※18※過去のトラウマは色濃く
あの日。
野球の試合があった。試合後に、みんなへとへとで疲れ切っていた。ぽつり、ぽつりと、みんなが分散し、解散していく中、家が同じ、近い、連中が自然と集まっていった。
そして、俺と、武と、あずさの三人で帰路についていた。
俺は、一軍には入れなかった。
むしろ、二軍でさえ入れないぐらいで、お情けでチームに入っているといった感じ。まあ、うまくなかった。どうしようもなく。小学生上がる前ぐらいまでは、もっと成長すれば、身長とか伸びれば、なんとかなるかな? ぐらいの感覚だった。
だけど、こんな何年も努力して、努力して。
そして、気がついていた。
俺は一生野球がうまくならないって。
分かっていたけど、俺は野球を続けていた。
どうしてか?
俺にもよく分からない。
だけど、今になって思うと、俺は二人に追いつくので精一杯だった。
武も、あずさも、うまいのだ。
野球をやっていて、本当に笑顔になっていて。
俺とは違う。
本物だ。
本物の笑顔で楽しくやっている。
いいなあ。
そんな風に笑えるのって絶対幸せなんだよな。
そんな二人と話せる。
かろうじて仲良くできているのは何故か?
それは、野球で繋がっているからだ。
それ以外の話って、あんまりしなかった。
もっと、恋愛話とか、テレビの話とか。
普通の人ってもっとそういう話をするのだと思う。
だけど、俺達は意識的か、無意識的か。
ともかく、野球の話しかしなかった。
昨日の試合中継みたいかとか、そういうことばかり。
それだけで盛り上がった。
毎日毎日飽きもせずに、同じような話題。
それなのに、楽しかった。
ほんとうはちょっと辛かったけど。
ほんとうは、二人と比較して、あまりにも下手くそな自分に負い目を感じていたけれど。
それでも、楽しかった。
辛くとも、楽しい振りをしていた。
笑う振りをしていた。
子どもながらに必死だったのだ。
もしも俺が野球をやめてしまったら、二人の横を歩くことができない。
そんなことを感じていた。
ひしひしと。
そんなみっともない感情を押し隠しながら、俺達は歩いていたけれど、でも、感情は行動にどうしても伴うらしく。
俺は二人のちょっと後ろを歩いていた。
並んで歩いたけれど。
道が狭まって、二人分しか歩けなかったのだ。
そんな時は決まって、俺は独りになる。
前二人は並んでいる。
お似合いだと思った。
二人は、ほんとうに。
眩しくて、見つめたくないのに、見つめてしまう。
そんな光に眼を奪われていたせいで、気がつかなかった。
横からくる車に。
後から聞いた話によると、その運転手は無免許だったらしい。
しかも、酔っていた。
大学生か何かで、ずっと今まで運転していたらしい。
事故などなかった。
だけど、俺が前だけ見て、広まった道路に出る時に、周りを確認しなかったせいで、運転手が気がつくのが遅れた。
つい、運転手もよそ見をしていたらしい。
最悪の偶然がいくつも重なって、事故が起こった。
俺は、なにもできなかった。
スローモーションになった時間の中で、ただ口をあけていた。
驚いていた。
車が近づいてきて、
「カケルッ!!」
そんな言葉が俺の頭に残滓として残って、そして、事故が起きた。
車は俺に衝突する直前、急ブレーキをかけた。だけど、その日は微妙に雨が降っていた。そのせいで、滑ってしまった。
しかも、運転手がハンドルを切ったせいで、前じゃなく、横に武の身体をひきずった。
そのまま車は武を壁に激突させた。
もしも、横にハンドルを切らなければ、助かったかもしれないと親切な警察の人が教えてくれた。
俺とあずさは目の前で見た。
武が死ぬ瞬間を。
俺は何もできなくて。
できたことといえば、武の傷口を手でふさぐことだった。
あずさだって辛かったはずなのに、運転手からスマホをとって救急車を手配してくれたというのに。
俺は何も動けなかった。
「や、くそ、く……」
「え?」
「約束、守れよ」
それが、最期の会話だった。
約束。
それだけで何を言いたかったのか理解した。
俺達はあずさを奪い合っていた。
