※21※勝負の向い風は激しくて
小梶がボールを放る。俺の反射神経じゃボールを見極めてからバットを振ったんじゃ間に合わない。だからといって完全なる博打でどうにかなるほど、野球は甘くない。だったらどんなボールが投げられるのか、投げる前から予想しなければならなかった。
小梶の性格を考えると、かなり負けず嫌いでプライドが高い。野球をしている時は寡黙でなんとも思っていないように思えたが、頑固に同じボールを投げ続けてきたからこそ彼の実直さには目を見張るものがあった。だからきっと、
「らあっ!」
バットがボールに――当たった。しかも、前に飛んだ。だけど、そのボールは前は前でも、白い線を越えてしまった。
「…………ファールだな」
小梶が眉をピクリともせずに宣言する。
よしっ、一球目は予想通りだった。まるで、査定。俺がどれだけやれるかを試すような一球目だった。ど真ん中のストレート。完璧に読んでいた。やっぱり、俺がどれだけ対応できるか試した。速度は恐らく、今出せるマックススピードだったはずだ。あまりにも速すぎて、身体が泳ぎそうだったが、なんとか足の指の力で立て直した。
もしも、次に来る球種、速度、コース、全てを読み切っていなければファールをとることすらできずに、虚空を振っていただろう。相手が相当力を温存しているとはいえ、この一球に限っては俺の勝ちだ。それだけは誇っていい。自信は力を発揮できるために絶対に必要なものだ。
手がビリビリ痺れて、緊張のあまり膝がガクガク揺れているように思えるのだって全部嘘だと思い込みたい。自信で全てを塗り替えたい。
「ちょい、タイム」
「……ああ」
「ふぅうううう」
大きな深呼吸をする。そして、バッターボックスから出ると素振りをする。今更スイングの確認をしているわけではない。緊張を緩和するためにやっているのだ。本当だったら、一球目で全てを決めたかった。一番勝算があったのは、俺を完全になめてかかって油断しきっていた一球目だったのだ。ここから先はどんどん勝率が低くなっていく。
さて、次の球はどうでるか。
変化球か、それとも一球外してくるか。
常識外から考えた、小梶の常識にあてはめるならば、次もど真ん中のストレートである可能性がある。まだ査定の続きをしてくるかもしれない。俺だってそう思う。だけど、さっきの打席、思いの外ちゃんと捉えてしまった。そのせいで、小梶がギアを一つ上げるか、戦略を変えてくるかもしれない。これで、本当に分からなくなってしまった。アドバンテージというか、小梶の慢心が無くなってしまった以上、これからどうするべきか全く分からない。
「おい、長いぞ。そろそろいいだろ?」
「ああ」
強制的にタイムを止めさせられてしまう。次の球がどんなものなのか決まりきっていない。このままでは迷いのあるスイングをしてしまう。中途半端になるぐらいだったら、一番可能性の高いものに賭けるっ!!
「くっ――そっ!!」
「ツーアウト、だな……」
ど真ん中ストレートにかけたのだが、ボールは外側いっぱい。そして、低目だった。ストレートだったが、バットは空を切る。あの草野球、球が荒れることはあったが、初回からここまで外れはしなかった。
つまり、意図的にボールを外角低目に投げたということだ。しかも、ボールになるギリギリを狙っている。今日はかなりコントロールがいい方だ。いきなりあんな針の穴を通すリョウな絶妙な球を投げられてしまったら、誰だって空振りしてしまう。
今のところ、小梶はボールを一つも出していない。それなのに、こんなに、こんなに簡単に追い込まれてしまった。勝てない。格の違いは分かっていたはずなのに、もう完全に勝てる要素がなくなってしまった。
あっちがもしもボールを投げたら、空振りしてしまう自信がある。あっちには余裕があるから一球外してくる可能性が高い。けれど、相手は小梶だ。様子見のボールを放るような性格とは思えない。だけど、さっき俺は予想を外してしまった。ここからは真剣勝負。もしも、小梶が俺のこの考えまで読みきったとしたら? 俺は棒立ちのままバットを振らずに見送るべきなのでは? しかし、見送りで終わるのが一番バッターとして屈辱的だ。そんなこと、したくない。だけど、球速についていけない以上、ストライクかボールの違いすら分からない。一体、どうすればいい?
