第二六話 DEATH MARCH
19日目
「……ねえ、クロウ……」
暗闇の中を九郎はベルフラムを背負い、ひたすら歩く。
どの位の距離を進んだのか、後どの位歩けば外に出られるのか……。
九郎の背中でベルフラムが小さく囁く。
何日も暗闇の中にいたせいで、朝なのかも定かでは無いが、再び歩き出そうとしたベルフラムは、疲労と空腹で立てなくなってしまっていた。
「…なんで…私にここまでしてくれるの……?」
「………約束したじゃねえか………」
繰り返される質問に、九郎は同じ答えを返す。
「もう………無理よ………歩けないのよ………私……」
九郎の背中でベルフラムが嗚咽を漏らす。
背中で声を押し殺して泣くベルフラムに、九郎は優しく同じことを言う。
「心配しなくても、俺がきっちり運んでやんよ!」
何度でも九郎は同じ言葉を綴る。
「……もう、諦めましょう………。頑張ったわよ…私達………」
背中でベルフラムが力なく項垂れるのが解る。
九郎は背中に熱いものがポタリ、ポタリと落ちていく感覚に苦しげな顔をする。
しかし、九郎は頭を数度降ると、ことさら大きな声で背中のベルフラムに語りかける。
「嫌だね! 俺はぜってー諦めねえ! ……諦めてたまっかよ!」
九郎自身が暗くなるのを塞き止めるかの様に、九郎は暗闇の中で吠える。
「ベルフラム! お前は帰りたくねーのかよっ?!? 俺は諦めねえぞ! 引きずってでも連れて帰ってやる!」
九郎の言葉にベルフラムは背中を叩く。
力なく何度も九郎の背を叩きながら、ベルフラムは大粒の涙を流す。
「……帰りたくない訳無いじゃない!! 帰れるものなら帰りたいわよっ! 帰ってお腹一杯ご飯も食べたいわよ! でも………もう如何しようも無いじゃない! ……もう何日この暗闇を進んできたと思ってるの?!」
背中で泣き崩れるベルフラムに九郎はことさら大声で答える。
「まだ、二十日も経ってねえよ! 俺はな、ベルフラム! お前と出会うまでに40日以上荒野を彷徨ってたんだ! まだ半分にもなっちゃいねえ!」
暴論で極論で理不尽な言い方だと、九郎自身も思っている。
だが、諦める事はできない。
―――いや―――九郎には諦める事ができない。
『不死』の体は九郎が諦める事を許さない。
力尽きる事も、発狂することも、折れる事すら許さない。
まるで、『死』に向かう全ての事を否定するかの様に……。
九郎は歩みを止めずに進んで行く。
背中からベルフラムのすすり泣く声が聞こえる。
九郎は暗闇の中、前だけを見て、自身をも奮い立たせるようにハッキリと言葉にする。
「俺は死んでもお前を無事に家まで連れて帰る! お前は安心して背中で寝てりゃいいんだよ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
××日目
暗闇の中、九郎は遮二無に前に進む。
もし、後年ここを訪れた人間が、この洞窟を光で照らしたのなら、その奇妙な光景に頭を悩ませるだろう。
九郎の進む後ろには、硬い岩盤に轍の跡が残されていた。
「……ん……」
「起きたのか? ベルフラム」
背中でベルフラムが目を覚ます。
「……ちょっとね……夢を見てたの……」
「へえ……良い夢だったか?」
この所、ベルフラムは寝ている時間の方が長くなってきている。
ベルフラムは少し恥ずかしそうに九郎の耳元で囁く。
「……うん……私ね……夢の中でお城に帰っててね……目の前にご馳走が沢山並べられてたの……」
「そりゃあ良い夢だな……」
九郎の相槌にベルフラムはさらに声を小さくしながら、九郎の耳元で恥ずかしそうに続ける。
「……でもね……クロウ…私がね……食べようと思ったご馳走はね……蛇だったの……」
「ははっ。確かにご馳走だなっ」
九郎は笑いながら、肩に首を掛けているベルフラムの頭を優しく撫でる。
ベルフラムも、気持ち良さそうに九郎の肩に身を預ける。
「もうちょっと寝てろ……。きっと夢の続きが見れるぜ?」
優しくベルフラムの頭をもう一度撫でる。
背中でベルフラムは小さく呟く。
「……きっとね……こんないい夢…見れたのはね…今日ね……多分……私の誕生日だからかも………」
「………それじゃあ、沢山食わねえとなっ!……」
「………うん……クロウもちゃんと…寝てね…?」
答えた九郎にベルフラムは眠そうな声で九郎に囁くと、また小さな寝息を立てはじめた。
目を覚ますと九郎がいつも起きていることに疑問を持ったのだろう。
九郎はベルフラムが寝入ったのを確認すると腰のナイフを引き抜き、自分の足の甲に突き立てる。
(ぐっっ!!! 痛ってえーーーーーーっっっ!!!!)
