第十三話 発癌性物質
『狼の牙』のガインツ――――
アクゼリートの北東に位置する中原の国家、アプサル王国を荒らしまわっている悪名高き盗賊団の頭領。
元は庸兵団の頭領だったと噂されるが真偽は定かではない。
しかし、剣の腕は確かで騎士団とも渡り合えるとの噂は信憑性が高い。
なぜなら『狼の牙』に狙われた商人や貴族は皆、手練れの護衛を連れていたからだ。
―――護衛諸共皆殺し――――
そう言った悪い噂には事欠かない『狼の牙』だが、構成人数、アジトなど殆んどが不明であった。
無論、襲われた者全てが、殺されてしまう事も一因なのだが、それ以上に重要な事があったのだ。
一つ目は『狼の牙』のアジトが『魔境』や『遺跡』等と、およそ人の入れる余地の無い場所に会った事。
二つ目は『狼の牙』がたったの4人で構成された盗賊団だと言う事。集団で動かなければならない盗賊団と違って彼らはとても身軽なのだ。
そして三つ目は『狼の牙』の団員全てが相当の実力者であることだ。
『魔境』や『遺跡』をアジトにすると言う事は、そこに住まうモンスターに勝てなければ、とうてい成せる事では無い。
ペグ―――ナイフを操る盗賊で、元暗殺者。
ビッタス―――凄腕の狩人で、薬学にも通じている。
エイガス―――元々は貴族の出だが、王族への謀反の罪で縄に掛けられる所を逃げて『狼の牙』に入ってきた。魔術を操り、その腕前は王国の魔法使いにも引けを取らない。
(今日の仕事は楽だった)
ガインツは足元で猿轡を噛まされ、もごもごと唸っている獲物を見ながら思った。
『風の魔境』の入り口近くに作ったアジト。
そこに移動する道すがら、貴族の馬車を見つけた。
馬車の外装から見て有力な貴族なのだろう。横に就けている護衛の数は6人。装備も立派なものだ。周囲を警戒する手際から見るに、腕も立ちそうだ……。
「だが、敵じゃねえ」
低く残忍な笑みを浮かべるとガインツは、ビッタスとペグに合図を送る。
初撃で護衛の魔術士と治癒術士を仕留める。
浮足立った所にエイガスの魔法を叩きこむ。後はいつも通り弱った護衛をガインツがなで斬りにするだけだ。
意外だったのは馬車の中から炎の魔法が飛んできた事くらいか……。だが、実戦経験が足りないのか狙いがずれていた。
(どんなお貴族様が乗ってやがんだぁ?豚の真似でもさせてから殺すか)
ガインツは部下に指示を出しながら馬車の中を覗き込む。
「ち、近づくな下郎! わ、私に手を出したらタダじゃ済まないわよっ!!」
驚いたことに馬車に乗っていたのは少女だった。エイガス程ではないにしても、飛んできた炎の魔法はなかなかの威力だったが……。
豪華な緋色のドレスを着た赤髪の少女。歳は10歳には届くまい。手には練習用であろう小さな魔術師の杖が握られている。目に涙を溜め、震えながら威嚇する様はネコ科の子供を想像させる。
ガインツは顎鬚をなでながらニヤリと笑った。
「貴族で子供で魔術師か。――――奴隷商に高く売れそうだぜ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……そうまでして………そうまでして俺を殺したいのかよっ!! ちくしょうっ! やってやる! やってやんぞコラァ!!!」
破れかぶれに激昂して叫んでいる九郎を、注意深く見ながら禿頭は考える。
(――――最初にアジトに入ってきやがった時は衛視か領主の斥候かと思ったが………。
――だが動きはてんで素人だ…。ペグのナイフに反応も出来ちゃいなかった…。
――――だがここは悪名高き『風の魔境』、アゴラ大平原だ。素人が迷いこめる筈がねえ。
それにあの赤い光……。あれはヤバい……。俺の感が告げてやがる。俺はあんな禍々しい光は見たこたねえ……)
慎重に九郎を見ながら距離を詰める禿頭。
九郎は震える足を抑えながら目の前の小男に殴りかかる。しかし九郎の拳はかすりもしない。
殴りかかる度に腕や腹に幾つもの赤い線が走り、大地を九郎の血が染めていく。むせ返るような血の匂い。
九郎は『再生』の赤い粒子を纏いながら拳を奮う。
―――この状態で『運命の赤い糸』を使えば、この小男は倒せるだろう――と九郎は考える。
だがそれに踏み切れない……。
九郎は、この状況下であっても恐れていた。
―――人を殺すことに………そして、『運命の赤い糸』で人間を取り込むことに……。
(ちきしょうっ!! この世界の人間は皆こんなに速えーのかよっ! 俺だって喧嘩の一つや二つ経験してるってのにかすりもしないなんて!!)
