第二二話 漫画的表現のアレ
「この………この『大地喰い』の腹の中によぉっ!!!!」
絶叫の様に響いたバーランの声。
じわりじわりと足元の土を崩していく酸から、逃げるように九郎たちは丘へと走る。
大地を飲み込むミミズの腹の中で、九郎たちは少しでも高い場所を目指す。
「くそっ!!」
革靴の底が溶けたのか、九郎は足の裏に刺すような痛みを感じる。ジュッと肌が焼ける感覚。
「何処へ逃げるって言うのよ……。どう考えたってお終いじゃない……」
腋に抱えたベルフラムが、涙声で力なく呟く。
「黙ってろ! 舌噛むぞっ!!」
九郎はベルフラムに、短く答えて走る。
一番高い場所―――丘の上に逆さに突き刺さった木が見える。
「バーランさん! あそこっ!」
九郎は後ろで走るバーランに、木を指さした。
バーランは鎧を脱ぎかけていたせいか、上手く走れず少し遅れている。
九郎はベルフラムを木に持ち上げる。
(こいつが浮いてくれる事を願うしかねえな……)
嵐の海でも丸太は浮く、いや浮いて欲しいと九郎は思いながら、ベルフラムをより高い場所へと押しやる。
いつの間に、こんなに水嵩が増えたのかと思うほど辺りが酸の湖に沈んでいる。
「くそっ! くそっ! くそっ……」
バーランが、逆さに刺さった木の枝に邪魔され上手く登れないようだ。
「ベルフラム! 絶対木を離すなよ!!!」
九郎はベルフラムに大声で告げながら、バーランの元へと木を下る。
「もうちょっとっすよ! 引っ張り上げます!!」
九郎は先程バーランを掘り起こした時と同じ様な事を言いながら腕に力を込める。
限界を感じない九郎の力が、人二人分は優に有ろうかと思われるバーランを、片手で引き上げる。
「すまん!!」
「いいから早く登ってくださいっ!!」
短く礼を言うバーランを急かしながら、九郎も枝を登っていく。
根の方へ、根の方へと逆さに登る。
酸の湖が眼下の冒険者の遺体に掛かる。
焦げたような音と共に瞬く間に溶かされ、白い骨が浮かんでくる。
「もっと早く行けっ!!」
「もう無理よっ! これ以上は進めないわっ!!」
葉も無くなった幹の先でバーランの焦った声と、ベルフラムの涙交じりの声。
ベルフラムの行く手はもう枝は無く、太い幹だけが残っている。
ガクンと木が揺れる。
「…もう…やだぁ……ママぁ……」
ベルフラムがとうとう進むのを諦めてその場で泣きだした。
「泣いてねえで早く進めっ!!」
バーランの腕がベルフラムに掛かる。
「あ」
自分で思うほど、間抜けな声が九郎の口から零れ出た。
魔法の光がゆっくりと移動していくように見える。
紫色の小さな体が放物線を描くように落ちて来る。
九郎はそれを受け止めようと手を伸ばす。
―――届かない―――
そんな確信めいた予感に九郎は何も考えず、足元を蹴る。
指先に触れた紫色の布を手繰り寄せる。
そして、神へと献上するように頭上に掲げる。
「キャァァァァァァァァァァァ!!!!」
絹を割くようなベルフラムの悲鳴。
大きなものが水に落ちる音
九郎の体に走る焼けるような痛み。
「バァーラン!!!!!!!!」
九郎は絞り出すように叫び声をあげる。
遥か頭上でバーランの恐怖に濁った眼が見えた気がした。
「クロウ! もういいわ! もう駄目なのよ…。」
掲げた腕の先でベルフラムが疲れたように話す。
九郎は体から煙を上げながらも、ベルフラムを落とさないよう頭上に掲げる。
「黙ってろ! 暴れんなよ! 大人しくしてろよ! 言っただろ! 『俺が家まで送ってやる』って!!」
「でも!」
酸はもう九郎の胸まで登ってきている。焼けるような痛みが肉の内から込み上げる。足首から先はもう感覚が無い。
「これも何度も言ったよなあ!? 俺は不死身の英雄だって!!」
畳みかけるようにベルフラムを諭す。
直ぐ傍で大きい物が水に倒れる音が聞こえた。
「つっ!!!」
水面が大きく波打ち、飛沫がベルフラムのドレスに掛かる。ベルフラムが短く悲鳴を上げ、ベルフラムの長いドレスが膝辺りからズルリと溶け落ちる。
「もっと小さく! 両膝を抱えろ!!」
九郎の怒ったような声にベルフラムは膝を抱える。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ」
バーランの絶叫が近くで聞こえる。
程なく先程まで登っていた木が九郎の傍に流れてくる。木が突き刺さっていた土台が崩れたのか……。
しかし、ベルフラムを放り投げたバーランの姿が無い。
(そうだ……。ベルフラムを放り投げやがったんだ……。生き残る為に? いや、少しでも長く生きる為に?)