叫び出したいのを堪えながら九郎は暗闇を睨む。
引き抜いたナイフを脹脛で拭うと九郎は再び歩き出す。
足先から駆け上がってくる痛みが、九郎の意識を覚醒させる。
九郎はもうずっと寝ずに歩き続けている。
しかし、九郎の『不死』の力は九郎を睡眠へと強力に誘う。
事実、犬に食われてさえ寝入った事も有る……。
だが、今の九郎に、いや、ベルフラムにとって寝ている時間など無い。
ベルフラムの体は刻一刻と死に近づいている。
九郎は『不死』の力故に訪れる睡眠の誘惑に、『不死の禁忌』で抵抗していた。
自傷する事で訪れる激しい痛みで。
九郎は前へと歩き続ける。
足元には傷から流れ出た大量の血が、硬い岩盤を流れる。
流れ出た血は、やがて赤い光の糸となって、九郎の足へと還っていく。
九郎の後方には、『不死』の赤い粒子に削られた跡が、轍の様に残っていた。
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××日目
暗闇の中、九郎は前に進む。
「………ねえ…クロウ……」
いつの間に起きたのか、九郎の背中からベルフラムが九郎の頭を撫でる。
「……なんで私を……置いて行かないの……? ……約束したから……?」
いつも九郎がやっている様に、九郎の頭をゆっくりと撫でながら、ベルフラムは尋ねる。
「もちろん其れが一番だけどよ……今は、なんつーか俺の為でもあんな……」
「……クロウの為…?」
九郎の頭を優しく撫でていたベルフラムは、少し驚いた様な声で聞き返す。
「こんな暗い中で一人きりだと、俺ぁ、怖くて泣いちまいそうだ……。だからベルフラムも俺を見捨てんなよ?」
大げさな身振りで語らう九郎に、ベルフラムは久しぶりにクスッと笑う。
「…何よソレ………淑女の口説き方がなってないのね………」
九郎の耳元で、ベルフラムが恥ずかしそうに囁いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
××日目
暗闇の中、九郎は進む。
肩越しに九郎の指先から水を飲んでいたベルフラムが、はにかみながら口を放す。
「……甘いね……」
小さく笑うベルフラム。
―――甘い訳が無い―――九郎の顔が歪む。
もう、サボテンの果汁など、とっくの昔に無くなっている。
ベルフラムの記憶が、九郎の指に、甘さの幻想を見せているのか……。
名残惜しそうに九郎の指を握っていたベルフラムが、ピクリと身を震わせる。
「………クロウ………ごめんね………」
九郎のベルフラムの軽い体重を支えている腕に、仄かに暖かい液体が伝う。
ベルフラムはもう、自分で排泄を我慢することすらできないでいた。
「……何のことだよ……」
九郎は何事も無いようにとぼける。
「……私さ………臭いよね………?」
「臭かねえよ……」
背中で恥ずかしそうに身を竦めるベルフラムに、九郎は事何気に答える。
「……クロウは臭くならないのにね……」
「お前も臭くねえよっ!」
九郎の首に顔を埋めるように、ベルフラムは顔を寄せる。
九郎はベルフラムの頭を抱き寄せながら、強めの口調で再度否定する。
「………ありがと……クロウ……」
九郎の肩からも、暖かい液体が伝って行った。