「エイガスっ! 後どんくらいかかるっ?!?」
「あと30秒ほど時間を稼いでくださいっ!!」
「分かった!! ペグ! ビッタス! 足止めしろっ!」
禿頭の問いにローブの男が答える。
(不味いっ! 何かしてくるつもりだっ!! 動きを封じられたら手も足も出ねぇ!!)
九郎は意を決して小男を無視すると、ローブの男に向かって駆ける。
とたんガクッとバランスを崩し大地に突っ伏す。見ると左足の足首が綺麗に切断されている。
足元には大きな山刀が突き刺さっている。
(まだだっ!!)
それでも前に進もうとする九郎の目の前が真っ赤になる。
「が熱つう!!」
片目で見ると自分の左目が炎に包まれている。長身が新たな火矢をつがえているのが見える。
(もう少しっっ!!)
九郎は左足を『修復』しながらローブの男に迫る。
あと十数歩といった所でローブの男が叫ぶ。
「行きます! 離れてください!
――――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして全てを焼き尽くす煉獄の炎の子よ!焼き尽くせ!
『ウォル・フラム・フォルティス』!!!!」
ローブの男が何かを唱えた刹那、辺りが昼間の様に明るくなる。
「がああああああああああぁあああ゛!!!!」
九郎の足元から噴出した赤い炎の壁が、九郎の全身を包み込む。
(くそっっ!! 息ができねえっ!!)
たき火の炎とは比べ物にならない、高温の炎が九郎を焼いて行く。
肌が泡立つように弾け、息をしようとする九郎の肺を炎が焼く。
腕の腱が縮むように強張り、腕が強制的に折り畳まれて行く。
祈るようなポーズで、九郎は炎の吹き上がる大地に膝をつく。
「何とか間に合ったみてえだな……」
未だ弱まることの無い炎の壁を見ながら、禿頭は山刀を拾い緊張を解く。
「危なかったですねぇ……」
ローブの男も肩で息をしながら杖に寄り掛かる。自身の最大級の魔術に魔力切れを起こす寸前の様だ。
(やはりエイガスもヤバそうな敵だと思っていた訳か……)
禿頭は自分の山刀を見て大きく息を吐く。
山刀はどうやったのか、刃の大部分が抉り獲られたように無くなっている。
「おいペグ! ちゃんとくたばったか見て来い!」
「『死霊』すら屠る煉獄の炎ですよ? 幾ら『不死生物』がタフでも、骨すら残ることはありませんよ。」
指示を出す禿頭にローブの男が疲れた声で抗議する。
それもそうか……と考え禿頭は、山刀で肩を叩く。
(『魔境』をねぐらにしているんだ、こういったヤバいもんにも出くわす事もあらぁな……)
―――だが、今回も何とか切り抜けた……。禿頭は、もう一度大きく息を吐くと炎に背を向ける。
「ひぎゃあああああああああああああ!!!!!」
荒野に響き渡った小男の悲鳴に禿頭が振り返り、目に移った光景に驚愕をしめした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
吹き上がる炎の中、九郎は自分の体が焼け爛れていく痛みにじっと耐えていた。
炎は九郎を焼き焦がし、黒く炭化した指がボロッと落ちる。
赤い粒子は九郎の体を全て包み込むように溢れ、九郎を再生し続けている。
(まだ慣れねえのかよっ! くそっ!! 勝てないまでも、せめて一撃だけでも!!)
