第十八話 初めての勝利 ★
アクゼリート世界の北東、ハーブス大陸に位置する巨大国家アプサル。広大な平野部と起伏に富んだ山々に囲まれたこの国は北部に風の魔境アゴラ大平原を、東部に大森林地帯を擁し言わば自然の要塞にかこまれた国家だ。
だが、他国の侵略を防いでくれるアプサルの自然の要塞は魔物も排出する。
そこで冒険者と言われる職業の者たちが存在する。
冒険者は村々を襲う魔物の討伐や、都市間を移動する商人の護衛などで生計を立てる者たちだ。
貴族や王族は個々に自分の兵士や騎士を召し抱えてはいるが、平民はそうもいかない。
魔物の脅威はあれど、それだけの為に兵力を留めておけるほどの余裕は無い。
そこで冒険者の出番となる。
移動の際や、魔物が村の近くに出てきた時のみ依頼をし、安全を得るのだ。
だが、城や領地で対人を想定して訓練に明け暮れている兵士より、常日頃から魔物と戦っている冒険者の方がこと対魔物としては優秀に成って来る。
結果、貴族なども移動時には冒険者を雇う事が多くなり、今ではこの国の主流になっていた。
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「はあ? あなたそんなことも知らないの?」
アプサル王国レミウス領。
そこに2台の馬車が進んでいる。黒塗りの外装に所々に金属の縁取りが施されている豪華な馬車だ。
馬車の後ろには剣と麦をあしらった紋章が取り付けられていて、見るものが見ればルミナス領主家の馬車だと分かるだろう。
その周囲には腕の立ちそうな5人の冒険者の姿が見える。
その豪華な馬車の中から、今日何度目かの少女の素っ頓狂な声が響く。
「知らねえから聞いてんじゃねーか……」
馬車の中で、不貞腐れた様子で外を眺めながら九郎が答える。
白い長そでのシャツにベージュのズボン。腰に刺繍の入った毛布の様なものを巻き、片刃の厚手の短刀を差している。
昨日の貰った服の上から毛布を巻くのは格好的にどうなのかと言いたい所だが、九郎はこの刺繍の入った毛布を手放せず、結局腰に巻いている。
単に九郎自身がこの毛布を気に入っていたこともあるが、九郎はこの毛布が野盗たちとの戦いの戦利品のような気持ちもあった。
腰の剣は、「男が丸腰だとみっともない」と言う理由からベルフラムに渡されたものだ。
渡されたものの、九郎に剣術の経験など無く、精々高校の授業で一、二度竹刀を振った程度である。
しかし、男心に剣と言うものはやはり、魅力的に映り、渡された時に九郎は非常に喜んだ。
与えられた寝室のベッドの上で振り回してはしゃいだりもした。
結果、振り回した拍子に自分の手を少し傷つけてしまい、『自傷の痛み』に悶絶することになって、現在扱いあぐねている状態だ。
「よくそんなので、これまで生きてこれたわね……」
はあ……と大きくため息を吐きながら少女、ベルフラムは九郎を見る。
昨日とは違い、動きやすそうな紫色のドレス。肩に緑色のケープを纏った昨日より多少大人びた格好だ。
「なんせ俺は不死身の英雄だからなっ!」
「はいはい……。」
繰り返される何度目かの問答にベルフラムはまた一つ大きなため息を吐いた。
早朝、ルッセンが用意した馬車に乗りピシャータの町を出た九郎とベルフラムは、同じくルッセンが用意した護衛の冒険者と共に街道を進んでいた。
当初、窓からの景色を物珍しげに見ていた九郎だったが、あまり変わり映えの無い景色にすぐに飽きてしまい、折角だからとベルフラムからこのアクゼリートの世界について聞いてみることにした。
しかし、九郎にとっては異世界であるアクゼリートの未知の話も、この世界で生きてきたベルフラムにとっては余りに、そう、余りに常識的な話だったので、このようなやり取りが毎度行われることとなったのだ。
(とりあえず分かったことは、この世界では一年が360日。一か月がちょうど30日。一月に当たるのが新黒の月、2月が終黒の月、そんで同じように2か月ごとに青、緑、白、赤、黄と色分けされてる…と。
そんで今日は新黄の月の15日……と。
そんで此処はアプサルって国のレミウス領って所で……現在ピシャータの町から南下してベルフラムの家まで10日位かかるって事か)
