第十四話 白い謎の光
(――――なんだあれは………)
アプサル王国を荒らしまわっている盗賊団『狼の牙』の首領、ガインツは目の前の光景を呆然と見ていた。
(―――何が起こったってんだ………)
『狼の牙』において最大級の火力を誇るエイガスの魔法、『炎の壁』。
その炎に晒されれば、村一つを全滅させるほどの力を持つあの『死霊』すら蒸発する。
そんな、対個人には過剰ともいえる炎の魔法をくらったあれが、あの化け物が、炎を纏いながらペグに襲い掛かった。
地獄の底から響くような叫び声を上げながらペグを殴り倒したあの化け物は、何か振りかぶる様な格好で腕を振るった。
離れた場所でガインツと同じく、信じられない光景を見ていたビッタスが声を上げる間もなく崩れ落ちる。
(―――何なんだよ!!あれは!!!!!――――)
ガインツの体が鉛の様に重い……。
―――逃げなければ……逃げなければ不味い……!
そう頭では認識しているのに体が思うように動かない。
腕は錆びの入った鎧の如くぎこちなく、足は膝から下が無くなったかのように感覚が無い。
迷宮に潜む魔物にも、聖職者すら恐れる『死霊』にも感じる事の無かった感情――――。
――――恐怖――――
ガインツはエイガスの方に向かってのろのろと歩く九郎に、これまで味わったことの無い恐怖を感じ、動けないでいた。
化物は、積極的に戦闘に参加していなかったガインツを驚異と看做さなかったのか、のろのろとした足取りで魔術師の方に近づいて行く。
真っ黒な、未だ燻り続け、煙と赤い光を纏いながら近づく化物に、エイガスは引きつった声で喚きながら尻餅をついて後ずさる。
杖を弱々しく振り回し、上ずった声で叫ぶ。
腰が抜けたのか、後ずさる事も出来なくなったエイガスに、化物が咆哮を上げ襲い掛かる。
「デメエ゛ゴヨグボヴェブダンデガイデグデダナッッ!!!!」
炎を纏った化物に襲い掛かられ、火が付いたローブに絶叫を上げながらエイガスが倒れる。
「なんなんだよ! ちくしょう! なんなんだよお前は!!!」
ガインツの震える口から、呪詛の言葉が力なく零れた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「でめえ゛ごよぐぼヴェブダンデがいでぐでだなっ!!!!」
「ひやあああああああああああああああああああ!!!!」
振りかぶって強烈な右ストレートをローブの男の見舞おうとした九郎だったが、ローブの男が振り回した杖に足を取られつんのめる。
「おっっ! おわあっっ?!?」
虚を突かれた九郎は間抜けな声を上げる。
振りぬいた右ストレートが見事に空を切り、九郎はローブの男に覆いかぶさるように倒れ込んでしまう。
―――相手が女性であれば、まさに『ラッキースケベ』な体制――――。
だが九郎には残念なことに相手は男で、さらにローブの男にとっては悲惨な事に、九郎は炎に包まれている。
たちまち燃え移った炎に転げまわりながら絶叫するローブの男。
重度の火傷に痙攣しているローブの男を見て立ち上がる九郎。
(ったく!焼かれる立場にもなれってんだ……)
ローブの男が何とか生きている事を確認すると九郎はリーダー格と思われる禿頭に目を向ける。
流石はと言うべきか、禿頭は部下がやられたと言うのに微動だにしていない。
九郎は慎重に距離を詰めながら考える。
(今ので何とかこっちの実力を認めてくれればなぁ……。ヤクザの親分に手を上げちゃったら後々面倒臭そうだし……。でも女の子捕まってたし、それくらいは助けたいよなぁ……)
構成員3人の小さなヤクザ屋さんでも面子は大事だろう――――。なんとか交渉して相手の面子を立てて、少女を救出出来ないものか―――――。
(攻撃された奴にはしっかり攻撃し返したし、この辺で終わりになんねえかなぁ……)
自身が『変質者』の神の力で痛みに鈍感になっているからか、『不死』の神の力で死ぬことが無い為か。
―――殺す―――と言う選択肢が、はなから無い九郎には、なんとか実力を認めさせて少女を助け出すしか、方法が浮かばない。
(あの禿頭には何もされてねえしな……)
そう考えながら九郎は禿頭に近づいて行く。
実際の所、九郎は禿頭に足を切断されていたのだが、あの激しい戦闘の最中、九郎にそれを知覚できるだけの実力は無かった。だから九郎は禿頭から攻撃された事には気が付いていなかったのだ。
九郎は敵意はもう無い事を示すつもりで両手を広げて禿頭に近づく。
禿頭は山刀を肩に担いだ状態で九郎を見下ろしている。その口は真一文字に結ばれ、足は何の力みも無いように見える。
その迫力に九郎は圧倒される。
(やっぱ怖ぇぇぇ! このオッサンぜってー強いって!! 勝てねえって!! 俺なんか100回殺されても勝てる気しねえって!!)