あの時、ベルフラムの肩に手を掛けたバーランは、まるで枝でも払うかのように、自然な動作でベルフラムを後方へと放り投げたのだ……。
余りの自然さ故に、九郎はあっけに取られ、思わず間抜けな声が出た。
そしてスローモーションで落ちて来るベルフラムに飛びついた時も何も考えなかった。
――「助けなきゃ」と言った使命感も、「助けたい」といった正義感も何もなく、半ば条件反射で飛びついた。
(飛び出した子供を庇う人の心理って、案外こんなもんかもな……)
近寄って来る木を目指しながら、九郎はふとそんなことを考える。
痛みの感覚はもはや無い。水面下では赤い粒子が溢れ出ているだろう。だが、未だ慣れてはいないのか、水を掻く足先の感じがやけに頼りない。
(―――これはぜってー今、俺骨だけだっ! 胸から下に肉がねえっ! 再生が追っついてねえっ!)
大量の酸を掻き分けながら、九郎は浮かぶ木へと立ち泳ぎで向かう。
「ベルフラム! 乗り移れそうか?」
水面下で、骨格標本と人体模型を行ったり来たりしながら、九郎はベルフラムに尋ねる。
「や、やって見るわ………きゃああああっっっっっっ!」
枝を掴もうとしたベルフラムが、九郎の手の上で身を竦ませる。
グルンと浮かぶ木が回転し、バーランが上がってくる。
ドロドロに溶け爛れた顔。今にも垂れ落ちそうな眼玉。ほぼ骨の手で木の枝に引っかかっていたバーランは、もう一度グルリと水面下に消えると、道連れにでもするかのように木と共に沈んで行った。
(ちくしょう! 休めねえっ!)
九郎は諦めると、流れに身を任すように立ち泳ぎで漂う。
手の上のベルフラムが泣きながら震えている。
どのくらい時間がたったのだろう。ベルフラムの魔法の光が薄く光を落とす頃、九郎は眼前に先程見た大きな横穴を見つけた。当初は水面下4メートルだった横穴は今や、水面下50センチ程の高さに開いている。
「ベルフラム! そこだ!そこに登れるか!?!」
九郎はベルフラムを見上げながら、穴を顎で指し示す。
下を見れる体勢でないベルフラムは動かないようにしながら首だけで周囲を見渡す。
「やってみる!」
ベルフラムは穴の淵に手を伸ばし、転がり込むように横穴に移動する。
「クロウも早くっ!」
「直ぐに上がるからベルフラムは少し先を見といてくれ!」
手を伸ばそうとするベルフラムを遠ざけて、九郎はゆっくりと酸の湖から体を引き抜く。
赤い粒子が胸から下を徐々に再生して行く。まるでCTスキャンの様に輪切りの体が姿を現す。足は既に慣れていたのか元の足が水面下に見える。
(さてと……何キロ走る事になるやら……)
水面はもう横穴のすぐ下まで迫っている。
身体を横穴に引き上げ終えると九郎は立ち上がり、駆け出す。
横穴を恐る恐る調べていたベルフラムを横抱きに持ち上げると全速力で走り出した。