九郎はベルフラムから聞いたこの世界の常識を頭の中で反芻する。
(えーと、長さの単位が1Hが約1メートル。重さがWが約1キログラムと…。それより小さな単位はhとwで大きい単位はHHとWWと表す……か。言葉が通じるから大丈夫かと思ってたが、この世界で生活しなきゃなんねえから結構知っとかないと拙い事だらけだもんなぁ……)
九郎は、半眼の眼で自分を見つめるベルフラムから目をそらしながら、自分の行く末に遠い目をした。
ふと外に視線を戻すとどうやら馬車は止まっていたらしい。
ベルフラムも外の様子に気付いたのか窓から外を見る。
「どうしたの?」
「ベルフラム様、魔物の様です。」
ベルフラムの質問に外に居た冒険者の一人、立派な全身鎧を着た壮年の男が答える。
(確か、バーランさんって言ったったっけ。しっかしすげー鎧だな。重そう……)
九郎は出発の際に手短に紹介された男を見る。板金鎧を着た筋骨逞しい男。九郎は、自分が着たら動けなくなりそう等と、とりとめなく思う。
「大丈夫なの?!」
焦った表情でベルフラムはバーランに尋ねる。2日前に野盗に襲われたばかりだ。改めて「この世界は一般人に優しくねえなあ…」と九郎は馬車の外を注意深く探る。
「は! 問題ありません! この近辺では一番弱い魔物、弾丸兎です。御心配なく」
「ああ、あの兎ね。私も何度も見たことがあるわ」
バーランの説明にベルフラムは胸をなで下ろす。ほっとした声を聞いて、外を伺っていた九郎はベルフラムに顔を向ける。
「どんなヤツなんだ?」
「そうねぇ……ちょっと大きい兎って所かしら? 猪みたいに突っ込んで来ることぐらいしか見たことないけど……。いつも護衛の冒険者が直ぐに退治してしまうから、余り強そうでは無いんだけど……」
どうやら大したことは無い魔物らしい。だが、荒野で柴犬程度の大きさの魔物に、いつもガブガブ齧られていた九郎は余り楽観できない気がしてバーランに顔を向ける。
「まあそうですね。力の強い農夫程度でも相手に出来る魔物です。俺たちで問題なく退治できますので、しばしお待ちください。」
そう言ってバーランは、仲間の冒険者に指示を出すために馬車から離れようとした。
弱い魔物と知って心配事も無くなったのか、ベルフラムは再び馬車の椅子に座りなおす。そして、はたと、九郎に提案する。
「あ、ちょっと待ちなさい! クロウ! あなた戦ってみない?」
「は? 何でだよっ!?!」
突然の提案に面食らった九郎が、窓に掛けていた肘をずり落とす。
「何でって。あなた私を助けた時に言ったわよね?野盗を倒して助けに来たって」
「お、おう……」
ベルフラムの言葉に九郎は歯切れの悪い返事を返す。
結果的にベルフラムを助ける事はできたが、九郎は実力で野盗を倒せたとは思っていない。
野盗の部下には面白いようにいたぶられ、必死に一撃ずつ返したに過ぎないし、野党のボスに対しては、一撃すら返せたとは思っていない。
ベルフラムを助けた時に言ったセリフも、格好をつけようとして話を膨らませたに過ぎない。
(ただ単にあの野盗のオッサンがグロ耐性が無くてビビってくれただけだしな。あと百回首飛ばされても勝てる気しなかったしよお……)
九郎の心配はよそにベルフラムは続ける。
「あなた力は強い様だけど、今一強そうに思えないのよねぇ……。さらわれた時に私を護衛していた冒険者の方がずっと強そうに思えるもの……。それでちょっと見てみたくなったの」
ベルフラムは九郎に助けられた事自体に疑問を持っている訳では無い。ただあまりに九郎が世間知らずで、常識知らず、そして弱そうなことに何やら疑いの念を持っているようだ。
「お、俺は今はお前の護衛って訳じゃねーじゃん」
「あら? でもあなた私を家まで送り届けてくれるんでしょ?」
「そ、そうだな……」
抵抗する九郎に畳みかけるようにベルフラムは続ける。
「それに、あの魔物は力の強い農夫でも倒せるって話じゃない? あの野盗どもを倒せるあなたからしたら相手にもならないんじゃないの?」
どう? とベルフラムは小首を傾げる仕草をする。瞳には期待と疑念に満ちた光が宿っている。
