第二一話 奈落の底
暗闇の中、土砂の落ちて来る音だけが響いている。
押し流されたのか、地割れに飲み込まれた時間から大分経ったのか、次第にさらさらと砂の落ちる音に変わったことを確認して九郎は馬車から這い出ようとベルフラムに声を掛ける。
いくら頑丈そうな造りの馬車でも、屋根はへしゃげ、室内が変形している。あの長い時間落ちていた感覚から考えても、かなりの高さから落ちたのだろう。
「ベルフラム、出れそうか?」
九郎の腕の中でベルフラムがスンと鼻を鳴らす。
「暗くて何にも見えないわよ。もうあまり落ちて来る音は聞こえないけど……」
耳をそばだてると、確かにガラガラと大きなモノが落ちて来る音は聞こえない。
だが、ズズズズと大地の揺れる振動は未だ止んでいない。
「先に出てくれ! 俺が動くと馬車が崩れそうだ! 手探りでも窓かどこか開いてないか?」
「ちょっと待ってよ……。もう! お気に入りのドレスが泥々になっちゃうじゃない……」
九郎の言葉にベルフラムがごそごそと動く。幸い、馬車の中は、ベッドが馬車内の大半を占領していたおかげで動くことは問題なさそうだ。
「クロウ! こっちから出れそうだわっ!」
そう遠くない距離からベルフラムの声。
「よしっ! 先に外に出て声で誘導してくれ」
そうベルフラムに伝えると、九郎は背中に力を加える。そこまで重い物が乗っているようには思えないが、どんな拍子に崩れるかも解らない。
「出れたわっ! 本当に真っ暗ね……。聞こえる?」
「少し離れてくれ! 一気に外に出る!」
九郎はベルフラムの声がする方に意識を集中すると、まず、自分の体の感覚を確認する。
落ちている最中は『不死』の『修復』の力は使っていないので周囲から血の匂いが充満している。
『再生』の力は体力を持って行かれる感覚があるし、第一自分の『死んだ肉の一部』を見ることになるので、『修復』の方が便利なのだが。
(間違ってベルフラムに俺の肉片が着いちまったら、ベルフラムごと削り取っちまうもんな……)
確かめなくても馬車の中は血まみれのスプラッタハウスだろう……。ベルフラムが血の匂いに気付かなかったのが幸いだ……。恐怖と泣いていたせいで、そこまで気が回らなかったのだろう。
九郎は馬車の梁からそっと背中を放すと一気に外へと這い出す。
暗闇から暗闇に移動するのは、言いように無い不安感が伴ったが、どうやら広い場所へは出れた様だ。
先程充満していた血の匂いから解放され、九郎はコキと腰を鳴らす。
「ベルフラム! 俺も出たぞ! 何処にいる?」
なまじ広い場所へと出たせいか、声が反共して距離感が働かない。暗闇の中、目を凝らしてみるがこの場所も光が入って来ないのか、伸ばした自分の手さえ見えない。
「ちょっと待ってろ! 何か火がつく物探して来る!」
「ちょっと待って! 私がなんとかするからじっとしてて!」
割合、近くにいたのか、ベルフラムの声が直ぐ傍から聞こえる。
(―――なんとかするったって、ガキんちょに何が出来んだよ……)
九郎が思いながら木切れを探そうと地面にしゃがみ込んだ時、ベルフラムから歌うような声が聞こえた。
「―――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして闇を払う炎の子らよ…照らして!