九郎はビビりながら慎重に声をかける。
「あの~
「なんなんだよぉ!!おめえはっっっ!!!!!」
―――ちょっとすいません――と言った感じで右手を前に出した九郎は、禿頭の怒気をはらんだ声に、ビビって手を引っ込める。
「?????」
その瞬間、九郎は自分の身長が急激に伸びたかと錯覚する。
クルクルと回転する視覚に酔いながら九郎は禿頭に目を向ける。
遥か下に見えた禿頭が、肩に担いでいた山刀を横なぎにした体制で固まっている。
そして、首の無い姿勢で固まっている炎に包まれた九郎の体も――――。
(ってえな!! こんちくしょうっっ!!!!)
それ程痛みは感じなかったのだが、九郎は思わず殴り返す。
自分を見下ろす視界に慣れていない為か、力の無い拳が、固まっている禿頭の頬を軽く殴る。
ペチンと情けない程の威力のパンチに、禿頭が尻餅をつく。
「あいてっ!」
一拍遅れて九郎の頭が地面に落ち、首と体が赤い粒子で繋がれる。
数秒後に繋がった自分の首を確かめながら、九郎は禿頭に向き直る。やっと自分が燃えたままの状態に『変質』している事に気付き、元の体に戻る。赤い粒子が体から噴出さなくなったことを確認し て、九郎は禿頭に、再度声を掛ける。
「あの~
「ずびばぜんっっ!!!勘弁してくださいっっ!!!見逃してぐだざいっっっ!!!!」
(ぜんぜん人の話を聞かないオッサンだな……)
禿頭を見ると、先程感じた迫力が嘘の様に怯えている。
(グロ体制無いんだったら、人の首飛ばすんじゃねーよ……)
九郎には、禿頭は九郎が『死なない』事に怯えているとは、とんと思いが至らない。
「ですから~あので
「ずびばぜんっっ!! 命だけわっっ!! 命だけはお助けをっっっ!!!」
――埒が明かない――――
九郎は頭を押さえながら考え込み、一気に要求を伝える事にする。
「あの小屋に捕まってた女の子、親御さんに返してもいいっすか?」
「どうぞっっ!! どうぞ持って行ってくだざいっっ!!! だからっっ!! 命ばかりはっっっ!!!」
なんとか許可はもらえた様だ……。
先程までの迫力が霧散したような禿頭に九郎は拍子抜けした顔で目をそらす。
(ファンタジー世界だろ? ゾンビとかゴーストとかグロイの一杯いそうなんだけどなぁ……)
九郎はそう思いながら小屋の方に歩き出し、ふと思い出して禿頭に尋ねる。
「あー、後、近くの町への道順……。教えてくんないっすか?」
近くの町への道を、怯える禿頭から詳しく聞けたことに満足して、九郎は小屋を目指し再び歩き出す。
小屋に後数十メートル程距離に来た時、九郎は強烈な眠気に襲われ膝をつく。
重力に抗えぬ様に地面に倒れ込む九郎は朦朧とする意識の中で考える。
(なんだっ? 『再生』の力を使い過ぎたか?これまでこんな事あったか? この感じ……。徹夜で飲んだ日の朝方に布団に倒れ込んだような感じ……。頭が働かない……)
瞼が落ちそうなくらいの眠気に九郎はぼんやりと考える。
(そっか……。いつもならすっかり寝てる時間だもんなぁ……。こっちの世界に来てから超規則正しい睡眠だったからなぁ……。あ、だめだヤバい……。眠気に勝てそうにねえ……。)
いつもは冷たい荒野の土も、今日の火照った身体には気持ちがいい。
暗闇からいつの間にか黒犬が姿を現す。
ガブリと黒犬は九郎の首に咬みつくが、噛まれ慣れたせいか甘噛みされているようにしか九郎には感じられない。
九郎は自分の首に牙を立てる黒犬に力なく話しかける。
「…………僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ……パトラッシュ……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「…………助…………か…った………のか?」
九郎が小屋に向かって歩き出す気配を、怯えて頭を抱えたガインツは、目を向ける事も出来ず、されど耳に神経を集中させて伏せていた。
足音が聞こえなくなってから数分の間、動かずにじっとしていたガインツだったが、やがてそっと顔を上げる。
エイガスの魔法の炎が漸く小さくなってきている。
近くには気絶したであろう仲間の体が、しかし生きている証拠に胸が上下している様子が見て取れる。
「……やった……」
ほっとした溜め息がガインツの緊張を緩めていく。
頭の上で組んでいた両手は汗でグッショリと濡れている。
生き残ったことに喜びを感じ、両手をぐっと握りこむ。
「やったぞ! 生き残ってやった! あんな化物から!!」
湧き上がってくる生きている喜びに、体をブルリと震わす。
「やったぞ!!! 生き残ったんだ!!! 今日が!今日は俺が死ぬ日じゃなかったんだ!!」
ガインツは両足に力を込め、何とか立ち上がる。
ざり
喜びに叫んで立ち上がったガインツの顔が、途端強張る。
