2 緊張の中、屋上で密談する
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「ハァ……ハァ……」
階段を一段上るたびに高鳴る鼓動。足取りは重く、鼻だけでは苦しいので口で息をする。
あまりの緊張感からニヤけたりしかめっ面を繰り返すも、彼女の通った残り香が思考を鈍らせる。
(俺はなんで呼ばれたんだ……?)
そればかりが、グラウンドなどで頭上に群がる虫のように離れない。
わけもわからずトキメいてしまったが落ち着け!
俺が彼女に呼ばれる理由はなんだ……そうだ!
間違いなく学校中に広まっているあの噂の件だ……!
もしかして今から修羅場なのか!?
「君が広めたんでしょ?」的な尋問か!?
違う!!!
俺は無実だ!!!!!
俺にとって君はキャビア!!!(←1話参照)
そんな高価な食材、今まで彼女すらいなかった俺が自ら口にするわけがない!!!
待ってくれ、違うんだ!!!!!
屋上の扉の前で取っ手を掴むこともできず、どこから生まれたのかすらわからない罪悪感と全力の否定の狭間で揺れまくる。
「……何してるの?」
開けたいけど開けたくない、そんな俺の葛藤を無視して扉は無造作に開かれた。
「あんまり聞かれたくないから……こっち」
水谷さんは固まる俺の手を引いて屋上へと連れ出した。
アイドルなんて全く興味はないが、握手会に群がる男の気持ちがよくわかった。
手を離し、背を向けて、もう一度振り向いたときの水谷さんの表情はどこか曇っていた。ばつの悪い顔というか、怒っている感じと悲しんでいる感じが交ざりあったような顔。
こういうとき、本当の彼氏ならどう対応するのだろう? 優しく「どうしたの?」とか、悩んでいることを先に想像して答えを言ってあげるとかか?
絶対無理。想像なんてできないほどのこの緊張感。上唇と下唇が緊張でくっついて言葉も出ない。
そして表情はどうであれ、可愛さしかないその顔。できることなら少しの間、時間が止まってほしいくらいだ。そしてできることなら、止まった時間の中で君をーー
「ごめん」
いや、こっちがごめん。想像ですら重罪だった。
水谷さんはそんな俺の内心など知るよしもなく、俯き加減のまま謝罪の言葉を口にした。
「まさかこんなに噂が広がるなんて思ってなくて……」
「え……」
どういうことだ?
思ってなくてって?
「奥井くんと付き合ってるって言ったの、私で……」
きたー!! 新春到来!!
むしろぶっ飛んで夏ーーッ!!
いや……待て!?
これはまさかのドッキリか!?
だってあり得ないぞ!?
あの水谷結衣が自分から俺と付き合ってるなど……!
どうしてそんな嘘を……!?
まさか、脅されている!?
誰かにムリヤリ言わされたとか……?
だとしたら……そいつ、ありがとう。
じゃなくて!!!
だからこんな顔してるんじゃないのか!?
俺はどうすれば……
「やっぱ……怒ってる?」
終始黙りっぱなしの俺に水谷さんは初めて目線を合わせた。怒るどころか事情がよく飲み込めていない俺は「い、いや……」と怖じ気づくように後ろへ下がるばかり。
そんな俺を見て、水谷さんは事の経緯を話し始めた。
五分後ーー俺はようやく冷静になれた。
水谷さんはストーカーもどき男にしつこく告られて、咄嗟に彼氏がいると嘘をついた。男が「教えてくれたら諦める」と言ったため、クラスメイトの中からランダムに俺が選ばれたということだ。
しかし、なんで俺?
もしかして気が……いや、それはない。
なら、一番彼女がいなさそうだったってこと……?
噂になってもこいつなら誰も信じないだろ的な?
水谷さんってそんな悪女……いや違う!!
考えろ、考えるんだ奥井駿太!!!
これがもし裏をかいて口実だったとしたら……?
先に噂を広げてやる的な策略だったとしたら!?
もう逃げられないでしょ的な!?
それはつまり奥井くん、好き的な!!!!
「奥井くんてさ、彼女、いる?」
はい、きたこれ。
いります。ほしいです。君が。
俺は思わず頷いた。
「え、いるんだ……」
もちろんです。届けこの思い、by奥井駿太
「ごめん、彼女いるのに……」
彼女はいませんけど?
あれ……話が噛み合わない。ひとまず自分の中で巻き戻す意味で口を開いた。
「彼女は……いない、です……」
「えっ? さっき頷いてなかった?」
「いる?って、聞かれたので……。ほしいですって意味で……」
「あ、そっち?」
……穴があったら入りたい。
こんな勘違い、あっていいのだろうか。
すいませんでした。
よかったら俺をぶん殴って下さい。
「うん、まぁ、そうだよね」
覚悟はできています……。
「じゃあさ、お願いがあるだけど……」
どうぞご遠慮なく……!
「このまま彼氏役……お願いできないかな?」
俺はビンタの痛みに堪えるべく瞑っていた両目を片方ずつ開けた。
ーーなんだって?