『フラム・ルーチェム』!!」
暗闇に響いたベルフラムの声に呼応するように、闇の中に小さな灯火が現れると、浮き上がりながら周囲を照らして行く。
オレンジ色の光が2メートルほど浮き上がると、周囲は夕方位の明るさになる。
「………すっげえなお前……。なんだコレ……。唯のこまっしゃくれた、ませたガキんちょじゃ無かったんだな……」
「どう? 驚いたでしょ? って言うか子供扱いしないでって言ってるでしょ! ませても無いわよ! 何、変な言葉追加してんのよっ! って………きゃあああっ! クロウ! 顔が真っ赤よ?!? どうしたのよっ?!? 怪我したのっ?!?」
得意そうに無い胸を張っていたベルフラムが、九郎のセリフに異議を唱えようと近づいて来て、突如慌てる。
九郎の白いシャツは黒く見えるほど血に染まっており、顔もペンキを被ったかのようだ。
自分の姿が、ベルフラムを慌てさせるだけの参事だと気付いた九郎は、慌ててシャツを脱ぎ顔を拭う。
「大丈夫だって! 言ったろ? 俺は不死身の英雄だって!」
「だまりなさいっ! ちょっと後ろ向きなさいよっ!」
九郎の言葉に取り合わず、ベルフラムは九郎の背中を見る。
そこには傷一つ無い九郎の背中が有る。
「だから言ったろ? かすり傷でも、血が結構出る事なんて良くある事だろ?」
九郎は肩を竦めながら立ち上がると辺りを見渡す。
大きな空間が九郎の目の前に広がっている。地割れに飲まれた筈なのに、上を見上げても暗い天井が見えるだけで星も見えない。
「とりあえず、急いで他の人たちを探そう」
「そ、そうね……」
九郎はベルフラムにそう言って周囲を探索し始める。ベルフラムも我に返ったように辺りを見回す。
魔法の光はベルフラムに付き添うように、ふわふわとベルフラムの上空を漂っている。
「皆ー! 無事ですかー?!? 誰かいませんか―!!!」
呼びかけながら御者台の方に近づく。
九郎はそこに見えたモノに息を飲む。
御者台は大きな木に潰され、瓦礫と土の間から動かない足だけが覗いている。同じく、馬車に繋がれていた馬も首を潰され死んでいた。
近づこうとするベルフラムを手で制し、九郎は馬車の後ろへと歩を進める。
何処かで土が崩れる音を聞いて九郎は眼を見張る。
ガラッ
視線の先に土から生えた銀色の人の手の様なものが覗いている。
「ベルフラムっ!!」
九郎は短く叫ぶと走り出し、銀色の手を握る。
ベルフラムも気付いたのか九郎の後に続いて走り寄る。
「生きてるぞ!」
弱く握り返した手に、九郎は喜びの声を上げた。夢中で周囲の土をどける。ベルフラムも先程、泥にまみれるのを嫌がっていたとは思えない様子で土を掘る。
しばらく掘り進めると銀色の兜が目に入る。
「もう少しだ! がんばってくれ!!」
九郎は銀色の肩が見えるまで土を掘ると、一気に引っ張り上げる。
銀色の鎧を着た男が、安堵したように兜を脱ぎ、土で汚れた顔を九郎に向けた。
「助かった………。礼を言う………」
「バーランさんも無事でよかったっス」
全身鎧の男の差し出された手に、九郎も安堵の表情を浮かべて手を握り返した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どのくらい落ちたんでしょうね……」
たき火の炎を見ながら九郎がポツリと呟く。
バーランを救出した九郎はその後、すぐさま他の者たちの探索を始めた。
そして九郎は岩に潰された4人の冒険者の遺体と、馬車の中で首をあらぬ方向に曲げたまま動かないベルフラムの召使を見る事となった。
―――俺は……この鎧で生きながらえたのだな………。
バーランの絞り出すような声が耳に残る。
ベルフラムの出した魔法の光は未だ周囲を照らし続けているが、言いようの無い寒気に、九郎は集めた木々で火を焚いていた。
ベルフラムも何も言わずじっと炎を見つめている。
手には形見なのだろうか、召使が付けていた簡素な首飾りが握られている。
「どうだろうな……。『大地喰い』の地割れに飲み込まれた事を考えると、大体100~150H位だろうか……。だが天井が有るって事は、洞窟かどこかに滑り落ちちまったんだろうな……」
バーランが上を見ながら答える。手にはベルフラムと同じく、4人の冒険者の形見が握られている。
確かに、周囲を探索してた時に、やけに天井の高い場所があった……。そこから砂や土がばらばらと振って来ていた事を考えると、その可能性が高そうだ。
「さっきの竪穴から出るのは無理そうだ。別の道を探すしかあるまい」
バーランは立ち上がると、砂が降って来ていた方向と逆へと歩き出す。
九郎も慌ててベルフラムの手を引き後に続く。
ベルフラムは何か言いたげではあったが、何も言わず九郎の手を握ると歩き出した。
(まあ不安だろうなぁ……。もう少しで家って時にいきなり穴の中じゃ、俺がこんくらいの時だったら、ぜってー泣き喚いてただろうなあ……)
九郎は空いた手でベルフラムの頭を撫でると前へ進む。
穴から入って来たであろう土砂はなだらかな丘を作っているようだ。丘の上に、逆さになった木が、斜めに土砂に突き刺さっていた。洞窟の広さは、かなり有るようで魔法の照らす光の範囲でも壁らしきものが見当たらない。
ズズズズと低い音が洞窟内を揺らしている。
(早く脱出しねえと崩れちまうんじゃね?)
