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えびフライ  作者: 魔桜
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15/22

※15※決着は雨とともに

 ゆらゆらと。

 ボールがまるで浮遊霊みたいに伸びあがっていって、点となる。白い点になったボールは角度のある斜線を描きながら、高く、本当に高く。まるで昇天するように上へ、上へと昇っていく。一瞬、その場にいる誰もが固唾をのんでいた。ありえないことではあるが、そのボールがもしや、柵越えするのではないかと疑うほどにボールの勢いがあった。それほどまでに、打者が力強いスイングをしていた。

 一度、俺がボールを場外まで運んだからかもしれない。

 あの光景が網膜に焼き付いていて、だから、幻覚を見てしまったのかもしれない。だけど、現実は違っていて、ボールは小梶のグラブにすっぽりと収まっていた。


「ゲームセッ!!」


 ピッチャーフライ。

 内野の頭を超すことすらできなかったできそこないの打球。真芯を捉えたはずだった。手ごたえは確かにあったのに、それなのに、全然ボールが飛ばなかった。それは、力で押し負けたということ。最後の最後、ストレートだった。変化球に体がついていかなくても、山を張ってなくて外れた、とか言い訳ができる。それなのに、来る場所も、配球も、すべてわかっていた。わかっていて、そして、逃げずに真っ向勝負をした。

 それなのに、完全に敗北した。

 実力差が明確に現れた。

 バッターとして、これほど屈辱的な負けがあるか? いや、別にいいか。俺が目指しているのは打者じゃなく投手だ。だから、別に負けても、負けても別に――。

 ポタッ、ポタッ、と頬を冷たい水が落ちる。

 見上げると、層の厚い雲から雨が降ってきていた。試合終了で両チームがガヤガヤと騒いでいたが、雨のせいで余計にうるさくなる。あーだりぃ、とか、終わった終わったと、おっさんらしい声が聴こえる。

 なんだろう。

 まあ、運動不足で腹が三段になったオヤジたちならば、そんな感想しかでないのはしかたない。勝ったとか、負けたとかそんなものどうでもいいのだろう。俺の一振りのせいで、試合が終わってしまったのに、誰も俺のことを責めない。というか、試合そのものを真剣に挑んだ人間は何人いるのだろう。

 いや、彼らなりに真剣だったのかもしれない。だけど、熱がない。どんどん強くなるこの雨が蒸発してしまうぐらいの情熱を感じなかった。そんな温い空気に浸っていることにどこか安堵していた。俺だってずっとそうだったのだから。それなのに、何故か批難したくなってくる。

「お前、名前は?」

「え?」

 気がつくと、眼前に小梶が立っていた。険しい顔をつくりながら、だいーぶ近くに寄ってきていた。みんなが試合終了の余韻に浸っているというのに、小梶だけはまだ臨戦態勢にいるような気迫を感じる。

 緊迫した空気が流れ、俺もゴクッと唾を呑み込む。

 まるで雨がここだけ降っていないかのようだ。ポッカリと雲に穴が開いたかのように、小梶と俺のいる空間だけ光が降っている気がする。雨なんか気にならないほどに、二人だけの空間が作り上がった。

 今、ここには二十人以上の人間がいるというのに、今ここに、真剣勝負をしたばかりの二人だけの空間となった。

「……名前は?」

「蛯原カケル」

「憶えておく」

 小梶が踵を返すと同時に、

「整列っ!!」

 審判の声が響く。それと同時に両チームが整列する。敵チームの妙な二人組の女性は整列せずにどこかへ行っていた。チームの誰かの奥さんだったのかもしれない。まあ、どうでもいいか、と頭の隅に追いやる。それから適当にみんなと言葉を交わして帰路につくことにする。

 あずさの父親から車に乗せてあげようかと提案されるが断る。家庭内の事情もあって、このまま家に帰ると非常にまずい。何故なら、服装だ。みんな野球のユニフォームのまま帰っている。実は、ここに着替える場所がない。

 更衣室がないのでみんな着替えたままここに来て、そのまま帰る。奥さんが迎えに来ている人もいて、家族の仲睦まじさを見せつけられているのが辛い。俺はこのまま帰宅するわけにはいかない。親には野球をやっていることを説明していない。いや、できるはずがない。

