※10※城の建設方法
シングルマンズのベンチ側は、明らかに空気が変わっていた。
誰もが明るい顔になって、盛り上がっている。
攻守交代。
次は、シングルマンズの攻撃回。
五回表。
だから選手たちはベンチに集まって、よくやった、凄いなっ! と、バンバン、小梶の方を叩いている。
正直、可愛そうだ。
だが、なんだかんだで愛のある叩き方。
ひょっとしたら、今の時代この程度でも問題に発展しそうだが、小梶は大して気にしていないようだった。……顔はしかめ面だったが。
野球をやっている以上、デットボールを経験しなかった選手はいないだろう。それだけ危険な競技をやっている人間が、肩を叩かれたといって声高々に反論なんてしないのは当たり前か。
それにしても、クラスにいる時の小梶とは、随分キャラが違うようだった。
もっと、こう、柔和な笑みを浮かべる人間だった気がするが、どうやら野球のこととなるとキリリと顔を引き締めるようなタイプらしい。
温和な人間が車の運転をすると、ガラリと性格が反転するように。
きっと、自分にとって大切なことに関することになると、無愛想になるのだろう。それだけ普段ねこ被っている余裕がなくなって、本気で挑むのだろう。
「先輩、先輩ってば」
「え?」
「え? ……じゃないですよっ! 私がせっかくこんな重たいものをずっと持ってたんですから、少しはねぎらいの言葉の一つでもかけてくれないんですか!? これ、先輩の指示で持ってたんですから」
「ああ、ありがとう。……それで? さっさとスピードガンの測定値を教えてくれません?」
「……こんなに心がこもっていないねぎらいの言葉、初めてです……」
生憎と、私は仕事のできない後輩に気遣うほどできた先輩ではない。
風祭には、ボールの球速を測らせていた。
ここに私達が来たのは、もしかしたら、小梶がここにくるかもしれない。そんな可能性にかけてきた。こちらが安易を言っても言うことを聞かないような奴なので、球速を測ろうと思ったのだ。
そして、奴はやはり来た。
一年生はこの時期、球拾いをやっていることが多く、あまり小梶のデータがとれていない。だからこそ、こんな時でないとデータを収拾できないのだ。
私も、これだけのダイヤの原石を放置、もとい、球拾いさせたくはない。
だが、伝統はそう簡単に覆らせることはできない。
古い考えだと思われそうだが、やはり、実力主義よりも、最初に優先されるべきは上限関係だと思う。
特に、野球はそうだ。
チームワークが必要とされるスポーツ、野球。
一年が最初から球拾いもなにもせずに、実力があるからといって他の上級生、レギュラーを差し置いて練習をし始めたらどうなるか。
口では何も言わずとも、本番ではチームワークがガタガタになってしまう。
そういうケースを私は何でも見てきた。
そして、それだけじゃない。
これは、小梶自身の過去。
中学時代も加味しての采配だ。
「132、135、129。大分ばらつきがありますね」
「……でも、大体が130キロ前後。一年生でそれだけ投げれれば上出来ってレベルじゃない……」
しかも、投球練習もなしに、ぶっつけ本番でこの速さだ。
それに、フォームが文句なしにいい。
まだ肩の開きが甘いとか、足の開きはもっと意識した方がいいとかはあるが、それはあくまで個人的な感想だ。
不格好な大股でスイングする有名な選手もいるように、フォームは人それぞれ。誰かが指示したところで、確実によくなるとは限らない。
小梶は、特に一人で試行錯誤するタイプだし、今のところはまだ指示しない方がいいだろう。ただ、フォームチェックを怠っている気がするので、練習時にはカメラを回してそれを本人に見せた方がいいような気がする。まだその練習はやっていないので、今度やってみせよう。
「――ってか、それ以上に速くみえますけどねー、あれ。迫力があるっていうかー。あれだけ投げられれば、もうレギュラーでもいいんじゃないんですかー?」
