9 俺、ガチでやってしまった……
◆
俺……実は今ものっっっそい病んでいる。
彼氏役を引き受けてから……いや、それ以前に遡っても覚えがない、水谷さんのあの凶器のような鋭い目つき。
思い出しても鳥肌もので、夢にまで出てきた水谷さんのあの目つきは意図も容易く俺を寝不足に追い込んだ。
朝起きるとまざまざと思い出す昨日の状況。イケメンストーカーとやり合った、水谷さんを巡っての激しい攻防。まさかご本人が登場するなんて夢にも思っていなかったが。
ただ一つ言えるのは、あれは絶対、完全に虫ケラを見る目で俺を見ていたということ。
勘違いじゃない……やはり聞かれた!?
俺が毎日、水谷さんを想像しながら……。
………………………………。
ぎゃああああああああああぁぁぁ!!!
詰んだあああああああああぁぁぁ!!!
違うんだ水谷さん!!
あれは例えだ!!
弾みだ!!
言葉のあやなんだああああぁぁぁ!!!
「げほっ……ゲホッ!!」
あ、あれ?
「ゲホッゲホッ、ゲホッ!!」
そして俺は、体調を崩した。
俺の両親は共働き。故に家には誰もいない。学校を休もうか迷いどころではあったが、体温計の温度を目にした途端、迷いは吹っ切れた。
「休むか……」
熱がある。心が病んでいるからではなく、どうやら本当に風邪を引いたみたいだ。
昨日の今日だから、なるべく学校には行きたかった。なんとしても早い内に水谷さんに与えてしまった誤解を解かねば……。しかしそんな思いも思わぬ発熱によって封じ込められた。
はぁ、くそ……! と、一旦は制服に着替えて熱に抗おうとするも、やはり重たく感じる体と瞼には勝てず、深々と溜息をつきながら俺はもう一度布団にくるまった。
「奥井くんがあんな変態な人だとは思わなかった」
「ち、違うっ!! 俺は! 俺はあいつの愛に負けたくなかったんだ!!」
「えっ……」
「俺の方が水谷さんを愛してるって! あいつに思い知らしてやりたかった!!」
「奥井くん……」
「信じてくれ! 俺は変態なんかじゃないし、水谷さんを誰よりも愛してる!!」
「……うん……」
これ、100点。
しかしこの展開はちょっと……。いや、でも! たぶんこれくらいはっきり口に出すことができればワンチャンはあるだろう。……ないか? いや、あるだろう!!
時間は既に昼前。もちろん、水谷さんからの連絡はない。やはり怒っているのだろうか、俺の変態の一部を知ってしまったことが…………俺は変態じゃない!! 一部たりとも!!
自分を鼓舞して、また解決シーンの妄想へとダイブする。そして起きて、またへこむ。これを繰り返した。
どれくらい時間が経っただろう。夢と妄想を往復しすぎてよくわからない。
そのとき、夢か現実か、ふと水谷さんの匂いがした。この甘い香り……ここまで再現できるとは、自分の匂いフェチっぷりには驚きと感謝しかない。
んっ? 夢だよな……?
そう思い、辺りを首から上だけで見渡す。場所は間違いなく自分の部屋。ただ決定的におかしな点が、部屋の隅っこに三角座りの水谷さんがいること。
これは絶対に夢。あの水谷さんがこんな置物みたいに俺の部屋にちょこんといるわけがない。大体、俺の家も知らないはず。相当熱があるな……と、もう一度目を瞑る。
はぁ~……重症だ……。
重症だけど、でももったいなくないか!?
夢か妄想か、そんなもんどっちでもいいけど!!
俺の目の前に水谷さんがいるんだぞ!?
借りてきた猫みたいに大人しく!!!
そしてこの角度、見えそうで見えないスカートの中身……!!
妄想万歳!! 夢ならもう少し覚めないで!!
「大丈夫?」
はい、始まった。奥井駿太の妄想ラブストーリー。なんかいつもの妄想より声が出にくいけど、まぁいいか、リアリティーがあって。
「うん、大丈夫、体よりも心が重症だぜ」
「…………なんで?」
なんで?って、そこは違うだろ俺。そこはもうちょっと高めのトーンで、うるうるした声で「私の、せい……?」だろ!!
「昨日の水谷さんの目線がさ、俺の心に深く突き刺さったままなんだ」
「…………ふーん」
ふーん、じゃねぇぇよ奥井駿太ぁぁ!!!
ここは超超超可愛く「ご、ごめんね」だろがぁぁぁぁ!!!!
イージーミスすんなや!! 妄想歴何年目だコラぁぁぁ!!!
「あれはさ、あいつに合わしただけなんだ。俺は変態じゃない、君にだけはわかってほしい」
「んー……けっこう変態だったけど」
誰が変態じゃあああああ!!!
自分の妄想で自分を変態扱いしてどうする!!!
コントロールしろ!!!
次は水谷さんを動かすんだ!!
俺のとなりに!!!
「……よいしょ」
そうだ!! それでこそいつも通り!!
そしてオデコごっつんこ!!!
「まっ、もうそれはいいんだけどね。奥井くんさ、彼氏役……嫌?」
?? なんだこの展開は?
コントロールできない系のあれか?
まぁ、なんとかなるだろ!
とにかく格好良くだ、奥井駿太!!
「嫌なわけない、好きなんだから」
「……! じ、自信ないって言ってなかった?」
「自信はない。いや、持てないんだ。水谷さんほどの可愛さだぜ? 俺なんかどうしたって不釣り合いだろ?」
「……だから彼氏役譲るってなったんだ?」
「馬鹿だな、本気で譲るつもりなんかねぇって。ああ言ってさ、自分にプレッシャー与えてるんだ。なんとか期限までに水谷さんに見合う男になって、あいつにキッチリ諦めさせるんだ。って」
「………………」
ん? なんで黙るの?
何? どうしたんだ?
この張りつめた空気感は……?
妄想だろ?
1ミリもこのリアリティー求めてないけど?
「奥井くん……」
よし、やっときた。
一時停止が長すぎる。
しっかりついてこい! 俺の頭!!
「じゃあ明日からも彼氏……の役、よろしく」
ん? なんだって?
「お大事に」
ちょ、待たんかぁぁぁあああああいいい!!
どうなってんだ俺の妄想よ!!
重症か!? 末期か!? 手遅れか!?
あぁ……駄目だ……。
妄想疲れでまた眠くなってきた……!
となりに座った辺りまでめちゃくちゃいい感じだったのに……。
まぁ仕方ない、か。
明日ちゃんと学校行って謝ろう。
妄想なんて、所詮妄想だ。
ちゃんと謝るとこは謝らなきゃな。
「駿太、ご飯。ここ置いとくからね」
仕事から帰ってきた母親がおかゆを作ってもってきてくれた。時間を確認するまでもなく、窓越しに映る外の様子はもうすっかり夜だった。
「あなた、友達がお見舞いにきてたのにずっと寝てたの?」
「え?」
誰かきてくれてたのか? ずっと布団にくるまっていたから全く気付かなかった。
「寺田くんと、あとすっごい可愛い娘。寺田くんはすぐ帰ったけど、あの娘はあなたの様子みたいって。まさかあんたの彼女……なわけないわよね。食べたらそこ置いといてね」
母親はそう言って部屋をあとした。
俺は扉のキィィの音と同時に血の気がサーッと引く。
う、そ……だろ?
夢でも妄想でもなく、水谷さん、本当にきてたのか……!?
駄目だ、これは明日も休むしか……!!
俺はおかゆには目もくれず体温計を手に取った。
ピピッーーーー36.2℃……。