 知られるわけにはいかないから、野球のユニフォームを着替えないといけない。だから、車に乗せてもらうわけにはいかない。家の前で下されて、その瞬間を両親に観られでもすればどうなるか分からない。発狂するか、怒鳴られるか。とにかくいいことは絶対に起きない。

 それを説明するのも億劫だ。あずさの父親は暑苦しいが本当にいい人で、これ以上心労をかけたくない。ある程度は俺の家庭のことを察してくれているから、無駄に家に呼んでくれて助かっている。精神的にかなり楽になっている。家の、あの、さっさと消えて欲しいという空気の中、ただ息を吸っているだけで死にたくなる。そんなものを払拭してしまうほどのあの父親のハイテンションには頭が下がるけれど、今は邪魔だ。察して欲しくないことだってある。どれだけ心を許している相手でも、いや、許している相手だからこそ踏み入って欲しくないパーソナル空間というものがある。

 こうなったら。

 どこか公園とかの便所で着替えるしかない。衣擦れの音を立たせると他の人間に不審に思われそうなので、ゆっくりと静かに毎回着替えている。それがけっこう面倒で、便所飯をしている人もこんな感じで毎回気遣っているかと思ってしまう。

 と、いきなり目の前に現れた人物に驚いて、足を止める。

「来てたのか?」

「ごめん。見ちゃいけなかった?」

「べつに……」

 あずさがいた。傘を差しだしてくれる。その傘のサイズは女性用なのか小さくて、俺に差し出すことによって確実に、あずさの身体は濡れてしまう。このままじゃ風邪を引いて市亜夢。あずさの父親に色々と言われてしまう。だから、俺はあずさの手を持ちながら傘を押し返そうとするが、ぐぐぐと押し返される。

「最後の!」

「えっ」

「最後の――惜しかったね! ちゃんと当てたのに!」

「惜しくもなんともないよ。だって、あいつはずっとストレートをほとんどど真ん中に放っているだけだったんだから」

「そ、そんな……」

「手を抜かれたんだ。ボールの緩急もつけずに同じテンポで投げ続けられたら、誰だって打てるさ……。最後のボールだって真芯を捉えたはずだった。それなのに、力負けしたんだ……完敗だよ……ほんとうに、俺の負けだった」

「カケル……」

 あずさの腕が伸びるが、それから逃げるようにして去る。どうして、どうしてこんな時にあずさがたまたま俺の試合を観ているんだろう。他の試合だったらよかった。そしたらいい勝負をしているのに。

 よりによって、こんな試合をあずさに観られるなんて。一番、見られたくない相手に、醜態を晒してしまった。

「あああああああああああああああああっ!!」

 誰もいないことを確認する間もなく叫んでしまう。どしゃ降りの中、叫びは掻き消される。結局、投手としても打者としても中途半端だ。本物には勝てない。そんなこと生まれた時から分かっていたはずだった。

 ずっと、近くで俺より凄い奴がいたんだ。そのおかげでなにもかも諦められたはずだった。それなのに、どうして、こんなことになっちゃたんだろう。俺は野球をやってはいけない人間なんだ。

 誰からも認められない。誰も、俺が野球をすることなんて望んでいない。あずさだって俺なんかに野球をやって欲しいなんて本心で思っているはずがない。あいつはずっと武の傍にいた。俺達三人はずっと一緒にいた。だからこそ、俺が野球をやっている姿を見て何も思わないはずがない。

 あいつは隠していたけれど、涙の跡があった。目は充血しているし、間違いなかった。きっと、嫌だったのだろう。俺が野球をしている姿を見て、批難したくてしかたがなかったのだろう。

 どうしようかな。

 もう、草野球さえできなくなってしまったかもしれない。でも、それでいいんだ。俺が野球をやっても誰も幸せにならない。俺だって野球をやっていて、ズキズキと胸が痛む時がある。胃が痛くなる時がある。

 俺なんかが野球をやっていていいのかなって。元気になって、幸せそうに笑っていいのかなって思う。そんな資格なんて一生ないのに。


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