九郎が、天井を見上げながらそう思った時、先を歩いていたバーランから声がかかる。
「おい、来てくれ! こりゃあ……地底湖か?」
魔法の灯りが照らす中、静かに佇む湖が九郎の目に飛び込んできた。
目の前には悠々と水が広がっている。
「おい! あそこに穴があるぞ!」
バーランが指し示した先、湖の水面からおよそ4メートルくらいの所に大きな横穴が見える。
横穴が見えた場所は水際から30メートルほど先、今までは見えなかった壁は、天井と同じくとっかかりが無いようだ。
(そういや、ここは鍾乳洞みたいなツララがねえな。)
九郎は、高校の修学旅行で行った、山口の秋芳洞を思い出して、再び湖を見る。
何も無い、壁が見えるだけの大きな湖。石筍も何も見当たらない。
魔法の光のせいか、オレンジに見える水面が地響きで少し波打っている。
「湖を渡らないと先に行けそうも無いな……。命を救ってくれた鎧だがここでお別れか……」
バーランがそう言って鎧の留め具を外しにかかる。
「ちょっと! こっち見ないでよっ!!」
「んなセリフはもうちょっと大人になってから言いやがれ……」
ドレスの肩に手を掛け、真っ赤なベルフラムにボヤキながら九郎も腰のベルトに手を掛ける。
ふと足元を見ると水面が直ぐ傍まで来ている。
(あれ? こんなに近くまで来ちまってたか?)
水が九郎の靴に少しかかる。
途端、ジュッと言う音と共に九郎の靴が煙を上げる。
立ち込める嫌な臭い。横でバーランが張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
「酸だ!!!」
九郎は慌てて水際から離れて、ドレスの肩ひもに四苦八苦していたベルフラムを強引に脇に抱えると、土砂が作り出した丘へと駆け上がる。
ベルフラムの抗議の声も聞こえない。嫌な予感がする……。
地面は緩く波打つように振動している。
「…そったれっ……クソッ…! くそっ!」
まるで自分に言うようにバーランが呟いている。
九郎は自分の予感がさらに強くなった思いがして走りながらバーランに尋ねる。
「あ、あのっ……この洞窟って……」
バーランは眼を剥いて吐き捨てるように答える。
「洞窟? 洞窟だったらさぞかし良かったろうな! 俺は冒険者になって、もう25年だ! どんな洞窟だって! お前らみたいな足手まといがいたって!なんとか連れて帰れる腕を持ってるさ!
だが無理だ! こうなっちゃお終いだ! ここに来た時点で詰んじまったんだ!」
口から泡を飛ばしながらバーランが叫ぶ。ベルフラムがその言葉に目を見開いて、血の気を失う。
「この………この『大地喰い』の腹の中によぉっ!!!!」