炎の向こう側から六本足の黒犬が5匹姿を現す。
「……ブラックバイト………。血の匂いに誘われやがったか!」
辺りにはあの化け物の流した血がいたるところに飛び散っている。
アゴラ大平原の魔物。群れで行動し、狙った獲物をどこまでも追いかける。
強靭な顎と無尽蔵の体力。平時に、仲間がいれば何とか倒せる……。
炎に耐性を持つこの魔物は、土の魔法で足止めをして首を刈り落とせば倒すことが出来る……。
「―――――お前らは運がなかったんだな」
ガインツは未だ倒れ起き上がってこない仲間を一瞥すると、炎と反対方向に走り出した。
―――ブラックバイトは弱っているものから襲う習性がある。ガインツは仲間を囮に逃げ出すことを選んだのだ―――。
炎を背にしたガインツに、仲間たちのくぐもった悲鳴が短く聞こえた。
どれほど走っただろう。
ガインツは乱れる呼吸を整えながら歩調を緩める。
(ここまで逃げれば今夜は大丈夫だろう……)
そう考え近くの岩に腰を下ろす。
――明日の朝には仲間たちの死体は綺麗さっぱり無くなっている事だろう。なに、自分は生き残ったのだ。仲間はまた探せば良い……。
そう思い手元の山刀を持ち直そうとする。
ぽとりと山刀が地面に落ちる。
「………が…………」
ガインツは短く呻き喉を抑える。
息ができない………。
急ぎその場を離れなければと立ち上がろうとするが、体に力が入らず大きな音を立てて転ぶ。
「………じ………じぐ………じょ………」
言葉を発しようとしたガインツは、そのまま白目を向き泡を吐く。
岩の上には、群青色の水晶の様に美しい鱗を持った大きなトカゲが、月明かりの下静かにガインツを見下ろしていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アゴラ大平原の朝は早い。
何も遮る物の無い雄大な大地を激しい閃光が一時の間、その大地を白く輝かせる。
背丈の低い此の大地の植物が、この時は長い影を作る。
東の地平線が白く、闇を押し上げるように塗り直して行く。
暗闇が水に垂らした一滴の油の様に薄く幕をはるかの如く緩んで行く。
九郎は鼻先にくすぐったい感覚を覚え薄目を開ける。
ひと月以上繰り返してきた朝日と共に目覚める習慣は、たとえ昨日の様事が有ろうとも変わらない。
いつもは肌寒い朝なのに、首筋に暖かな温もりを覚え、今日はとても目覚めが良い。
首筋を覆う、ふわふわとした心地よい感触に2度寝の誘惑に駆られるが、九郎は大きく伸びをして体を起こす。
ドサリ、と首から上を殆んど削られた黒犬の死体が九郎の目の前に落ちてくる。
あまり朝日の中でまじまじとは見てこなかったが、頭の殆んどを削られた黒犬の死体は寝起きに見るにはかなりキツイ。
「Oh…………」
九郎は、心地よい目覚めが一気にゲンナリする気持ちを抑え立ち上がる。
昨夜の戦闘の後をみると、男たちは何処かへ行ってしまったようだ。ローブの男の魔法の後だけが、細い煙を伸ばしている。
「女の子助けてあげねえとな!」
そう独り頷くと小屋に向かって歩き出す。
黒犬の肉は勿体ないけど捨てて行こう。――何、此処から一番近い村まで約半日と言っていた。
それにこんなグロイ肉を持っていたら女の子が泣いてしまいそうだ……。
そ んな風に考え黒犬の死体をそのままにして小屋に向かう。
「不安で泣いてねえと良いんだがなぁ……」
九郎は頭を掻きながらぽつりと呟くと小さな木造の小屋の扉を開く。
(ここでカッコ良く決めて、女の子のお姉さんでも紹介してくれるといいなぁ……。あ、でもあんまりカッコ良く決めすぎると、女の子が俺に恋しちゃって嫉妬しちまうかな? こんな自分のピンチに駆けつけて助けてくれたお兄さんに恋しちゃって、「お兄さんのお嫁さんになるの!」なーんて……。
いや俺ロリコンじゃねえしなあー。ここはビッシッと決めてまずは英雄の第一歩と行くか!!)
少女は、扉が開いた瞬間に驚いて目覚めたのか、強烈な朝の光と共に入ってきた九郎に目を大きく見開いた。
少女は見開いた目に涙を浮かべ、顔を紅潮させる。
(あら~。やっぱカッコ良く決めすぎちったかなあ? こんな小さい娘に恋愛フラグ立てちゃってもお兄さん何も出来ないよ?)
九郎は静かに少女に近づき猿轡を外しながら優しく語りかける。
「助けにきたよ! もう大丈夫。安心して! お家は? 俺の名前は富士 九郎。
心配しないでいい。ちゃんと俺が連れてってあげぶべらっっっっっっっっ!!!!!!」
「わ、わ、わ、私を襲おうだなんて!! は、は、恥を知りなさいっっっっっっっ!!!!」
最高のキメ顔に少女の靴底をめり込ませた九郎は意表をつかれ大きくのけ反って仰向けに倒れる。
扉から朝の白い光が強烈に射し込む。
倒れた九郎には、ハーフパンツは燃え尽き、存在していなかった………。




