冒してまでデルベへ戻ったのは、死んだ雇い主への同情からだけではなかった。

 本当は、幼い頃からいつも自分に嬉しそうに笑いかけてくれるこの変わり者の少女に、特別な感情を抱いていたからだ。リリアが別れ際に言った『待ってる』の一言を、どうしても忘れられなかったからだ。


 もう、観念する時かもしれない。ギリアムは天を見上げた。


「変わり者ならお前だっていい勝負だろ。……こんな俺と一緒に生きようなんて、まともじゃない」

「まともじゃなくて結構よ。似た者同士って言ったでしょ」


 リリアはにやり、と笑みを浮かべてこちらを見ている。すべてお見通しなんだろう、きっと。なんでかリリアには分かってしまうのだ、ギリアムの心の内が。


「お前は俺以上だよ。頑固なところは父親そっくりだ」


 突き放すような言い方とは裏腹に、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。もちろん笑いなれない偏屈物のギリアムであるからして、その笑みはよく知るものでなければそうとは分からない程度ではあったが。

 

「知らないからな。自分でもどれくらい生きるのかもわからんし、食い扶持だって稼ぐあてもないんだ。以前みたいないい暮しはさせてやれないぞ」


 リリアはにっこり笑って、ギリアムの腕に自分の手を添える。シャツをきゅ、と握るとその頭を摺り寄せる。


「ギリィがいてくれれば、それでいい。それに私だって毎回焦げたパンしか作れないかもしれないわ。お料理なんてしたことないんですもの。……でも、ココアなら上手に入れられるわ。だから、一緒に飲みましょうね、ココア」


 人間とヴァンパイアの間に生まれた、人間にもヴァンパイアにもなりきれないはみ出し者。

 裏の世界で生きるしかなかった汚れた自分を、その手を伸ばして光の方へ引きあげてくれた少女。闇の中ではなく、もっとあたたかな光の当たる場所へ一緒に行こうと手を差し伸べてくれた存在。


 ギリアムはそっと腕によりかかるその頭を撫でる。その頭が瞬間小さくぴくり、と動く。そしてさらにぎゅっと強く握られた腕に、ギリアムの胸があたたかいもので満たされていく。


「俺は甘いものは嫌いなんだよ。でも仕方ないから、たまには付き合ってやるよ。たまにな」


 寄り添う二人の周囲を、強い海風がぴゅうぅ、と吹き抜けていく。



 港についたら、町へ行って小さな家と仕事を探そう。二人が寄り添ってつましく暮らせるだけの、ささやかなものでいい。そして人間たちに交じって、二人で暮らすのだ。時々はくださない些細なけんかもして、あたたかな食卓を囲んで。

 そして、時々は甘すぎると不平をこぼしながら、甘い甘いココアを飲もう。




 いつかあの町へ行ってみるのも悪くない。

 自分と同じはみ出し者の少女が快活に笑って暮らすあの町に。自分に初めて光る場所へ出てもいいんだと思わせてくれた、あの少しすっとぼけた大食い少女に会いに。



 人間とヴァンパイアの血を引くひねくれ者のギリアムと、数奇な運命で引き合った元侯爵令嬢リリア。

 二人の人生はまだ始まったばかりだ。



 願わくば、その二人に幸多からんことを――。

 二人を優しく見つめるように、大きな海は青をたたえて穏やかに波打っていた。




これにて主人公以外のスピンオフは終了となります。

あとは近日中に主人公ラルベルのその後のお話を連載予定ですので、ぜひそちらもあわせてお読みいただけたら嬉しいです♪


個人的にはギリアムが一番好きなキャラだったりします。幸せになってくれるといいなぁ、と思ってみたり。

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