もはや意地であった。
九郎も頭の中では解っていた。
こういった暴力的な輩に、下手な抵抗は逆効果だと言うことを。
頭を抱え相手が飽きるまで耐え続けた方が、結果的には被害が少なく済む。
実力差のある相手に下手に抵抗しようモノなら、さらに痛めつけられるのが関の山だ……。
だが、それに納得できる程、九郎は大人では無かった。
(せめて……一矢報いなきゃ納まんねえよなぁ!!!)
炎の中で4人の男たちをギリッと睨みつけていると小男が九郎に近寄って来る。
小男は、何か汚い物を見る目で九郎を一瞥する。
(てめぇはよくも婿入り前の身体に景気よく傷つけてくれたよなぁ!!)
身体はまだ炎に慣れていない……。
九郎は未だ燃え続ける自分の腕を見ながら肌の焼ける痛みに集中する。
体中を覆う赤い粒子が密度を濃くする。
小男は燃え続ける九郎を暫く見つめていると背を向ける。
(今だっ!!!)
「ガラァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!」
「ひぎゃあああああああああああああ!!!!!」
炎に喉を焼かれているせいで、くぐもった獣のような咆哮を上げながら九郎は小男に飛びかかる。
皮膚はまだ燃え続けているが、中の筋肉は大分慣れたようだ……。
完全に不意を突いた形に小男は子供の様な悲鳴を上げる。
腹ばいに地面に倒れ伏した小男の両足にタックルした形になった九郎は、力を振り絞り小男を引き倒す。
飛びかかった勢いで両足が崩れ落ちたが、気にしてはいられない。
「ひやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
小男半狂乱になり持っていたナイフを振り回す。
炎に抱きつかれた格好に成った為、小男の肌がジュッと焦げる匂いがする。
九郎の腕や腹にナイフがかする。燃えて炭化している皮膚からは血は噴き出さず、バラバラと黒い物がこそげ落ちる。
ゴスと九郎の蟀谷に小男のナイフが突き刺さる。
「ふへ……ふへへへへへへへへ………」
引きつった笑い顔とも泣き顔ともつかない顔で肩越しに九郎を見る小男に、蟀谷にナイフが突き刺さったまま、九郎は拳を振りあげ笑う。
「ざっぎがらずばずばずばずばど!!! おでばぎゅうりじゃね゛え゛づっっっ!!!」
喉が焼かれて地獄の亡者のような声で九郎は叫ぶ。
振り下ろされた九郎の拳が小男の顔面を捉える。
「ひ ひ ひ」
九郎の一撃か、半身の火傷の痛みか………、はたまた恐怖の為か――――小男は口角から泡を吹きながら気絶した―――。
(まだ安心すんじゃねえぞ俺!! 次だっっっ!!!)
小男を伸した九郎は、足元の岩を拾いながら立ち上がる。
両足は既に再生されている。体に残る炎が、再び九郎の両足を焼いて行くがもう九郎に痛みは無い。
「でめえ゛ばどおぐがら、ぢぐぢぐど!! おどごならじょめんがらごいやあぁっ!!」
九郎は持っていた岩を長身に向かって投げる。
(牽制くらいにはなんだろっ!! 届け!俺の魔球『一直線』!!!)
牽制のつもりで投げた子供の頭程の岩は、小男が倒される様を呆然と見ていた長身の顎を的確にとらえ、長身は糸の切れた人形の様にドサリと崩れ落ちた。




