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えびフライ  作者: 魔桜
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13/22

※13※完璧なるサラブレッド

 グラウンドと同等とまではいかないが、ベンチもまた湧いていた。溢れるのは熱気。大人だというのに、いや、大人だからこそ子ども以上に沸騰していた。

 ただの高校生のワンプレーに。

 人間は歳を重ねればどうしても、身体にガタがくる。脆弱になっていくのは肌で感じながらも、それでも野球に憑りつかれている者だけがここにいる。――例外に、一人だけ何も考えなさそうな阿呆はいるが、ここにいるのは野球が大好きで、大好きで、大人になっても捨てられなかった者達。野球中継で流れる英雄達の雄姿に心を打たれ、いつか自分達も――とまで考えてしまったおこがましい者達。そして、折れた。自分達に才能がなくても、少しでも野球に携わりたい。そんなちっぽけでも、とても大切な想いの連なりが己を形成している。

 だから、重ねた。

 あの頃の、何でもできると信じていた自分が、きっとまるで人生という大局から俯瞰すれば何の意味もないこと。湖の月をすくいとってみせるような、そんな無意味さに価値を見出すようなワンプレーに、心動かされた。かつての死んでいたはずの――幽霊となっていた気持ちが蘇った。しかもそれをやったのは、凡人。誰がどうみても才能の欠片もないただの野球小僧がやってのけた巨人殺し。そんなの、そんなの――胸が熱くならなくて、何が野球好き――何が野球愛――。

 少なくとも井川はそうだった。

「今の動き……偶然が重なっただけとは思えないですね。あのフィーリング、相当練習量を積まないとできないはず……。相当な反復練習を幼少期から続けていないとおかしい……」

 トリプルプレー。一見すればただの偶然とも思えるあのプレーの熟練度は大したものだった。お粗末なピッチングとはまるで精度が違う。まるで、いつも河原とか、石だらけでイレギュラーバウンドするような場所で練習を重ねてきたような動きだった。

「独学ですよ……」

 シングルマンズの監督が、独り言を拾い上げる。

「知っているんですか? 監督さん。あの子のこと」

「ええ。知っています。有名ですよ、あの子は。このへんに住んでいる人なら……。まさか、まだ野球を続けているとは思いませんでしたけどね……」

「…………? どういう意味ですか?」

「彼の名前は蛯原カケル。あの蛯原武の弟ですよ」

「…………まさか。あの子が? あの?」

 確かに有名人だ。蛯原カケルの名前はついぞ知らないが、その兄である蛯原武の名前は地元の人間で、なおかつ野球関係者で知らない者の方が少ないはずだ。

 十年に一人の天才。

 そんな陳腐な冠をつけられるほどの逸材だったらしい。全てを目撃したわけではないから、断言はできない。だが、ただの片鱗。器の一部分を目視したけで、鳥肌が立った。神童も大人になればただの人――そういう風にケチをつける者もいた。

 だが、誰もが認めていたはずだ。

 心の底では、彼の筆舌に尽くしがたい才能に。決して枯れることのない天賦の才に、圧倒されたはずだった。

「先輩。そんなに有名人なんですか? あの生徒は?」

「……正確に言えばあの子が有名なんじゃない……。あの子の兄が有名だったんです。――天才。陳腐な言い方になってしまうけど、あの子を表現するのにはそれが一番しっくりきます。私も、彼のプレーをたまたま見たことがあるけど、あのピッチングは同年代どころか、小学生の時点で、中学生にすら勝ってしまうぐらいの実力はありましたから……」

「へぇ。そんなに凄い選手だったら、きっと、あの子も、相当きつかったでしょうね。プレッシャーが。兄と弟だったら、絶対周りから比較されそうですから……」

「そう、かもしれませんね……」

 あんなものが近くにいたら、誰だって腐る。野球に関わる人間のほとんどは、誰もが努力家だ。幼き頃からクラブに入って、毎日朝から晩まで野球漬け。夏の暑い日は滝のような汗をかきながら、水分補給すらまともにさせてもらえない野球部があった。

今となっては、ただの虐待。それでも、私の時代には確かにあった。今でもあるかもしれない。それほどまでに身体を虐められる。私は、全てのスポーツの中で野球が最も厳しいスポーツだと思っている。それを耐えきるなんて、並大抵の精神力ではない。

それでも、折れてしまう。

たった一人の天才を眼にしただけで、踏ん切りがついてしまうのだ。野球に才能はつきもの。何故なら、総合力を要求されるスポーツ。走、打、守、全てにおいて秀でていなければならない。

 なまじ練習を積んでいるからこそ気がつくこともある。一生かかっても、天才こいつには勝てないと。どれだけ努力しても、決して追いつくことのない距離を測れてしまう。兄弟ならば、なおさらその実力差に苦しむことになる。

 他人には決して理解できないプレッシャーを感じているはずだ。しかもまだ子ども。そんなの、耐えられるはずがない。だからこそ、シングルマンズの監督もまだ続けていたのかと呟いたのだ。