「……そうもいかないですよ。一年の間はじっくり肩をつくるだけでいい。ゆっくり育てて、三年には必ず甲子園の舞台に行ってもらいたいですから」
「へぇー。そんなもんなんですねー」
一年の時からバンバン投げさせたい。
小梶の投げるボールをもっと見てみたい。
野球好きだったら、誰もが魅了されてしまうだろう。
でも、それはただのエゴだ。
まだ、そんな時期じゃない。
うちの高校はそこまで地力がない。選手層が薄い分、きっと小梶がスタメンになった場合、登板回数がとんでもないことになるだろう。
でも、そうなって肩を痛めでもすれば大損害だ。
我が部活にとっても、彼にとっても。
今はじっくり育てていった方がいい。
「……でも、やっぱりもっと小梶には活躍の場を与えた方がいいと思いますけどねー」
「いい傾向ですね。そんな風に野球にもっと興味を持ってくれたらいいんだけど……」
「持ってますよ! 持ってますけど、先輩ほど好きじゃないんですよ!」
風祭を無理やりにでもここに連れてきて良かった。
野球に興味がない人間でも、特別な選手を見るとそれだけで興味を持ってくれる時がある。
やっぱり、テレビ中継とかと、生でみると全然迫力が違うのだ。
確かにプロと違って、まだまだ荒削り。
だけど、その荒削りさが、何より魅力的な時だってある。
人の眼を奪うことだってある。
「確かに、もっと活躍させたいですけどね。やっぱり野球は積み重ねだから。今はまだ活躍する時じゃない。城だって土台の方がしっかりしていないと潰れてしまうように、あの子にはまだ土台作りをしてもらわないと……」
「ふーん。先輩がそこまで言うなら、私も、もう何もいいませんけど……」
野球で大切なのは、揉まれることだと思っている。
大成するスポーツ選手は大体が、子どもの頃から始めている。
それは、アドバンテージがあるから。
才能があるから。
そんな言葉でひとくくりにはできない。
大成するために必要なのは、やはり――環境なのだ。
雪中軟白ねぎ、というものがある。
私はあれが好きなのだが、雪の降る場所で育てるからこそ、その環境に適応しようとするらしい。自らに身を守るために糖分を造りだす。それが、普通のネギより甘くなって、よりおいしくなるらしい。
つまり、逆境こそが、人を育てるということに繋がる。
それが、小梶には足りない。
中学時代、彼は確かに大変だったのだろう。
あまりの天賦の才に、誰もが嫉妬して彼を試合に出させなかったらしい。
しかし、そのせいで彼は中学時代揉まれることがなく、高校に来てしまった。それは、試合において大きなハンデとなりうる。
今は別になんでもない。
練習だろうが、草野球だろうがベストピッチングを見せている。
そこらの一回戦とかでも問題ないだろう。
だが、甲子園には魔物がいる。
その言葉通り、優秀な選手がエラーをしてしまったり、優勝候補が一回戦で消えてしまったり。そんなことが当たり前のように起こってしまう。
それが、重圧だ。
その重圧に耐えられるだけの経験値が、まだまだ小梶には足りない。
彼は、必ず甲子園に行けるだけの資質がある。
大きな城を建造できるだけの土地だって持っているはずだ。
だからこそ、その才能を潰してしまわないように、教師である私が最大限の注意を払わなければならない。
私は、子どもの頃と比べて、きっと精神的に何も分かっていない。
昔も今も、ただの野球バカだ。
変わったことといえば、子どもの頃と違って、責任感を持たなければならないということだ。
私はもう子どもじゃない。
この重い責任感をもって、小梶のことを大切に育てていきたい。
「――そういえば、投球の方は凄いって知ってましたけど、打つ方のセンスも凄いんですか? 先輩」
「そうね。バッティングはピッチングに比べるとあまりにおそまつね。――ピッチングに比べればね……」
そこまで言って、ちょうどいいタイミングで回ってきた。
小梶大樹の打席が。