逃げ切れないと判断した九郎は観念して項垂れた。
「し、仕方ねえなあ……」
農家のおっちゃんでも倒せるなら何とかなんだろ! と九郎は荒野と同じ様に戦いの準備をする。
満足そうに頷いていたベルフラムが途端目を見開いて顔を赤く染める。
「は? あなたどうしたの?」
「え?」
九郎はシャツのボタンをはずし終わり脱ぎ捨てると、ズボンのベルトに手を掛けていた。
九郎が荒野で新しい魔物、新しい植物に出会う度に繰り返されてきたルーチンである。
服は大事なのである。魔物との戦いで、折角貰った服をダメにしてはいけない。
「だから、どうして服を脱ぐのよっ!」
「え? だから俺が戦うんだろ?あの魔物と」
顔を赤くして両手で顔を覆うベルフラムに、何を言っているか解らない様子で九郎が答える。
「それと服を脱ぐのとどう関係があるのよ?!? ちょっとズボン脱がないでよ!」
再度ズボンを脱ごうとする九郎に、真っ赤な顔で九郎の腕を取るベルフラム。
(あ、子供と言えど女の子の眼の前で脱ぐのが嫌だったんかな? まったくマセたガキんちょだな)
九 郎は必死で腕にしがみ付くベルフラムにそんな感想を抱きながらズボンを履きなおして馬車の外に出る。
「わーたよ!ったく……。んじゃちょっと行って来らぁ」
(どっちかと言うとズボンだけでも死守してえんだがなあ……)
そんな思いを胸に、九郎はかなり近くまで接近してきている4匹の兎の魔物と対峙する。
(でっかい兎ねえ……。犬っころより強えとは思わねえが…俺にあんまし攻撃手段がねえのが問題なんだよなあ……結局これ位しかねえんだよな……。指齧っての『運命の赤い糸』は痛えからあんまし使いたくねえしなあ……)
九郎を警戒していた兎の魔物は、長い耳を立てて辺りの様子を伺っている。
灰色の毛並みの一メートル位の大きさの兎だ。
兎は他の冒険者が遠巻きで見ているのを慎重そうに観察しているようだったが、突如一匹が九郎の方に駆け出してくる。
猪の様に頭を低く突進してくる兎に九郎は両手を炎に変質させて迎え撃つ。
「薪の火つけ位しか役に立ったことねえけど……いくぜ! 俺の第二の必殺技! 『焼け木杭』!!」
九郎は右手を突き出して突進してくる兎の眉間に拳を奮う。
ガギンと重い音が九郎の腕に響く。九郎の拳を眉間にめり込ませた兎は勢いよく炎を燃え上がらせながら大地に崩れ落ちる。
その光景に九郎が驚き両手を見る。怒った炭の様に両手が赤く輝いている。
九郎はこれまで、この『両手を炎に変質させての攻撃』に左程の攻撃力も期待していなかった。
単に夜襲われることの多かった九郎が灯り代わりに使っていた事と、せっかく発現した『変質者』の能力の中で一番見た目が格好良さそうといった単純な理由からだった。
実際この攻撃はトカゲはおろか、犬にすら効果があるようには思えなかったのだから…。
(なんだ? 結構火力が上がってる気がすんな! こいつら火に弱えーのか?)
今まで一撃で魔物を仕留められた事など経験していない九郎は、目の前に燻っている兎を見ながら気が高ぶるのを感じる。
続けて突進してくる兎に向き直り再び両手を構えて殴りかかる。
「ま、お前ら相手にゃこれで十分だ!行くぜっぐふぅ!!」
続いて兎を捉えたと思った瞬間九郎は横からの別の兎の突進に吹っ飛ばされる。
息が吐き出される感覚を味わったが、ダメージは受けてない様で『再生の赤い粒子』も溢れてこない。
(ダメージは無い! 大丈夫だ!)
身体を立て直しながら九郎は兎に躍り掛かる。
「って、あ、くそっ! 躱すなっ! 待ちやがれっ! げふうっ!!」
「なろっ! やるじゃねえかっ!」
「ぐっ! まだまだあっ!!!」
一時間ほどの攻防であったが九郎はやがて最後の一匹に拳を振り下ろす。
「だっしゃああああああ!!」
両手を天に掲げて咆哮を上げる。初めてまともに魔物を倒せたことに、九郎は高揚した気分で馬車へと戻る。
「どうだ?ベルフラム! 見たかよっ!!」
「え、ええ…………」
格好よかっただろ?とでも言うように顔をキメる九郎にベルフラムは何故か引きつった笑みを見せた。