「えっ」
ビュウゥ!! と風がうなり声を上げる。しかも、風は向かい風だ。どうして、いきなり? ただの突風と思いきや断続的に風がでてくる。さっきまで太陽が顔を出していたはずなのに、急に雲が制空権を支配しだす。どうして、このタイミングで? 次が最後の球なのかもしれないのに、どうして天候までもが俺の敵になるのか? こんなの、どうしようもない。
仮に外野まで運べた打球であっても、この風では内野まで戻されてしまう。こんなんじゃ本当に万が一の可能性すら潰された。もしもこの世界に神様がいるのだとしたら、俺が野球をやるのはご不満らしい。本当だったら、条件を取り消して、新しい条件を提唱するとか、日を改めるとかした方がいい。それは、小梶も思い立ったらしい。
「風がでてきたな……。やめるか?」
「――そんなわけないだろ、続行だ」
真剣勝負なんだ。たとえ天候が味方してくれなかろうが、そんな逆境いつも通りだ。俺の味方をしてくれた人間なんて限られている。いつだって俺の人生は向かい風と共にあった。野球の試合だって、どしゃ降りになれば中止になったり、延期になったりはする。
だけど、たかだかこんな風でどうにかなるわけがない。
向かい風だろうがなんだろうが、それを超えるだけのバッテイングをみせればいいだけだ。そのために、まずやることは次の球を見極めること。
「ふううううううう」
構えるのに時間を精一杯かける。もうタイムをかけることはできない。ならば、ない頭を絞って、投げてくる球も絞るしかない。
次に投げてくるのは恐らくストレート。これだけは間違いない。かなりストレートに自信を持っている。球速もきっと落としては来ないだろう。それだけ真っ直ぐには誇りを持っている。次はどこに投げてくるか。これが一番の問題点。今度こそ、真ん中か。いや、今日の小梶は絶好調。コントロールのキレが抜群だ。まだ二球目だが、草野球の時よりもいい気がする。
俺なりにピッチャーをやっていて分かるが、こういう時は色々と自分を試したくなる。自分の力がどれだけ相手に通じるかやってみたくなる。そういう時に、いくら相手が格下だろうとも、ど真ん中に投げるのはもったいないと感じるはずだ。だとしたら、次もギリギリを狙ってくるはず。つまり、ストライクゾーンの四隅のどれかになる。
さっきは外角低めに投げてきた。次に投げるとしたらその対角線上――内角高めに投げてくる可能性が一番高い。
だが、小梶はこの一球で終わらせるつもりだ。そして、球の速度も速い。低目であればあるほど長打になりづらい。速度も相まってそこに投げられたら手も足も出ない。俺だったら低目に投げる。……恐らく、このどっちかだ。真ん中高めのストレートも捨てがたいが、きっとこの二つのどちらかが濃厚。どっちだ。セオリー重視か、俺の浅いピッチャーとしての勘を重視するのか。二分の一。二分の一で全てが決める。
「いい加減、投げるぞ」
ぶっきらぼうに言い放つと、投球モーションに入る小梶。大砲が放たれる瞬間、戦慄する兵士のように硬直してしまう。もう、考える時間はない。どちらかに賭けるしかない。いつもならば、前者に賭けていただろう。だけど、今回の一打席は特別なもの。こんな時にセオリーなんて度外視にするしかない。俺は、俺を信じる。信じられなきゃ、これから先やっていけない。だから、俺は勘を信じて、早めにスイングする。そして――――それは、ドンピシャリだった。
白球と金属バットが激突する。芯を食っているが、ボールの球威に押される。瞬間、もうだめだ。このままじゃまた、ピッチャーフライを打つ流れ。スイング最中なのに、最悪の未来が見えてしまう。だけど、
がんばれ。
強風が吹き荒れる中、かぼそいながらもその声が鼓膜を響かせた――そんな気がした。あいつが近くにいる気がした。いるはずがないのに、何故か近くで守ってくれているような、そんな気がした。そうだった。いつも、いつも、傍にいてくれたのだ。あいつも、そして武も。いつだって俺のことを応援してくれていた。それなのに素直に受け入れなかったのは、全て俺のせいだった。怖かった。失うのが。
才能がある人間が近くにいて、俺のことを分かってくれて、そんな奴らが周りにいる環境が当たり前になるのが怖かった。そのせいで、ちゃんとした心の内を明かさずに、大切な人の命は散ってしまった。
もう、何も失いたくない。失いたくないために、勝たせてくれ。もしも、誰も味方がいなかったとしても、それでも俺は、ここで勝たなきゃいけないんだ。
「あああああああああああああああっ!!」
ボールが―――高く上がる。高く、高く。
まるで天国にまで届くように高く上がる。
その打球の行方は――――。