「凄い選手って言えば、小梶だって凄い選手ですよね。――むかつくことに」

「あのね。教師が生徒に対してそんな口の聴き方ないでしょ?」

「あいてっ! せ、先輩こそそんなに気軽に暴力振るわないでくださいよー。冗談じゃないですかー」

「あなたがその無駄口を叩かないようになったら、考えてみます」

「きびしー」

 というかですね、と枕詞をつけると、

「……私が言いたかったのは、小梶だって凄い選手なんだから、もっといい高校に行っているはずですよね? 私達の高校なんかにこなくたって、もっと野球の強い有名校に行っているはずですよね? どうして、こんなところにきっちゃってるんですかね? あれですか? 有名校に入ったら本当に強い奴と真剣勝負ができなくなるとかいう、野球大好き人間だからですか?」

「……そうじゃないですよ。小梶大樹は試合に出してもらえなかったんです。――中学時代ずっと……」

「えぇ!? あんなに才能があるなら、むしろ特別扱いしてもらえるんじゃないんですか!?」

「特別扱いはしてもらえたみたいできすけどね。――ずっと、球拾いしていたみたいだけど。まっ、野球に詳しくないあなたには分からないかもしれないけど、周りが嫉妬しないわけがないですよ。野球が好きであればあるほど、足を引っ張ろうとするでしょうね。ただの凡庸な中学生に、彼のことを認める精神力なんてあるわけがない。そんな彼には味方は一人しかいなかったらしいですね……」

「一人、それって?」

「もちろん、うちの生徒ですよ。板垣準一いたがき じゅんいち。彼こそが、中学時代小梶大樹の才能に押し潰されずに、バッテリーを組んでいた相方――らしいです」

 あまり詳しくは知らないが、彼こそがキーパーソン。今年の夏、野球部がどうなるかを握っていると直感している。

「板垣って、そんな名前の生徒、確か野球部にいなかったですよね?」

「ええ。彼はもう野球をやっていないみたい。中学時代のことは、私がわざわざ足を運んで当時の監督に話を聴いてみたんだけど、どうにも口が重くて……。どうやら監督も、小梶大樹に冷遇していたことが後ろめたいらしかったみたいですね、詳しくは話してはくれなかった。だからどうして、今板垣準一が野球をやっていないのかは分かりません。――もしかしたら、彼も小梶大樹の才能に押し潰されたのかも……」

「ええぇ? もしかして、小梶のことを聞くためだけに、わざわざ中学を訪問したんですか?」

「ええ。電話で話を伺おうとしたんだけど、歯切れが悪かったから、会いに行きました。直接だったら何か言ってくれると思って。でも、期待していたよりは情報は仕入れることはできなかったですね……」

 予想はできていた。

 あの小梶大樹を名無しの選手に育て上げた無能の監督が、どれほどのものか知っておきたかったが、口を濁すばかりでほとんど何も喋ってくれなかった。喧嘩腰に聴いたのが悪かったかもしれないが、電話で連絡していた時、既に迷惑そうな声色だったので、ついついキレてしまったのだ。

 電話越しにブチキレ、そして邂逅してからも服の裾を引き上げ、喧嘩上等とばかりに乗り込んだせいで、先方がさらに閉口してしまったのは言わないでおこう。年不相応の振る舞いが恥ずかしい。野球のこととなると目の色が変わってしまうせいで、ここまで婚期を逃してしまっているのは自覚できている。もっとおしとやかになれたらと思うが、流石に我慢はできなかった。後悔はしていない。

 生徒を守るのが、大人の役目だ。

 例えばの話。

 思春期には、子どもは反抗期になって大人に反抗することだってある。孤独になってしまう時がある。そんな時に、親の話を訊きながらも、必死になって子どもの味方になってあげるのが教師の役目だと思っている。夢があれば、それを後押しできるような存在。進路を一緒になって悩み、それを導けるような教師が理想形。

 それなのに、自分から子どもと敵対するようなことを率先してやるような野球顧問とは話が合うはずもなかった。

「本人に、話を聴いてみたらどうですか?」

「板垣くんにはもう、直接訊いた。だけど、逃げられました」

「逃げ、られた?」

「ええ。ちゃんと話を聴こうとしたら、走って逃げられました。話すことがないーとか言いながら。あんなに潔いというか、迷いなく走って逃げる生徒初めてです……。ある意味、大物じゃないですか? 一瞬の間逃げられたとしても、学校内にいるのは確実だし、また会うんだから逃げても意味ないのに……。あとから大問題に発展するかもしれないのに、そんなことが躊躇なくできるのは、うん、なかなかできないですよ。今、ちゃんと考えてみても、そう。私も手を挙げて呼び止めたまま止まっちゃっいました。私、一生の不覚よ……」

「いや、断言します。その子はただのバカです。私も同類だからこそ、嗅覚で理解しました。私と同じ何も考えていないバカの匂いがプンプンします」

「そうかしら。私は、大物だと思いますけど……」

 シングルスマンの監督が、遠い眼で水を向ける。

「大物と言えば、彼の父親もそうですよね」

「ええ、そうですね」

「何の話ですか? あ、あれ? も、もしかして……。小梶って、私でもなんか聴いたことあるって思ったら、テレビとかに映って――」

 ようやく後輩も気づいたようだ。あの小梶大樹がどれだけ凄い選手なのかを――。

「そうよ。彼の父親はプロ野球選手になった小梶選手。つまり――――完璧なるサラブレッドですよ」


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