まあ、子どもの戯言みたいなものだ。
あずさのあずかり知らぬところで、勝手に勝負をしたのだ。
そして、その勝負の結果。
俺が勝った。
あれは、ほんとうに奇跡的だった。
きっと、子どもだったからだろう。
そこまで差がなかったのだ。
いや、差はあったはずだ。
あの頃から凄い差があったはず。
ずっと、ずっと。
俺は天才の影に隠れていた。
それなのに、勝った。
勝ってしまった。
あの一回こっきり。
誰も見ていなかったから、誰も信じてくれなかった。
俺がホームランを打った。
武がボールを投げて、その球を林の奥へと。見えないところまでスッと。
ボールは速すぎて、見えなくて。
とにかく振らなきゃって思ってバットを振ったら、球にたまたま当たってしまった。
ほんとうに、よかったのだろうか。
俺が勝ってしまって。
あずさのことを守れるのは武だけだったのに。
俺はいやいやながらも、なんだかんだ武だったら、と思っていた。どこの馬の骨とも分からないような奴よりかは、全然。
だけど、事故にあってしまった。
俺なんかを庇って。
事故を起こした運転手はその事故で死んでしまった。誰にも怒りをぶつけることができなくなってしまったともいえる。
俺はもちろん、両親もだ。
「あなたのせいで! あなたのせいで、私の息子はっ!!」
だから、全てを俺にぶつけた。
葬式で、たくさんの親戚が集まっている中でも、俺はがくんがくんと顎が外れんじゃないかってぐらい肩をつかまれ揺らされた。
俺は自分をずっと責めていた。
俺のせいで、俺のせいで、俺のせいで。
そんな風に責めつづけていたのに、より深く傷ついた。
泣き叫ぶ母親の姿は初めて見るものだった。
泣いている姿は何度も見ているつもりだったのに、顔をくしゃくしゃにさせながら息子の死を本気で願っているのを見て、吐き気がした。恐怖ですがるように腕を掴む母親を突き放した。
そうしたら、父親が俺だけを、母親ではなく、俺だけを咎めた。
「いいか、母さんは悪くないんだ」
父親は病気なんだよと、告げた。母親は心の病にかかっている。だから、お前は我慢しろといってきた。
親戚達も同じ意見のようだった。
こそこそと。
わざと聴こえるような音量で、あの子のせいで、と俺のことを見咎めていた。
みんなで批判していた。
俺には、味方がどこにもいなかった。
誰も、お前は悪くないんだよって言ってくれなかった。
あずさだけが心の支えだったけれど、葬式では遠かった。
声をかけられなかった。
ずっと、葬式中は泣き崩れていたから。
俺だって、ずっと泣いていた。
浮きしずみはあれど、ずっと。
それなのに、父親はそっ、と世間様の眼から俺を隠すような場所につれてくると、お前が我慢しろ、どんなにひどいことを言っても、母親は悪くない。
そればかり繰り返していた。
母親の味方ばかり。
俺だって家族なはずなのに、ずっと、ずっと同情するのは母親だけだった。
「いや、俺だって、目の前で……目の前で死んで、それなのに――」
「いいから、謝れ! お母さんに悪いことしたって!」
「悪い事って、なに、なんのこと?」
「いいから、分からなくても謝るんだよ! 女はな! 適当に謝ってればいいんだ!!」
父親も、母親も、誰も彼もが俺を罵った。
誰も、俺のことを赦してくれなかった。
肉親で唯一の俺の味方は、俺自身のせいで死んでしまった。
殺してしまった。
俺があいつの未来を奪ってしまった。
俺と違って両親の期待を背負っていた。
先生もあいつばかり贔屓していた。
友達も俺を無視して、あいつだけ挨拶することもあった。
みんな、みんな。
武のことが好きで、愛していた。
輝かしい未来があったのに。
誰もが羨む才能を俺が潰してしまった。
かけがえのない命を散らさせてしまった。
それなのに、今、俺は野球をやろうとしている。
あいつがやろうと思ってもできないことをやろうとしている。
野球をやる資格がないのに。
いつまでも未練たらしく、自分のことだけを考えている。
最悪で、最低な人間だ。
それでも。
それでも。
それでも。
俺はきっと野球が――――。